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 夜だからだろうか。

 いつもと甥の様子が違う気がする。


 腕の中で半分無理やり振り返る。きらきらと綺麗な瞳は、夜の闇に浮かんでどこか妖しい美しさがあった。


「アキちゃん」


 千晶の指が、そっと暁の頬を撫でる。

 寝に落ちるように、徐々に近づいてきた千晶の顔。こめかみにかすかにくすぐるふわふわの髪に、暁は口角を上げた。


「……仕方ないな」

「え?」

「よしよし。夜に目が覚めて、寂しくなった?」


 自ら甥の背に腕を回すと、ぽんぽんと宥めるように撫でてやる。

 身長差がありすぎて、暁のつま先は僅かに背伸びになっていた。


「大丈夫。今の私は、家を出たときの私よりはきっとずっと、君を支えてあげられるから」

「アキ、ちゃ……」

「寂しくなったら、またこうして君を抱きしめる。なにか認めてほしかったら、その点とことん話し合おう。温もりが恋しくなったら──ほら」


 千晶の両の手を目の前で重ね、暁がその手で包み込む。

 今時の高校生の手のひらはこんなに大きいのか。


「こうして、手を握ることくらいは、私にもできるでしょう」

「……」

「頼るだけじゃない。もっと甘えてもいいんだよ。保江姉ちゃんにできなかった分もね」


 見つめたままの千晶の瞳が、かすかに揺れる。


 四歳の時に死別した母親。その喪失感が甥に与えた影響はどれほどのものだったろう。

 暁自身さえ、今でもその喪失感に身を落としそうになることがある。保江と同い年になった、今もなお。


 突き動かしているのは、最愛の姉に対する恩なのかもしれない。


 それでも、一度引き受けたことは意地でも投げ出さない。

 よろず屋の稼業を選んでから、その精神だけは曲げずに磨いてきたのだ。


「だから、ね」


 よし、今だ。


「私は、ちゃんと君と家族になっていきたいって思ってる。それだけは忘れないでね──、『千晶』」

「……!」

「それじゃあ、おやすみっ」


 うわあ。年甲斐もなく、頬が熱い。


 それは言い逃げに近かった。

 寝室に戻った暁は流れるような動きで布団の中に飛び込んだ。それでも、甥にはきっと気づかれてしまっただろう。


「千晶」と呼ぶだけで、ここまで緊張するなんて。


 高校生にまで成長した男子に「ちーちゃん」は失礼だし、とずっと呼び方を探しあぐねていた。


 最近では個人的なお付き合いは商店街の人たちにほぼ限られていた。

 その人たちに対しては、「華子おばあちゃん」「源造おじさん」と気さくに呼ぶことができている。

 なのにこの反応は、自分でも過敏だとわかってはいるけれど。


「家族、だもんね」


 甘美な響きだった。

 若い頃にすでに諦めていたもの。それが思いがけず腕の中に転がり込んできた。


 相手が人でも動物でもあやかしでも──私がきっと守ってあげる。


 そっと心に呟いて、暁のまぶたは静かに閉ざされた。


   ◇◇◇


「嬉しそうだな」


 月光の中しばらく立ち尽くしていた人影が、我に返ったようにシンクに腰を預けた。

 まだ半分ほど残っていたハチミツたっぷりのトーストを、むしゃむしゃと頬張る音が響く。その食べっぷりは、どこか面白くない感情が如実に表れていた。


「てっきり、俺の名前は呼ぶ気がないのかと思ってた」


 言いながら、先ほど垣間見た表情を思い返す。

 普段表情豊かとは言えない彼女の、頬を赤らめながらも強く見つめてくる、あの──。


「……食べ終わったら、ちゃんと元に戻しておいてよね」


 暁が寝入った頃合いを見計らって言い残すと、千晶もまた寝室へ戻っていく。

 その顔に浮かんだ何とも表現しがたい感情に、月光の中残された影は小さく肩をすくめた。


   ◇◇◇


「ごめん。時間ぎりぎりになっちゃった」

「全然大丈夫だよ。午前は依頼主さんとの面談だったんでしょ。お疲れさま」


 徒歩圏内での集合場所ということで、少し慢心していた。

 小走りで坂道を駆け上ってきた暁を、千晶は笑顔で迎える。


「おー。いつものラフな服装も良いけど、スーツ姿も似合ってるね。アキちゃん」

「可愛い甥っ子の転校手続だからね。服装くらい変えますよ」

「へへ。それじゃよろしくね、保護者さん」

「任せなさい。と、言いたいところなんだけどね」


 言葉尻が弱くなる暁に、千晶がおやと首を傾げる。


 目の前にでんと構える建物──間黒南高等学校。

 正直暁にとって、「正規の」用事では訪れたくない場所だった。




「これはこれは七々扇さん。お久しぶりです。今日はきちんと来訪者カードを身につけておられるようで」

「あれ、暁ちゃんじゃーん。なになに、今日は制服じゃなくてピシッとスーツなんだ?」

「お、よろず屋暁さんだ。また今度練習試合に同行してよ。暁さんのほうが、うちのコーチよりよっぽど分析能力あるからさあ」


 新学期を翌日に控える春休みの高校には、僅かな教員と生徒しかいない。

 しかしながら、運悪く部活動の入れ替わりの時間帯と重なってしまったらしい。


 校内に入った瞬間に浴びせられる好奇の視線に、暁は早くも体力を消耗させられた。


「……すっご。次から次へとお声がかかるね。アキちゃんって、もしかして有名人?」

「そういうわけじゃない。ただよろず屋の仕事の関係で、色々顔が割れちゃってるの」

「顔が割れてるって、すごい言葉だね」


 実際、この高校にも何度か生徒を装ってお邪魔したことがある。

 最初はまるでバレなかったが、やはり次第に「あれ、もしかして権三郎坂のよろず屋さん?」と顔バレし始めたのだ。


「さすがに童顔つるぺたチビっていっても、扮するには限度はあるよねえ」

「いや、それは単に、アキちゃんが生徒に認知されてるってだけなんじゃない?」

「はは。うちの甥っ子は優しいなあ」

「いやほんとに。それに童顔つるぺたチビって言うけれど」


 言葉をいったん止めると、千晶の手がくいっと暁の肩を引き寄せた。そして囁く。


「つるぺたっていうのは、フェイクでしょ?」

「へっ」


 恐ろしいほど間抜けな声を上げ、暁は甥っ子を見上げた。


「ど、して、それを……?」

「一緒に住んでたらおのずとわかることでしょ。確信を得たのは、昨日の夜にアキちゃんをハグしたときかな」


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