『婚約破棄対応マニュアル』を購入した令嬢の侍女の余計な話
この作品は『婚約破棄ブームと聞いて不安になった令嬢、『婚約破棄対応マニュアル』を大金で購入してからはおかげさまで毎日が幸せです』(https://ncode.syosetu.com/n4172hd/)
をたくさんのかたによんでいただけたことにテンション上げた作者が喜びのままに書いた番外編です。
単独で楽しめるよう書いたつもりですが、そうなっていなければ本当にすみません。
「ステラレル=カモシレーヌ! お前との婚約は破棄し、お前の妹と婚約する!」
「え! えええええええええ!?」
学園の卒業パーティーはまだ始まったばかり。
なのに、彼女はもう退場の時間のようです。
彼女の目の前には、彼女の婚約者。誰もが目をひかれてしまうと言われる美しい金色の髪を揺らし、獅子さえもひれ伏すような強い意志を感じさせると言われている金色の瞳が彼女を睨みつけています。
そして、その横で腕を絡ませているのが彼女の妹。紅茶色のふんわりと柔らかそうな髪に包まれた小さな顔からはみ出しそうな翠玉の瞳であざ笑うようにやはり彼女を見ています。
その両者の視線の先に居るのが、ダークブラウンの真っ直ぐな髪、モスグリーンの瞳の女性が、私が仕える主、ステラレル様です。
お嬢様は、震える声でウワキスル殿下に問います。
「な、何故私が捨てられるのでしょうか」
「捨てられるとは人聞きの悪い! 婚約を破棄するのだ、それも正当な理由で!」
正当な理由? 私には心当たりがありません。何故ステラレル様が?
一体お嬢様が何をし、何がいけなかったのか。
お嬢様もまたその結論に思い至ったのでしょう。意を決して婚約者に問いかけます。
「その、正当な理由とは……?」
「それは……焼き芋だ」
私は、がばっと顔をあげます。
良かった。夢でしたか。
外を見ればまだ十分に時間はある様子。さあ、続きをやらなければ。
それにしても……あんな夢を見たのは、きっと昨日のお茶会のせいでしょう。
お嬢様がお呼びしたある令嬢の余計な話。
婚約破棄ブーム。
近年では、貴族の間でそのようなものが流行っているとか。
卒業パーティーや婚約発表の場で、婚約した令嬢を捨て、新たな恋人と婚約すること、しかも、その令嬢の妹や、突如現れた聖女と出来たら最高点なんだそうです。なんでしょう最高点って。
冗談みたいな話ですが、お嬢様は笑い飛ばすことは出来ていないようでした。
(久しぶりに見たな……お嬢様のあの顔)
少し俯きがちになって、口元に手を当てる。
目は大きく揺れて、うっすらと濡れているように見えた。
昔は、捨てられる子犬のようだとよく思ったものだ。
まさしく、捨てられるかもしれないと考えていたのだろう。
婚約者が婚約破棄ブームに乗せられてしまったらどうしようと。
お嬢様の考えることは手に取るように分かる。
子供の頃から一緒だったのだから。
********
「余計なことはするな」
私は、そう言った。
言ったはずだった。
いや、言った。間違いなく。
なのに、
「いい!? 諦めて死ぬんじゃないわよ! 諦めたらころすからね!」
「おかあさま、が、が、がんばってー!?」
何故こいつらは付きまとう。
腕まくりをしたダークブラウンの髪を纏めた大人の女、そして、その傍らには同じ髪色の少女。その周りには、何人かの大人がいて二人の周りで喚いている。
大きい女は、紫の術式がいくつも浮かぶ私の身体を触っている。助けようとするためらしい。
無駄だ。これは、そう簡単に解けるものではない。病呪と呼ばれる、闇魔法だ。外部から出なく内部から破壊する為『病呪』。血液と同じく身体の中を流れる魔素をおかしくさせ、燃えるような熱さで魔脈を走り、最後に魔核を蝕み、全身を沸騰させ、命を絶つ。そして、最後には灰が残る。
何故わかるのか。私が教えられ使ったからだ。
先程、襲った暗殺対象は強かった。勝てる要素がなかった。
だから、使った。首に掛けられたペンダントにぶらさがる筒。これは魔法筒と呼ばれる魔法を入れておける魔導具だ。
これを使い、私と暗殺対象は病呪をくらった。私もだ。ヤツに抱きつき、逃げられないよう巻いた腕から放った。
