58話
思っていたほど、一人暮らしは苦に感じなかった。大抵のことは一人でこなせたし、不便も特に感じずに済んでいた。
思わず、これは継母のおかげかしらと皮肉にも思ってしまった。
執筆も今まで通り進んでいた、そんな時、突然扉をノックされた。
「エマ様と名乗る方がお見えですが、いかがいたしますか?」
管理をしている女性の声だった。
『どうしてここが……』
一瞬迷ったが、すぐに覚悟を決める。
「……すぐにお通ししてください」
扉が開き、姿を現したエマ先生を見た瞬間、胸が締め付けられた。
「エマ先生……」
私は深く頭を下げた。
「別に隠すつもりはありませんでした。ただ、落ち着いたらご報告に伺おうと思っていて……」
先生はため息をひとつつき、困ったように微笑んだ。
「ええ、そうでしょうね。でもあなたは、そうやって一人で全部抱え込む癖があるわ」
「……ごめんなさい」
「謝ることではありません。ただ、心配はさせないでちょうだい」
そう言われ、胸の奥がじんわりと温かくなる。
エマ先生が私の居場所を知った経緯を聞いた。
ラナウド伯爵が公爵邸へと先触れを送ったところ、もう既に公爵邸には居ないと手紙が届いたので、エマ先生だったらご存知なのではと伯爵自らエマ先生を訪ねた。
驚いたエマ先生はすぐに公爵邸を訪れ、ロザリーさんから居場所を聞いたという。
「ロザリーさん、伯爵には居場所を言わなかったそうよ」
私が思わず笑ってしまうと、先生は少しだけ表情を厳しくした。
「……笑い事ではありませんよ。本当に」
「はい……」
その後、私は公爵邸を出るに至った心情を、包み隠さずすべて話した。
話し終える頃には、喉の奥が痛くなっていた。
しばらく沈黙が落ち、やがてエマ先生が静かに口を開いた。
「あなたの気持ちは理解できるわ。でもね」
先生は真っ直ぐに私を見つめた。
「陛下から手紙が届いたのなら、戻られるまで待つべきだったわね」
「すみません。そうですよね」
「ええ。ただし、それは責めているわけではないのよ」
先生は椅子に腰掛け、諭すように続けた。
「人を好きになったのなら、自分が傷つくことを怖がらないで。傷ついたっていいじゃない。とことん突き進んで、それでだめだったなら、その時に諦めればいいの」
私は思わず視線を落とした。
「傷つきたくないからと逃げてしまったら、必ず後で後悔するわ」
胸に、鋭く突き刺さる言葉だった。
まさに私は、傷つくのが怖くて逃げたのだから。
「……陛下がお戻りになったら」
エマ先生は、少しだけ優しい声色で言った。
「本当の、あなたの素直な気持ちを伝えなさい」
「……はい」
その瞬間、はっきりと理解した。
私は素直になれなかったのだと。
『恋とは、人を臆病にさせてしまうものなのね』
ふと、そんな言葉が口をついた。
「そう考えると……ラナウド伯爵って、すごいわ」
「……あら、急にどうしたの?」
「何度断られても、平気な顔で話しかけてくるでしょう? あれって、相当な勇気だと思って」
エマ先生は少し考え込み、やがて苦笑した。
「確かに、彼は鋼の心臓をしているわね」
私は小さく笑いながら続ける。
「私は、少し臆病すぎました。だから……今度陛下とお会いできたら、勇気を出して伝えてみようと思います」
「逃げないで?」
「はい。素直な気持ちを。だめなら、その時は……きっぱり諦めます」
エマ先生は満足そうに頷いた。
「それでいいのよ。後悔しない選択をなさい」
すると、ふと思い出したように先生が言う。
「ただし、私の甥は、少し違うような気がするわ。だからあまり参考にはしないようにね」
そう言って微笑まれ、私は思わず吹き出してしまった。
「ふふ。はい、わかりました」
こうして、重く張り詰めていた胸の内は、少しだけ軽くなった。




