玄関開けたら公爵令嬢
あれは、十二月の雪の日の出来事だった。いつものように仕事をしてからの帰り道の出来事だ。突然、頭の中に声が聞こえてきた。
来るな……来るな……。と繰り返し聞こえてくるだけだったのが、家に近づくにつれて他の言葉も混ざり始めた。殺される、奪われる、敵が来る、などの不穏な単語が、近づけば近づくほどより大きく、早く、だんだん単語同士が重なって聞こえるようになっていった。
第一の異常がその”声”。そして、すぐに第二の異常が訪れる。家の鍵が開いていたのだ。 自慢では無いが記憶力には自信がある。誓って施錠し忘れたということはない。
おかしいと思いつつ家に入ると、そこには何も無かった。
そう、椅子、ソファー、テーブル、キッチン用品、ラジオ、本棚、机、柱に飾っておいた物まで何も無くなっていた。
仕事道具のライフルを構えつつ二階に上がる。便所、脱衣所、風呂、物置、と確認するが怪しい様子はない。”彼女”と出会ったのは最後に確認した自室だった。
そこには薄汚れた、しかし見るからに仕立てのいいドレスを身に纏い耳当てをした少女がいた。
少女、と言っても外見から実際の年齢はわからない(エルフであれば外見年齢などあてにならないし、吸血鬼であれば死亡した時点から変化しない、高位の龍や悪魔の擬態であればそれこそ外見からは年齢どころか性別もわからない)が、今回の場合は少女だったので問題無い。
未知との遭遇。まさにそう言った言葉が適切な状況だった。俺にとっても、彼女にとっても。最初に言葉を発したのは彼女だった。震える手でペアリングナイフ(野菜の皮むきからフルーツのカッティングまで何かと便利な小型包丁。この家のキッチンにあった物)
を構え「来るな!」と直前まで頭に響いていたのと同じ声で威嚇してきた。俺はライフルを構えていたので威嚇としての効果はまったく期待出来ないが、彼女は必死すぎて気づいていない。
「落ち着け。俺はこの家の住人だ。」
「お前が?この家の主?なら……いや、待って?……うーん……」
少女は幾分か緊張が解けたようすでナイフを下ろし、何やら考え事を始めてしまった。
「お前が、ルイス・ザ・マーダー?」
「人殺しのルイスとは、初対面で随分言うじゃないか」
ルイスはゲルマン起源で「気高き戦い」という意味の男声名。俺の、顔も知らない両親からのただ一つの贈り物。ザ・マーダーってのは昔やんちゃした時の渾名で、今はもうおとなしくしてるのに何故かそう呼ばれる。
「喜べ、ルイス。 ノベランビューテ王国公爵グロスターが娘、アリス・グロスターがお前を頼ってやる」
ノベランビューテのグロスター公爵、ちょっと借りがあって、何かあったら協力するとは言ったけど、まさか公爵殿が一番大事にしてる愛娘がやって来るとは思わなかった。それも護衛一人つけずに。
「あー……その、ミス・グロスター?」
「よそよそしいな。エルシーでいいぞ?」
「いきなり愛称ですか?……それでエルシー。護衛とか付き人とかはいないんですか?」
「あー、それは……ここまでこれたのは私だけだ」
「貴女一人だけですか?一体何に追われてたんです?」
「その言葉遣いはどうにかならないのか?」
「なら貴女も、そんな喋り方では疲れるでしょ?」
「……お互いに自然体でいこう。あと、わざわざ名乗ったんだから、エルシーと呼んでくれてもいいと思うの、友人らしく」
「友人らしく、ねぇ」
作ってるキャラクターと素の喋り方に随分差がある。文面での違い以上に、さっきまでの高圧的な態度から一変してどこか気の抜けた感じがする。
これが俺とこの公爵令嬢兼テレパシー能力者、アリス・グロスターとのファーストコンタクトだった。ちなみに、あの時の声の意味も、なぜ威嚇されたかはわからずじまいだ。
でもまぁ、結局半年たった今も親愛なるエルシーのために朝食を用意しているだから、世の中わからない。
「ルイス……ルイス!」
「ん?あぁ、なに?」
「今日はスクランブルエッグがいいって言ったはず」