奴は身体を紫に光らせながら崩れ落ちた。しっかり病呪が発動していることを確認して私は離れた。長年の癖だろう。すぐ死ぬとはいえ、暗殺対象の近くで死ぬことが耐えられなかった。
そうして、たどり着いた裏路地でうめき声をあげながら、死を覚悟したその時。
「いたー!」
大通りの方から指をさす少女。遅れてやってきた大きい女と他の男たち。
そこからは私にとって理解不能な光景だった。
少女に遅れてやってきた大きい女が私に掴みかかろうとし、それをとめる周りの人間。
最後には、大きい女が周りの人間を何人か殴って、私のところにやってきた。
そして、今。
大きい女は、私を助けようとしているらしい。
病呪の治療法はある。体中に流れる魔素。その流れである魔脈。そして、その大元である魔核。この魔核が病呪の紫の魔力に染め上げられたらもう助かる見込みはない。だから、魔核に病呪を跳ね返すほどの魔力を込めればいい。しかし、それが難しい理由が二つある。
一つは、罹った本人は病呪の影響で強い魔力を練ることが出来ないこと。
そしてもう一つは、魔核の位置は本人にも分からないこと。魔核は普通の臓器と違って、その日の魔素の流れによって、自分の体の中を自由に漂っている。他人が魔核に魔力を注ごうにも位置が分からなければ不可能だ。そして、病呪は侵された魔脈を触ればそこから感染する。ピンポイントで魔核を当てなければならない。
よって、基本的に助かる方法はない。だからこそ、私たちは最後の手段でこれを使う。
「無駄だ。病呪を治せる者などこの世にほとんどいない。余計なことはしないほうがいい」
私がもう一度警告すると、大きい女は、とてつもなく口角をあげて笑った。
「余計なお世話がアタシの特技なのよ!」
大きい女はそう言うと、己の魔力を目に集めた。そして……私の侵された魔脈を避けて魔核に触ったようだ。熱かったからだがあたたかくなっていく……。
「驚いた? アタシはね、そういう目を持っているのよ」
大きい女の緑に輝く瞳。それに映る自分が瞼を閉じようとしている。
そこで、私の意識は途切れた。
その後、私は大きな屋敷の大きなベッドで目を覚ます。
ここはカモシレーヌ家らしい。聞いたことはある。様々な改革を試み、どんどんと力をつけ、今となってはこの国有数の実力者だと。
私を助けたあの大きな女は、この家の主の妻、名をヨケラレル=カモシレーヌというらしい。
小さい方の女は、ステラレル=カモシレーヌ。娘だそうだ。
その二人が、自分たちの紹介をした後に、私に聞いてくる。
「アナタの名前は?」
名前……そんなものはなかった。余計なものらしいからだ。
私が育ったのは、この国の端にある小さな街だ。その街は、農業を主としている、ように見せかけ、裏では、暗殺を請け負っていた。街の領主は、生きるためだと言っていた。
生きる為には余計なものはいらないと名前を与えなかった。私たちは名もなきままに鍛えられ、指示を受け、人を殺した。一人で向かい一人で殺す。帰ってこなければ、もう一人送る。また帰ってこなければもう一人。私は、運が良かったのかなかなか死ななかった。いや、運の尽きだと思っていた。この二人に助けられるまでは。
私は名前がないこと。そして、帰るところがないことを伝えた。
失敗すれば胸元の魔法筒の病呪で死ぬ。そこまでしか教えられていなかった。病呪に罹りながら助かってしまった場合はどうすればいいのか分からなかった。そして、何より、帰りたくなかった。何故なのかは分からない。そのことを考えると何かが邪魔をして頭の中がぐちゃぐちゃになった。
それを聞いたステラレルは、ヨケラレルにあの潤んだ瞳を向けながら言った。
「ここにいてもらっちゃ、ダメですか?」
「余計なことはしなくていい」
思わず言っていた。帰りたくないはずなのに何故。潤んだ瞳がこちらに向く。その目をやめてほしい。その目は私をぐちゃぐちゃにする。逸らすように視線をずらすと、大きく口角をあげたヨケラレルが言った。
「言ったでしょ、余計なお世話がアタシの特技。そんでもって、アタシの娘の特技。ね? ステラレル?」
私の視線を受けたヨケラレルは、今度はその緑の瞳をステラレルに向ける。私に向けていたモスグリーンの瞳をヨケラレルの方に映しぱあっと顔を輝かせると、再びこちらにそのままの顔で向いてくる。
