28.やすらぎと、それから
カゴから飛び出さんばかりに詰め込まれた、ふんわり丸くて雪のように白いパン。バターに3種のジャム。
この時季にカルカでは収穫できない、南方産の野菜がどっさりな、見ているだけで楽しい彩り豊かなサラダ。食用花も混ざっている。
カルカの祭料理として名高いロペイル牛のシチューや、丸々太った鶏肉のローストといった肉料理から、焼き色美しいミラット魚のオリーブオイル掛けといった魚料理まで……そしてその中央には、氷属性の魔石からなる保冷剤を玉座の下に置いた、苺が美しい列を成すタルトが鎮座している。
シェールグレイの法律では、16歳で成人だ。ギルドへの入会は成人していることが条件となる。
しかし、俺はお酒に極端に弱い。誕生日パーティに呼ばれた際に見た限りでは、フィーユも酒に強いとは言えない……発言は#概__おおむ__#ね正常なのだが、顔が真っ赤になるし、とにかく暑いと感じるらしく、美しい翠色のドレスを脱ごうとして、仲良しの侍女に必死に止められていた。
レインとティアについてはわからない。レインは少なくとも俺よりは強そうだが、ティアは……ジュースばかりを選んで買ってきていることから考えれば、俺やフィーユの仲間なのかも知れない。
グラスに氷を少し入れて、好みのジュースを注ぎ、
「う、うぅ、ティアが挨拶だなんて、本当に本当に恐れ多いですけどっ……か、かかか、乾杯、ですっ!」
主演女優のティアの合図で、俺たちは互いのグラスを打ち鳴らし、食事を始めた。
最後の食事がカイグルスとの決着前だった俺は、空腹だった。とにかく空腹で、女性2人がキッチンで奮闘している間にもお腹がぐうぐう鳴るので、味見係に任命され、味見というには少し多めの料理をいただくことで凌いでいた。
行儀悪くならないように気をつけながら、皿になるべく多くを取る。せっかく作ってくれたものだから、よく噛んで大切に食べる。
黙々と。それはもう、黙々と。
「…………腹が空いてたのは分かりますけど、随分食いますね」
「……、」
「頷きながらも咀嚼を止めない……。そりゃ今日は特別でしょうが、この人、普段から大食らいなんですか? それにしてはスタイル良いですけど、喰らったもんは全部魔力に変換されるんですかね?」
フィーユが柔らかく仕上がった鶏肉を、綺麗に一口大に裂いて食べてから、
「常に体重を気にしている身としては悔しいけど、そうなのよ。クロは片手剣も扱えるけど、片手剣を扱う他の戦士よりも、筋肉量が少ないと思うわ。足りない分の力は、魔力で補助しているから」
「うわ……確かに背負ったとき思ったんだよな、重いことには重いがそうでもねえ、って。戦闘中ずっと魔力で自己強化? めちゃくちゃ難易度高くて、まともな神経の持ち主じゃやろうとも思わねえだろ……普通に筋力つける鍛錬した方がまだマシのような……」
「それが『紅炎』なのよ、『彩付き』に常識は通用しない。私なんて……常にこれ以上、胸が大きくならないよう気を遣ってるのに……」
「何だって!? フィーユちゃん、その魅惑の果実が#益々__ますます__#たわわに……!? それは止めるべきことじゃない、むしろ誇って突き進むべきことだよ!」
「そっ、そうですよフィーユちゃんっ、もっと栄養をいーっぱいあげないともったいないですっ! フィーユちゃんのお胸はとっても羨まし……いいえっ! とっても可愛くて素敵なんですからっ!」
「ええっと……か、可愛いかな? 夏場は汗が溜まりやすいし、重たくて肩が凝るし、激しく動くと痛いんだけど……」
俺は、口に入れて咀嚼、飲み込んで口に入れて咀嚼、をひたすら繰り返しながら思った。果たしてこれは、男子が聞いていい会話なんだろうか。
ティアは酒を煽るように、んくっ、んくっと音を出しながら林檎のジュースを飲み、グラスをテーブルにドン……ではなく、そっと置いてから控えめに身を乗り出すようにして、
「可愛いですっ! フィーユちゃんは、あたしの……あたしなんかが『フィーユちゃん』って呼ばせてもらって、本当に良いのかなって、そう思っちゃうくらい……可愛くて、綺麗で、憧れなんですっ!」
フィーユはくらりときた眩暈を堪えるように、額に手の甲を当てて天井を仰いだ。
「どうしよう……この子、可愛い……可愛いわっ……!」
「激しく同意するよ、フィーユちゃん。例えるなら、君は高嶺に凛と咲き、見上げる者全てを#虜__とりこ__#にするルヴァッサ……そしてティアちゃんは大地にそっと根を張り、お日様をたっぷり浴びながら美しく花開く日を待つ、愛され系ナンバーワンのアネア!」
ルヴァッサの根には、一時的に魔力を捉える感覚が研ぎ澄まされ、魔糸を統制しやすくなる効果がある。
そしてアネアの茎は、特に地属性における魔力消耗のダメージを和らげる効果がある。どちらも素晴らしい植物だ。
それにしても、レインは食べ方が本当に綺麗だ。皿の上のミラット魚……骨格標本として、そのままどこかで展示されていてもおかしくはない。所作も洗練されているし……ただ、先ほどからサラダをとるとき、トマトを妙に避けているような?
