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19.結婚したのは何の為

 

「お嬢様、採れたて新鮮な果物のジュースはいかがですか?」

「いいわね、いただくわ」

「お嬢様、こちらハッチーキッズでございます。いかがですか?」

「いいわね、いただくわ」


 新人らしきメイドが差し出した白いウネウネをマーサが取り上げた。ハッチ―キッズといえば自然派の栄養食品だ。益虫の幼虫なんて可哀そうで食べられるわけがない。


「……お嬢様、あとから後悔するのでやめておきましょうね」

「いいわね、いただくわ」


 実家に帰省して早一週間。

 甘いジュースを飲みながら、日がな農作業に勤しみ、休日は窓辺を見て過ごす日々。

 帰省したは良いものの、冷静になってみれば置いてきた畑の野菜たちが気になって仕方がない。

 実家の畑にかまけてばかりだなんて、侯爵家の野菜たちからすれば裏切りでは? と思うと胸も痛い。

 ダニーは立派な農夫に育て上げたし、きっと使用人のみんな一丸となって手入れをしてくれているのだろうな、というのは容易に分かる。

 けれど気になるものは気になる。

 あれもこれもブルルのせいだ。

 自分はよろしくやっておきながら、私と畑を引き裂くなんて。


 ……いや、実家に帰ることを決めたのは私だ。

 折り合いを付けられずいつまでもうだうだしてるから畑と離れ離れになってしまったのだ。

 この際ブルルは放置して、畑に一途になってみるか……


 なんて思いながら、アレコレ別のことを想像してため息を吐いた。


「いつものお前らしくないな」

「放っておいて」

「そんなに嫌なら離縁すればいいじゃないか」

「政略結婚ですもの。離縁はしないわ」


 勝手知ったる幼馴染の家と言わんばかりにお菓子に手を伸ばすのはグレイだ。

 どこからか聞き付けたのか実家に帰省したその日から日参している。

 普段なら一方的に話して私は聞き役に徹しているけれど、この日のグレイはなんだか思い詰めたような空気をまとっていた。


「……アリアナはどうして侯爵と結婚したんだ?」


 真剣な目をしたグレイに聞かれ、私も真剣な眼差しで返した。


「侯爵家の農地が開拓のしがいがありそうだったからよ」

「……アリアナらしいな」

「でしょう?」


 ふ、と笑えばグレイはいつものおちゃらけた風ではなく、何かを決意したような顔付きになった。


「もし……俺が結婚を申し込んだら、了承してくれたか?」


 それでいて切なげな顔がやけに遠く感じてどきりとする。

 たぶんこれはごまかしてはいけないやつだ、と何となく感じた。


「……ゴールドウイン伯爵家領は既に開拓されているから私の出番は無いわね。農機具の取引もお父様たちの友情で成立しているから政略結婚の意味が無いわ」

「……アリアナらしい返事だな」


 はは、とグレイは力無く項垂れた。

 何かおかしなことを言ったかしら?


「俺はさ、政略結婚なんかしたくなかったな。

 第二夫人が認められているなら自由恋愛でもいいだろう? 正妻を大事にして、よそ見なんてしないのにな……」

「あなたはまだ独身でしょう? 婚約者だっていないしこれからいい人を見つければいいじゃない」


 グレイは農作業用の魔道具を生産、販売する伯爵家の嫡男だ。これまでに縁談が数多来ていてもおかしくない。けれど彼は妻はおろか婚約者すらいない。

 もしかしたら誰か愛する人でもいたのかしら?