「はい! よけいなおせわです!」
意味が分かっていないのだろう、ヨケラレルの言葉を繰り返すステラレル。私は、この会話に論理は通用しないと諦めることにした。多分、それが一番合理的だ。
それから私は、暫くはヨケラレルの侍女見習いとして育てられることになった。
名前は、ヨケーナ。意味は知らない。
ただ、病呪によって体は酷く弱っていた為、暫くは回復に集中することとなった。
ゆっくりと眠り、食事をし、身体を少しずつ動かした。
食事は、ステラレルが何故か持ってきた。
貴族の常識を知らないが、こういうことはそれこそ侍女や使用人の仕事ではないのだろうか。それに、身体が動かないわけではない。元々鍛えているので痛みや疲労は耐えられる。
「だから、余計なことはしなくていい」
そう言うと、ステラレルは決まって潤んだ瞳を向けてくる。
やめてほしい。本当にその目が苦手だ。どうしようもなくなる。
なので、諦める。これ以上の議論は無駄だからだ。
黙って受け取り、食べることにする。大体は野菜のスープだった。
「あのね、これはにんじんです。これはじゃがいもです」
ステラレルは何が入っているか説明してくる。私は、それを黙って聞く。それが一番合理的だからだ。野菜は知っている。
あの街では、毎月野菜にまつわる祭りなどが行われた。他では行われないらしい。
何故行うのかを領主が説明したことがあった。
「真っ当な人間は必要のないことをする、おかしなことをするおかしな街だと思う。おかしなことは理解できない。理解できなければ理解しようとしなくなる。そこに隙が生まれる。余計なことの中に必要なことを隠すのだ」
領主は、そう言うと、ごろんと私の方に転がってきた。あまりにも無防備。何故だ。何が狙いだ。尻をついたままの領主がこちらを向く。右手の中指に糸がかかっている。
それに気付いた時には、私の耳の端は裂かれていた。
糸の先にはナイフがあった。暗殺武器の一種だった。
「何故私が前回りをしたか意味がわかるか」
私は首を横に振った。どんなに深く考えても答えが出なかった。
「意味が分からなくて正解だ。意味がないから意味がある。お前はあのまま前回りをしている私を殺すことも出来た。けれど、死の可能性が限りなく高い行動をしたことに何か意味を探した。しかし、意味は見つからなかった。意味が分からず対応できなくなった。だから、やられた。無意味の中に意味を作り出せ。そうすれば、お前たちはよりうまくやれる」
周りの何人かは理解できたようだが私には理解できなかった。だから、私は戦闘中の理解不能な相手の行動に対しては理解を可能な限り早く諦め行動するようにした。ただ、野菜祭りは必要なことらしいのですべて覚えるようにはした。
だから、野菜は知っている。だから、野菜は知っているといったのだが、ステラレルは構わず私に野菜のスープを持ってきては野菜の話をした。ステラレルのことは分からなかった。
そうして、徐々に身体の機能を取り戻した私は、ヨケラレルの侍女見習いとして教育を受け始めた。特に難しいことはなく、覚えてそれを繰り返せばいいだけだった。余計なことをせず、ただ教えられたとおりに。それは、私の今までやってきたことに近しく、私にとって心地よい時間だった。ただ、時折ステラレルがその様子を眺めに来ていたのだけは私の何かを乱し苦手だった。
「あの子ね、ようやく令嬢としての教育を頑張り始めたのよ。アナタのお陰ね」
何故私のお陰なのかは分からない。私は、私の受けるべき侍女教育を受け、それをこなすだけだ。ステラレルは関係ない。あの街でも、自分の成長は自分次第であり、他人は関係なかった。
そうして、ヨケラレル様の侍女見習いとして暫くの時間が経つと、私は違う仕事を命じられることとなった。
「あなたは、明日からステラレルの専属侍女として働いてもらうわ。……って、そんな嫌そうにしなくても」
表情は変わってないはずだった。だが、確かにステラレル様の専属侍女は避けたかった。
私にはステラレル様が理解不能の塊だった。
ステラレル様は、周りから『期待外れ』と言われていた。何故なら、ステラレル様は、ヨケラレル様の持つ目を持っていなかったからだ。
