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「制服を受け取ったあと、二軒隣のカレー屋さんでお昼を食べたんだ」


 帰宅後。ともに夕食を囲む千晶が口を開いた。

 今夜のご飯は、昨晩の肉じゃがをすり潰して揚げたコロッケだ。


「そしたらいつの間にか、商店街の人たちでお店がいっぱいになっててさ。あのカレー屋さんって人気店なんだねえ」

「いや。それは違うと思う」


 ほくほく湯気が立つコロッケをつまみながら、暁は断言した。


 二軒隣のカレー屋は確かに常連客こそいるが、商店会の人が集うほどの繁盛は一度も見たことがない。

 その店に押し寄せたのは、どう考えても千晶目当ての商店街のおじいちゃんおばあちゃんだ。

 おおかた、自分たちの昼食がてら麗しの新参者を偵察に来たのだろう。あわよくば、会話を交えることも願って。


 難儀な運命だ──クルミの言葉が頭を過り、一人噛みしめた。


「それで、色々お土産を持たせてもらったんだけどね。食べ物とか冷蔵庫に入れたんだけど、よかった?」

「いいも悪いも。うちの冷蔵庫なんだから、君も自由に使っていいんだよ」

「そっか。ありがと」


 再び沈黙が落ちる。


 実家という枷から解かれてからというもの、よく言えば自分に正直に、悪くいえば自分本位に、周囲の空気に構わずに生きてきた。

 結果、空気が悪くなろうと沈黙が落ちようと特段気に留めない。それもこれも全て飲み込んで生きると決めたのだ。


 でも、と暁は思う。


 自分はこの子の身元保証人だ。ならば、最低限度の意思疎通と理解を重ねる必要があるのではないか。

 クルミに告げられた言葉がやけに耳に残る。

「どうやらお主、あの者のことを何も知らぬ様子だな」──。


「あのさ」


 つぶらな瞳がこちらに向けられる。

 人との交流を蔑ろにしてきたツケが、まさに今回ってきている。

 情けない。甥っ子への気の利いた話題ひとつ、浮かんでこないなんて。


「ね」

「ね?」

「……猫又と化け猫の違いって、なんなんだろうね」


 喋らなければよかった、と暁は思った。


「猫又と化け猫? それって、猫の妖怪のはなし?」

「あ、うん。そうそう」

「んー、どうなんだろ。俺のイメージでは猫又の方が小さくて、化け猫はどーんと大きいイメージかな。化け猫が親分で猫又は手下とか?」

「おー。なるほど」

「あと猫又って名前からすると、猫又は尻尾が二本で、化け猫は一本のままとかはどう?」

「おー! なるほど!」


 暁は思わず手を打つ。

 千晶の回答は、暁のぼんやりしたイメージに相当近いものだった。


 化け猫と名乗っていたクルミはこの辺りの猫妖怪を統括していると言っていた。意外と的を射てるのかもしれない。


「でも、どうしたの急に。それもなにか仕事関係?」

「んー、まあね。でも参考になったよ。ありがとね」

「へへ」


 嬉しそうに垂れ目が細められる。

 明後日から登校か。きっとこの甥なら、すぐに良好な人間関係を築けることだろう。


 千晶は、あやかしを惹き付ける。

 確証がないまでも出鱈目とも思えないその情報を、暁は本人に告げないと決めていた。

 この子はまだ子どもだ。悪戯に不安を煽るのは大人のすることじゃない。


 告げるのは情報に確信を持ち、かつ知らないことで千晶に危害が及ぶ可能性を見極めてからだ。




 酷い雨だった。


 パシャパシャと山道を駆ける足元は泥にまみれた裸足で、芯まで冷たくなっている。

 小石を拾って再び舞い戻る。積み上げた小石を見つめたあと、長い吐息で乱れた呼吸を落ち着けた。

 御社さま、御社さま。どうか──。




「……なんだろ。すっごい疲れる夢を見た」


 ベッドの上で、暁がうなるように呟いた。

 薄く開いたまぶたさえ、酷く重く感じる。


 いつも泥のように寝入る自分が、夢なんて久しぶりに見た。

 とはいえ、起きた瞬間に夢の内容はほぼ忘れてしまっているが。


「……千晶?」


 ふと、隣り合って寝ていたはずの甥の不在に気づいた。

 空いたスペースに手を当ててみる。温もりが残っている。トイレにでも立ったのか。


 それとも、と暁は心の中で続けた。

 二人寝にやや不満を覚えていた千晶の表情。

 実はこっそり、リビングのソファーに寝に行ってるのか。もしもそれほど嫌ならば、やはり敷き布団を新調するべきかもしれない。


 しばらくそのまま待機するも、戻ってくる気配はない。

 暁は千晶の姿を探しにベッドを降りた。まさかとは思うが、どこかの悪いあやかしに誘拐されたという可能性もある。


「え。アキちゃん?」

「なんだ。ここにいたんだ」


 千晶はあっさり見つかった。リビング奥のキッチンだ。

 どうやら小腹が空いたらしく、傍らには食パンと塗りつけたらしいハチミツが置いてあった。


 キッチンの小窓にはちょうど月が浮かび、薄黄色の淡い光が佇むだけ甥をどこか神々しく照らしている。


「ごめん、起こしちゃった? すぐに片付けるから」

「いいんだよ。なかなか戻ってこないから、様子を見に来ただけ」

「心配してくれたの?」

「それは、当然でしょ」


 間髪入れず答えた暁に、千晶は驚いたように目を丸くした。


「……あー、ごめん。行動逐一覗かれてるみたいで、あまり気分よくなかったよね」


 高校生相手に少々過保護だったのかもしれない。その辺りの塩梅が、相当に未熟だという自覚はあった。


「余り食べ過ぎると胃がもたれるよ。それじゃあ、おやすみ」

「待って」


 背を向けた暁に、千晶の腕がするりと巻き付いた。


 背中に押しつけられた胸板がほかほかと温い。上背があっても、意外と子ども体温だ。

 視線を上げると、抱き寄せてきた当人とばっちり目が合った。


「君は人を引き止めるとき、こうして抱きつくのが癖なのかい」

「そんなわけないでしょ」

「……どうかしたの?」


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