17.お飾り妻の心得
昔々あるところに一組の夫婦がいた。
二人はよくある政略結婚だが、他人の目から見た二人はとても仲が良い夫婦だった。
だが夫は幼い頃に出会った初恋の女性が忘れられずにいた。
しかも相手は前世で結ばれず、来世に期待して別れた恋人であるというから何ともロマンチストである。
その時の出会いはあまりにも短い時間だった為名前も聞けずに終わってしまった。
その後探しに探し、成長した後奇跡的に女性と再会し、当然のように恋仲に発展した。だが女性は平民で夫は貴族、二人の間には越えがたい身分の壁があった。
けれどそれが逆に二人の仲を強くした。
運命の恋、前世からの悲願を果たすべく愛し合い今世こそは結ばれようと努力したのだ。
まあ、よくある女性が前世と比べてちょっと自由な女性になっている事は前世の恋人フィルターで誤魔化せるし、初恋ヴェールがかかれば女性がすぐ他の男に媚を売るなんて「最終的に結ばれるのは自分なんだ」という妙な自信がどうにかしてくれるから大丈夫。
だが貴族に付き纏う平民にいい思いをしていない夫の両親は、どこから見つけて来たのか前世の恋人そっくりの貴族令嬢を婚約者とした。
両親に猛反対しながらも結局折れたのは、婚約者があまりにも非の打ち所の無い素晴らしい女性で、初恋の女性と前世の恋人と言われたらそうだと記憶が叫びそうな程彼の好みにぴったりだったからだ。
そして政略結婚したからには後継を設けなくてはいけなくなり、夫は苦悩する。
後継を作る=恋人を裏切る事になる、と。更に彼の母親は結婚が決まった時から孫産めコールが激しかった。
だから夫は初恋の女性を胸に想いながらも己の今世の定めと妻を抱いていた。
肌を合わせていると不思議と情が湧いてくるもので、夫は恋人を囲いながらも妻を大切にしたい気持ちが芽生えてきた。
二人の間で揺れる夫。
次第に恋人のもとへは足が遠退いてしまい、それが気に入らない恋人は癇癪を起こし更に遠退く悪循環。
対して妻は穏やかに、まるで前世の恋人のような淑やかさと振る舞いにこちらの方が良かったと思うようになり、夫は妻へと惹かれていく。
そのうち事態は動き出す。
そう、よくある話。
夫の初恋の女性は実は恋人ではなく、妻の方だった。
何気無しに妻に話してみれば前世の恋人と同じ答えが返ってきたのだ。
恋人に過去の話をしようとしたらいつもはぐらかされていた違和感は確信に変わった。
どういう事だと恋人に問い質せば、彼女は「勝手に勘違いしたのはあなたでしょう」と逆ギレ。
しかも彼女は妊娠したから別れないと言い出す始末。
最近疎遠にはなっていたから身に覚えのない夫は恋人の不貞の証拠を突き付けて別れ、妻一筋になる事を誓うのだった。
その後夫は浮気もせず、妻を溺愛し子どもにも恵まれて末永く幸せに暮らしました。
これぞハッピーエンド、これぞ真実の愛のなせる技。
前世からの絆は伊達じゃない。
「いやこれ知らなかっただけで、妻からしたらただの不貞野郎だわよ」
密偵の報告から一週間後。
相変わらずブルルは女性と逢瀬を重ねていた。
見事に不貞野郎と化していたので向き合うのを諦めた。
ある意味分かりやすくて助かった。
セバスさんは何かの間違いだと言っていたけれど、正妻を差し置いて密会するのはアウトだ。
悩んでいたのが馬鹿らしくなり、気晴らしに畑に熱中し、更に使用人と交流しようの会を結成し、お昼のティータイムは老いも若きも同じテーブルで顔を突き合わせ、あーでもないこーでもないとわいわい交流していた。
その交流でメイドに紹介されたのが「前世からの初恋は突然に」という恋愛小説。
センスの欠片も無いタイトルで、内容は冒頭の通りである。
夫が二人の女性の間で揺れ動き、妻はひたすら耐えに耐え、それに健気さを見出した夫。そして芽生える愛。