スキル〔先見の眼〕。それがヨケラレル様の持つ不思議な力だった。元々ヨケラレル様は、占術士の家系で、貴族は飽くまで客として見ていたらしい。
「けどね、デキル様が言うのよ! キミが必要なんだってキミがいれば私はなんだって出来る気がするって! きゃー!」
私はこの話を侍女見習いの時に何十回と聞かされた。私の中で最も余計な話だ。
それはさておき、ヨケラレル様のその眼は『災いを躱すことの出来る眼』らしい、不幸になる方向や誰かが自分を狙う殺意が赤い線で見えるらしいのだ。私の病呪に侵された魔脈を診ることが出来たのもこの力らしい。
そして、貴族の血を引かないながらも、その力が説得材料となり、ヨケラレル様は結婚を認められた。この国の王家が元々は貴族ではなかったこともあり、実力等が重要視されていたのも背景にあったのだろう。結婚し、すぐに子供が生まれた。
しかし、生まれた長女であるステラレル様はその力を引き継いでこなかった。
生まれてすぐスキル鑑定士に鑑定されたが、何のスキルも持っていなかったそうだ。
そして、ステラレル様は、家の中を除いて他では「期待外れ」と嘲笑された。
ステラレル。それは『星の導き』という意味らしい。期待を込めてつけられた名前もより失望を大きくさせたのだろう。次に生まれたウバエル様は、両親の意向を無視し、そのデキル様の親によって決められたらしい。そして、ウバエル様は、少なくとも外見は非常に整った子で周りからも誉めそやされた。
ウバエル様の存在、そして、年を重ねていっても、特筆すべき才能の兆しも見えなかったことで、より「期待外れ」の声は大きくなったらしい。
あの街では「期待外れ」は死んだ。あっけなく。そして、期待外れ自身も諦めていた。
しかし、ステラレル様は諦めなかった。正確に言うと、私が来た頃から、見違えるほどの成長を見せたらしいのだが、とにかく諦めなかった。
意味が分からない。死を受け入れたほうが楽ではないか。
そして、能力が足りないのであれば、高める為だけに時間を使えばいいのに、私の所に度々やってきた。私が突き放すとあの潤んだ瞳を向けてくるので、諦めた。そうすると、ステラレル様は今日学んだことを、口角を思い切り上げて話した。私は間違いや改善点などを伝える。
初めて私がそれを伝えたときは泣き始めた。私は理解が出来なかった。何故泣いた。私は最善の行動として侍女達から子供を泣き止ませる方法を思い出し、あの街の野菜踊りを踊った。歌や踊りが良いと聞いていたからだ。すると、ステラレル様はそれを見て、けらけらと笑いだし泣き止んだ。野菜祭りの踊りはやはり覚える意味があった。
その後、ステラレル様はうれしくて泣いたと言っていたが意味が分からなかった。そして、それを切欠にそのあともステラレル様が学んだことを話しに訪れるようになったので、私は大きな失敗を犯したと後悔した。私の後悔が積み重なっていくと同時に、ステラレル様の能力はどんどんと高まっていった。徐々に期待外れの声は小さくなっていき、同世代の令嬢の中でも群を抜く能力の持ち主と言われていた。それでも、本人は過去の経験からか不安そうな様子を見せていたが。
ステラレル様は、自分で何でもできる方だ。私は必要ない。そして、私はステラレル様が苦手だ。あの人の近くにいると、ぐちゃぐちゃになる。
「それは、苦手とはまた違うと思うんだけどねえ。とにかく! アナタは明日からステラレルの専属侍女! これ決定事項だから! よろしくね!」
ヨケラレル様はそう言って、私をステラレル様の専属侍女にしてしまいました。
最初はとにかく、静かに必要なことだけをやるよう努めました。
しかし、ステラレル様は、必要以上にこちらに話しかけ、意味のない会話をしようとするのです。
私はそういった類が理解できず、何も返すことが出来なませんでした。
それを繰り返すうちにどんどんとステラレル様の顔が曇っていったようで、私は侍女としての仕事が出来ていないことを理解しました。
そして、私は野菜踊りを踊ることにしました。
ステラレル様は最初の頃は良く笑ってくれていましたが、段々と「余計なことはしなくていいわ」とさけるようになっていきました。とても使える方法を見つけた。そう私は思いました。積極的に野菜踊りを見せていけば、私が困ることがない。
