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27.君は知らない


【藤川京】



『よし、ロペイル牛シチューの仕込み終わりっ! 次はサラダをぱぱっと……』


『フィーユちゃん、まぜまぜ終わりましたっ! 色の具合はどうでしょうか……?』


『どれどれ~? うん、綺麗な飴色、火加減ばっちり! キッチンでは料理したことないって言ってたけど、慣れたらできるじゃない! 慌てすぎて砂糖の袋をぽーんって放っちゃって、レインくんが真っ白になっちゃったときには、どうしようかと思ったけど……』


『うぅ、レインさんには本当に申し訳ないことをしちゃいましたぁあ……お洗濯はティアがちゃんとして、ちゃんと弁償しなきゃ……うぅぅっ、すみません、ドジでグズで本当にすみませぇん……。


 で、でもっ、それから失敗してないのは、新記録、というか……! お母さんのお料理をお手伝いしてて、よかったです……えへへ』


『ううっ、はにかんだ笑顔が可愛いわっ……ティアちゃんは落ち着いたらちゃんとできるのよ? 大事なのは、一生懸命やろうとする気持ちを、一歩退いたところから冷静に眺めること!』


『え、ええと……一生懸命なティアを、冷静に眺めるティア……あ、あたし、ふたつにわかれなきゃ駄目ってことですかぁ!?』




 楽しそうだ。


 僕はくろと視覚を共有して、女性2人がお料理に奮闘する姿を見ていた。微笑ましい、というか、頑張れーって応援したくなった。


 ピンクブロンドの髪をポニーテールに結い上げたフィーユちゃんの白エプロンも、ティアちゃんのフリルが沢山あしらわれたピンクのエプロンも、どっちもよく似合ってる……多分選んだのは、フィーユちゃんの方。


 ふふ。飛んできた砂糖の袋を、頭で見事にキャッチして、真っ白になったレインくんと、必死に後片付けするくろ……悪いけど、かなり面白かったな。


 僕は目を閉じる。

 次に開くと、そこは自室。


 でも、文机からは置き物のPCを消して、白と青のチェック柄のテーブルクロスを引いた。フォークにスプーン、それからお箸も忘れずに。祝勝会が始まったら、僕も一緒に、ご馳走をいただこうと思って。


 あ、乾杯のグラスを忘れてた。


 何を飲もうかな。炭酸は好きじゃないから烏龍茶……いや、ほんの少し特別感を出して、オレンジジュースとかどうだろう。


 ……あんまり特別じゃないかも。じゃあ、マンゴージュース。これにしよう、うん。


 うーん、と身体を伸ばす。


 生きていた頃と、あまり変わらない五感。クロの身体を一度だけ……「乗っ取って」しまったときの感覚を思い出しても、五感の営み自体にはそれほど差がなかった気がする。


『京さんは、この身体を、使えないんですか』


 そう言ってくれるくろは、優しい。

 でも、僕は……







「その子を返せ」


 間近に迫った銀の煌めきに、全身から嫌な汗が噴き出した。


 お父さんが亡くなってから、くろは尚更熱心に修行に挑むようになった。それを踏まえて、にはなるけれど……その日の修行は、特段いつもと変わらなかったと思う。思うと言うのは、僕は大体、くろが訓練しているときに視覚を共有しないから。


 僕は恐らく、刃物で刺されて殺された。


 犯人の顔は覚えてない、すぐに逃げ去ってしまったから。痛みにのたうち回ることもできないまま、自分の最期の言葉さえ何なのかわからないまま、僕は死んだ。


 復讐したいとは思わない。あの「誰か」が僕を殺したかったのか、他の誰でも構わなかったのかは、わからない。でも、僕はもう死んでいる。復讐しようにもその術がない。逮捕されていて欲しいと願うことしか、できない。


 僕の家族や幼馴染は、もしかすると、復讐したいと考えているかも。


 ……そうじゃなければ、いいな。転生をしていなかったら、心配のあまり化けて現れていたかも知れない。


 まあ、そういう理由で、僕は刃物を見るのが怖い。テーブルナイフでさえ無理。くろもせんせいも、剣を使う。だから僕は「自分」の修行から目を背けている。


 でも、その日。


 過酷な修行を重ねたせいかな。くろは魔法を使った直後に意識を失った。そして、原因は全くわからないけれど、僕が外に出てしまった。


 濃厚な緑の香り、未知のはずなのに懐かしい虫の声、ぱりっと乾いた夏の空気……そういったものと一緒に僕を出迎えたのが、


「3度目は言わん。その子を、返せ」


 サリヤせんせいだった。


 汗の球のひとつも浮かべていない、痩せこけ、血の気のない頬。切長の三白眼は冷凍室より冷たく、僕がくろではないことを完全に見透かしていた。


 僕は彼が怖かったし、


「……っ、あの……ご、ごめんなさい、その剣……刃物を、僕に向けないでください……」


 首元に容赦なく突きつけられた鋒が。今にも自分の精神が決壊し、わけのわからないことを叫び出すのではと、そう思うほどに怖かった。


「貴様は何だ」


 「何だ」って、何だ!?

