1.紅炎魔導士・準一級
名前:藤川 京
性別:男性
享年:19歳(誕生月は6月)
死因:刺殺と思われる。なお、犯人は不明。
これは「記憶」。
そして、2つの世界に選ばれた「証」だ。
実体がないから消えてしまわないよう、初めて譲ってもらったノートに書き記しておいた。黄ばんだ紙に薄いインク……酷く拙い文字で、鬱陶しくなるほど誇らしげにでかでかと。
ノートを閉じ、古紙特有の臭いを散らすように長く息を吐いた。
目を閉じて、心で周辺の魔糸を視る。
体調は残念ながら良好のようだ。しかし憂鬱だ、心の底から憂鬱だ、とにかくめちゃくちゃ憂鬱だから、このままベッドに腰掛けていたい。休むことには飢えている、早めの午睡と洒落込んだって……
「そういうわけには、いかない……よな」
散々頭を抱えたあとだけど……本当に、どうしてあんな手違いが起きた? どうして冷静に「手を抜け」なかった?
俺は今、ギルドの登録戦闘員にオーダーメイドで配布される、上下ともネイビーの制服を纏っている。
視界に入れることも憚られて、今日初めて袖を通したのだが、ほんの少しだけ上着の裾が長かった。
傍らに放ってあったのは、丁度1週間前、ギルドに務める幼馴染に制服とあわせて手渡された、顔写真付きのライセンス。
紺地に金文字でこう記してある。
登録番号:4117
名前:クロニア・アルテドット
性別:男性
年齢:16歳(紅桜の節、7日)
職級:紅炎魔導士・準一級
「こうえん……じゅん、いっ、きゅう」
読み上げるんじゃなかった、苦みが喉の奥まで迫り上がってきた。街の薬屋が扱っている、魔糸循環を助ける粉薬より苦い。
彩付き。魔導士の最高位。ずっと憧れて、目指していた……でも、それは過去のことだ。
「はあ……」
窓が快晴の青を切り取っている。外出するには最適の天気。八つ当たりにきつい一瞥を投げてから、ライセンスを胸ポケットに収める。壁に立てかけておいた、年季の入った片手剣を手に取って、自室を後にした。
冬の名残に薄寒い廊下を抜けて、リビングの扉を開くなり、食卓についていた母さんが椅子を高く鳴らして立ち上がった。
「……母さん」
おろおろと落ち着かない焦点。青褪めた頬にぎこちない笑み。ところどころにシミがついた白エプロンの前を、両手できつく握りしめている。
引きつった声で、
「クロニア……制服、似合っているわ」
「ありがとう。かっちりとした印象を受けたけど、思いの外動きやすい。それで、あの、」
染みついた癖で、俺は笑う。
続きは、あらかじめ考えておいた。
「今日は職級にかかわらず、施設の使い方とか注意事項とか、事務説明を受けるだけだから。多分、呆れるほど早く帰ってくると思う」
「そ、そう?」
良かった、少し表情が和らいだ。さりげなく玄関扉へ向かいながら、俺は矢継ぎ早に唇を動かす。
「ギルドの仕組みについてはフィーユが懇切丁寧に教えてくれたから、多分、大丈夫。午後のお茶の時間に間に合ったら、帰りに甘いものでも買ってくる。それじゃあ、」
「待って!」
母さんが縋りつくように駆け寄ってきた。
アーモンド型をした紅色の瞳がかすかに湿り、自分によく似た息子の顔を映している。
……やっぱり、誤魔化せないよな。
「立派になったあなたの姿……お父さんにも見せてあげたかった。サリヤさんも、あなたなら心配要らないって、お会いするたびにおっしゃっているの」
「えっ」
『英雄』だが人情味皆無の戦闘狂、口を開けば「雑兵が」「鈍間が」と罵り倒してくる師匠にまともな会話、それどころか配慮ができたのか!?
