首脳(首長)会談
東京
閣僚会議にて
「第三艦隊、第四艦隊からの報告です」
「うむ」
海軍大臣の永野が話す
「艦隊からの報告によると接触に成功。相手は88年後の未来からきた九州という事らしいです。実際に佐世保の街では今の技術では作ることのできない建物、そして艦艇があるそうです。あちらは会談を要請しているとのこと」
「分かった行うといっておいてくれ。場所は下関の春帆楼で行う」
「分かりました。日時はどうします?」
「明後日の11時頃で」
「分かりました。陸軍がしっかりと護衛いたします」
福岡県庁
「28日の11時に下関の春帆楼で行うそうです」
と秘書が話す。
「西部方面総監部より担当者を2名、こちらからは産業課とインフラ課の職員も連れて行こう」
「護衛はどうします?」
「自衛隊と警視庁に要請する」
下関については海自の護衛の下海上保安庁の巡視船にのって向かう。
護衛は福岡県警のSP 2名と陸上自衛官8名。そして脱出用にヘリを待機させる予定である
28日
会談には広田弘毅自身が出席した
JM61-RFS 20mm多銃身機銃(M61 バルカン)を搭載した巡視船きくちに福岡県の大橋知事とその他4名、護衛として10名が下関の唐津へと向かった。
唐津に着くと、大量の民衆たちが出迎え、未来の艦船、人をみようと大阪から来た者もいた。
巡視船きくちが着岸し、搭乗員の合図によってまず自衛隊員3人が降りる。そしてSPに守られながら大橋含む5人、あとから5名の自衛官が降りる。
自衛官は20式小銃ではなく89式小銃を装備していた。
護衛としてきた護衛艦みくま(もがみ型)は民衆から注目され
「おい見ろ、あれが新聞にのっていた軍艦か」
「ほんとだ、なんかすっきりしとるな」
と会話が飛び交った
大橋たちは陸軍が用意した自動車に乗り込み春帆楼へと向かう
春帆楼
日清戦争講和条約である下関条約を締結した場所でありふぐ料理公許第一号店としても知られる場所である。
大橋たちは車から降りて会場へと向かう。事前に、人数の連絡をしていたため5名分の食事が用意されていた。
大橋知事と広田首相が握手をする。
「ようこそ1936年の日本へ」
「お迎えありがとうございます」
日本側は広田弘毅のほかに第5師団師団長である瀬戸と海軍省副大臣の尾鷲と外務省職員、内務省職員がいた。広田の合図のもと両メンバーが席に付き食事をとる
「未来の日本とはどのようなものか?」早速広田が質問する
「そうですね。先進国として世界でも上位の国で、軍事力、経済力共にトップ10に入っています」
「ところであなた方の護衛としてきている軍人が持っている銃はドイツの銃に似ているな」
「そうですね、あれは89式小銃といって弾倉1つで20~30発ぐらい撃てる自衛隊の銃ですね。現在は新型がありますので配備数は減ってきていますが」自衛隊西部方面総監部所属の自衛官が答える
「自衛隊と言うのは?」大橋が答える
「日本軍だと思ってもらっていいです」
「なぜ日本軍と呼ばない」
「それは憲法によって軍を持つことが制限されているからです」
「帝国憲法が改正されたのか」
「はい。正確には大日本帝国憲法から日本国憲法になりました。この先、アメリカと戦争をした結果負けてしまい、憲法がすべて作り直され制限されています。なので防衛兵器しか持つことができません」
「帝国が米帝に負けるだと?」
どこからか声が聞こえたが大橋は話を続ける
「このままではたくさん人が死んでしまう。しかい、九州はシリコンアイランドと呼ばれるほど最先端の技術がそろっている。これを海外に輸出すれば儲かります。戦争するより楽に国が豊かになる」
「確かにそうだな。ではその最先端の技術と言うものを我々に見せてもらおうか」
「では食事が終わってからにしましょう」
「そうだな」
その後は黙々と食事を続けていた。
その後ろでは日本兵が自衛隊の服装や装備をちらちらとみていた。多分興味があるのだろう
その後、場所を移し、未来の技術としてノートパソコンを起動させ、簡単に画像を見せる
「これが未来の技術です。今からこれを使って九州のことと、九州にいる自衛隊の情報を簡単に説明させていただきます」
「すごい、写真に色が!」「写真が動いてる!」と日本メンバーは興奮していた
「九州ですが総人口は約1,270万人。主な生産品はあまおうと言う世界でも評価されている苺や米などの農産物のほかに自動車、半導体、石油化学製品が生産されています。また、黒豚や和牛などは世界でも有名なブランド肉として生産されています」
つづいて自衛官が説明を始める
「九州には陸海空の3つの自衛隊組織があり、陸上自衛隊は2つの師団とその他5つの部隊があります。10式戦車や16式機動戦闘車などの部隊が配備され、上陸してくる敵を即座に殲滅することができます」
画像を表示する
「こちらは10式戦車の動画です」
画面を変更して10式戦車が発砲している様子や高速で走行している様子が流れた
第5師団長である瀬戸が「戦車がこんな速さで・・・」と驚愕していた
「44口径120mmを搭載し、前進、後進ともに70キロ以上を出すことができます」
「続いて海上自衛隊は合計13隻あり、見えない場所から敵の航空機や軍艦を破壊できる能力を持ちます。また、主砲は対空用としても使用し、機械を使用しているので余程のことがない限り外すことはないです」
「最後に航空自衛隊は築城基地と新田原基地があり最高速度1000キロ以上の戦闘機が多く配備されております。こちらも同様に見えないところから戦闘機や地上、軍艦を攻撃することができます」
これらを聞いて日本側は開いた口が塞がらない状態であった。そこまで強ければ大日本帝国は大した攻撃もできずにやられてしまう。
「九州は現在食糧が不足している状態で米などの食糧のほかに石油なども必要です。金銭価値が合わないので徐々に再開し始めている筑豊炭田でとれる石炭や八幡製鉄所(九州製鉄所)などで生産される鉄鋼などと交換したいと思っています」
「なるほど。いいでしょう。交換量については後程決めさせてもらいます。一つ説明いただきたいことが」
「なんでしょう」
正気に戻った日本側から広田が話す
「関門海峡にかかっている巨大な構築物についてだが」
「あ、それは関門海峡大橋といって本州と九州を結ぶ橋です。下関側を整備していただければ九州側に船無しで渡ることができます」
「そうでしたか。では早急に整備を進めます」
その後も会談は続き、16時になったところで巡視船きくちにもどり帰還した。この際に日本と連絡が取れる無線機を持ち帰っており、門司区役所にて臨時で日本と連絡を取る連絡室が設置された
一方で日本側は新聞に公開された未来技術に興奮し、九州にわたりたいというものや未来の美味しい農作物を口にしたい、製品を使いたいという意見が多かった反面、でたらめだという意見も多かった。
御前会議にて昭和天皇陛下が九州に強い関心を持ち、九州に行きたいといい始めてしまったが安全上の問題という事でそれは却下されてしまった。