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 事務所内に落ちてきたその声は、他の誰よりも低く冷たいものだった。


 帰宅して以降沈黙を守ってきた人物の発言に、暁とカミキリはぴくりと肩を揺らし、烏丸は肩をすくめる。

 烏丸とカミキリと向かいあうようにして向かいソファーに腰を下ろす人物──千晶が、閉ざしていたまぶたをゆっくり開けた。


「襲いかかったんじゃないのなら、何の目的でこの人に飛びかかった?」

「……ふわわ。栗色、さらさら、艶が眩しい」

「は?」

「美しい。美しい髪をお持ちですね……。す、少し触ってもよろしいでしょうか……!」


 カミキリの恍惚とした言葉に、千晶の眉がわかりやすく寄せられた。まずい。火に油だ。


「あー、千晶。ちょっと席を詰めて」


 埒があかないと判断して、暁は早々に口を挟んだ。


「ひとまず、ちょっと落ち着こう。本当に危険なあやかしなら、烏丸だって事務所に同伴で待ってたりしない。そうでしょう、烏丸?」

「まあそうだな」

「だとしても、このあやかしがアキちゃんを襲ったことに変わりはないでしょ」

「まあそうだな」

「ちょっと烏丸、あんたはどっちの味方なのかね!?」


 お怒りの甥っ子をどうにか沈め、すっかり萎縮したカミキリにお茶を勧める。相変わらず仏頂面の甥を横目に、暁はこっそりため息をついた。

 さっきまではにこにこしていたはずだが、眠くて不機嫌になったのか。赤ちゃんみたいな甥っ子だ。


「なんとお優しい御方……。かの有名な千晶様のお連れ様とは知らず、大変失礼しました!」


 かの有名なんだな。突っ込みたい衝動を抑え、努めて柔らかい口調で先を促した。

 そうでもしないと、隣の甥が早々にこの子を断罪しかねない。


「いいんだよ。ただ色々と聞きたいことがあるの。取り急ぎ知りたいのは、私に飛びかかった理由なんだけど」

「はい! それはずばり! 貴女様の髪の毛でございます!」


 びしっとハサミの先で指さされ、思わず身をのけぞらせる。

 再び隣で発せられた怒りの念に気づいたのか、カミキリはそそくさとその手を膝の上に戻した。


「えーと。つまり私の髪の毛を切るために飛びかかった、ということ?」

「いいえいいえ、そうではございません! わたくしはただ、貴女様の髪の状態を至近距離で確認したかっただけなのです!」

「……髪の状態?」


 眉を寄せる暁に、烏丸が面倒そうに口を開いた。


「つまりはこうだ。日頃髪の手入れとやらに、お前はほとんど気を回していないだろう。それを見逃せなかったこいつが、その状態をつぶさに観察したかったんだと」

「その通りでございます! 髪は女性の命! それをおざなりにされることは、数多くの髪と対面してきたわたくしには、我慢ならないことでありますので!」

「……」


 つまり、暁の髪があんまりボサボサだから、見ていられなかった──ということらしい。


 はっきりと残念な指摘を受け、さすがの暁もそっと手ぐしで髪を整える。

 そういえば、どうせ帽子をかぶるからと横着して、癖がついた髪をそのままにしていた。


「つまり、アキちゃんの髪を切り落とそうとしたわけじゃないと?」

「もちろんでございます! いくらカミキリであれど今の時代、人に望まれることなく髪を切り落とすなど! それはもう警察沙汰、えらい迷惑行為ではございませんか!」


 カミキリ様に断言されてしまった。それについては異論はない。


「本心を言えば道行く方全ての髪を隅々まで拝見したいところなのですが、さすがにそれはご迷惑でしょう。ただ貴女様は、顔立ちがとても美しいにもかかわらずあまりに髪の状態が悪い! 気づいてしまってはもう、せめて間近で見て、状況を把握した衝動が抑えられず……!」


 美しい、か。こんな小さなあやかしに、不要なお世辞まで言わせてしまった。


「じゃ、あの琴美って人に近づいた理由は? 以前あの人にあやかしの気配がついてたらしいけど、それも大方お前のものなんだろ?」


 いまだ冷めた口調を崩さない千晶が、気になる質問をあっさりとぶつけてくれた。

 今最も確認すべきは、このあやかしと琴美の接点なのだ。


「仰るとおり、確かにあの方が勤めておられる美容室をうろついていたのは事実でございます。……実はわたくし、以前から美容師という職業に憧れておりまして……」

「……憧れ?」


 先ほどまでの勢いはどこへやら。頬を赤らめそう語るカミキリ少女は、酷く恥ずかしそうに身を捩らせた。


「古来より、髪切りを生業にする職業はございました。髷を結う髪結いから明治大正で移り変わっていく人間の髪の形容……でもわたくし、一人一人自由に髪型を選べる現代が、一番素敵な時代と思っております!」

「う、うん」

「そしてそのあまたの客人の要求を次々叶えていく美容師の存在……カリスマ? と称されるのですよね? そのカリスマ美容師と呼ばれる方々に、わたくしは心底憧れておりまして……!」


 ちらりと隣の千晶を見ると、ちょうど視線が重なった。

 カリスマ美容師。若干時代を感じる言葉だが、話の腰を折らない方がいいだろう。


「それじゃあ、あなたはただ美容師に憧れて、琴美さんの美容室の近くをうろついていた、ということね?」

「はあ、そういうことになります。あのお店のかたはどなたも素敵で、この周辺でも特にお気に入りでして」

「お前がアキちゃんに飛びかかったのも、危害を加えるためでは断じてないと?」

「はい! それはもう、誓って嘘偽りはございません!」


 カミキリの少女は、再びえっへんと胸を張る。

 どうやらこの少女、嘘はついていないらしい。


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