10.敵意への対処法・クロの場合
俺は、つくづく圧倒されていた。
戦闘職員としてフィーユやティアさ……ティアを手伝いながら、自分に欠落していた一般常識を学び、事務員として採用されることを目指す。
そのために今日は、ギルド2階の一般書庫を訪れた。入会初日にフィーユの案内で一度この景色を見ているのだが、やはり凄い、元々乏しい語彙力を喪失するほど凄い。
本がある。本だけがある。本しかない。
フィーユの父さんの書斎を見せてもらったことはある。壁一面の本棚が埋め尽されている様でさえ、ほはぁ~と間抜けに口を開けさせられたのに、ここではどこに視線をやっても背表紙と目が合うのだ。
防音扉が採用してあるのか、ロビーの喧騒はほぼ遮断され、先客たちが紙を捲る音だけが鼓膜をくすぐっている。
一般書庫にある書物は全て無料で読めて、ライセンスを提示して貸出手続きを行えば、持ち出すことも可能になっている。
期限を過ぎても返却が行われない場合は、一定期間のペナルティが課されたり、最悪だと書庫利用の権利そのものを失う。紛失した場合は弁償が待っていて……本は貴重品だ、絶対に無くすものか!
よし。師匠から与えられ、そして盗み続けてきた大量の戦闘知識よ、少しだけ隅に寄ってぎゅっと縮こまってくれ。
俺はこれから、机に向かって書物の山と格闘するという、憧れと言っても構わないほどの時間を……
「……どれから、読めば良いんだろう?」
……こんなはずではなかった。
困り果てた末に手に取ったのが、カルカ周辺地域の生態環境に関する一冊だった。モフモコモルら、魔導生命ラピットについて書かれているのではと思った。
しかし中心的に書かれていたのは、人間の生活に害を成すものへの対処法。魔物と生物を一纏めにしており、殆どの情報が既知。
むしろそこに書かれたことを実践すると、逆に危機的状況を招くのでは、と疑問を抱くことが多数で。特に「黄猪」が直進しかできないのは偽りだ、横に避けてもまるで意味がなく、敢えて上方への回避以外で対応するなら、適切な陽動を行うべきだ。砂を投げるなどして目を眩ますか、強烈な臭いを放つもので気を引くか……
俺は、夢を見過ぎていたのだろうか。
いや、そんなことはない! 歴史を感じさせる本だったし、きっと情報が古かっただけ、今回は正解を引き当てられなかっただけだ。次こそは……気持ちよさそうにうたた寝していた老年の司書さんに、どれがオススメか尋ねてみよう!
明るさを抑えた優しい橙灯に包まれた空間は居心地が良かった。また来よう……こっそり溜息を吐きながら、書庫の扉に手をかけたとき、
『ご、ごめんなさいぃぃぃい!』
ドア越しに、ティアの声が聞こえた。
この数日の様子を見守るなり、彼女はいつも誰かに謝ったり、誰かに遠慮したりしている。だが、この響きは尋常じゃない。フィーユや俺に言うときとは比べものにならないほど、酷く怯えて……
素早く扉を開け、ティアを探す。2階廊下にはいない、ならば1階ロビー……いた!
大男2人に、詰め寄られている?
