11.狙撃手・四級
カロローンと入店を伝えるドアベルが鳴る。視界が開けると同時に、俺は後悔した。
こんがり飴色をした猫脚の椅子が向かい合うのは、端にレースをたっぷりとあしらった、純白のテーブルクロスが掛けられた丸机。机上の中心には、まだ寒いこの季節に南からわざわざ仕入れているらしい小さなブーケが、これまた丸っこくて可愛らしい無地の花瓶に生けてある。
床は白とピンクのチェック柄で、フィーユの父さんが時々やっている盤上遊戯の駒になったような気分だ。
壁と天井は一般的な木造だが、壁にはぴたりと画題を当てるのが至難の業だろう抽象画が飾られ、天井から吊り下がった照明は、教会のシャンデリアに似た煌びやかさ。
カウンター席もいくつか用意されていて、その向こうでのんびりした仕草でカップを磨いているのは、赤毛の髪を高い位置でくるっとお団子にまとめ、ゆったりとしたピンク色のワンピースに純白ヒラヒラエプロンを身に纏った女性だった。童顔で若く見えるけれど、醸し出す雰囲気からして20代後半くらいだろう。
彼女の背後には、コーヒー豆の入ったガラス瓶がいくつも並んでいる……
「ハーバルさ~ん、貴女のレインが来ましたよ~! いやあ、片恋がこんなにつらいなんて知らなかったなあ、たった2日顔を見ていないだけでこの胸がしくしく啜り泣いてさ……って、大将? 何突っ立ってるんです? 言いましたよね、ここはオレの奢りだって」
片恋?
ええと……ここに辿り着くまでに散々ティアに、
『駄目だなオレ……君のその耳、チャーミングすぎて直視できねえよ。こんな可愛い罪、あるんだな』
とか、
『焦らなくて構わないぜ。気持ちを落ち着かせるためにも、ゆっくり歩いて行こう……ほら、まだ花は咲いてないけど……代わりに、オレの笑顔は満開にしとくから、さ』
とか、よくわからないけど絶対に声に出して読みたくない台詞を微笑みながら告げたり、ティアのふわっとした横髪をその長い指でそっと掬うなど、あからさまに好意をぶつけるような動作までしていたけど、もしかしてこの男は複数の女性に、その……片恋? をしているのか? それって何と言うか……アリ、なのか?
……いや、それはまあ、良いとして。
耳を激しく上下にシェイクする、ティアの初対面の人に対する爆速お辞儀をどーどーと止め、店の中央あたりの席に座らせてから、同期の一人であるレイン・ミジャーレさんは、俺にも来い来いと手招きした。
しかし、俺は目を逸らす。
「いや、その……いい、です。俺は、外で待ってます」
「はあ? 何でです? 俺がティアちゃんと2人きりになっても良いんですか? ……ん? 麗しのハーバルさんも傍らにいるし、ちょっと待てオレ、もうこの状況って両手に花じゃん、はァ~最高だなァおい!」
「うふふ~、レインくんは本当に面白い子ね~。でも確かにこのお店、私の好きなものを突き詰めているから、男の子はちょっと入りにくいのかも~」
のんびりとした印象そのままに、ハーバルさんが鼻歌を歌うような調子で言葉を紡ぐ。
このお店は可愛すぎて、男子には入りにくい。そうだ、それもある。だけど、一番の理由は……
「……苦手、なんです」
「苦手ぇ? 主語忘れてますよ、大将」
「……こ、コーヒーが、苦手なんです! 他の薬粉なら水なしでも飲めますけど、コーヒーだけは駄目で……どんなにミルクを入れても飲めず、かと言って砂糖を飲めるくらいまで入れるとジャリジャリした飲み心地になってそれはそれで苦行で、そうこうしている間に母さんは俺にコーヒーを飲ませるのを諦めて……」
レインさんは、雷光の紫色をした、垂れ気味の目を丸くした。
左手を腰に当て、前髪に右手の指を差し入れながら逡巡し、
「……大将。アンタ、喫茶店って入ったこと、あります?」
「あり、ます。……小さい頃に、何度か」
確か、だけれど、前世でも何度か。
レインさんが盛大に溜息を吐く。
