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「ナイフじゃなくてハサミだったの」


 沈黙が重く落ちていた室内で、暁は恐る恐る絞り出した。


「だから、そこまで切れ味いいわけじゃなかったんだ。もう血も止まったし消毒もしっかりしたから、あとは傷口が塞がれば」

「アキちゃん」

「はい」

「黙って」

「……はい」


 叔母と甥の地位が、逆転した瞬間だった。


 琴美をタクシーに乗せたあと、暁は気配を消すようにして一階事務所に舞い戻った。

 心配でついてきた豆腐小僧の小太郎に手伝ってもらいながら、救急セットの中身をあさる。


 そして次の瞬間、必要最低限にしていた事務所内の明かりが全て灯された。

 点けたのは勿論、二階自宅にいたはずの甥っ子と、屋根の上にいたはずの烏丸だった。


「さっきのあやかしに感謝しなくちゃね。危うく怪我をしたいきさつを隠蔽されるところだった」


 先ほどまで洗いざらいの事情を聞かれた小太郎は、すでに事務所をあとにしている。

 ペコペコと頭を下げて戸を閉める姿は、逆にこちらが申し訳なく思うほどだった。


「隠蔽って、そんな大げさな」

「現に、俺たちに気づかれないように傷の手当てをしてたでしょ。あとは大きな絆創膏でも貼っておけば、転んですりむいたとか適当に報告することもできるもんね」

「……ごめん」


 無表情のまま傷口を確かめる甥に、暁は素直に頭を下げる。

 正直、ぎりぎりまで事務所と自宅のどちらに戻るべきか迷っていた。


 もしも逆の立場なら、怪我を隠そうとする千晶を間違いなく叱り飛ばしたに違いない。家族だからこそ知らせてほしい、と。

 でも結局暁は、怪我をなんとか誤魔化すほうを選んだ。家族だからこそ知らせたくない、と。


 家族ってやっぱり難しい。


「心配をかけた自覚があるなら、大人しくしててよね」

「へ? あ……」


 掴まれていた手が、さらに持ち上げられる。

 そのまま吸い込まれるように促された先は、千晶の唇だった。


 触れた柔らかな温もり。予期しなかった状況に一瞬呆けたものの、はっと思い出す。

 千晶の口付けには、傷を癒やす巫の力があるのだ。


「え、と。もう治った……のかな?」

「うーん。思ったより傷が深いみたいだね。これはもうちょっと時間がかかるかも?」


 手のひらから一度離れた唇が、悪戯っぽく弧を描く。

 そんな表情一つさえも絵になる甥に変に感心していると、再び恭しく暁の手が持ち上げられた。


「いい加減にしろ。このエロガキが」


 面倒くさそうに突っ込みを入れたのは、我が物顔で人の事務机を陣取った烏丸だった。


「言っておくがな。こいつの力が発揮できるのは、加害者にせよ被害者にせよあやかしが関わる場合のみだ。人間同士のどうこうには効果はない」

「あ、そうなんだね」


 うん? ということは、どういうことだろう。


「……ちょっと話そうか、キス魔の千晶くん」

「はは、キス魔じゃないよ。それに、今のだってまったくの無駄じゃない。今回怪我をさせてきた加害者が人間だってことが、これではっきりわかったでしょ?」


 咄嗟に出た言い訳のようにも聞こえたが、確かにな、と納得する。


 開いた手のひらには当然、赤黒い傷跡が残っている。

 しかし先ほどと比べ、不思議と痛みが遠のいたような気がした。これももしかしたら千晶の力なのかもしれない。


「それで? 怪我まで負わされてきたんだ。それなりに収穫はあったんだろうな?」

「まるで事務所の所長のようですね、烏丸くん」


 ふんぞり返りながら報告を待つ烏丸に呆れつつ、暁は今夜の出来事を振り返った。


「襲いかかってきたあの女は……間違いなく美容室から出てきた琴美さんを狙ってた。そこに私が出てきたから、相当動転してたみたい。結局私を切りつけたあとは琴美さんに目もくれず逃げていったし。刃傷沙汰に慣れてないね、あれは」

「顔は? 見たのか」

「暗がりでフードを被ってたから、はっきりとは。でも」

「犯人の目星はついてる──、でしょ?」


 言葉を引き取ったのは、意外にも千晶だった。


 手のひらの怪我を見ていたはずの視線はいつの間にかこちらに、上目遣いで向けられている。

 大きな瞳。

 中に映り込んだ自分の姿を見つけ、不覚にもどきっと鼓動が鳴った。




「あのー。すみません」


 夕日に照らされ歩く高校生の姿が目立つ、帰宅時間帯。

 いつかと同じ言葉が、橋の上にそっと響いた。


 間黒新橋を歩く一人の女子高生が、駆けられた声に肩を揺らす。


「あなたは……」

「少し話を伺いたいんです。お時間いただけますか。……中村、由香里さん」




 移動した先は、道を少し中に入った先の小さな公園だった。


「何でも屋です。今回ある方から、匿名の嫌がらせを受けているということで、解決を手伝ってほしいと依頼を受けました」


 意外にも素直についてきた女子高生──中村由香里にベンチを譲り、暁は少し離れた場所で遊具に腰を預ける。


「調査の結果、あなたがその嫌がらせの犯人と判断しました。よって、厳重注意をさせていただきます。これ以上の手に出るのであれば、警察に被害届を提出します」


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