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 烏丸の手のひらが、暁の濡れた髪をそっと撫でる。


「昔から俺の周りは、面倒な人間ばかりだ」


 ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、その口角には至極穏やかな微笑みが浮かんでいる。

 こんな表情、初めて見た。


 瞳を瞬かせる暁に気づかないまま烏丸は双眼を閉ざし、両手を胸の前に合わせる。

 いくつかの指を立て、囁くような小声で言葉を結んでいた。


「烏丸?」

「──水の(ことわり)よ」


 今、(すべから)く、我の望みを聞け──。


 まるで二重にも三重にもなるような、鼓膜の奥まで震わせる声。

 その声が届くと、辺りの川の流れる音が大きく変容した。

 地響きのような、大きな力が湧きあがる音。

 何だ。一体何が起こる?


 次の瞬間、真っ白な光に突然包み込まれる。

 反射的に瞑った目を再び開くと、広がる光景に大きく息をのんだ。


「か、川の水が……っ」

「こうすりゃ、川の底も探しやすいだろ」 

「っ、烏丸……!」


 川の中流から流れてきた水が、重力に反して大きな山を越えるように河面を浮いていた。

 暁たちが佇む一帯の水は、凄まじい流水音を立てながら頭上をアーチ状に越えていく。


 こんなこともできるなんて、並大抵のことじゃない。

 烏丸の力とは、一体どんなものなのだろう。


「呆けてねえでさっさと探せ。長いこともたねえぞ」

「……はい!」


 考えるのはあとだ。今はただ、ペンダントを探すだけだ。


 全身濡れそぼった状態のまま、暁は河底に手をつく。

 何か物陰はないか、慎重に見極めながら移動していくが、なかなか求めているものにはたどり着けなかった。


 ペンダントがここに流れ着いているというのは、あくまで可能性の話だ。

 そもそも、ここにたどり着いていない可能性だってある。今のこの捜索は、果たして意味があるのだろか──。


「……うるさいな」


 弱気な自分の囁きを一蹴する。

 この稼業を営むようになってから、こんな葛藤は数え切れないほど経験してきた。重すぎる責任感と期待の狭間に押しつぶされそうになることも。


 そんな中でも、最後は自分の信念を信じてやってきたのだ。

 今さらこの姿勢は曲げられない。例え、周りから見てどんなに不格好で醜くても。


「アキちゃん!!」


 その時、流水音に包まれたはずの空間で、確かに覚えのある声がした。


「……千、晶?」

「アキちゃんから見て左側の! 少し大きめの二つの石! そこの間を見て!!」


 川べりに生い茂る草原の向こうから、千晶が腹の底から声を飛ばしているのが見えた。


 千晶まで、どうしてこんなところに。

 そんな疑問を投げかける間もなく、四つん這いの状態で告げられた場所へと移動する。

 少し大きめの二つの石、その間。


「あった……!」


 楕円形の木がモチーフの、可愛らしいペンダント。

 全然地味じゃないじゃないか。


「暁、退け! もう保たねえ!」

「なら、烏丸も」

「アキちゃん、早くこっちに……!」


 三人三様の声を飲み込むように、河原一帯に巨大な水飛沫が上がった。




 ここはね、私の大好きな場所なの。


 初めて訪れた小さな建物を見つめながら、保江はそう言った。

 実家の裏手に広がる緑生い茂る山。その細道を進んだ先に、人目から逃れるようにひっそりと佇む御社だった。


 血の繋がらない姉の保江は、穏やかで芯が強く、そして優しい。


 そんないつもの姉とはどこか違う、感情が素直ににじみ出るような横顔に、暁は思わずみとれた。

 この御社が保江にとって特別だということは、当時まだ十二歳の暁にも容易に理解できた。


 その腕に抱かれた生まれたばかりの甥に、そっと目をやる。

 穏やかで愛らしいその寝顔は、まるで日だまりに優しく撫でられているようだった。


 その御社を初めて一人で訪れたのは、それから四年後。滝に打たれてるみたいな大雨の夜だ。

 雨ガッパのフードをきつく締めて、暁は裏山道を走っていく。

 御社の横には、履いてきた長靴が雨風に晒されていた。


 夕刻、幼い千晶が高熱を出した。


 この村に大きな病院はなく、救急車を待たずに家の車で隣町の病院へ向かうことになった。

 千晶はまだ二歳だ。当然母の保江が付き添っていく。


 夜の山なんて入るもんじゃない、と暁は常々思っている。

 暗いし不気味だし、加えて今は大嵐だ。

 辺りの木々は鞭のように大きくしなり、枝葉がぶつかりあっては大きな音を響かせる。息をするのも苦しいくらい、細いあぜ道を雨風が吹き付けていた。

 暁は幾度となく風上から顔を背け、大きく噎せ込む。


 それでも保江がいない以上、御社まで駆けつけられるのは暁しかいないのだ。


「っ……これで、百……」


 御社の階段に、最後の小石をそっと積み上げる。

 乱れた息をなんとか整え、暁は両手を合わせた。


「御社さま、御社さま」


 どうかちーちゃんの熱が、早く治りますように──。




「……、……え」


 まぶたを開けると、見慣れた天井が広がっていた。


 視線だけをゆっくり左に動かすと、窓にかかったカーテンから眩しい日差しが漏れている。

 見覚えのある無地のカーテン。自宅のベッドだ。

 じわじわと記憶が蘇ってきたあと、暁は慌てて上体を起こす。


 すると服の裾が、誰かに掴まれていることに気づいた。


「……千晶?」

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