2.侯爵家の使用人
翌日、窓から差し込む陽の光に照らされて私は目を覚ました。心地よい目覚めですっきり爽快。よく寝たわ。
隣で寝ているブルルはウンウン唸って気のせいか目元は隈ができている。
誰かと一緒に寝るのは慣れていないのかもしれない。
体を起こすとブルルもがばっと起き上がった。
「……おはようございます?」
「……っ! よく眠れたか!」
「お陰様で? ……旦那様は……あまり眠れなかったようですね」
「そ、そうだな、うむ。あまり眠れなかった。はははははは!」
眠れないのはこの世で一番辛いこと。
早くブルルの愛する人と一緒に寝れる日が来ると良いのだけれど。
「私とではあまり眠れないのであれば、寝室は別にしませんか? 将来貴方の愛する方にも悪いですし」
「それはっ、構わない! 眠れなくても私たちは夫婦なのだから、夫婦の寝室は同じだ!」
「まあ、どちらでも構いませんが……」
寒い日は温石代わりにすれば良いし、ちょうど良い抱き枕にもなるからね。
「そう言えば」
「な、なんだ」
「旦那様の片想いのお相手はどんな方ですか?」
「……え」
「いえ、私もこれから社交しますでしょう?
私の方からそれとなくお誘いしたらどうかな、と思いまして」
寝起きのせいか旦那様の顔は強張ってるわね。
朝からする話では無かったかしら?
「い、いい、いい! いらない!」
「そうですか? ……では上手くいきましたら教えてくださいね?
契約結婚ですから離婚には応じかねますが、お二人の邪魔はしないようお飾りに徹しますので!」
拳をぐっと握ってアピールすれば、ブルルは何故だか泣きそうな顔をした。
この国では政略結婚が主流で、個人の恋愛感情はそっちのけにされがちだ。だから愛する人を第二夫人に迎えたり、愛人を持つことは黙認されている。
ちなみに私は貧乏伯爵家で縁談が無かった為、結婚は早々に諦めて実家の農地を開拓することを人生目標としていた。
だが、農地改革に着手したディスティニア侯爵家から遅まきながら縁談の打診が来た。
どうやらブルルは女性との付き合いに乏しかったらしい。そのうち結婚するだろうという義父の楽観的な目論見は外れ、慌てて探したところ私がいた、というものだった。
開拓するための魔道具を購入する資金が欲しかった伯爵家と、侯爵家の開拓しがいがある農地に惹かれた私の意見が合致した。
そこにブルルの意思はおそらくなかったので申し訳なさからの提案だったのに……
「朝食を……食べに行く」
もそもそと半べそのままベッドから降り、そのまま出て行ってしまった。
困惑のまま呆然としていると、扉を叩く音がする。
「おはようございます。奥様、起きていらっしゃいますか?」
「えっ、あっ、はい、起きてます」
失礼します、と入って来たのは初老の男性。彼は胸に手を当てお辞儀をした。
「昨日はお疲れ様でございました。申し遅れましたが、わたくし執事のチャン・セバスと申します。以後よろしくお願いいたします」
ふかぶか~と頭を下げられても恐縮してしまう。セバスさんに頭を上げてもらうと彼はチラリと乱れのないシーツをくわっと見やり、スンっと元に戻った。
……しまった。初夜をしていないことがバレてしまったかもしれないわ。
なにか偽装をしておくんだった……! と内心どっきどきしていたが、セバスさんは何事もなかったかのようににっこり微笑んだ。
「お疲れでなければ食堂へご案内いたしますがいかがいたしましょうか?」
「そうね、いただこうかしら」
セバスさんがパンパンと手を叩くと、三人の侍女がササっと並んだ。
「それでは、お着替えになられた頃にお伺いいたします」
セバスさんは再びふかぶか~とお辞儀をすると、退室した。
侍女のうち一人は実家からついてきてもらったマージ。私のお姉さん的存在で、結婚するときに絶対ついていきますとひっつき虫のように離れなかった。
そのマージの指示のもと、二人はきびきびと働いてくれた。
実家では自分ですることの方が多かったから新鮮だ。マージも役職を全うできて幸せそう。
侯爵家で準備されたドレスに身を包み、丁寧に化粧をされていく。
いつも見慣れた自分のはずなのに、知らない顔になっていくのに戸惑いを隠せない。
してやったりのマージの顔を見れば侯爵夫人として及第点かな?
少しでも威厳を見せるため、立ち振る舞いは堂々としようと胸を張った。
その後セバスさんに連れられて侯爵家を案内された。
ちなみにご両親は朝早くに出発されたらしい。挨拶する暇もなく申し訳ないけれど、セバスさんは気にしなくていいと笑顔だった。
「旦那様は先に食堂で召し上がられております」
「そうなの!? 先に行かなきゃいけなかったわよね。ごめんなさい」
「とんでもございません。本来初夜開けの花嫁は月の妖精と呼ばれ、夜しか起きていないと言われておりますゆえ。……坊ちゃまのせいで伝承が台無しですが」
拳を握り締めぐぬぬと呻くセバスさんは、こほんと咳払いした。
食堂に着くと、ブルルがいて既に食後の紅茶を飲んでいた。
「来たのか」
「来てはいけませんでしたか?」
「いや、……構わない。私はもう終わったし、仕事があるから行く。きみはゆっくりしてくれ」
そう言うやブルルはすぐに立ち上がり食堂を出て行ってしまった。
彼は領地経営の傍ら、王宮で文官をやっているらしい。
後ろ姿を見送ると、右手と右足、左手と左足が一緒に出ていた。
「何なのかしらね。そういえば皆さんはもう朝食を食べたのかしら?」
「い、いえ、私たちはこの後いただきます」
「それならちょうど良かった。一人で食べるのも味気ないから、みんなで一緒に食べませんか?」
実家の伯爵家では朝食と昼食は使用人も和気あいあいと一緒に食べていた。共に食卓を囲み日々不自由がないかなどを聞き情報共有の場としていたのだ。
それに同じ畑の野菜を調理し、同じ鍋の飯を食べるのは仲間意識を芽生えさせるためにも有効だ。
「奥様、しかし……」
「お願い。結婚してすぐに一人なんて悲しいわ」
眉根を下げてよよよと泣いて見せれば慣れたようにマージが着席し、その後はセバスさんを筆頭に使用人たちはおずおずと着席しだした。
最初こそ緊張していたけれど、段々と打ち解けて食事をする使用人と給仕をする使用人と交代しながらくつろいだ。
「旦那様はこの年で結婚のけの字もなかったので諦めかけたそのとき」
「一人の女性が名乗りを挙げてくださったことに感謝を」
「奥様、旦那様に何かされたら遠慮なくおっしゃってくださいね」
「そのときは目の前でフライパンを素振りしてやります!」
「私は植物と間違えて御髪を切って差し上げます」
「じゃあ、じゃあ、私は旦那様のお部屋の雑巾がけはあまり絞らずやります!」
なぜか出るわ出るわの物騒な発言。
ちらりと見ればしれっとした表情で紅茶を飲むマージとセバスさんが何か吹き込んだのだろう。
「み、みんな、ありがたいけれど控えめにね」
舐められないように先制攻撃をするはずが、頼もしい味方ができたようで、とりあえずの目論見は達成かな?
そんなわいわいとした食堂を見ている目があることに、私は気付いていなかった。