それでも時折沈んだ顔を見せる時には野菜踊りで涙を流すくらい笑ったりはしていましたよ。私には違いが分かりませんでしたが、野菜踊りをしておけば大抵のことはなんとかなりました。
業務は全く問題ありません。元々ステラレル様が優秀であるし、私も覚えられることは全て覚えたし、あの街で覚えた技術が十分に役に立ったのです。くだらないことをしてくるウバエル様や他の令嬢たちをけん制出来たし、ステラレル様に必要な情報を簡単に集めることも出来たというわけです。
そして、「期待外れ」と言われたステラレル様は国で一番の女性となるのでした。
「ヨケーナ……どうしましょう。私、王子と、ウワキスル=ハズガナイ殿下と……」
ステラレル様は、この国で一番の才女。そして、カモシレーヌ家は、デキル様の実力とヨケラレル様のスキルにより王家に匹敵する力を持っています。この婚約は非常に合理的でステラレル様が悩むことは何もないはず。何もない。
だから、
「私は、ステラレル様の専属侍女を辞め、この屋敷を出ようと思います」
「いきなり無茶苦茶言うわね、アナタ」
私は、ヨケラレル様のお部屋にお願いに上がりました。
ヨケラレル様は、相変わらず貴族とは思えないような恰好で私の話を聞いています。
「一応聞くけど、なんで?」
「ステラレル様はこの国の王妃となられるお方です。ヨケラレル様ならお気づきでしょう。私は……私は、人の心が分かりません。人の心を理解すべき方のお傍に私のような者がいるべきではありません」
ヨケラレル様は、緑色の瞳で私をしっかりと見つめます。
普段はおちゃらけていて、必要ないものを買っては侍女長に怒られている姿からは想像がつかないほど真剣な表情でした。
「分かった。私はね。でも、ステラレル、アナタはどう?」
私が振り返ると、ステラレル様がそこにいました。いつの間に。
「アナタが気づかないなんて、よっぽどね」
後ろからヨケラレル様の声が聞こえますが、それどころではありません。
何故、いつから、どこまで聞いて、私はどうすれば、何故、何を言えば、どう思ったのだろうか、何故、いつから。
私の頭は正常に働いてくれませんでした。今まで一番ぐちゃぐちゃに。
その理由は、ステラレル様の目です。いつもの潤んだ瞳ではなく。凪のように何も揺らぐことなくこちらを見つめていました。
ステラレル様の潤んだ揺らめく瞳のことは長年傍にいて漸く理解出来始めていました。
ステラレル様の捨てられた子犬のような目は、捨てられるという恐怖ではなく、不安な気持ちとそれを越えようという勇気の現れであり、不安な気持ちを乗り越えたときステラレル様は何倍にも成長するのです。でも、今私に向けられている目ははじめての……。
「す、ステラレル様……」
私はもうぐちゃぐちゃです。これ以上、ステラレル様に会いたくなかった。
今のステラレル様に会えば会うほど私は……
「ヨケーナは……私のことが、嫌いになったのですか?」
私は、今、彼女の瞳に映っている私は、彼女と同じ目をしていました。この感情はなんなのでしょう。でも、もうやめてほしい。私はぐちゃぐちゃなのだから、これ以上、ぐちゃぐちゃになれば私はきっと彼女を。
「よーし! じゃあ、買い物に行こうか!」
ぱん! と手を叩き、ヨケラレル様が言いました。
「何故? 何の意味が?」
「私が行きたいから。あ、また余計なもの買うと思ってるんでしょ~? 買わないわよ。私が余計だと思うものはね。それに、もし、本当に出ていくというのなら、贈り物のひとつくらいさせて頂戴な、ね?」
私は、頷くほかありませんでした。今、何をすべきか分からなくなっている以上、この場を離れ、少しでも落ち着くべきだと考えたからです。
「かしこまりました。では、馬車の手配を」
「いい、いい! ゆっくり歩いていきましょう!」
そして、私とヨケラレル様、ステラレル様は、供を連れて買い物に出かけることとなりました。最後の買い物に。
買い物自体は特に何事もなく終わりました。
ヨケラレル様はいつも通り、余計なものを買い込んでいましたし、私はヨケラレル様の勧められるものを頂くだけ。ステラレル様は一言も喋ることなく私を見つめているだけでした。
