34.月夜を仰ぐ「碧水」の本音
「『大禍』に、原因療法は無い」
師匠は言った。
「『大禍』は起こる。起こることは止められぬ。だが、対症療法はできる」
「……復習は要りません、覚えています。魔物を、殲滅すること……住民を、護ること……それから、灰化を防ぐことも……」
「3つ目を教えた覚えはない! 貴様には可能だろうが、有象無象に灰化を止めることなど不可能。ただ一度に全魔力を奪われ、役立たずの抜け殻となるのみ。一度の『大禍』において幾度の炸裂が起こると思っている? 屍の数を増やすのみだ、この低脳が!」
「~~っ、でも俺は、廃棄エリアを作りたくありません! 他の人にできなくても、俺にその力があるなら……、なっ!?」
身体が、大きな水泡に包み込まれた。この展開の速さ、師匠の魔法だ。
いつの間にか、右腕を侵食していた炎が消えている。それを鎮火したのは恐らく先程浴びた水で、弾力のあるこの水泡には「閉じ込める」効果しかない。ひとつしか効果がない、即ちその目的に特化しているということ。
焦燥が、不気味なまでに凪いでいた心を乱す。
右手に魔糸を集中、『縮』によって突き破ることを試み、
「無駄打ちをするな!」
「なら今すぐ魔法を解いてください! ここで俺を閉じ込めておく意図がわかりません! 解いてくれないのなら、自力で、」
『駄目だよ』
京さんの声。今までに聞いたことがないほどに、強く断定的な口調。
ごめんなさい。俺はたとえ自分自身と意見が衝突したとしても、
「戦わせてください、師匠っ……俺も一緒に、……ぐっ……!?」
おかしい。
右手に集っていた魔糸が、乱れて散る。左手で右の手首を痛むほどに掴み、歯を食いしばって、集えと幾度も命じるのに、言うことを聞かない!
どうして、魔糸が操作できない? こんな、初歩的なことが……魔法を学び始めて1ヶ月でできるようになったことが、どうして!
『これ以上は、もう、駄目だよ』
「京、さん……? そんな……っ、嫌だ!」
子供のように、叫ぶ。
「師匠っ……師匠、師匠、師匠ッ! どうして、こんな真似を! どうしてっ……どうして、俺に背を向けるんですかっ……答えてください、せんせい……ッ!」
「大禍」は黙り込んでいる。だが、まだ生きていることは……先程「見えた」から、知っている。
魔導士の魔糸操作に大きな障害が生じたことで、紅い結界が天辺から崩壊を始めた。大地を叩きはじめた雨が、躍動していた炎を鎮めていく。
その中から、せんせいの呟く声が聞こえた。
「……顔は、母親似だが。貴様はロッシェに似ている、忌々しい程に。……まるで、彼奴と話しているかのようだ」
「せんせいは、何でもできるんですね!」
初めて、山中で修行をしたときだった。
父の大きな背を追いかけはじめた幼い俺は、師匠が無表情に次々と放つ魔法、そのひとつひとつに感動した。
師匠の指導は子供が相手だろうと容赦がなかった。やっと火球を自由な大きさで、自由な位置へと放れるようになった俺に対して、当然のように高度なことを求めたし、できなければ大声で怒鳴った。
今より更に内気だった俺は、怒鳴られるたびに竦み上がったし、泣きもした。泣くなと怒鳴られて、更に泣いたりもした。
自分の闘争心に火をつけるどころか、煙を燻らせるばかりの弟子に、師匠は心底苛立っていたと思う。けれど、俺が与えられた課題にしつこく齧りついている間はずっとそばにいて、助言も沢山くれた。その助言に優しさは一切無く、罵詈雑言が必ずおまけとして付いてきたけれど。
その日、俺は初めて、野外で夜を明かした。
抑えても抑えてもぐうぐう鳴くお腹を恥ずかしく思いながら、俺は川辺に立っていた。
流石は「碧水」、師匠は服が濡れるのも構わずにずんずんと川に入っていく。当時の俺が頭のてっぺんまで浸かってしまう場所まで辿り着くなり、剣を水面に突き刺し、水飛沫を薄く立てながらこちらへ払った。