フィーユとティアが頑張って作ってくれた祝勝の料理たちは、穏やかな時間の流れとともに減っていった。
そして気づけば、空では夕陽の名残が夜闇と拮抗しているところだった。
彼女たちのすごいところは、全ての料理が心の底から美味しいと思わせたところ。そして、ちゃんと余ったものを保存できる容器と、それを保たせるための保冷剤を用意していたところ。
あんまり長い間残しておいたら駄目だからね、と人差し指を立てて言い聞かせながら、フィーユは飲み物以外のものが保存されていなかったレイン宅の食料保存箱に料理を押し込み。
そして、食材を入れるのに使っていた紙袋に料理を入れて、ティアにもひとつ持たせた。そしてティアはもう一つ……砂糖まみれになったレインの服一式を入れた紙袋を、大事そうに抱えた。
「クロはもう少し、ここでゆっくりさせてもらって。ティアちゃんを送り届けたら戻ってくるから、一緒に帰りましょう」
「いや、女性2人だけで夜の街を歩かせるのは。俺も一緒に……」
帰り支度を済ませた2人にそう言いかけて、俺ははっと思い出した。まだ、レインに話したいことが……お願いしたいことが、ある。
流石にそれを察したわけではないだろうが、フィーユは翡翠色の瞳を半目にして、
「無理しないの、ぐっすり眠ってたあとでしょ? それにクロも言ったじゃない、私もティアちゃんも、つ、よ、い、って。だから心配要りませんとも。お酒を飲んだわけじゃないし」
「……わかった。じゃあ、待ってる。気をつけて」
「大将、一緒に行かないんですか? んじゃ~、オレが代わりに騎士役を……」
「レインくん? 頭がすっご~く良いあなたなら、私の言いたいこと、わかるわよね?」
頭がすごく良いレインは苦笑する。その表情でわかった。俺とティアがわからないフィーユの「言いたいこと」が、レインにはしっかり伝わっていると。
「はは……わかったよ。むさくるしいのは今夜で終わりだ、アンコールに応えて去るまでが舞台、ですからね」
「お願いね。は~ああ、本当に……厄介な人!」
俺とレインは玄関先に出て、フィーユとティアと見送った。
「あのっ、今日はお招きいただいて……はわっ、違ったあ、あたしたちが突撃しちゃったんでしたぁ! で、でもそのっ……た、楽しかったです……お料理するのも、一緒にお食事するのも……本当に本当に、楽しかったなぁ……勝てて、良かった……皆さんと会えたあたしは、びっくりするほど、幸せ者……」
ティアは余韻に浸るように、微笑みを浮かべたまま目を閉じていたのだが。
突然、はっと目を開いて、耳をピーンと立て。
「ああぁぁあああああっ!? こ、このお洋服、早く綺麗にしなきゃですよねっ!? うええぇぇええん、必ずピカピカにしてお返ししますぅうう、グズでドジでごめんなさああぁぁぁあい!」
「あっ、ティアちゃん!? な、なんて足の速さなの……心配だわ、追いつかなきゃ! また後でねっ!」
兎の獣人であるティアの脚力は凄まじいが、それに追いつかんとするフィーユの脚力もまた、凄まじい。そして実際に、俺の視界から消えるより先に、フィーユがティアに追いつくのを確認できた。
溜息を吐くのを、聞いた。
レインが自宅……いや、よく見れば塗装の剥がれがある、木造の集合住宅にぼんやりと視線を投じながら、
「いやあ~、今日だけで何回『美味い』って言ったかなあ。やっぱり可愛い女の子との食事は最高ですね。全身真っ白になりはしたが……気を抜いていられる相手と過ごす時間は、悪くない」
「……レイン」
名を呼ぶ声に、振り返る。
甘い事件に見舞われてシャワーに入ってから、彼はいつも結んでいる髪を解いていた。
「なんです、大将。野郎にそんなまっすぐ見詰められても、オレは嬉しくないどころか……面倒くせえ何かに巻き込まれるんじゃねえかって、ひやひやするだけなんですけど」
「……面倒。そうかも知れない」
「マジかよ。……ま、今回はかなりワガママ聞いてもらいましたし、話だけなら聞きましょうか」
時間を無駄にしてはならない。
すっと素早く息を吐き、ゆっくりと吸い込んで、単刀直入。
「俺の、教師になって欲しい」
「教師? ……いや、アンタ読み書きできますよね? 戦闘の経験値ならオレに教わるまでもないでしょうし……あ、世間知らずをなおしたいってことですか? けど、それにはオレよりずっと適役なフィーユちゃんがいますよね?
