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 あるはずのない返答に、暁は思考が停止した。


「昨日は我の縄張り内で、同種が人間に粗相をしたと聞いた。まさかその相手が、よくよく顔見知ったお主とは思わなんだが」

「……」

「どうやら、人ならざるものとの接触は慣れておらぬようだな」

「あ、はい」


 人ならざるもの。

 人ならざるもの?


 それは一体どういう意味だろう。

 いやそれ以前に、この猫はなぜこんな流暢に人語を話しているのだろう。

 昨日、同種が粗相をした? それってもしかして、足蹴にしてきたあの猫のことだろうか──。


 なんにせよ、目の前のクルミから放たれる妙に荘厳な空気に、暁はすっかり圧倒されていた。

 口に出た言葉も、自然と敬語になっている。


「まあいい。昨日、同種がお主の購入した食料に手を出したらしいな。近々詫びに向かわせる。迷惑をかけたな」

「え? いえ、食料を盗んでいったのは、人間の女の子で……」

「その童子は、幼い猫又が化けた仮の姿だ」

「……猫又」


 その言葉に、暁の脳裏に昨日目にした出来事が映し出される。

 おもむろに掴んだ少女のツインテール。それは確かに、白く長い二本の尻尾に変化していた。

 やっぱり、あれは夢じゃなかった?


「あれも幼い。この地域に訪れた好機に、我慢できなかったのだろう。堪忍してくれ」

「はあ、まあ」


 クルミが頭を下げたので、暁もつられて頭を下げた。


 駄目だ。聞きたいことがありすぎる。

 ひとまず、暁は目の前の問題を口にした。


「えっと。クルミ……さんは、猫又の総長みたいなもの、という認識でよろしいでしょうか?」

「少し違うな。人が分別したあやかし名では、我は化け猫。この辺り一帯の猫に擬態したあやかしを統括している」

「……なるほど。化け猫ですか」


 まずい。化け猫と猫又の区別がまったくわからない。

 帰ったらすぐに調べておかなければ。


「それにしても、意外だな」


 ふっと息を吐いたように伸びをしたあと、クルミは部屋の端に用意されたクッションにゆったり腰掛けた。

 枕代わりの藍色のブランケットは、クルミのお気に入りだとおばあちゃんから聞いたことがある。


「あの者と行動を共にしているのなら、お主も我らのような存在に慣れていると思うていた。交流は浅いということか」

「あの者、というと」

「お主の連れだ」

「連れ? 私に連れは」


 いない、と言いかけて息をのんだ。


「……千晶が?」

「だが、お主も遅かれ早かれ知ることだったろう。あの者の惹きの強さは、他の半端な術者をしのぐ」

「惹きの、強さ? どういうことですか。あの子が一体何を」

「自覚なくとも、何もせずとも、他に影響を与えてしまう存在もいるのさ。難儀な運命だな」


 暁の脳裏に、無邪気に笑いながら褒め言葉を乞うてきた甥の姿が過る。

 この猫の告げることが何を示すのかはわからない。わからないけれど。


 あの子の身元引受人は──この私だ。


「私は……何をすればいいんでしょう」

「どうやらお主、あの者のことを何も知らぬ様子だな」

「恥ずかしながら、その通りです」


 村に背を向けて以降、本家に帰省なんて考えたこともない。

 一度だけ、特別な出来事のときには村に舞い戻ったときも、とりつくしまもなく門前払いだった。


 甥っ子である千晶の成長も噂も遮断されたまま、この十数年を生きてきた。


「まあ、お主ら人間の寿命は、あやかしならぬ猫と比べ存分に長い。互いをじっくり知ってゆけばいい。ここの家主とお主が、最初に顔通ししたときのようにな」


 クルミがどこか愉しそうに目を細め、クッションにゆったりと身を預ける。

 暁がなおも言葉を募ろうとした時、部屋の扉が開いた。


「ごめんなさいね暁ちゃん。ラッピングをしていたら遅くなっちゃったわ」

「っ、おばあちゃん」

「あらあら、クルミもここにいたのね」


 ぱたぱたと部屋に戻ってきた谷中のおばあちゃんに、心臓が飛び跳ねる。

 対してクルミは、にゃあう、と気のない声を上げるだけだった。


 手土産の手作りクッキーが、いつものとおり可愛らしいリボンをまとって渡された。

 受け取ったあとは、今日の作業代──今回は家庭菜園の種まきと苗植えの手伝いだった──の請求書を切り終わると、玄関まで丁寧に見送られる。


「いつもありがとうございます。また何かありましたら、遠慮なくお声がけください」

「こちらこそ、いつもありがとう。またよろしくね」


 朗らかに手を振る谷中のおばあちゃん。その後ろには、少しの距離をとってクルミの姿もある。


 おばあちゃんが姿を見せた途端、クルミは忽然と言葉を発さなくなった。

 それどころか溢れ出ていた不思議なオーラのようなものまで、ぱったり消え失せていた。どこからどう見ても、ただの三毛猫だ。


 まさか、今のやりとりも全部夢か。


「……いやいや。こんな白昼夢、あるわけないって」


 鮮やかな花壇に囲まれた道を進む暁が、そっと後ろを振り返る。

 毛艶のいい尻尾を二度ほど左右に振ったあと、クルミはそのまま部屋の奥へと消えていった。


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