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 少年の目が、まん丸に見開かれた。

 見間違えではない。この瞳は確かに、眩しいほどの金色だった。


「……驚いたな。もう気づいたか」

「今日から小学校も新学期です。こんな日に、君くらい年齢の子がよろず屋に来る時点でまずおかしい。加えて歳にそぐわない話し口調。着慣れた様子の高価な着物。言い出したらきりがありませんよ」


 正直、こんな日が来るのではとは思っていた。


 近所のスーパーを歩いていただけで猫又の少女に弄ばれたのだ。

 当然、他のあやかしに何か仕向けられる可能性だって、十二分にあるだろう。


 幸い今ここには甥がいない。

 その目に触れることなく問題を収められるのだとすれば、それに越したことはない。


「なるほどな。度胸だけはあるということか」


 目を細めながら、少年はソファーの上であぐらを掻いた。

 足には下駄が履かれたままだ。お行儀が悪い。諭そうと口を開きかけた──その瞬間だった。


「動くな」


 ぐらり、と。視界が一気に歪んだ気がした。


 気づけば、目の前に座る少年の周囲に妙な霧が立ちこめる。

 どこか丸みを帯びていた瞳は鋭く切れ長に変化し、小さな鼻はまっすぐ際だった鼻筋を浮き出した。


 こめかみ部分の長髪はより一層長く流れ、まとう着物も体に合わせてより豪華絢爛な印象を受ける。

 なにより、ソファーであぐらを組みながら向けられる視線が、一層凶暴なものになった。


 目の前にいるのはあやかしだ。

 なにがあっても、不思議なことはないのかもしれないけれど。


「大人の姿に、なった……? って、わ!」


 世界がじわじわと闇に満たされていく。比喩ではない。そのままの意味だ。


 目の前のあやかし男を中心に広がった黒背景は、みる間に暁の背後全てまで及んでしまった。

 思わず座っていた腰を浮かせると、男の口がつり上がるように持ち上がる。


「あまり舐めてくれるな人間よ。俺はすでに百年の時を生きている。気分一つで、お前などすぐに息の根を止められるぞ」

「……気分を害されたのなら、申し訳ありません」


「ですが」ここは、この事務所は。どうあっても暁自身のテリトリーだ。


「オイタが過ぎるお客さまの依頼は受けかねますね。どうぞ、お引き取りを」

「状況が見えておらぬようだな。このままお前だけ、暗黒に取り残すことも可能なのだが?」

「ご自由に。あなたの意思をねじ曲げる権利は、私にはありませんので」


 男の表情が、不快に歪んだ。

 ここまで言い募っても顔色を変えない女は、確かに珍しいのかもしれない。


「私はね。時代錯誤で権力至上主義のクソ田舎だろうと、唐突に恐喝してくる迷惑千万なあやかしだろうと、何にも屈せず、自分のやりたいように生きると決めてるの」


 熱いマグマのような感情が、じりじりと胸を満たしていく。

 その正体は、いつもは最奥にしまってある過去への怒りだった。


「理不尽な要求を突きつける客は客とは呼ばない。客じゃない輩に使う無駄な時間はない。自営業は時間を売る商売なので」

「あいにく、あやかしの俺に人間ごときの屁理屈は通用せん」

「それなら一層、人間ごときの営むよろず屋にできることはないかと」

「チアキを出せ」


 ああ、やっぱりか。

 会話に出なければ良いと思っていた名前を聞き、内心舌を打った。


「チアキという従業員はここにはおりません」

「ここに住んでいるはずだ。調べはついてる」

「お答えしかねます」


 答えた瞬間、暗闇に染まっていた辺りにぼんやり光が漂うのに気づいた。

 決して人工的なものではなく、まるで意思を持って飛び回るその光。ああ、違う。


「……っ」

「どうした。顔が青いぞ」


 光じゃない。みんな、あやかしだ。


「聞けばお前、人ならざる者に慣れておらぬな。あのチアキとも、長年顔を合わせなかった様子」


 対峙している男は、あやかしといえど人型だ。

 それに対して辺りを浮遊するそれらは、暁にとって確かに「慣れている」ものではなかった。


 寒々しい青い光の中で、苦悶の表情を浮かべる者。

 長い髪をおどろおどろしく振り乱しながらこちらを睨む者。

 人間とも動物ともつかない、ありとあらゆるあやかしたちの姿が、移す視線の先々に浮かんで見えてくる。


 こういうことか、と暁は思う。


 あの子を──千晶を守るというのは、こういうことなのだ。


「あの者を匿うということは、ここにいる者たちの相手をする覚悟がある──そう見なすことになるが?」


 言葉を終えるや否や、男の姿がなくなる。

 次の瞬間、背後から首を隙間なく掴まれるのがわかった。


 大きい。男の手だ。

 五本の指から伸びる爪が、僅かに肌にめり込んでいる。


「さて、今一度問おう」

「……すごい。まるで風のように移動できるんですね」

「無駄口を叩くと、その喉に爪が刺さるぞ」


 振り向けない。それでも、男が不敵に笑っているのは容易にわかった。


「チアキを引き渡せ。従えばお前は五体満足のまま、これからも平穏無事に過ごすことができる」

「差し出さなかったら?」

「無力で愚かな人間が、この世から一人消えることになるな」

「はは」


 力ない笑みが漏れる。

 ふつふつと胸の奥から湧きあがってきたものは、恐怖ではない。


 目の前の理不尽に対する、底のない怒りだった。


「……あーもう。面倒くさいなあ!」


 後ろから掴まれた首元の手を、思い切り掴む。

 そのまま無理やり体を反転させ、一瞬離れた男の手を素早く捻り上げた。


 直後、事務所内に弾けるような平手音が響く。

 爪がかすってしまったらしい。

 目の前の男の頬には、赤く細い筋がじわりと浮かび上がっていた。


「私はあの子は渡さない。あんたが何をしようと、どう脅してこようと。あの子に害をなすつもりなら、誰だろうと容赦しない」


 自分はもう、ただ不甲斐なさを嘆くだけの非力な女子高生とは違うのだ。


「あの子は私が守る。覚悟ならもうとっくにしてるわ。ここは私の──」


 ああ、今はもう違った。


「『私たち』の、帰る家なんだから!」


「──ほら。もういいでしょ。烏丸(からすまる)


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