「ごめんで済むと思うかァ? 折角アニキが、よ、ん、きゅ、うの依頼の金で買った、たっけえ靴なんだぞォ?」
ボールのように丸々と太り、スキンヘッドにした大男その1が、腹を揺すって笑う。
「それを踏んづけるなんてなァ……たかが六級のォ! 紅炎にたかって甘ぇ蜜吸ってるだけの、ラピットより役立たずの兎獣人がなァ!」
「うぅ……本当に、ごめんなさい……あたし、うっかりしてて、め、目障りで、本当に……」
深呼吸をする。
落ち着いて、怒りを抑え込め。詳細な様子を伺いながら階段を降りて、ティアの元へ。そうでないと……
「やめとけ、ギージャ」
大男その2がひらひらと指を振る。ごつごつとした岩のような手の、全ての指にごてごてした指輪が自己主張している。
制服の上着は身につけておらず、代わりに首元にファーのついたダークブラウンのロングコートを、マントのように纏っていた。
「六級。俺様は優しい。だから……ほら、見えるだろ? お前の踏んだ部分が土で汚れてるんだよ。それを綺麗にしてくれりゃそれでいい」
「すっ、すみませ……ティア、綺麗にします! い、今、何か拭くものをっ」
男は膝を曲げてティアに靴先を突きつけ、
「んなもん、要らねえだろ。
ほら。舐めろよ、獣人」
魔糸掌握。焦点へ統制。
『速』。
大男その2が次の瞬きをするまでに、俺の身体はティアの傍らに立ち、奴の足首を強く強く掴んでいた。
瞳の奥で怒りを堰き止め、「観察」する。自分より謙虚な人間を甚振っていたときのヘラヘラが、痛みに歪んでいくことを含めた、奴の情報を。
「て、てめえ……ッ」
「割り込んで悪いな。この靴のどこが汚れてるのか、俺にはまるでわからないんだ」
「く、クロさん……」
「依頼を受ければ靴は汚れる。わざわざ見せびらかすためだけに履いてきたわけじゃないだろう。彼女は自分の過失について、真摯に謝罪している。そしてその過失内容は取るに足らないものだ。お前たちは、彼女を貶めたことについて謝罪しろ」
言葉にならない怒りの呻きを上げながら、力任せに足を引き抜こうとしている。このままでは、勢い余って仰向けに倒れ、強かに頭を打つかも知れない。
ちらと視線を走らせた先、丁度いい位置に誰も座っていないソファがある。
『増』。
魔糸の向きを利き腕へ集中。特定部位の大幅な増強補助。赤子より軽くなった男を、少し反動をつけて投げ飛ばす。
ドブッ、という鈍い音とともに、巨体はかろうじてソファにおさまった。
大男その1改め、子分の方は、やや前傾姿勢になって両手をだらりと下げ、顎が落ちたのではないかと思えるほどにあんぐり口を開いていた。
やりとりを三者三様に見ていた職員たちの一部が、笑い声や歓声を上げた。
これだけ人がいるのに、誰もティアを助けようと思わなかったのか。あるいは助けたいとは思っていたが、こいつらと関わり合うのがどうしても嫌だったのか。案の定というか、受付にフィーユはいなかった。
ぎりぎりと、歯軋りの音が聞こえてくる。
血が上るあまり、赤黒くなった四角い顔面。憤怒、屈辱、嫌悪……人が人に向けられる、殆ど全ての敵意が凝縮したような表情。
「……さねえ……許さねえ……許されるわけがねえ……このカイグルス様に馬鹿げた仕打ちを……憎いぜ、あああ憎いぜぇ! 今すぐそのお上品な顔をズタズタに、ボロボロに、滅茶苦茶にしてやりてえぇぇええええ!!」
「それは、」
ティアが俺の腕にしがみついている。護ると決めた女の子の、身体の震えが伝わってくる。
炎が、揺らめく。
「……俺を、殺したいということか?」
周囲が静かになったのか、この耳が全ての音を遮断したのかはわからない。沈黙の中で俺は、カイグルスの身体特徴と、身に宿す属性から使いうる戦術を思考し……
「いやあ~、お二方とも血気盛んだなあ~! 優秀かつ好戦的な職員が揃って、カルカギルドの未来も安泰、安泰……でもロビーで果たしあっちゃうのは、流石にアツ過ぎのよーな気がしちゃうんですよね~。いやあ~、通りすがりの一般職員の分際で偉そうに口出しするのは、ほんッと恐縮なんですけど~」
背後から接近してくる、この場違いに軽やかな声。
聞き覚えが……
「ひゃっ!?」
ティアが声を上げると同時に、俺の襟首も強く引っ張られた。咄嗟に「対処」しようとしたが、
「大人んなれよ、大将? アンタが暴れたら、あの下衆野郎が伸びるだけの話じゃ済まねえだろ?」
耳元で低く囁かれ、俺は判断を覆した。
しかし、カイグルスが腹立たしいこと、俺やティアの平穏にとって脅威であることに変わりはなく……
「チーム・初心者はこれにて退散~! どうもお騒がせしましたっ、さよなら~っ!」
後ろへ後ろへ引き摺られて玄関扉から出るまでの間、俺はむっとした表情のまま、手下に助け起こされる奴を睨んでいた。
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