 僕は激しく狼狽えながら、


「藤川、京……くろの、ぜ、前世にあたる、者です……」


 重要な情報をすぐさま差し出した。


 けれどせんせいは、凍てついた表情も眼差しも、僕に突きつけた剣の角度も、微塵も変えることなく吐き捨てた。


「『転生者』は皆、法螺吹きだ。自らの素養に箔を付ける、そのために揃って詐欺師へと堕ちていく馬鹿どもだ。


 だが。その子が薄汚い法螺を吹くとは到底思えぬ。もう一度だけ問おう。貴様は何だ? 己が精神を人間に潜ませ、隙を窺い自由を喰らう魔物の類か」


 沈んでいく陽の橙光をその背に。

 ああ、怖いな。すごく怖い。恐怖が塊を成して喉につかえて、呼吸が上手くできない。


 でも。この人は……


「……信じてもらえなくても、仕方ない、です。僕は……いつも、隠れてるから」


「何故」


「……あなたたちから、くろを、奪いたくないんです。だって、」


 僕は両親よりも先に人生の舞台から降りた。めちゃくちゃに溺愛されていたわけではないけれど、それでも、愛されている自覚はあった。朝ご飯は一緒に食べていたし、サークルには入っていなかったから、夕ご飯も大体一緒だった。


「ずっと一緒に過ごしてきた、大事な人が……ある日突然、別人になってしまったら……僕だったら、悲しいから」


 せんせいはやっぱり、表情筋を殆ど動かさなかった。けれど、重たげな剣をすっと引いて、鞘に収めてくれた。


 安堵のあまり力が抜けすぎて、身体が液体になるかと思った……原型のままくろに返さなきゃなのに。


「は、はぁ~……ありがとうございます……どうにかして戻りますね、本当になんで出てきちゃったんだろう……」


「ひとつ、問いたい」


 顔を上げると、せんせいはいつの間にか、僕に背を向けていた。空っぽの右袖が、涼やかになりはじめた風に揺れていた。


「女神は、存在するのか」


 いつの間にか、ぽかんと口を開けていたことに気づいて、僕は慌てて唇を結ぶ。


「『転生者』は女神の声を聞く。風の噂でそう聞いた」


 僕は知った。


 この人は、本当に『転生者』じゃないんだ。素晴らしい素養を持って生まれたのは確かだろうけど……それを毎日、毎日、磨き上げて、叩き上げて……そうやって、天辺に登り詰めた人なんだ。


 僕は答えを探した。でも、それより先に、


「存在するのか。ならば……

 何故、罪なき者に惨い死を与える」


「……せん、せい?」


「何故、斬っても斬っても戦はなくならぬ。何故、祈っても祈っても魔物は現れる。人の業だと言うならば……罪の所在を問わずにはいられぬのも、また人の業」


 静かな言葉だった。雨垂れが土の色を変え、染み込んでは褪せていく、みたいな。


「何故だ。何故、幾千を屠った私ではなく……愛も心も知らぬ私でなく……何故、ロッシェを……『お前たち』の父親を、奪い取った」


 後悔も、憎悪も、憤怒も、悲哀も。


 何もかもをどこかに置いてきてしまったような声で、淡々とせんせいは問うた。


「私がその子に、何を与えられると言うのだ。死と親しむあまり、生を忘却した私が、何を……」


 先生は、少し顔を上向けた。

 「答えられない」僕は、俯いて……


「……答えられぬなら、話は終いだ。

 母親の元へ連れて行く。その間に、隠れ家に戻る方法を探せ」




 案の定、僕らの身体は疲労のあまりに上手く動かなかった。先生は僕らを背負い、黙り込んだまま、小枝を踏む以外には足音も立てず、森の小道を進んだ。


 僕はその間に眠りに落ちて……気づけば、自分の部屋にいた。そして、目を覚ましたくろは、全く覚えていなかった。


 僕を信じて晒してくれた「英雄」の本音を。

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