そこに衝撃を受けていた俺は、母さんの表情がくしゃりと歪むこと、次に言うことを妨げることができなかった。
「でも……でも! 『転生者』だからって、いきなり準一級だなんて……こんなに若いうちから、あ、あの人よりも危険なお仕事を任されるなんて……」
母さんは顔を両手で覆った。堰き止めていたものが決壊したようで、痩せた指の隙間を大粒の涙が落ちていくのが見えた。
「あなたは、特別な子……引き止めるような真似は、したくない……でも、心配で、心配で、母さんは頭がどうにかなってしまいそう……!」
喉の奥で、つぶやく。
母さん。俺ももう、天寿を全うする以外の結末を親しい人たちに迎えさせたくないよ。
みんな揃って長生きして……平穏なことが退屈だと思ってみたいよ、たった一度で構わないから。
俺の父親であるロッシェ・アルテドットの最終職級は、近接戦士・準一級。
近接戦士は、2種以上の近接用武器を扱える職を指す。父さんは、片手剣と槍の扱いが得意だった。
亡くなった当時は二級だったが、ギルドの制度の一つである、殉職者に対する特別昇級で1段階上がった。
つまり父さんは、二級の仕事で命を落としている。
俺が『京さん』の記憶を思い出したのは10年前のこと。
『妙な実感を伴って駆け抜け、背中から細い細い穴のあく強烈な痛みで終わる、一生涯の夢』。……あのときの感覚を振り返るなら、こう表すべきだろうか?
飛び起きて、涙を乱暴に拭って。書きの練習のために譲ってもらったノートに、異世界の文字を書き記してみせると、父さんは興奮に何事か叫びながら、俺の頭を力任せにぐりぐり撫で回した。
『転生者』。
真実か、夢幻か。前世の……別世界で生を受け、そして死ぬまでの記憶を、ある刹那に唐突に「思い出した」者を指す名称だ。
詳細は、この国よりずっと学術研究が盛んであるリ・リャンテ……遥か東に位置する大国でさえ、明らかにできていないらしい。
この世界で最も信徒の多い『ケラス教』の教義によれば、転生は天に座する『女神』の御業の範疇だとか。追究すること自体が罰当たりだと主張する、過激な教派も中には存在する……異端とされているみたいだが。
広く浸透している知識は、血筋に一切かかわらず突然変異的に生まれること。そして何らかの……特に魔道に対するめざましい素養が、記憶の再得時点で花開くこと。
歴史の変革は必ず彼らの存在に依ると語られるほどに、特異な存在。辺境の街に生まれ育った幼子でさえ知っているほどに、身近な伝説。
父さんは情熱と正義の人だった。強大な武力を持つ者は、剣と盾を持つ力のない人々を護らなければいけないんだと、6歳児にまっすぐな瞳で語るような人だった。
片手用の代物でさえ十分重い剣を、自在に操り魔物を迎撃する姿を見てきた俺は、至極真っ当に影響を受けた。
いつか父さんと一緒に誰かを救いたい。それがたとえ、自分の命と引き換えになろうとも。
……心の底からそう願っていた。
4年前に、父さんの変わり果てた姿を、この双眸で認めるまでは。
人はそう簡単に変われないと言うけれど、あの出来事……脳裏に焼き付いて離れない地獄の光景は、価値観を容易く捻じ曲げるだけの力を持っていた。
俺にとっても、母さんにとっても。
「……母さん」
震える肩をそっと支えようとした手をとめて、代わりにドアノブを強く掴んだ。
「俺は、生き残るから」
敬虔なケラス教徒が女神像を仰ぐような目で、母さんが俺を見つめる。
「生き残るつもりがないのに『行ってきます』なんて、俺は言わないから」
何故だろう。寂しかったのかも知れない。
父さんがいなくなってから、前世……『京さん』を、単なる過去ではないと感じるようになった。
自分の中を巡る魔糸の有り様。高度な術を使おうと、それに意識を研ぎ澄ますうちに、彼の存在を感じる。