「あっちゃー、まじかー。そりゃ、噂には聞いていたけど? まあなァ……その歳で『紅炎』なんて授かってるわけだし? そりゃあ、遊んでる暇なんかねえくらい訓練漬けの毎日だったろうし……他んとこがちょっとくらい欠けてても当然かな、って言うか……」
「……お恥ずかしい、限りです……」
「あのですね。ここは確かにコーヒーが絶品で看板メニューで、いつも香ばしい良い香りがしてますけど、紅茶とか他にも飲めるもんありますから、他の店とおんなじで」
「紅茶……紅茶は好きです!」
「そりゃ良かった。そんじゃ、さっさと入ってください、冷たい風が吹き込むでしょ」
色硝子が陽差しを染めるドアを閉め、そそくさとハーバルさんに頭を下げてから、余っていた椅子に腰を下ろした。
それから数分後。
「はぁい、いつものコーヒーに、本日の果実茶に、あったかいミルクね~。おまちどおさま、ごゆっくり~」
3人の手元にそれぞれ、温かなカップが届けられた。
レインさんは、それがここの常識だとでも言うかのような自然さで、店主さんの手の甲を掬い上げて接吻した。硬直する俺とティアをよそに、カウンターに戻っていく彼女の背をうっとりと見送ってから、
「そんじゃ、自己紹介タイムと行きますか。あ、お二方はいいですよ。同期の女の子たちのことをあまねく調べておくのは紳士のマナーってやつですし……野郎は正直どうでもいいけど、アンタみたいな大物なら話が別です。集めようとしなくても、勝手に情報が入ってきますし、ね」
レインさんは信じ難いことに、コーヒーに何も入れずに一口飲んだ。
「オレはレイン、レイン・ミジャーレ。生まれ育ちの話はほぼ初対面なんで割愛するとして、職級は狙撃手・4級です。なーんか入会試験と相性が良かったみたいで、分不相応なクラスを頂いちゃって、幸運でもあり不運でもあり、って感じですかね……ま、実質は5級そこそこだと思ってもらえれば」
狙撃手。弓や、主に外国から入ってきた魔導銃を扱った、武器による遠距離攻撃を得意とする職種だ。
「で、でもでも、相性が良かったからって、実力以上の職級を貰っちゃうことなんて、あるんでしょうかぁ? やっぱりレインさんも、ティアなんか足元にも及ばないほど凄い方で……」
「そんな! ティアちゃん、初めて出会ったときから思っていたが、君はもっと堂々としていた方が良い! その儚いまでの可憐さの内に秘めた、膨大な魔力量というポテンシャル、オレにはお見通し、だよ」
「えっ、えっ? 魔力量……ですか?」
「ああ、俺も言おうと思っていたんだが、ティアは魔力量がかなり豊富な方だと思う。課題は……いや、何でもないよ。レインさんが分不相応だとは、実力を見ない限りはっきり言えないけど、相応しくない職級を貰うケースはあると思う。俺がその最たるものだ」
「大将、ちょっと大好きな紅茶に癒されててくれます? 言ってることよくわかんないっつーか、魔力の『マ』の字もわかんねえようなお子様でも薄らわかるほどの爆弾抱えといて、それで力量把握できてないっつーなら魔法控えてください、一歩でも間違ったら天災起きるんで、アンタの場合。ロビーで止めといてマジ良かったわ」
辛辣だ、フィーユ以上だ、普段は魔力制御してるから、勘が良くなければ気づかれないはずなのに……
俺は黙って紅茶を口に運んだ。苦味の中に果実の甘み、豊かで柔らかな香り……癒される……
優しすぎるティアはおろおろと傷心の俺を見ていたが、ふっとカップに添えられた自分の両手に視線を向けた。
琥珀色の瞳は、どこか迷っているようで……レインさんと俺の言った、自分の潜在能力について考えているのかも知れなかった。
「それで、だ。何でお二方をオレのとっておき癒され空間までお誘いしたかと申します、と。目的を簡潔に言えば、一緒に『憂さ晴らし』しませんか、ってことです」
穏やかではない単語に、俺はカップを置いた。
コーヒーを脇に置いて、組んだ両腕を机上に載せて身を乗り出し……レインさんは、紫色の瞳をすうと細めた。
