表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/55

14

 思いがけない言葉に、鼓動が大きく胸を打つ。


「興味が沸いた。二度も百度参りで祈りをこめられる『ちーちゃん』とやらが、一体どんな奴なのか。母を亡くしたあいつは相当に荒んだ目をしていたな。保江とともに幾度か社を訪れていたあの餓鬼だとは、にわかに信じがたかった。でもまさか、」


 暁の瞳から、堪えきれなくなった滴が一筋こぼれた。


「こんな長い付き合いになるとは、俺自身思ってもみなかったが」

「っ、烏丸……」


 あの時の暁は自身の不甲斐なさに打ちのめされていた。

 大切な人の大切な子ども一人、この手で守ることも出来ない。気休めの百度参りしか出来ない自分が、嫌で嫌で仕方なかったのに。


 まさかあの時の願いが、誰かに届いていたなんて。


「ありがとう」


 次々溢れてくる涙を拭いながら、暁は震える唇を必死で動かす。


「ありがとう、ありがとう。ずっと千晶の側にいて、見守ってくれて。ありがとう、烏丸……っ」

「っ……おい。いいからさっさと泣き止め。目玉が溶ける」

「だって、私何も知らなくて、何も、できなかった」

「……この馬鹿」


 一度決壊したように涙が止まらない暁を、烏丸がぐいっと引き寄せた。

 大きな手のひらに肩を包み込まれ、目の前の漆黒の着物に顔を押しつけられる。


「お前も、とんだお人好しだな」

「え……?」

「俺はもともと人間は好かん。ここに移り住んだときは、お前のことも当然警戒していた」


 そう言うと、烏丸の瞳はベッドにもたれる甥の姿を映し出す。


「どんなに大人ぶっても、あいつはまだ餓鬼だ。大人の目論見に巻き込まれ悪戯に心を砕かれる姿を見るのは、毎度のこととはいえ気分のいいもんじゃねえ。あいつがお前には妙に懐いていたから、余計にな」


 心配、してくれていたのか。千晶のために。


「だが、杞憂だったな」


 烏丸の長く白い指が暁の目尻に残る泣き痕をそっと拭う。

 その手つきは普段の尊大さが嘘のように優しかった。


「お前は何も変わらねえ。嵐の中、あの馬鹿のために走り回っていた時と同じだ」


 純粋で、実直で、傷つきやすくて。


「綺麗なまま、だ」

「……っ」


 紡がれたその言葉が、暁の胸にじわじわとしみ込んでいく。

 それが次第に熱を帯び、暁の頬に浮かび上がった。そしてふと、あることに気づく。


 烏丸の暁に対する口調が──いつのまにか千晶に対するそれと、同じになっていたことに。


「あのな。わかりやすく照れてんじゃねえよ」

「で、でも。だって今のは……」

「いいから喋んな。しばらく黙っとけ」


 有無を言わさぬ様子で、再びその胸に閉じ込められる。


 おしろいのような不思議な香りが、かすかに鼻腔をくすぐった。

 ああ、これが烏丸の香りなんだな、と暁は思う。


 あれだけ溢れ出ていた涙はすっかり乾き、胸の鼓動だけが規則的に鼓膜を揺らす。

 それは暁の鼓動のようにも、烏丸の鼓動のようにも聞こえた。


「──アキちゃん?」


 突如部屋に響いた声色に、二人はもの凄いスピードで後ずさる。


 すぐさま生まれた適正距離を前に、胸には落胆よりも安堵のほうが濃く広がった。


「アキちゃん……? あれ?」

「千晶。こっちにいるよ」


 寝ぼけ眼を擦る千晶が、ゆらりとこちらを向く。


 徐々に覚醒してきたことを現すように、もともと大きな垂れ目がまん丸に見開かれた。

 その反応に一瞬逃げ出したくなる。

 千晶と真正面から顔を合わせるのは、数日前に家を出て行ったとき以来だ。


「えっと。おはよう、ちあ」

「アキちゃん……!」


 掛けられていた布団を勢いよく剥ぐ。

 まるで飛びつくような勢いで、千晶はリビングにいた暁にきつく抱きついた。


 固く広い胸板をぎゅうっと押しつけられ、思わず噎せ込んでしまう。


「千晶、ちょ、苦し……」

「ごめん。本当にごめんなさい。アキちゃん……っ」


 首筋に埋められた千晶の顔の温もりが、ふわりとくすぐったい。

 細く長い深呼吸が聞こえたかと思ったら、ゆっくり千晶の顔が持ち上げられた。


 その顔に浮かぶ臆病な色に、暁は思わず目を瞬かせる。


「アキちゃんにあんな酷いことを言って……して、本当にごめん。アキちゃんは俺のことをちゃんと考えてくれてたのに、俺は自分の感情ばっかで……めちゃくちゃ自分勝手だった」

「千晶……」

「信頼を踏みにじったってわかってる。でも俺、本当は気づいてたんだ。本当は血の繋がりなんてなくてもいい。アキちゃんといられれば、それでいいんだって」


 血の繋がり。

 その言葉が出たときに心臓が大きく跳ねたが、続く言葉にその衝撃がじわりと熱に変わっていく。


「昨日の罰として、何度殴られてもいい。寝る場所が別になっても、食事番全部任されても、俺、ちゃんとさぼらない。それでも」


 やっぱり俺、アキちゃんと一緒にいたいよ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