「へ?!あ、ごめんエルシー。今日はサニーサイドアップでいいかな?……ベーコンも付けるから」
「しかたないわね。……屋敷にいた時は、もっと豪勢だったんだけど」
「勘弁してよ、俺にそんな金はないんだから。……できた。エルシー、皿とパンを出してくれる?」
「はーい」
半年もすればお互い新しい生活にも慣れる訳でして。今じゃ食事の準備を手伝う公爵令嬢が完成しつつある。
「じゃあ、俺は仕事行ってくるから。何か欲しいものはあるかな?」
「『オートマトンは夢をみる』と『アドルフ・ハイマンの奇想短編集』を買ってきてほしい」
「わかった。他には無い?」
「砥石が切れてきたから、買ってきて」
「りょーかい。じゃあ、行ってきます」
今日も今日とて仕事だ仕事。と言ってもそこまで嫌でもない。さて、俺の勤め先を紹介しよう。ここは傭兵ギルド。ギルドなんて時代遅れな名前だが、何でも創立当時からの名前だから体制が変わっても名前は変えないということらしい。
傭兵ギルドは、登録した傭兵をランク分けして、個人に適した依頼を割り振ってくれる。
職員は全体で八百二十九人だが、俺達傭兵が直接関係があるのは受付職員だけだ。俺の担当は女性人気の高い優男、アイザックだ。
「よおアイザック、ちゃんと飯食ってるか?」
「ルイスこそ、ちゃんと朝ご飯食べて来いよ。悪いけど、今日はまだお前に頼めるような依頼は来てないんだ」
「そうか、ならいつも通りボーっとしてるよ」
「あぁ、そうしてくれ。良い依頼が入ったら声をかけるよ」
受付カウンターから近い窓辺の席、俺の指定席と化している席でくつろいでいると、不意に強く机を叩かれる。
「何だよ、せっかくの美味いカプチーノごこぼれちゃったじゃないか」
「うるせぇ!てめぇみてーな生っチョロいガキが居たんじゃ、小便臭くて仕事が出来ねーぜ!」
「……何が言いたい?」
「何が言いたいだと?てめぇ頭もわりーのか?!耳かっぽじってよぉく聞きやがれ!目障りだから失せろって言ってんだよ!こっちに移ってきたばっかで、ガキに舐められたんじゃあ気がすまねぇぜ!」
「言わせておけば随分勝手言ってくれるじゃないか。俺が目障りだと?ならお前はとびきり耳障りなんだよ!失せるのはお前の方だ!」
「こ、この野郎ッ!言ってわからねぇってんなら一発ぶちのめしてやる!食らいやがれ!」
言うが早いか、男は拳を打ち出してくる。俺が抵抗しないのを良いことに二発、三発と殴り続ける。
「ヒャハハッ、どうしたどうしたァ!手も足も出ねぇのかァ?!」
「……お前の次のセリフは『なんで平然としていられるんだ』という」
「なっ?!なんで平然としていられるんだ?!はッ!てめぇ何をした!」
「ノーダメージなのは物理障壁を展開したから。セリフを当てたのは未来予知だ。そして次のセリフは『だからなんだって言うんだ!』という」
「チクショー!だからなんだって言うんだ!今度こそぶちのめしてやる!」
「いや、残念だが君はここまでだ。会話に気を取られず、もっと注意深く状況を観ていればまだチャンスがあったかもしれないのに。ホールドアップでチェックメイトだ。両手を頭の上に上げてもらおうか?」
ほんの短い会話だが、馬鹿の目を欺いてライフルを取り出すには十分だ。今この男に関する生殺与奪の権利は俺にあると言える。
「こ、降参、降参だ。俺が悪かった。頼む、殺さないでくれ!」
「おいおい、わざわざ人殺しに喧嘩売っておいて、命乞いはないだろう。」
「ま、マーダー?お前が、ルイス・ザ・マーダーなのか?し、知らなかったんだ!本当だ!まさかあのルイス・ザ・マーダーがこんなに若いなんて誰も思わねーだろ?!なぁ!」
「はぁー。まー今回は初犯だし?有り金全部で許してやってもいいよ?」
「あ、有り金って、俺はこの町に越してきたばかりでまだ宿も決めてないんだ。今持ってる分が俺の全財産なんだよ!お前、それをよこせって言うのか?!」
「そうだよ?文句あるの?別にいいんだよ?金出せないならお前の腹に風穴開けるだけだから。」