優しげだった印象に、猛禽類のごとき鋭さの影が差す。口調も朗らかさと軽やかさを失い、俺の耳元で囁いたときのように、低く淡々としたものへと変わっていた。
「カイグルスとその子分、ギージャ。あれはカルカの『癌』だ。あの場じゃ大将を止めはしましたが……正直、少しスッとしましたよ。
4級なんて威張れた職級でもないのに、言い訳だけ達者で見てるのは下ばっか。カルカは全体的に職級が低めですから、自分より強く出られない女の子を見つけだしてオモチャにして……
ほら、アイツ割といい歳でしょ? ずっとああやってきて、周りからくだらねえって無視されてきて……それでも、どうしてもアイツらを無視できないような子を標的にして……過去には、アイツのせいでギルドを辞めた子がいるそうです。原因は『恐らく』って話でしたが」
『へえ……ギルドにもいるんだね、典型的ないじめっこってやつ』
俺はハッと、カップの中で凪いだ飴色の水面に視線を落とす。
今の声……「京さん」? レインさんの話を聞くうちに、怒りが蓄積していき、内側で揺らぐ炎を感じたのは確かだ。だけど、こんなにはっきりと聞こえたのは初めてだ。しかも……俺たちの会話を聞いていた?
「どうしました、大将」
「クロさん……大丈夫、ですか? 何だか、ショックを受けているような……」
ショック? そんなはずは。
「京さん」は俺の中にいて、だから……その声を聞けるのは、当然のことのはずなのに。
幼い約束をしたときの、フィーユの泣く声が、鈍い痛みを伴いながら頭に響く。
『わたしの、大好きなクロじゃ、なくなっちゃう……違う人に、なっちゃうぅ……』
「……何でも。カイグルスって奴に、改めて腹が立っただけです。実際にティアが理不尽な侮辱を受けているし、それは俺が原因でもある……そして、俺は奴の怒りを買った。一緒にいるティアやフィーユを、ますます狙ってくるようなことがあれば……」
「狙ってくるでしょうね、まず間違いなく。ただ、フィーユちゃんについては心配要らないと思いますよ。強くて、可愛くて、凛々しくて、家柄も申し分なく、歩くたびにサラサラストレートな美髪と、魅惑の果実が揺れに揺れて……しかも超攻撃型の棒術使いときた……っ!」
フィーユについて語っている間、レインさんは完全に元の調子に戻っていた。
何故だろう。全く心配要らないとわかっていながら、カイグルスではない別の何かから、フィーユを護らなければと強く思った。
「……とまあ、軽く脱線しましたが。オレは正義の味方なんて柄じゃないが、可愛い女の子が任務の外でつらい思いをするのは見たくないんです。
もちろん、ティアちゃんもだ! 早朝、ギルドの訓練施設が開放されるなり飛び込んでいって、隅っこでうんうん唸りながら可愛いポーズの数々を決めて……あんなに健気に努力してる姿を見て、放っておけるやつがいたら男じゃねえ! そうでしょう、大将!?」
「みっ……み、み、み、見られてたんですかぁぁあああ!? ひゃわわっ、は、恥ずかしすぎですぅぅううう!」
真っ赤に熟れた顔を、小さな両手で隠すティア。
何故だろう。カイグルスに対処してから、奴ではない別の何かから、ティアを護らなければと強く思った。
「ん? どうしたんです大将、怖い目して……あー、オレが提案する前からやる気満々ってやつですね? 気が早くて助かっちゃうなあ!」
「そう、ですね……レインさんが奴を大人しくさせたいと画策しているのなら、ぜひ役割を与えて欲しいとは思っています」
「あ、あの……あ、あたしも、頑張ってみたいです! あの人たち、怖くて……でも! ティアだけじゃなくて、あたしの大事な人たちまで、悪く言われちゃった気がして……だ、だからティア、立ち向かってみたいですっ!」
レインさんは、組んだ両指の上に形良い顎を乗せ、尖った犬歯をにいと見せて笑った。
「んじゃ、オレの奢りでデザート追加。
……健全に悪巧み、しましょっか」
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