華見
「何故人間は地下世界に潜ってしまったのだろうね?」
浄化という単語さえ知らず、地表の異常災害を地下に潜る事で克服した人類は、安穏と日々を過ごしている。
地下世界の中は地表の重力、気圧に合わせられ。
今、二人の男女が桜の木の下で座り、談話出来るのもそのためである。
もっとも、女性の方は生きてなどいない。
いわゆる幽霊のたぐいであり。
特徴的な髪は腰まで届くほど長く、墨色。
典型的な和風美人では有るのだが、幽霊にしては柳の木の下が兎にも角にも似合わない。
強いて言うならば、空に向かってただひたすらに枝を伸ばす木々の美しさ。
弱々しい儚さは無く、踏まれても不屈で立ち上がる雄々しい美。
正直、そこらへんの生者よりも生者らしい。
それでも人は彼女を幽霊と呼ぶだろう。
決して花を咲かせない葉桜に憑いた地縛霊。
彼女はその桜の周りから動くことが出来ないのだから。
「神どもの力が地下には届かないからだろ」
桜に憑いた幽霊に何とはなしに答えたのは少年。
杯を片手に葉桜で花見とは自堕落の極み。
それ以前に年歯も行かぬような外見だが、酒は飲み慣れているようだ。
先程の一献で一升瓶が空いている。
「それならば何故、地下には神々の力とやらが届かないのだろうね?」
少年は空いた一升瓶を袋に入れながら、新しい一升瓶を取り出す。
それを手酌しようとしたとき、幽霊の手は一升瓶を取り上げ。
微笑みと共に酌をする。
美人の酌は下衆なツマミに勝る。
増してや微笑み、ツマミなど要らない。
「地下は冥府の領域だ。
支配者は泰山夫君か、閻魔か、呼び方なんぞは知らんが、この場は死者の国となる。
太極図を見れば解る通り。
対極するのだから手が出ないのでは無く、出さぬのが道理。
言うなれば、地下に潜った人間は陰中の陽となった訳だな」
受けた一献をぐいっと飲み干し、豪快に袖で口元を拭うと。
幽霊に杯を突き出し、受け取らせる。
持っていた一升瓶を杯と交換するように受け取ると。
挑発するような笑みを浮かべて酌をする。
「成る程。
じゃあ、地下で陰中の陰はどなた様。
死者の国っていうのだから、やはりボクたち霊魂かな?」
返杯を余裕の表情で受ける桜の幽霊。
返す杯と共に吐き出された言葉は、挑発するような響きを含み。
見る者によっては妖艶と思わせる流し目はなかなかの物であった。
もっとも少年は目を細めて笑うだけで、動じない。
「無論、霊魂も陰中の陰。
だが、霊魂は人を脅かすのが役目。
人を脅かすのは何時の時代もぼくらの役目」
先程から繰り返される返杯は止まる事無く。
酒の水面に揺れる桜の丸い葉に月を思い浮かべながら。
先程と同じように躊躇なく一瞬で杯を干す。
「ぼくら、鬼の役目」
少年が自分の言葉に楽しそうに笑うと二本の角が合わせるように踊る。
それを見て杯を受け取りながら苦笑する桜の幽霊。
何時の時代も酒と人間の好きな鬼らしさに呆れながらも、酌を受ける。
その杯、飲み干そうとし。
ふと口を付ける前に杯が止まった。
「なんでさっさと人間たちにご退場願わなかったんだい?」
地下世界が出来て一年。
今の所、この地下世界で人間たちに安穏と過ごしている。
やろうと思えば直ぐにでも人間など、駆逐出来たであろうに。
疑問といえば確かに疑問。
それに対して鬼の少年は。
「まぁ、それは何時でもできる。
それよりも桜の華があるのに、呑まないのは無粋だろう?」
と、可笑しそうに笑うだけ。
釈然としないまま杯を飲み干し、少年に杯を返す幽霊。
「この桜、花なんて咲いていないけど?」
笑い続ける笑みを崩さぬまま、杯を受け取り。
酌もそこそこに受けると今まで一番豪快に杯を干す。
本当に楽しそうに酒を飲み干すと。
無邪気さで見惚れる程の笑みと共に。
幽霊の手に杯を乗せ。
肩口でぼそりと一言、つぶやいた。
「咲く花など、君という華に比べるまでもない」
幽霊の手から杯が地面に落ち、カランっと乾いた音が鳴った。
八回目の差し替え。
『下らない話』をこの話と入れ替えで削除。
ストーリーは『ひとことでは話せない』の前日談を想像して。
書いていて、このオチは照れる。
恋愛作家とか、すげーよ。
マジで小説家になろうで恋愛書いてる人、すげー。