今更こんな男一人バラすのに躊躇は無いが、ギルドの床を汚して支部長にどやされるのは勘弁だ。素直に金を出してくれるといいのだが。
「おいルイス。こんなところで面倒ごとは困るぜ?」
「……アイザック。喧嘩吹っ掛けてきたのはこの大男だ。俺は相手してるだけ」
「そうか。おい大男、これに懲りて、二度とこんなことするなよな。もういっていいぞ」
「あ、ありがとうございます。さようなら!」
そう言うが早いか、大男はその場を走り去ってしまう。小遣いを稼ぎそびれたが、アイザックも何か用があるみたいだし取り敢えずいいだろう。
「それで?何の用だ?アイザック」
「あぁ、依頼ってわけじゃないんだけどな?隣国ノベランビューテの公爵グロスター卿が戦争反対を理由に国家反逆罪で投獄。ノベランビューテ王国は最上級命令で戦闘準備態勢に移行、だそうだ。」
「グロスター卿が……。ノベランビューテはどこと戦争する気なんだ?」
「それが……グレタンデターナ公国つまり俺達が相手らしい。理由は、なんでもこっちが先に領土侵犯を繰り返して、王国からの警告も無視し続けた事を理由に、半年前から戦争の準備を始めてたらしい」
「半年前から?それにしても領土侵犯ねぇ。じゃあ、俺はギルド動員が始まる前に旅にでも出るよ」
「行く当てあんのか?」
「行く当ては無い。でも守らなきゃいけない人がいる」
「へぇ?依頼か?」
「恩だよ。恩人の愛娘だ」
「そういえば、グロスター公爵の娘が一人、行方不明らしい。関係あるか?」
「想像に任せるよ」
「なら俺の想像が当たってる時のために忠告してやる。王国の奴ら、半年前から必死になってグロスターの娘を探してる。旅に出るなら早めがいいぞ?」
「そうかい?ご忠告痛み入るよ。荷造りしなきゃならない、今日はお暇するよ。」
「おう。生きてまた会おう」
あのグロスター公爵が娘を俺のところに送ってきた時点で何かおかしいと思っていたが、まさか戦争とは。反対者の口を封じたとなると戦闘準備態勢というのも脅しではないはずだ。
早いところ公国を出た方がいい。念のため準備はしてあるし、しばらく暮すだけの金はある。そうと決まれば明日にでも出国だな。エルシーになんて説明すればいいんだ?
まだ時間も早いしあの男に会っていこう。
「ただいまー」
「おかえり。今日は早いのね?」
「ちょっとな。はい、これ今朝言ってた本」
「ありがとう。なにかあったの?」
「最近きな臭いから、しばらく旅に出る。どこか行きたいところはあるか?」
「そーだなぁ……。場所ってわけじゃないけど、私の能力のルーツが気になる」
「ルーツって言っても、俺みたいに誰かに与えられる何てのはレアケースだよ?」
「でも、この力は私のものじゃない。そんな気がするの」
「なるほどね。でも、ただの勘違いかもよ?」
「それならそれでいい。このまま自分の力を疑ったままじゃ、私は自分に対して自信を持つことができない。人としても、貴族としても。」
「貴族として、ね。そういう考え方ができるなら、それだけで立派だと思うけどな」
「そう言ってくれるのは嬉しい。けど、これは私の心の持ちようの問題だから」
「君がそれを望むなら、お供するよ」
そうなると訪ねるのは”メート村の最長老”、リナト村の魔女”、”英知の塔の賢者”辺りだろう。王国領を通れないので、少し遠回りになりそうだ。
ふと時計を見ると、もう七時過ぎだった。
「じゃあ明日の早朝に出発するから、今日はもう寝ようか。」
「夕食は?……お腹すいた」
「そう?ちょっと待って。確かこの辺に……。あった!ミートソースの缶詰があるから、スパゲティを茹でるよ」
「ありがとう」
その後すぐに夕食を終えて、各自(と言っても相部屋だが)速やかに就寝した。
「おい、起きろ、エルシー!早く起きろ!」
「んー……あと五分……」
「ダメだ。もう車が玄関前で待ってるんだ。荷物は積み終わったし、後は君だけなの!」
「はーい……。今着替える」
「おい、エルシー。君そんな服着てくの?」
なんとエルシーはクロゼットの奥からコルセットドレスを取り出したッッ!!