そして、帰り道。
恐らく、ステラレル様が何かを言ってくるでしょう。私はどんどんと自分がぐちゃぐちゃになるのを感じます。何故私はこんなにもぐちゃぐちゃになるのか。すると
「ヨケーナ!!!!」
私が驚くような大声でステラレル様が私を呼びます。そして、私を突き飛ばし……ステラレル様は紫の光に包まれてしまいました。これは……
「あーはっはっはっは! おい! そんなお嬢様が気づいた魔法筒を避けられないなんて随分と腕が落ちたなあ!」
声の主を見ると、それは……あの街で同じように育った名のない人間でした。
「お前……今、何をした?」
「何って、分かるだろう。『焼き芋』だよ」
それは隠語でした。あの街の私たちだけに通じる。普通に使う野菜の名前。でも、私たちにとってこの状況で使うそれらの名前は『殺し方』の名前でした。
そして、『焼き芋』は、紫の魔力で身体が焼けていく……病呪でした。
「おまえええええええええええええ!!!!!」
私は、叫んでいました。護身用の短刀を構え、ヤツを視界にとらえようとした瞬間、両足を貫かれていました。そして、周りのお供もみな足を封じられてしまいました。実力が違い過ぎる。こんなにも……?
「刺し殺す……『人参』だ。覚えているよな、お前が一番上手だった。なのに、どうだ。俺の攻撃すら避けられない。やはり心なんてのは邪魔でしかない! そうだろう!」
「こころ?」
「それすらも気づいてねえのかよ! お前は! その家で、ぬるま湯につかり、名前を手に入れ、心を手に入れたんだ。結果、弱くなった。惨め惨め惨め! 期待外れだ。消えろよ」
ヤツが刺殺用の暗器を私に飛ばします。私は……先ほどのヤツの言葉がささったように動けませんでした。そして……ヨケラレル様が目の前に居ました。
「ぐ! か、かは……!」
「なん、で……」
ヤツの暗器はヨケラレル様の身体を深くえぐり、更にその勢いで、私の所まで飛ばしてしまいました。私は、ヨケラレル様を抱えた状態でぼーっとしていました。
「なんで? こんな、余計なことを……狙われたのは私なのに……」
「言ってるでしょ、余計なお世話は私の特技なの……それに、余計な、ことなんかじゃないわよ……親が子を守るのは」
「親……? 子……?」
意味がわかりません。
「ヨケラレルのラレル、『道』はステラレルに、そして、ヨケ、『魔を退ける』はあなた、ヨケーナに、2人とも、私の大事な子よ……!」
あ、勿論、ウバエルもね、とおどけるヨケラレル様ですが、笑えません。笑えませんよ。
なんだ? なんだ? この、目から溢れるものは。
視界を防ぐな、不利になる。余計な……よけい、な……ものなんかじゃない。
「お願いがあるの……」
「……何?」
「一度でいいから、『お母さん』って呼んでみてくれない?」
「なんで?」
「なんでダメ?」
「……お、お母さん」
「ふふ……ヨケーナ」
そして、そのまま瞳を閉じて、もう喋ってはくれなくなりました。
意味が分かりません。スキルで危険を避けられるんです。
危険が赤い光の線にって
赤い光の線が見えるって……
ああ、そうか……避けられない、避けることが出来ないのは実力だけではないんだな。
心が避けさせてくれないことがあるのか。
それが、分かってしまった。だって、私は今、
避けるべき強敵との戦闘を行おうとしていて、そして、それに勝利して、助かる見込みが僅かなこの人たちを救いたいと思ってしまっている!
「ふ、ふふふ……ほらなあ、心なんて余計なものがあるから、動きが鈍る判断が鈍る腕が鈍る。お前なっ……」
言い終わる前にヤツの顔面に拳を振りぬく。
潰れた蛙のような声をあげてヤツが飛んでいく。
不思議だ。過去の経験、そして、現在の環境の違いから私が勝てる見込みなどなかったように思う。けれど、どうだろう。いや、勝てる勝てないなど今頭にない。あるのは。
「ヤツを倒して、二人を助ける」
合理的な計算ではない、非合理な希望だ。
しかし、その非合理な希望に応えるかのように、非合理な魔力が私を包む。
けれど、これが何か私には分かった。多分、これが『心』だ。
向こうでヤツが何かを叫んでいる。こちらに駆けてくる。
私は拳を引き、ヤツを見る。止まった。振りぬく!