すると足下で、丸々太った魚が数匹、びちびちと跳ねていて。俺は美味しそうな魚たちと、それらを見事に捕えてみせた師匠の腕に目を輝かせた。
薪に火をつけるのは俺の出番かと思ってどきどきしていたのに、師匠は荷物からさっさと魔石を取り出した。
紅色の魔石……加工がされていない、魔物が落としたままのもの。師匠は膝の上に置いたそれに骨張った手を翳した。
師匠の碧い魔糸が魔石との間で張り詰められる。すっと手を引き、人差し指を上へ払うように動かすと……火の赤児が魔石からぴょんと飛び出して薪へ移り、やがて赤々と燃え上がった。
俺はまた目を輝かせて、
「せんせいは、何でもできるんですね!」
そう言った。
炎が師匠の白い顔を照らしていたから、酷く忌々しいものを見るような表情がはっきりと見えた。吐き捨てるように、
「遍くを可能とするものなど存在しない」
そう言って、空を仰いだ。
星の美しい夜だった。色も大きさも異なる無数の光の粒が、互いに手を繋ぐようにして瞬いていた。
けれど何となく思ったのだ。師匠が見ていたのは星ではなく、自分の頬のような白さでひとつきりで輝く三日月なのではないかと。
「……女神が、存在せぬ限りは」
歳を重ねるごとに、高度な魔法を使えるようになった。元々は父さんが教えてくれた剣術も、師匠に教わった魔力による補助が安定するようになると、格段に上達した。
「……やはり、サリヤさんに預けて良かった。クロニアは、もう私より強いかも知れないな」
父さんとの実戦を想定した稽古でも、俺が勝つ回数が増えてきて。父さんがタオルで汗を拭きながら、誇らしげにそう言う度に、
「そんなことはない! 父さんは、救いを求める誰かに、たくさんたくさん手を差し伸べている……父さんの方が、ずっとすごい! 技でも、今回は特に、競り合ったときの視線の遣り方で迷いを誘うのが本当に凄いと感じたし、それから斬り払うときの、刃に伝える繊細な力の加減とかが……!」
ムキになって長々と言い返し、はいはいわかったわかったと流されては、むくっと頬を膨らませる。
俺にとって父さんは憧れだったから、たとえ父さん本人であろうと悪く言うことは許せなかったし、むしろその凄さをもっと誇って欲しかった。
けれど……父さんが困ったように笑いながら、俺の頭を力強く撫でてくれる度に。この手に近づいているのかという嬉しさもあって。
師匠の暴言の意味を理解できるようになり、「魔糸による補助を利用して片手だけで崖を登りきれ」なんていう、理不尽なまでの鍛錬の厳しさを理不尽と思えるようになり。実戦形式の稽古の中で時折見せるようになったその瞳のぎらつきに、闘争を求めて止まないその本質を見出せるようにもなり。
師匠相手でも言い返すようになって、だけどボコボコに言い返されて、身体の方もボコボコにしごかれて。
朝まで指先ひとつ動かせないなんて日も、しょっちゅうあったけれど……夢に向かって進んでいる実感のある日々は、幸福だった。
「明日、ギルドへの入会試験を受けます」
呼吸を整えた後。鍛錬の終わりに必ず行っていた一礼の前に、俺は師匠に報告した。
「何故」
師匠は短く吐き捨てた。
何かを新しく教わることは、殆ど無くなっていた。既に身につけたことを維持し、磨き上げ、研ぎ澄ます……その過程の中で、細やかな戦闘技術を盗み取る。師は変わらなくとも、その鍛錬の在り方は、高次への変容を遂げていた。
「母のためです。成人を迎えたのだから、家にお金を入れなければ」
「金だと? フン、ならば夕餉の頃に、炊事のための火をつけて回れば良かろう。その方がずっと金になる」
師匠は、呆れていたのだろう。
師匠は恐らく俺の誕生日を知らないし、俺が成人したことも知らなかった。
だが、「命」に対する俺の価値観が父の死後に変わったことについては、とっくに見抜いていた。俺がそれでも鍛錬に打ち込み続ける理由も、全てお見通しで。父さんのいた場所で仕事を貰おうとすることを、無意味な執着だと見做されても当然だった。
