14.「ここよりは東」
ハーバルさんの店「鈴の小道」に再度訪れたのは、作戦考案者のレイン、初回の会議に参加した俺とティア、そして新たに加わったフィーユの4人だった。
フィーユは席に座らず、俺をぎゅうと抱き締め、いや、締め付けている。
レインを魅了して止まない豊かな胸が、俺の顔の右半分を埋め尽くしている。俺だってしっかり男だが、少しでも動いたら即座に制裁されそうなこの状況では、じっと目を閉じてこの柔らかな嵐が通り過ぎるのを待つしかない。
「ああ大将、なんって羨ましい……フィーユちゃん! ぜひオレの顔面にも祝福を与えてくれないか!? そのふわふわもちもちの祝福を受けたなら、オレはただちに、天上に座す女神様が美神かどうか確かめに行ったって構わないッ!」
……独特な言い回しだけど「死んでも良い」ということか? それなら駄目だ、譲りたいけどレインには譲れない。
「フィーユ先輩、いいなあ……って、はわわっ、何でもないですぅぅう! そ、それよりあのぉ……レインさんとフィーユ先輩は、お知り合いさんなんですか?」
「ギルド職員の顔と名前は、全て一致させるようにしているわ。彼からは、説明会が終わって早々に『結婚を前提としてお付き合いしてください』ってアプローチされたし、尚更ね……まあ、私に対して積極的な男性は珍しくないんだけど」
確かに、近所でもフィーユに想いの丈をぶつけて散っていく男性は多い。この幼馴染の凄いところは、自分を「そういう目」で見ていると知ってもその男性たちと距離を置かず、むしろ以前より良好な関係を築いてしまうところだ。
「レインくんのことはちょっと厄介な人だと思ってた、け、ど。ちょっとどころじゃなかった、私もまだまだ人を見る目を養わないとね……。
あなたたちの計画はわかった。レインくんと同じように……いいえ、それよりもちょっとひどめに振って以来、カイグルスが私に手を伸ばしてくることはなくなったけれど、他の子が迷惑な目に遭っていることも聞いている」
奴の癇癪を起こすことなく、それでも『ひどめ』に振って手を引かせた?
一体どんな方法を使えばそれを成し遂げられるんだ? この幼馴染、やはり優秀だ……。
「事務局を代表しての言い訳だけど、彼の生まれって割と名家なのよ。最近は景気が悪いみたいで額はかなり少なくなったけれど、彼の父親はカルカギルドに対して、自主的かつ見返りを求めない、金銭的な貢献を行なっていたの。人徳者で有名だけど、その分息子にも甘くて、かなり溺愛していたみたいでね……。
それにカイグルスはギルド内での素行は悪くても、仕事先に迷惑をかけない外面の良さだけは持ち合わせていた。そういう理由で、ある程度は我慢しなきゃっていう暗黙のルールが存在したのよ」
「そ、そうだったん、ですね……でもティアたち、勝負の約束、しちゃいました……」
フィーユは恐らく、俯きかけたティアに対してにっこりした。
「ティアちゃんは彼に侮辱されたんでしょ? でもそれを呑み込まず、みんなのために立ち上がった……暗黙のルールに縛られて、顔を見るたびに『風魔法であのマント、雑巾にしてあげたいな』って気持ちを抑えてきた私より、ずっとかっこいいわよ。あなたたちが立てた計画が成功すれば、ギルドの居心地がまた少し良くなる。応援しない理由がないわ……で、も!」
「ぐ……ッ!」
棒術で鍛え上げたしなやかな腕に、ぎゅうううと力がこめられる。い、痛い!
「クロを交換条件にするのは悪手よ、絶対に駄目! 紅炎をカイグルスの駒に堕とすなんて……身体のどこかに消えない傷をつけられるのは目に見えているし、その3日間でクロの弱点を掌握されたら、ずっと縛られることになるかも知れないのよ!?