誰とも分かり合えない、言葉にするのも憚られる感覚だけれど、燃え盛る紅蓮の中に、確かに……
「行ってきます」
背を向けた。
乱雑に切った癖のある黒髪を、ひんやりとした微風が撫でていく。
家の前はなだらかな坂になっていて、冬季には雪が押しやすくて便利だ。母さんは植物の手入れを怠らないが、気の早い蕾がようやく膨らみ始める頃合だから、左右の庭は少し殺風景に見える。
萌黄の街、カルカ。
もう少し歩けば賑やかになるけど、祭典や……魔物や賊の襲撃時以外は、物静かな街だ。
石造の門柱に寄りかかっている人影にはっと気づいて、早足になる。そういえば、迎えに来るって言っていた……
「フィーユ」
「お。やっと来た、彩付きの大型新人くん」
清水の落ちるようにまっすぐで艶やかな、ピンクブロンドのロングヘアを揺らして振り返ったのは、フィーユ・ドレスリート。
お隣さん……と言っても、ドレスリートは地元の名士。我が家とは比べ物にもならないくらい格調高いお屋敷に住む、半月だけ歳上の幼馴染だ。
「……聞いてたのか?」
「どんな情報であれ、利害関係がはっきりしないうちは誰とも取引しない主義なの」
低めの身長と華奢な体型のわりに実りすぎた胸を反らす。聞いていたな、これは。
「そ、れ、で。ほっほ~う……なっるほど~?」
フィーユは少し前屈みになり、翡翠色のくりっとした二重瞼の瞳を半目にして、俺の上から下までを眺める。口元のにやにやを隠す気が全くない。
ちょっとムッとして、
「……似合わないって?」
「いつも機能性重視、デザイン性皆無の訓練着でうろうろしてたから、新鮮ではあるわね」
「新鮮、か……」
「ま、悪くない。行こう! きみは嫌でも注目を浴びる身、だからこそさりげなく努力を見せつけること。まずは、誰よりも早く到着して心象を美化っ」
くるん、と勢いよく背を向けたものだから、危うくご自慢の髪に引っ叩かれるところだった。
フィーユ……俺と同様に制服姿だが、自分好みにカスタムしてショートパンツにタイツを組み合わせている。いつも溌剌としているが、いつにも増して軽やかなステップだ。
彼女は登録戦闘員でもあるが、基本的には受付係として、俺より一足先にギルドで勤務している。有能かつ綺麗だと評判で、早くも看板娘の地位を勝ち取っているらしいから、一緒にいたら無名だろうと嫉妬されて心象が悪化するような気もする。
置いていかれないようにしつつ、勝気な彼女の対抗心を燃やさないようにしつつ、初出勤の道を行く。
……はあ。
ここから先は、師匠とマンツーマンで過ごした日々とは違う。鍛錬は死ぬほどきつかったし、うっかり殺されそうになったことは両手両足の指の数じゃ足りないけれど、師匠に俺を殺す気はなかった……と思いたい。
特に、俺には人間相手に命のやりとりをした経験が、まだない。そんな奴に彩を付けて、いきなり準一級での採用だなんて、ちょっと大袈裟すぎるような……? 喉の奥でぼやいてみる。
気が重い……とにかく重い。それでも決まってしまったものは仕方がない。
死にたくないから、生き残る。なるべく危険を回避して、どんな危険な任務を回されようと生き残って、そこそこに信頼を得る。そしてそこそこ融通が利くようになったら、あわよくば……
『京さん』の言葉を思い出す。
紅蓮の炎の中でゆらめく黒影は、こう言ったのだ。
「就職? ……とりあえず、事務職希望で。
英雄とか無理、平穏に……今度こそ、長生きしたいし」
はじめまして!
本作にご興味をお持ちいただき、ありがとうございます!
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もちろん強制ではありませんが、書く力になりますので、ぜひ。
紫波 すい




