56話
今日は書き終えたばかりの原稿を持って、ソラさんのいる出版社へと向かった。
ソラさんは『取りに伺います』と言ってくれたが私はラミナさんとソラさんには殿下のことは隠したまま、今はエマ先生のお屋敷で暮らしていることになっているので自分から届けることにし、お二人には気分転換に歩きたかったからということにした。
出版社に着くと、ソラさんがラミナさんと一緒に出迎えてくださり、ラミナさんが
「お久しぶりですね、元気にしていましたか?」
と尋ねてくれた。私も
「ご無沙汰してます、やっと新しい作品を書き終えました」
と返した。そして少し前に起こった一件を話すと、既にエマ先生から聞いていらしたようで
「随分と驚いたでしょ?」
と言われてしまった。確かにエマ先生が私の母親だったことは、驚きの一言では片付けられないほどだった。やはりラミナさんは先生の親友だけあって、最初から全てを知っていたという。ただ、ラナウド伯爵が先生の甥だったことは知らなかったそうだ。それは当然のことだった。エマ先生でさえあの時に知ったのだから。
その後、私とソラさんが他愛のない話で盛り上がっている間、ラミナさんは私の新作に目を通していた。そして少し経つとラミナさんが
「もしかして、失恋でもしたの?」
と聞かれたので、私は驚いて
「どうしてですか? 今回の作品は失恋のお話ではないのに」
と聞き返すと
「なんとなくね、そんな気がしただけよ」
と言われてしまった。そしてラミナさんは
「話の内容に深みが加わったわね」
と仰ってくれた。確かに心の変化、そう、知らなかった感情表現が加わったことは自分でも理解していた。そして思わず
「ラミナさんはやはり流石です。何でもお見通しなんですね」
と返すと
「私の方が何年多く生きていると思っているの?」
と笑った。
その後、今日は本当に気分転換で歩きたかったので、帰りも辻馬車は使わず歩いて公爵邸へと帰った。そして着いて早々、ロザリーさんが
「陛下からお手紙が届いています」
と言って一通の手紙を手渡された。
その手紙には時間がなかったのか、端的に『話したいことが沢山あるが、明日から隣国へ行かねばならないので帰り次第先ぶれを出すので待っていて欲しい』とだけ書かれていた。
読み終えた私は『きっと王女様のことで私に話さなければいけないことでもあるのね』と思った。それと同時に、私はいよいよ覚悟を決めなくてはいけない時が来たのだと勝手に思い込んでいた。
だって陛下のこの公爵邸に関係のない女性が住んでいると噂にでもなったら、必ず迷惑をかけてしまうもの。だから『そろそろこの公爵邸ともお別れね』と呟いた。
暫くすると、お茶を持ってロザリーさんが来てくれて
「陛下からのお手紙、何か良いことでも書いてありましたか?」
と聞かれたので
「何か私にお話があるそうよ。たぶん王女様のことかしらね。結構な噂になっているものね」
と答えた。するとロザリーさんは
「勝手に悪い方向には考えないでくださいね」
と言ってくれたが、今の私には負の感情しかなかった。
次の日の朝、私は早めに支度をしてもらい
「買い物をしたいので街まで行ってきます」
とお屋敷を後にした。従者をつけられないように『のんびりとお買い物を楽しみたいので』と告げた。
本当は今日、新しく住むためのお部屋を探す為に街に出たのだが、そんなことは言えるはずもない。
あとは、エマ先生に相談してからとも思ったが、きっと心配をかけてしまうし、引き留められる、もしくはエマ先生のお屋敷にとりあえず住みなさいとなるのではと考え、事後報告をすることに決めた。
出版された小説のお陰で、ある程度の資金は貯えていたから、その心配がないだけでもありがたかった。それに継母のお陰で一通りのことは自分で出来るようになっていたので、それだけは感謝した。あとは女の一人暮らしだ。防犯対策のしっかりした部屋を探さなければと思った。
この時の私は、意地になっていたのかもしれない。陛下から告げられる前に、自分からお屋敷を出なければと。
それから、割と早く希望に近い部屋が見つかった。私は細かい契約も済ませ『これでいつでもお屋敷を出ていける』と思った。決まれば早い方が良いと思い、その二日後、お屋敷を出ることをロザリーさんに初めて告げた。ロザリーさんはとても驚き
「せめて陛下が隣国から戻られるまでは待ってください」
と言われたが、私は
「その前に出て行かなくてはいけないの。そのために急いだのだからお願い分かって」
と言うと
「そんなことをされたら私が陛下に叱られます」
と言われたので、そこで私はきちんと説明をした。
もし何の血縁でもない私がここにいることがわかれば、王女様や周囲はどう思うか、陛下が愛人でも囲っていると噂されるのは目に見えている、と。流石にそう言われてはロザリーさんも引くしかなかった。
私は心から、今までのお礼を言って、最後に引っ越しのための馬車をお借りすることをお願いした。あまり荷物もなかったけれど、自分の物だけ馬車へと積んだ。そして陛下からいただいたドレスは置いていくことにした。置いていかれても迷惑だとは思ったが、一種の意地のようなものだった。その時『この感情だわ』と新しい発見でもしたように、恋をするたび増えていく感情を頭の中に書き留めた。そして『こんな時まで小説のモチーフを考えるなんて』と苦笑した。
その後私は、お世話になったお屋敷の皆さん一人一人へと挨拶とお礼に回った。
前もって用意しておいた心ばかりの品物を持って。
特にロザリーさんの次にお世話になった料理長には
「書くのに夢中な私のために片手でも食べられるよう工夫してくださったこと、忘れません」
と告げたら涙ぐまれてしまい、私も自然と涙が浮かんだ。
そして皆さんへの挨拶も済ませた私は、最後となる公爵邸の馬車で新天地へと向かった。