「うん。久しぶりの旅行だから、お気に入りのドレスにする」
「今時間ないから今度にしなさい。……ほら、こっち!こっちのワンピースとジャケットにしよう。君これ似合うんだから」
「はぁい」
「あぁもう!ほら、こっちの袖通す。で、こっちはこう!いい加減ワンピース位自分できてよ」
「むり、私、公爵令嬢だから。上着を着れるようになっただけいいじゃない」
「公爵令嬢としてのプライドはないのかね。はい、出来た。じゃあ行くよ」
「うん、行く」
「ほら、階段あるよ?手、貸そうか?」
「うん、お願い」
その後も椅子をひっくり返したりしつつ、なんとか玄関にたどり着いた。家を出ると愛想のいい笑み浮かべた運転手の男が迎えてくれた。
「すいませんね、お待たせして」
「いえ、いいんですよ。こんな時間ですから、私も少し遅刻してしまいましたし」
「そう言ってもらえると助かります」
「えーと、先ずはメート村まで行かれるんですよね?」
「はい、そうですよ」
「それですと、魔窟の森を通りますので、護衛を二、三人連れていくべきでは?」
「魔窟の森と言っても表層部だけでしょう?俺は護衛対象を連れたまま中層部に三日間滞在したこともあります。表層部だけなら俺一人で行けます」
「わかりました。それでは、出発しますのでご乗車下さい」
今回レンタルした車は最新型の蒸気自動車だ。このモデルはサスペンションや後部座席のシートに力を入れたモデルで、スピードはそこそこだが快適な旅が期待できる。
運転手は元レーサーで、ついこの間までは運送業者にいたので、運転技術は間違いなく良い。
「ほらエルシー、段差気を付けて」
「うん。ルイス、このシートふかふかだよ?」
「そりゃあね。君のやわなお尻のためにスピードより乗り心地が良いのを借りてきたんだから」
「そう、ありがとう」
「いいんだよ。別に急ぐ旅でもないし、何より君のための旅なんだから」
そうこうしているうちに車が走り出した。最高時速は大体時速二十キロ前後、ただ地域によっては法律で速度が制限されている。この町では時速五キロまでに制限されているが、俺の家は町の外縁部なので、もう町を出て制限のない街道に出てしばらく経つ。
「すごい!すごいよルイス!まるで馬に乗ってるみたい!でも、ぜんぜん揺れないんだ!」
「まさに技術の結晶だな。もう魔窟の森が見えてきた」
「ホントに魔窟の森を抜けるんですか?最近できた森を迂回する道もあるんですが」
「距離はどの位なんですか?」
「だいたい森を抜ける時の一.五倍位です。どうしますか?」
「そうだなぁ、エルシーはどっちがいい?」
「私は安全な方がいい。銃声はにがて」
「だそうです。迂回路でお願いします」
「かしこまりました」
その後、二日ほど車に揺られた。その間、一度襲撃してきた野盗の集団三十名程を皆殺しにしたりしたが、まぁ大したことは起こらなかったので割愛する。
「到着しましたよ!お二人さん」
「ん?あぁ、もう着きましたか」
「ルイス、熟睡してた」
「ごめんごめん。じゃあ俺達は宿を探しに行きますね」
「えぇ、また明日」
メート村に来たのは実に三年ぶりだ。馴染みの宿がまだやっていたのでそこに泊まることにする。
「いらっしゃい。あんたどっかで見たことあるね。名前は?」
「おいおい、忘れるなよ。ルイスだよ、孤児ルイス」
「えぇ?!あんたがあのルイス坊や?三年もたつと、人って変わるねー」
「男子三日会わざれば、ともいうよ?」
「刮目して見よってか?で、わざわざこんな村に帰って来たんだ、女の子まで連れてるしなんか用があるんだろ?」
「流石女将さん。話が早くて助かる。最長老のじーさんは元気か?」
「あぁ、元気さ。あんたが会いに来たとなれば喜んで会うだろうね」
「そうか、なら明日行くとするよ」
「明日?今日行かないのかい?」
「あのじーさんこの時間にはもう寝てるだろ」
「たしかにね。日の暮れるころにはお休みだ」
「……ルイス、お腹すいた」
「ん?あぁ、そうだな。悪い女将さん、夕食貰えるか?」
「あいよ、まだ作り置きの残りがあるからすぐ出せるよ」
懐かしい廊下を通り、食堂に案内される。実を言うと、メート村は俺の故郷だ。この宿も最長老の屋敷(この村は孤児自体が珍しいが、親の分からない子供は最長老の屋敷で育てられる)を抜け出した日はよく泊めてもらったものだ。三年ぶりだが、元気そうで良かった。
そのまま俺達は夕食を済ませて、床に入った。
「おい、エルシー、起きなさい」
「んー?おはよー、ルイス。今、何時?」
