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寄る波

作者: 泉田清

 切り立った岩肌を背にした、海岸沿いの道路を走っていた。眼下の磯には絶えず波しぶきが上がっている。

 前方にボンネットのひしゃげた車が停まっていた。傍にいたドライバーが電話している。「事故ってる!彼の休みは終わったな」。助手席にいた同僚Bが憐れみと侮蔑を込めて言った。後部座席にいた私はキャップで顔を隠した。哀れなドライバーは旧友Cである。何年も連絡をとってない。もう他人といっても良いだろう・・・


 同僚Aが流行りの、海辺のレストランに行きたいというので、私とBが付き合う事になり、我々3人はAの車に乗っているのだった。

 「ん、何だ?」Bの電話が鳴る。Bの母親が倒れたという。海辺のレストランどころではない。「いや参ったね、しょうがないなこれは」。そういって彼は、最寄りの駅から家に帰っていった。何とも不吉なドライブになってしまった。残された我々も引き返すべきかもしれない。「オレの分まで楽しんでくれよ」そう言い残して帰っていったB言葉で、何とかAと私は前に進んでいった。

 

 海岸沿いを下りて行った、砂浜の入り口に海辺のレストランはあった。早めに来たはずなのにもう列が出来ていた。

 車を降り、我々も列に並ぶ。前にいたのは若いカップル。後ろも若いカップル、というか並んでいるのは全てカップルであり、店内で食事しているのもカップルのみである。私もAも男であり、カップルではない。完全に場違いな二人が並んでいる。

 Aは酒を飲まず、甘いものを好む。腹がシュークリームのように突き出ている。間違いなく食べ過ぎだ。カップルたち互いに体に触れながら何か囁きあっている。Aは大げさな身振りでウンザリする事(例えば「この店は何人ぐらい入るんだろうな」など)を言いながら、頻繁に突き出た腹で私を小突いてくる。小突かれる度にガッカリしたものだ、Aのシュークリームのような腹が皆の視線を集めていたから。


 我々は入り口の階段まで来た。私は階段でよろめいてしまい、あわや転倒しかけた。トットット、何とか着地する。ポケットから財布が落ちた。紙幣、クレジットカード、ポイントカードが砂浜にばら撒かれる。カップルたちの視線はAから私に移った。やれやれ、我々の「不吉」は未だ継続中らしい。ビュウ!あらかた回収した所で信じられないような突風が吹いた。未回収のカードが一枚、海へと飛ばされていく。それは運転免許証だった。未回収のカード、それがよりによって運転免許証とはね。他のはともかくそれだけは不味い。明日からの仕事が出来なくなってしまう。

 運転免許証は大海原へポトリと落ちた。ズボンの裾をまくり上げ、膝まで海水に浸かったが、これ以上は泳がなければならない。とても無理だ。呆然と立ち尽くす。明日は休みを申請しなければならないだろう、免許証を再交付するために。そんなことを考えていたら押し波がやって来て、運転免許証が流されて来た。チャンスだ!ザブザブと免許証へ近づいて行く。今度は引き波がやって来た。また遠ざかっていく運転免許証。再び立ち尽くす・・・

 とんでもない馬鹿者になった気分だ。事故に遭ったC、母親が倒れたB、腹の突き出たAの方がまだマシだろう。押し波と引き波に翻弄されながら、我が運命を憎んだ。ジリジリと照りつける太陽を睨みつける。目が眩んだ。膝に何かが当たる、波が運んできた私の運転免許証である。ああ、ようやく戻ってきた。写真の顔は白髪交じりだった。だからいつもキャップを被っている。


 いつの間にか駅の近くまで来ていた。財布を落としてから小一時間経っている。Aはもう食事を終えただろう。

 帰ろう。電車に乗り、海辺の景色を楽しんだ。もともと海辺のレストランなんて行きたくなかった。休みはまだ半日ある。明日は免許証の再交付をしなくても良い。まだ遅くない、やりたかった事をやればいい。アパート近くのコンビニで弁当とカップラーメンを買った。帰宅して狭い部屋で食べた。こんなに美味い弁当とカップラーメンは食べたことが無かった。

 

 朝、目が覚める。有難い事に働ける、そんな事は微塵も思っていないが、そう自分に言い聞かせピシャリと頬を打つ。立ち上がる。プルルル!「おおう!」スマホの着信音に出鼻を挫かれ、思わず声が出た。電話に出る、上司からだ。「今日の出勤なんだけど・・・」。何と今日は休んでくれ、との事だった。こんなことがあるのか、誰もが出勤したくない休み明けに、休んでいいなんて。

 しかし、すぐに呆然とした。何の予定も無い。今日一日どうするかしばらく考える。昨日、膝まで海水に浸かったあの時と全く同じ心境だ。もう、波が何かを運んでくれることはない。とにかくキャップを被って外へ出た。ジリジリと暑い、今年初の真夏日である。

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