31話
私はエマ先生のことを誰にも言えず、釈然としない日々を送っていた。
それから三ヶ月ほど経った頃、書き終えた原稿を持って私の担当編集者のソラさんを訪ねると
「アンリ先生、仰ってくだされば私が子爵邸に取りに伺いましたのに」
と言われてしまった。私は咄嗟に
「丁度、買いたい物があったので原稿を届けた帰りにでも寄ろうと思っていたので気にしないで」
と嘘をついてしまった。
先日私は今一度、エマ先生と話し合い、やはり今はまだ二人に話す時ではないと、改めて決めた。なので、二人は、私がエマ先生のお屋敷で一緒に暮らしていると思ったままだった。
しばらくすると偶然ラミナさんもいらして、世間話に花が咲いた。
そしてその話の中で、最も驚いた話があった。
それは、あの愛人だったマリアさんが、侯爵様から
『私の純潔を奪った上に貴族との結婚のため、私を追い出したことを世間にばらされたくなかったら、仕事を始めるための資金を出しなさい』
と脅し、多額の資金援助をさせ、高級娼館を開業するため準備中だという。
なんでも今はその顧客集めに奔走しているそうで、ラミナさんの知り合いの貴族の方や、裕福な商人たちも声をかけられたという。
ちなみに高級娼館とは、病気を怖がる男性たちのためにきちんと定期的な検査を行っている、それなりの女性がいる店だという。
ついにあの侯爵様も本当の一人になってしまい、もうこの先、まともな貴族令嬢との婚姻は望めないだろう。噂というものは恐ろしいほどすぐに広まるものだから。
もっとも養子を取ることも考えていたことだし、まあ、自業自得よね、と三人で笑い合った。
そして私はそのついでに、ずっと気になっていた、エマ先生と侯爵様との婚約が破談になった子爵令嬢との接点を聞いたのだが
「まあ、そんな二人を見かけたのね。でも残念ながら私は何も聞いていないわ」
と口を濁されてしまった。直感的に何かを知っていて隠されているような感じがしたが、それ以上は無駄だと思い、その話はそこで終わった。
その夜、公爵邸でいつものように夕食を取りながら、殿下と話をしていると
「今度、王宮で王妃様の誕生を祝うための舞踏会が開かれるのだが、一緒に参加しないか?」
と誘われた。
王妃様とはこの国の北に位置する隣国の第一王女だったお方だ。
殿下の亡くなられたお母様は南に位置する隣国の第二王女だったお方なので、ちょうどこの国を挟んだ逆側の国だ。その国とでさえ良好な関係とは言い難いそうだが。
隣り合う両隣国はこの国の王の野心的な考えを常に警戒していると噂されている。
誘ってもらった私は殿下に
「毎回私をエスコートなさったのでは、周りからあらぬ噂を立てられてしまいます」
と言うと
「君は毎回同じようなことを言うが別に私は一向に構わないと言っている。君が迷惑と言うなら話は別だが」
と少し不機嫌そうに言われた
「いえ、私が迷惑だなんてことは全くありませんが」
と返すと
「それでは決まりだな」
と勝手に決められてしまった。
私は心の中で
『私でも殿下の男色家の噂消しくらいは務まるかしら』
と諦めた。
その後、舞踏会当日、私はいつも通りロザリーさんに支度を整えてもらい、殿下と共に王宮へと着いた。
そこにはエマ先生とご子息もいらして、遠目には継母と異母弟のジョンの姿も見てとれた。
そしてもう一人、ウィンチェスター侯爵もいた。さすがに今日は一人で参加しているようだ。今日の社交界ばかりは欠席できないので、仕方なく参加したのだろう。
殿下は陛下と王妃様にご挨拶に行くと言うので、私はエマ先生たちと合流して待つことにした。
するとエマ先生は私をウィンチェスター侯爵の元へ連れて行き
「これは侯爵様、お元気そうで。婚約破談の件、耳にしましたわ。残念でしたわね。さあ、アンリさんも侯爵様にお慰めの声でもかけて差し上げて」
と私に話を振ってきたので、私はびっくりして侯爵様を見た。すると
「アンリ? どういうことだ」
と言われると、エマ先生は
「あら、一緒に住んでいた元妻――あ、婚姻無効になったから元妻でもないわね――その顔さえ覚えてないなんて、ずいぶんと失礼だわ」
と言うと、エマ先生の嫌味に加勢するように、私は初めてこの姿で声を発した
「お久しぶりです、侯爵様」
すると
「本当に君があの黒縁眼鏡の女性なのか?」
と、驚きと後悔が面白いほど伝わってきた。そして私は
「ではこれで失礼いたします」
と言ってエマ先生とその場を後にした。そして私はエマ先生に
「どうして今更なのですか?」
と尋ねると
「いつか後悔させたくてこの日を心待ちにしていたのよ。そう、全てを失った後に駄目押しをしたかったの」
と言って笑った。
私は思わず
『エマ先生怖い』
と呟いた。
そうしてご子息のところへ戻ると、殿下も戻っていらして四人で話をしていると、今度は継母が見知らぬ男性を連れてやって来た。
継母は私たちの前に来て
「アンリ、こちらの方が先日話した、あなたに婚姻を申し込まれているラナウド伯爵よ」
と隣の男性を紹介してきた。するとその男性が
「お初にお目にかかります、アンリ嬢。もっとも私の方は何度も社交界で貴方をお見かけしていましたが」
と言うと、急に殿下が前に出て
「初対面の相手を名前で呼ぶとは、ずいぶんと失礼だな」
と怒っている。男性は
「それは大変失礼いたしました。では今日のところはご挨拶だけということで、これで失礼させていただきます」
と言って継母と去っていった。
そしてすぐにジョンが
「姉上、すみません。僕は止めたのですが、母上はあの性格なので、皆様にご不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
と言って去って行こうとしたので、私は
「ジョン、あなたは悪くないわ。気にしなくていいのよ」
と言ってあげた。ジョンは頭を下げて去っていった。
その後の殿下の不機嫌な態度に少々困惑しながらも、横で笑っているエマ先生を恨めしく見つめながら、その日はとんだ一日だと、ため息が出たのだった。