……確かに、そうだ。
ギルドに拘る必要なんて、無い。
俺は、父さんのような戦闘職員ではなく事務員として働く。フィーユに教わってきた知識と、師匠との鍛錬によって培われた経験を少しでも活かせるかと思っただけで、ギルドでなくても構わない筈だった。
けれど俺は、ギルドを選んでしまった。
かつて欲していた居場所として、記憶に焼き付いてしまっていたから。
「……ありがとうございます、せんせい」
この人相手では、剣を構えた方が早い。至高の域に到達した水の美しい奔流に、この人が育んでくれた獰猛な炎で喰らいつく……その方が早い。選んで飾った言葉なんて、何の意味も持たないのだ。
「こんな、どうしようもない弟子を導いてくださって……本当に、感謝しています」
師匠は、フンと鼻を鳴らし、
「別れの挨拶のつもりか?」
「まさか。これからもよろしくお願いします、そう言いたかっただけです」
俺は微笑んで、いつも通りに一礼し、
「どうか、長生きしてください。
俺も一緒に、長生きします。退屈だと思った日には……お相手が務まるように、今後も精進しますから」
その日も、月がよく見える夜だった。
沈黙していた「大禍」の核が、再び魔物を生み出そうとしている。
破らなければ、早く。
歯を食いしばって、両の拳を何度も何度も叩きつける。とうにわかっている、こんなことで師匠の魔法が破れるわけがない。炎が使えず剣も手元にない、そんな状況では。
止めなくては。
常人では考えつかない……考えついても試す術のない、「大禍」を消し去る方法。
俺は圧縮した魔力塊を撃ち込むことで、灰化を引き起こす水属性の魔力の炸裂を防ぐことに成功した。そして、それゆえに浮かんだのだ。リスクの大きすぎる、あるアイデアが。
『相殺できる威力の魔力塊を、「大禍」の核にぶつけることができたなら?』
だが……そんなことは、できない。
できるわけがない。
できたとすれば、それは、
「訂正したいことがある。クロニア」
師匠の痩せた身体が、「大禍」が周囲にばら撒き続けた水属性の魔力を、最早追い縋ることのできない速度で吸収し始める。
完全に掌握され、統制された魔糸の流れ。うう、うう、と言葉を失った獣のように呻きながら、それでも美しいと思ってしまうほどの純粋なる「碧」だ。
こんなことは、できない。
あなたにしか、できない。
だから、だからこそ、
「俺が、戦うから……戦うから、『大禍』だろうと何だろうと、戦って、生き残るから……だから……俺を残して、行かないでくれよ……せんせい……」
視界が濁っていく。
靡く銀色の髪、右袖。
一度だけ見せた、三日月のような横顔は、
「お前の師は……人を愛すること以外ならば、どんなことだって、できる」
笑っていた、ような気がした。
『シェールグレイ王国、ティルダー領。
カルカ南西にて発生した「碧水の大禍」。
発生から1日も立たぬうちに完全沈静。
リ・リャンテで約300年前に起こった、カ・リャグラにおける「黒虚の大禍」。その沈静までに要した期間は5日であり、それ以前にも以降にも類を見ない「短期決戦」であった。その称号は本件によって塗り変えられることになろう。
加えて、ところどころに灰化した部分は確認できるものの、地図の上で廃棄エリアとして指定すべき場所は見受けられなかった。
犠牲者はなし。
負傷者は、避難の折の混乱により、転倒等した非戦闘員が数名のみ。
行方不明者、一名。
本件の異常性については、重ねて報告を申し上げる予定。
なお、ティルダー領西方ギルドにて行われた「強制配置」の命令に反し、単独での戦闘行動を行った下記の一名について、下記の通りの処置を行う。
登録番号4117。
紅炎魔導士・準一級、クロニア・アルテドット。
処置内容、…………』