「貴族の結婚てままならないよな。政略第一で考えられる。そこにお互いの意思はなくて後継を設けたらそこから自由に恋愛を楽しむ、なんて合わないよ」

「政略結婚なら政略結婚で割り切れたらいいのにね」


 そこに何かを求めて期待すればするだけ裏切られたときに傷付いて苦しんでしまう。

 だから最初から拒絶されたならじゃあ私も、……って思えたなら良かったな。


「ご歓談中、失礼致します。お嬢様、旦那様がいらっしゃいましたよ」


 扉の向こうでマージの声がする。

 旦那様とはブルルのことだ。あれだけ忙しいと言っていたはずなのに、なぜか毎日様子を伺いにやって来ている。

 マージはブルル賛成派で、私の帰省に付いてきたけれどいつの間にかに侯爵家に寝返ってしまっていた。


「今はお客様がいらしているから応対できません」

「伯爵令息様もそろそろ詰めすぎではありませんか? お嬢様はご結婚なさっているのですよ?」

「離縁するかもしれないなら分からないだろう?」

「それなら尚の事、です。既婚者の奥様の家に独身であるあなたが通い詰めていればあらぬ噂が立ちます。それで離縁となれば醜聞は奥様になるのですよ」


 マージの言う通りだ。グレイは指摘されて顔をしかめた。


「……アリアナの醜聞になるのは望まないな。キリアンに会って帰るよ」


 キリアンというのは私の兄だ。貧乏伯爵家の後継で身重の奥様もいらっしゃる。

 両親に似ず、邸内での執務の方が好きな変わり者だ。

 グレイが兄のところへ行ったのを確認して、マージはブルルを室内に招いた。


「元気だったか?」

「昨日の今日でお変わりなく。侯爵様はお忙しいのではありませんでしたか?」

「侯爵……。仕事が一段落ついたんだ。今は定時で帰宅している」


 マージに出された紅茶を優雅に飲む姿も麗しい。

 たわわに実る黄金の麦よりも輝いて見えるなんて……目が……目が潰れそう!


「それで、いつ頃帰宅するんだ?」

「まだ気持ちの整理がついていないので無期限延期です」

「先日も言ったが、俺は不貞などしていない。

 それは恥ずべき行為だからだ。正妻を蔑ろにしてまでも他に行くなどしない」

「……さようですか」


 ではなぜ特定の女性と懇意にしていたの?

 カフェでデートをして、楽しそうに話していたの?

 聞きたいことは胸につかえて出てこない。


「誤解をさせたなら謝る。だから戻ってきてほしい。きみがいないと……侯爵家が活気がなくて寂しい」


 確かに使用人たちのことは気になる。


「気付けばフライパンを素振りしていたり、草むしりをしていたら指先3センチのところにカマが落ちて来たり、髭剃りのとき刃が髪を掠ったり、部屋の床が一部水浸しになって危うく股が裂けそうになったり、皆どこか心ここにあらずと言うか……」


 ……やり過ぎないように一言言っておけば良かったかしら……


「きみの育てている野菜も……どこか元気が無いように感じる」


 ……野菜に縋られているならば戻ることもちらっと浮かんだ。

 けれどそれでも戻りますと言えず俯いて黙ってしまった。


「……待っているから」


 それだけ言うと、ブルルは帰って行った。



「やっぱり領地に行けばよかったかしら」


 窓から馬車に乗り込むブルルのつむじを見ながら呟いた。

 領地の方が会わずに済んだかもしれない。いや、高性能馬車で日参できるから変わらないかしら。


「そんなに気になるならさ、今度突撃密偵調査してみたらいいんじゃないか?」


 兄のところに行ったはずのグレイが再び私の部屋に戻って来た。


「俺の家が夜会を主催すれば取引先の侯爵家を招待しやすい。キリアンも招待するからアリアナも来たらいい。キリアンの奥方は身重だろう?」


 グレイの提案にどきりとした。

 もしもブルルが他の女性と一緒にいたら……

 胸の痛みは継続中だが、そろそろちゃんと現実を見て受け入れるべきだろう。


「分かったわ。もう子どもじみたことはおしまいにしなきゃ……よね」

「……もし、侯爵が離縁したいって言うなら、俺が貰ってやるからよ」


 周りの音が止み、グレイの声だけが響いた。


「それは……ありがたいわ。ゴールドウイン伯爵家なら魔道具使い放題だものね!」


 思わず表情が強張ってしまう。

 さすがの私でも話の流れからしてどういう意味か分かってしまった。


「ああ。領地でこき使ってやるから安心しろ」


 ニカッと笑ってグレイは部屋を出て行った。

 気のせいだったかもしれない。

 グレイがそれ以上踏み込まないなら越えてはいけない気がした。


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