更に恋人が夫に見向きもされなくなって落ちぶれていく様が読者のハートを鷲掴みするらしく、今注目のラブロマンスとして市井で話題になっているそうだけれど。
「結婚する時に別れなさいよ。優柔不断な男ってズルズル引っ張ってどっちにもいい顔して自分の都合良く女性を扱うから一番質が悪いし傷付けるのよね」
「でも愛しているからこそ手放せないこの切なさ! 前世からの恋人と思ったのに身分違いで結ばれず、更に君は間違いでした! という惨めさがもうぐおおってなりません?」
「私はやはり妻の立場で見ちゃうからかしら。
夫の情けなさが際立ってこんな男別れた方がいいよ、って思うわ」
恋人に対しても不誠実極まりない。
付かず離れずを保ち、癇癪を起こしだしたらフェードアウトしようとする夫がとんでもなくクズに見えてしまうのよね。
結婚すると決めたのならば、一夫一妻制なら別れるべきだし、ズルズルしてたら恋人の一番いい時期を台無しにして可能性をイタズラに奪うだけで誠実さの欠片もないと思うんだけど。
「それに、いくら初恋の相手は妻だった、って言っても、その後出会って愛していたのは恋人。
恋人を愛していたのは間違いだった! 初恋は妻なんだ! って言われても『あらそう』としか思えないわよ」
「えー、ロマンチックじゃないですか?」
「考えてもみてよ。恋人と愛し合っていた期間の方が長いのよ? 妊娠をほのめかされたってことは当然肌を合わせてるだろうし、散々愛の言葉を囁き、プレゼントも貢いでる。それを全て無かった事にするの?」
「まぁ確かに」
「初恋の相手と会ったのはせいぜい数時間。ちょこっと話しただけよ。しかも幼い頃に。
あなた幼い頃の記憶覚えてる?」
メイドはふるふると頭を振る。
私だって朧気にしか覚えていない。
よほど印象深い事は覚えているけれど、大抵苦い記憶だ。
良い思い出はきれいに昇華されているが、経験則として覚えておきたい記憶は割と残っている。
次へのステップアップとして、苦手な経験を忘れないように生きていく為だと言われている。
「そんな幼い頃の不確かな記憶より、恋人と作り上げた年月の方がよほど絆が深まると思わない?」
「なるほど。その視点は無かったです」
「だから『初恋はきみなんだ!』って言われても、ときめけないわよ。結婚する前から恋人を囲ってるし、結局不貞してるし、印象悪すぎったらないわ」
ちなみにこの主人公である妻は「前世の恋をもう一度始めたい」と言われてそのまま夫と抱き締めあったのだ。
温い。温すぎるわ。不貞野郎め今更だってバチコーンとすれば良いのに。
「でもたぶん、この二人離縁しそう」
「そうですか?」
「始まりは劇的でも、結婚て結局生活なのよ。
起きて、ご飯食べて、排泄して、寝る。
朝から晩まで一緒にいるから見た事ない姿を見るの。寝てるときもお腹出してぼりぼり掻いてるかもしれない。
ロマンチックな始まりのカップルってちょっと理想と違ったら愛が冷めそう!」
「あー、奥様がおっしゃると説得力高いです! 排泄とかはお下品ですが、それも一部ですものね」
「更に浮気する男は何度でもするわ。許したら最後、次はバレないように巧妙に隠すわね」
ゴクリと唾を飲むメイドたち。一部の表情を見るに、思い当たる節があるようだ。
そんな感じできゃいきゃいと小説について語っていた私たちを、ブルルが百面相しながら見ていたと知るのはまだ先なのだが、事実は小説より奇なりとはよく言ったもので。
「その……きみ、だったんだ。……俺の、初恋の相手は」
「え?」
珍しく一緒になった朝食の席で、もじもじしつつ手を組み換え組み換え、チラチラこちらを見てくるブルルの言っている言葉の意味を中々理解できず、思考は彼方へ飛んでいった。