その瞬間、ヤツは理解できないと言いたそうな表情を浮かべ、その場に崩れ落ちた。
終わった。戦いは。でも、まだ終わっていない。
ステラレル様の傍に駆けだす。せめて、ステラレル様だけでも!
魔脈と、その魔核が見えれば、対処は出来る。見えれば……!
けれど、どんなに目を凝らしても、神に祈っても、見えることはなかった。
どんどんとステラレルの表情は苦しそうになっていく。
もういやだもういやだ。なんでこんなにぐちゃぐちゃにするの。
わたしだけならいい。でも、ステラレルは助けてあげてよ。
私を救ってくれたステラレル。弱った私の所に毎日ごはんを持ってきてくれたステラレル。
野菜を説明することで私に話しかけてくれたステラレル。私の侍女教育を応援してくれたステラレル。諦めない美しさを教えてくれたステラレル。私を傍に置いてくれたステラレル。
私が離れることを悲しんでくれたステラレル。不思議な力がなくてもすごいステラレル。
「あの子はね、もしかしたら光の線っていう具体的なものじゃなくて、本能的に感じ取れてるのかもしれない」
前に、ヨケラレル様は、ステラレル様に不思議な力がないことに対しそう言っていた。
「あの子は本能で道を歩いているように見える。そして、その道は、私には『傷つく道』、避けるべき道に見えるのだけど、があの子にとっては『傷ついたとしてもより良い結果を導く道』だったりするのかもしれないなって」
自分が傷ついてもみんなが幸せになる道を探しているステラレル。
やさしくてつよくて大好きなステラレル。
もし、お母さんの言葉が本当なら
私を助けたことが彼女にとって、より良い結果を導く道だったなら!
「今、私がいる価値がなくて、私は何のために生きているのよおおお! お願い! 負けないでステラレルゥウウウウ!」
そう叫ぶと、ステラレルは閉じかけた目を開いて
「泣かないで、ヨケー、ナ」
私の名前を、呼んでくれた。
すると、ステラレルの身体が光り始め……。
見える……! ステラレルの身体を通る魔脈が、そして、魔脈の中心に光り輝く核が……。
魔脈は紫に染まりながらも、魔核は強く美しく緑色に輝いていた。
私たち、二人なら……!
「「あなたを助けられる……!」」
あなたと……ステラレル……手を取り合えばどんな困難だって乗り越えられるわ。
ああ、貴女の言った通りです。乗り越えられる、乗り越えてみせる!
私は、自分のすべてを込めて、彼女の魔核に注ぎ込んだ。
********
その後、本当に大変でした。
ステラレル様は昔の私と同じように暫く寝込み、毎日のようにウワキスル殿下が訪れ、瀕死だったヨケラレル様は間一髪で急所を避けたそうなのですが、度々部屋を抜け出してデキル様に会いに行こうとしていました。ヨケラレル様はあの買い物のときに買った良く分からないものが避けるのに一役かってくれたらしいのですが、余計なものじゃなかったでしょうって言ってそれ以来それを理由に余計なものをより買ってくるようになりました。
私が育ったあの街は、簡単に言うと、罪に問われることはありませんでした。あの時、ヤツがやってきたのは、ヤツ自身の判断だったらしいのです。もしかしたら、ヤツも自分に生まれた心に悩んでいたのかもしれません。そして、私がいなくなったあと代替わりをした領主は、私の情報を得て、色々と思うところがあったようで、命を奪うような裏の仕事を辞め本当に農業の街に改革しようとしていたらしいです。しかし、そこでも今までのしがらみがまとわりついていたのですが、それを知った今の王が、国の諜報部として働くことで国の庇護下に入るよう打診したそうです。なので、あそこは今『変な野菜の祭りを頻繁に行っている変な街でありスパイの里』となっています。元々のつながりもあり、私もその情報網を使い、王家とのつなぎをするようになりました。このつながりによってウワキスル殿下がどういう人物か知ることが出来ましたが、全くもって余計なことをしない清廉潔白な人物でした。ふん。
そして、元気になったステラレル様の学園生活が始まり、ウバエル様が時折邪魔をし、ウワキスル殿下が訪れ、友人と楽しそうに過ごし、それでも不安な、でも、それを乗り越えようとするステラレル様の、あの潤んだ瞳をまた見ることとなったのです。婚約破棄ブームという言葉によって。
