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第二幕 御櫛にこめた、女の決意と恋心

 六月を迎えた東京は、例年通りの梅雨が続いている。

 その日、暁はテーブルに並べられたいくつもの小さな直方体を見つめていた。


 右から、白くていかにもふわふわと繊細そうなもの、全体的に薄灰色でところどころに黒い斑点が見られるもの、薄黄色で底にじわりと食欲をそそるタレが滲んでいるもの──。

 他にも数個が二、三センチ四方に切り分けられ、それぞれ小鉢に収められていた。


「どれも、味には自信があるのです」


 目の前に腰を下ろしていた依頼主は、ぽつりと呟いた。

 同時にその瞳から涙が、それはもうぼろぼろとこぼれ落ちてくる。


「同意します。どれもこれも、とても美味しいものばかりですよ」

「でも! これでは! 駄目なのです……!」


 紅葉柄の愛らしい着物にゴシゴシと涙を押しつけながら、齢六、七歳とおぼしき少年は語った。

 来訪時にかぶっていた笠は少年のすぐ横に置かれており、持ち主の感情表現に合わせてソファー上でゆらゆら揺れている。

 もしもソファーから転げ落ちたら、後ろのポールハンガーにそっとかけ直しておこう。


 そんな些事に気をとられていたのは、このやりとりが一向に先に進まないからだった。

 さて、どうしたものか。暁は言葉をひねり出す。


「これらは全てあなたが作ったんですよね? 私にはとても無理です。純粋にすごいと思いますよ。小太郎さん」

「……そうでしょうか?」

「そうですよ。少なくとも小太郎さんには、料理に対する並々ならぬ愛情があるのではありませんか」


 宥める口調で言ってみると、目の前の少年がひくっと泣くのを止めた気配がした。

 それを見た暁が、静かに手札を切る。


「実は私の知り合いで、昔豆腐屋を営んでいた方がいます。今はもう店は閉めていらっしゃるのですが、時々豆腐を手作りすることもあるようで」

「え」

「今さっき、豆腐づくりをご指導いただけないかと電話でお尋ねしたところ、とても喜んでいらっしゃいました。いかがですか、小太郎さん」

「……!!」


 ああ、よかった。どうやら当たりのようだ。

 依頼主のつぶらな瞳が、希望を前にきらきらと光ったような気がした。




 依頼主欄に記された名前──豆腐小太郎(とうふこたろう)

 彼が七々扇よろず屋本舗に来訪した目的を簡潔に言えば、「試食」だった。


 自分の家系は昔から豆腐作りと生業にしてるが、自分はその才が全くないのです。

 そう告げながら取り出したものは、少年が作ってきた「豆腐」と呼ばれるものの数々だ。


 杏仁豆腐、ごま豆腐、卵豆腐にクルミ豆腐。

 中には暁に馴染みのないものも混ざっていたが、どれも宣言されていた才のなさは感じなかった。むしろ美味しい。どれもこれも、すごく美味しい。


 ……最後に試食した、木綿豆腐以外は。


「面倒な客だったな」


 依頼主を見送って一息つくと、漆黒の着物をまとった烏丸がいつの間にかソファーに腰を下ろしていた。

 相変わらず美しいこめかみ部分の長髪が、さらりと絹の糸のようになびく。


「まあ、面倒ごとを引き受けるのがよろず屋の仕事だからね」


 試食の間、こちらの反応を一瞬も逃すまいとする強い眼差しが、今もはっきり覚えている。

 最後に食した木綿豆腐以外は素晴らしい味わいだった。

 感想を正直に述べると、少年はやはりがくりと肩を下げた。


「どうして自分はこうなのでしょう。どうして、豆腐ならざる豆腐にのみ、才を見出してしまったのでしょう……っ」


 独り言に似た暗く重い呟きに、暁はひとり事情を理解した。

 あの少年は豆腐は豆腐でも、一般的に言われる大豆を原料とした「豆腐」だけが、どうしてもうまく作れないのだ。


「杏仁豆腐も卵豆腐もごま豆腐も。名前に豆腐とつくものの、大豆は使わないものだからね」

「果てしなくどうでもいいな」

「あの子の家柄ではどうでもよくないの。それどころか、周りからは『邪道』と言われて酷く罵られたらしいよ」

「どこの家も馬鹿ばかりだ」


 暗に暁の実家への批難もこめられていることに気づいたが、暁は特に言及しなかった。


 最初は暁も邪道を極めればいいのではと思ったが、少年の願いは別にある。

 彼は人々が喜ぶ美味しい木綿豆腐を、自分の手で作ってみたいのだ。


 そう判断したとき、暁は頼りになるであろう人物の姿を、素早く脳内に導き出していた。「ところで」


「お前、さっきの依頼主は人間だと思うか?」

「まさか」

「ほう。言い切ったか」


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