……聞かせてくれます? なんでオレに?」
フィーユには言えない。俺が、日々の殆どを鍛錬に費やしてきたことを知っていて……自分が応援してきた夢から、俺がとっくに背を向けたことを、はっきりとは知らないフィーユには。
「……俺は、事務員になりたいんだ。そのための勉強を、教えて欲しい」
雷光の色をした瞳が見開かれるのを見て、レインにも意図をはかれないことがあるんだな、と思った。
レインは動揺を隠すように目を閉じ、右のこめかみを人差し指でトン、トンとつつきながら、
「えーと、待て……待てよ……。
アンタは……尊敬していた父親の背を追い、ギルドの登録戦闘員としてのライセンスを入手したかった。そのために『碧水』サリヤに師事し、死に物狂いで鍛錬し、天災レベルの戦闘能力を引っ提げて受験。見事、『紅炎』の称号を勝ち取った。この経緯に、何らかの誤解が?」
「……申し訳ないんだが、最初から、違うんだ。笑われてしまうかも、知れないけど……」
レインは笑うどころか、表情そのものを消し去った。
うう。どうして俺は、レイン相手には尋問されてばかりなのだろう?
恥ずかしすぎて、言いにくい。でも……この心強い人物から協力を得るためには、真実を打ち明けなければ。
「まっ、間違えたんだ、その……っ、試験を!」
「……まちがえた?」
「俺は、事務員として採用されるための試験を受けた。いや、受けようとしたんだ。ギルドに関することはフィーユから詳細に聞いていたし、その、自分がこんなにも世間知らずだと自覚がなくて、そのまま試験を……でも、ある手違いが起きて……」
空白。
にわかに、俺の世界が塗り替えられる。
巨大な刷毛を濡らしたインクが、乱暴に視界を染めるように。
紅炎、碧水、白氷、翠風、紫雷、橙地、黒虚。
この世界を流れる、偉大なる七色のうねり。
それは絶対的、不可視の領域。何者も、その彩りを冠した魔導士の頂でさえも、干渉することのできない、不可侵の領域。
しかし、俺は感じ取った。
純粋にして至高なる「碧」を。
魔導の道をひたむきに歩き続け、自らの身体の外を流れる魔糸を読み取る、それが可能となった者だけに……
七色はひとときだけ、不可視を可視に。その姿を……狂った姿を「見せつける」。
「……、……しょ……、ア、……ニア……クロニア!」
レインが俺を呼んでいる。
乱れている、酷く。
意識、呼吸、鼓動、脈拍、魔糸循環……しっかりしろ、しっかりしろ、しっかりしろ!
状況把握。俺は思わず片膝を立てて座り込んだ、それだけ。強大な気配に、一時的に注意を持って行かれただけ……身体に、異常は発生していない。
研ぎ澄ませ。
初めて覚えながら、「それ」としか判断がつかないもの。
まだだ。まだ……だがもう、来る!
「レイ、ン……!」
酸素を欲しながらも、俺は声を絞り出す。
「『大禍』が、来る!
『碧』……『碧水の大禍』が!」
「……たい、か? は? はっ……んな馬鹿な! この辺りではアンゼルで『橙地の大禍』が起こってる、15年前だぞ! オレたちは廃棄エリアをこの目で見てきた、そんなわけが、」
天地さえも揺るがす、はじまりの「破裂」の音。それが、レインの言葉を途切れさせた。
そしてそれこそが、証明だった。