(本当に久しぶりに見たな……ステラレル様のあの顔)
私は再び机に向かいます。私はステラレル様の為に、急いで婚約破棄に関する情報を集めた本を作ってみました。国の諜報部も使って集めた情報なのでかなりの情報量となってしまいました。あと、何故かこのことを知っていたヨケラレル様に伝えられた情報がいくつかあるのですが、大丈夫でしょうか。
いや、きっと大丈夫。
ステラレル様なら、ご自身の目で見極め、みんなが幸せになれる道を歩んでくれるはず。
例え婚約破棄となったとしても、
「私もずっと、傍にいますからね」
私は、集めた情報を纏めた本の最後のページに、私の思いを書いてみました。
書いた後に思う。なんと論理的でない言葉だろう。でも、私は伝えたかった。
『それでも好きならがんばれ』って。
********
やはり、私の作った本は素晴らしかった。
婚約破棄の定番スポット、卒業パーティーでの婚約破棄をステラレル様は見事に乗り越えられました。
ウバエル様は、見事に婚約破棄失敗されてしましたが、あのあと、嫁いだサセル=ワケナイ辺境伯の下で、どうやら幸せに暮らしているそうです。
必要以上のものを望まなくなり、また、負い目なく対等に接し愛情を注いでくれるサセル様に無償の愛を捧げているそうです。思えば、ウバエル様も不幸だったのかもしれません。まあ、あの婚約破棄騒動は自業自得ですが。
そして、様々な騒動を乗り越え、私の目の前には
「ど、どうしましょ~! ヨケーナ」
殿下との結婚発表をするために見事なドレスに身を包んだとんでもなく潤んだ瞳のステラレル様がいらっしゃいます。
「では、僭越ながら私が、祝いの芋踊りを」
「余計なことしないで。それに、それは芋の収穫のお祝いの舞でしょう」
覚えてらっしゃいましたか。そして、笑いましたね。
なら、もう大丈夫でしょう。
ステラレル様は、うん、とうなづくと、ウワキスル様に連れられて進んでいきます。
前に。
前に。
涙が零れました。
何故。
もう分かる。
私にはこれがなんなのか分かっています。
けれど、
「ヨケーナ? どうかした?」
ステラレル様がふと振り返ります。まったくステラレル様は……。
「余興でお見せする予定の泣き玉ねぎ祭りの泣き玉音頭を練習していました」
「……もう、余計なことはしなくていいから。傍にいて頂戴」
「かしこまりました」
そういえば、学園でステラレル様と同じクラスであった隣国の【男装王子】ユーリ=モイケール様が言っていました。
『私は、諦めないよ』と。このお嬢様の顔を見てそれでもあきらめられずにいられるのでしょうか。
それに、私にとっては、諦める諦めないではない。
お嬢様の傍にいる。
それこそが私の……。
それはお嬢様が知る必要のない余計なことだ。
私にとっては余計なことではないだけ。
だから、私は傍にいる。
彼女の傍に。
彼女の幸せを傍で見守り続ける。
さて、二人の旅行の前に、もう一冊書き上げておきましょう。
名前の候補は100で足りるでしょうか。
余計なお世話と言われるかもしれませんが、余計なお世話はヨケーナの特技なのです。
お読みくださりありがとうございました。
思ったのと違うという方いらっしゃったらすみません。
『婚約破棄ブームと聞いて不安になった令嬢、『婚約破棄対応マニュアル』を大金で購入してからはおかげさまで毎日が幸せです』(https://ncode.syosetu.com/n4172hd/)はほぼギャグのお話でしたが、これだけ多くの方に読んでいただけているならウチの子の裏設定も知ってもらいたいという余計な思いで書いてしまいました。続編はもうないと思いますが、作者としては書けてうれしいです。
最後の余談ですが、カモシレーヌは『来訪者』、ワケナイは『防ぐ騎士』、ハズガナイは『古き騎士』という意味です。オーニナラナイという期待外れの意味を込めた名前をつけた子が大成したことで、ハズガナイが『~無き騎士』に転じ、あまりよろしくない名前をつける変わった名付け方が始まったそうです。ハズガナイ王家の名前の意味は大体日本語に近いようです。