54話
あれから随分と日が経つのに、ルイス様は公爵邸を訪れることはなかった。
ただお忙しいだけなのかもしれないが、あれ以来、私は負の感情に囚われてしまっている。私が落ち込んで小説を書くことさえ手につかないなんて、あれほど『大好きな小説さえ書ければあとは何もいらない』と長く思っていた日々は、どこへいってしまったのかしら。
そんなふうに考えごとをしていたら、ロザリーさんがお茶を持ってきてくれた。そして
「最近、元気がないようですが、何かありましたか?」
と心配そうに聞かれた。私は心配をかけたくなかったので
「なんか最近、筆が進まず、何も頭に浮かんでこなくって」
と答えると、ロザリーさんは
「そんな時もあります。寧ろ、今までスラスラ書かれていた方がすごいのではないですか」
と励ましてくれた。そして
「気分転換に観劇でも行かれてはいかがですか? 作品の参考になるかもしれませんよ」
と言ってくれた。
私も、あまりお屋敷に閉じこもっていてはただ悪いことばかり考えてしまうと、思っていたところだった。
だけど私は、観劇に一人で行くのもどうかと思い、安易な気持ちで従兄のラナウド伯爵を誘うことにした。
先触れを出すと、すぐに返事が返ってきて、ちょうど今、王都で流行っているという演目があるので二日後に馬車で迎えに来てくれることになった。
正直、従兄と分かってから親しみを感じているのは事実だが、相手が私に婚姻を申し込んできたのに断っておきながら誘ってしまったことに、多少の罪悪感を感じた。
これでは期待を持たせてしまうだけなのでは? と。
だけどこの時、私のとってしまった浅はかな行動は、陛下に対する当てつけの意味があった気がした。
なので心の中で『ラナウド伯爵、ごめんなさい』と謝った。
そして当日、ラナウド伯爵は嬉しそうに迎えに来てくださった。
私はやはり勘違いをさせてしまっていると思い、伯爵に
「ごめんなさい、今作品に行き詰まっていて、従兄として軽い気持ちでお誘いしました」
と言い訳をした。すると伯爵は
「それでもいい、私のことは利用でもなんでもしてくれて構わない」
と言ってくれた。やはりいつかジョンが言っていた通り、本当は優しい良い人なんだと思った。
その後、私達は馬車で王都の街へと向かった。馬車を降りる時も自然にエスコートしてくださり、今日の演目も調べてくださったようで、見どころなども教えてくれた。
途中、簡単な軽食を取りながら伯爵のお父様の昔話を聞かせていただき、お父様から聞いたという、エマ先生の姉妹のお話も聞かせてくださった。思った以上に楽しい一日が過ごせて、本当に気分転換ができた。
帰りもお屋敷まで送ってくださり
「また気分転換がしたくなったら、いつでも声を掛けてください」
と言って去っていかれた。私は本当に優しい方だなと改めて思った。
そしてお屋敷に着くと、ロザリーさんが
「良い気分転換ができたようですね」
と言ってから
「でも陛下が知ったらきっと怒り出しそうですね」
と言って笑った。私は
「それはないです、だってこんなに放っておくくらいですから」
と思わず言ってしまった。するとロザリーさんは意味深に
「恋とは駆け引きも大切です。でも恋愛小説を書いている方に失礼しました」
と微笑んでいた。私は
「そうだ、これだわ」
と思い、すぐに私室に行き筆を取った。なんだか今なら書けそうな気がした。そして夜通し書き続けてしまった。
朝になり、机の上で突っ伏して寝てしまった私を起こしに来てくれたロザリーさんは
「やっと元に戻りましたね、これが果たして良いのか疑問ですが」
と呆れていた。