そんなリスク、私は嫌……いいえ、私情は抜きにしても、カルカギルドに属する事務員として、いずれ歴史を作るかも知れない仲間に、危険な橋を渡らせるわけにはいかないわ!」
「……なるほどね。わかってはいたが、尚更わからされちまったなあ……こりゃ、手強い相手だ」
レインが肩を竦め、表情を困ったようにふにゃりと緩める。
「落ち着いて、フィーユちゃん。オレのことを厄介な相手だと思ってくれていたのは、逆に光栄さ。
信じてくれとは言わない。だが、代わりにお願いさせてもらうよ……オレに対する『厄介』って認識がどこから来るか、改めて見定めてやってくれ。オレは暗闇に身を委ねるようなゲームはしないのさ。その闇の中に勝ち筋がはっきり見えていない限り、絶対にね」
「フィーユ先輩、ティアからもお願いします! レインさんの『台本』は凄いんです! それに、ちゃんと特訓だってしたんですよっ!」
「……『台本』? 特訓?」
フィーユは恐らく、首を傾げた。
2日前。
ギルドに併設された訓練場を使うわけにはいかなかったので、俺はティアとレインを、俺が普段使っている、自宅近くの森の広場へ案内することになった。
道すがら、自宅に寄って母さんに2人を紹介したのだが、ティアは、
「く、クロさんの、おおおおおお母さん……お、お綺麗ですっ、クロさんにそっくりですっ、クロさんを産んでくださって本当に本当に本当にありがとうございますっ!」
と何やら感極まり、レインは、
「どうも、ご子息様には大変お世話になってます。いやあ~、ティアちゃんに言いたいこと全部言われちゃったなあ! 敢えて言い加えるとするなら……その紅色の瞳に満ちた深い慈悲、慈愛……敬虔なケラス教徒に、地上に降り立った女神様だと思われたことがあるのでは?」
「俺の知る限りではありません。行きましょう、もう行きましょう、同期だから今だけ敬語をやめます、さっさと来い」
母親を目の前で口説かれる息子の気持ちをお察しいただきたい。レインが手の甲に口づけしようと進むのを何としても止めようと、俺が彼の制服の裾をぐいぐい引っ張っているのを見て、
「ふふふっ……良い子たちね、クロニア。訓練、頑張ってね。終わったあとに余裕があれば、また寄ってちょうだい。久しぶりに……お菓子でも焼こうと思うから」
母さんは、庭の手入れを怠らない。けれど父さんがいなくなってから、凝った料理を作ることは少なくなった。お菓子を焼くという言葉を聞いたのは、本当に久々のことだった。
まだよく日差しの差し込む、柔らかな土の小径を歩いていく間。ティアはギルドにいるときより伸び伸びと四肢を動かしていた。気づけば、どこから来たのやら小鳥を肩に乗せ、鳴き声に合わせてハミングしていた。
「へえ……ギルドの周りも長閑なもんだと思ってましたけど、ここらへんはもっと長閑だな。空気の美味い良いところだが、魔物対策が若干心配ですね……」
レインがきょろきょろと辺りを物珍しそうに見回しているので、
「……あの、すみません」
「ん? オレに言ってます? だったら、さっきみたいに敬語抜きで良いですよ。呼び方もレインで構いません、オレも好きなように話しますから」
「じゃあ……レイン。ひとつ質問しても構わないか?」
「んー……ただ答えるだけじゃつまんないんで、こういうのはどうです? オレがアンタの質問に答えたら、オレもいっこ質問する」
自分も好きなように話すと言ったが、少なくとも俺に対しては敬語を崩すつもりはないらしい。俺は特に考えもせず首肯し、
「レインの故郷は? この辺りの出身じゃないようだけど」
「ここよりは東。オレの番ですね、」
こ、答えてくれたのは良いが、それだけか?
そう面食らっているうちに、
「アンタの人格は、『転生』の前から見て、少しでも変化しました?」
思わず、口ごもった。
レインは俺の『転生』のことを知って……いや違う。彼がした質問は、2つの情報を引き出すためのものだ。
若くして『紅炎』を戴いた俺は『転生者』であるか?
『転生者』であるならば、記憶の再得段階において、人格への変化が起こったか否か?
そして、俺は答えを躊躇ってしまった。
この数瞬が、最初の質問への肯定だ。
「……変化して、いない」
「へえ~そうなんですね、返答どうも。んじゃ、次の質問をどうぞ?」
「…………どうして、カルカに? 故郷から最寄りのギルド、ってわけではないよな?」
「故郷に残ってる必要性を見出せなかったからです。はい、オレの番。『碧水』様はご壮健ですか?」
足を止めた。
訓練場についたから。それもある。
だが、わからなかった。カルカに移り住んだのが前節の入会試験より以前だとしても、だ。
俺と同時期にギルドに入会した、年齢も俺とさほど変わらない若者が、隠居同然の生活をしている師匠について「ご壮健ですか?」。
この世界で、公的機関から「碧水」の称号をいただいているのは、師匠だけではないだろう。だがレインの言う「碧水」は紛れもなく、
「……元気だけど、今日は留守みたいだ」
「あちゃー、それは残念だ。『英雄』様に是非ともご挨拶しておきたかったんですけど」
我が師、サリヤ・スティンゲール。
「ま、気を取り直して訓練だ。大将、お願いしますよ」
この男の前では……俺の交渉技術は七級以前、入会以前、生まれたての赤児同然だ。
警戒を怠ってはならない。
そう自らを戒めながら、俺は……いつもはサリヤ師匠が立っている位置に立った。仲間を導く、師匠として。
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次話「15.答案提出、ひとつめ」(予定)