「十二時過ぎかな」
「もうそんな時間?いま起きる。今日は例のドレス着て行っていい?」
「あぁ、いいよ。今日は夕方まで時間あるから」
エルシーに着替えを手伝って、昼食を摂った後最長老の屋敷を訪ねると、ほぼ顔パスで最長老に会うことができた。
「久しぶりだな、ルイス。わざわざ訪ねてきてくれてワシは感動しとる。まさかあのやんちゃ小僧が年頃の娘をエスコートして旅をするなんぞ思いもしなかったのぉ」
「流石に俺だって三年も人の波にもまれれば成長もするよ」
「ふむ、それもそうかの?で、何用でここへ来た。なにか用があるのだろう?」
「あぁ。このエルシーの持つテレパシー能力についてだ」
「テレパシーなんぞ珍しくもなかろう?」
「まぁな。でも能力者本人が気になると言うんだから調べてみても良いかと思ってな」
「なるほど?ではいくつか質問させてもらおう。娘よ、その能力はいつごろから使えるのだ?」
「九歳のときから」
「少しづつか?」
「ちがう。メカタ山の遺跡で、儀式を受けた時から」
「成程、メカタの儀式か。であれば、ワシよりもリナト村の魔女に聞け。答えてやりたいのはやまやまだが、ワシはその手の知識には詳しくない」
「英知の塔の賢者は?」
「賢者は半月ほど前に急性心筋梗塞で死んだよ。人間何があるか分からんな、先々月に会った時は元気そうだったんだがの」
「そうか、賢者は死んだか。なら魔女に会いに行くとしよう。元気でな、じーさん」
「あぁ、くたばる前にお前に会えて良かったよ。またいつでも訪ねて来い、ここはお前の故郷なのだからな」
「ありがとな、色々と」
「気にするな、お前は昔から変わらず手のかかる小僧だよ」
「そうかい。それじゃあ、俺達はもう行くよ」
そう言って最長老の屋敷を後にしてから運転手と合流し、早速次の目的地リナト村に出発した。
出発してしばらくした頃、エルシーが声をかけてきた。
「ねぇ、ルイス。あなた、メート村になにかあるの?」
「あれ、話してなかったっけ?俺は十二の冬まであの村で暮してたんだ。まぁ、故郷って奴かな」
「故郷に帰った割に、誰にも挨拶とかしないの?」
「まーね。挨拶する相手なんて、最長老と宿の女将さんくらいだし」
「そうなの?まぁ、いいか。ところで、次はどこにいくの?」
「次はじーさんも言ってたリナト村の魔女に会いに行く」
「その魔女も知り合い?」
「俺の能力はあの魔女から貰ったんだよ」
「へぇ。未来予知?」
「うん、五秒位だけどね」
「五秒だって、十分すごい」
「貰いものでなければね」
「与えられた道具でも、それを使うのはルイスの技術」
「そうかもな。……ところで、メカタ山って何があるんだ?最長老のじーさんは心当たりがあるようだったけど」
「メカタ山はグロスター公爵領の北方にある標高千五百メートルちょっとの山。古代文明の遺跡がたくさんある山で、私も数え年で十歳になった年のはじめに儀式をしに行った。能力を使えるようになったのもその時」
「遺跡か。たしかに人に異能を与える様な儀式はそれらしい場所で行うものだけど」
「着きましたよ。リナト村です」
もう到着したらしい。たしかにメート村とリナト村は割と近くにあるがそれにしても早い。流石は新型の蒸気自動車といったところか。
「さて、まだ時間も早いし先に宿をとっておこう。それじゃあ運転手さん、また明日」
「はい、また明日」
「行くよ、エルシー。ほら、段差あるから気を付けて」
「うん」
ここ、リナト村に来るのは実はさほど久しぶりでもない。三ヶ月程前に一度仕事で訪れている。宿はあの時と同じでいいだろう。
カウンターの男が読書に夢中で客に気づかないのも相変わらずらしかった。
「おい、おいおっさん。客だぞ、お客さんだぞー」
「うっせえなぁ。俺は今読書で忙しいんだ。アドルフ・ハイマン著作の『君の心とアメジスト』が最高の盛り上がりを見せてるんだよ。ちょっと待て」
「ちょっと待てじゃねーよ、ちゃんと仕事しろ」
「まってルイス。その人が読んでるのは『君の心とアメジスト』第二章『貴方の心に酔いしれたい』の最高潮のシーン。もう少し、ほんの十五分でいい。待ってあげて?」
「あ、あぁ、エルシーがそう言うなら俺は構わないけど」
「ありがとう、ルイス」
たしかに、『君の心とアメジスト』第二章『貴方の心に酔いしれたい』の盛り上がりはアドルフ・ハイマン著作の中でもトップクラスだ。だが、相手の読んでる本のめくれ具合でシーンが分かるとは、一体エルシーは何回この本を読んだんだ?
「う、うぐ、えぐ、う、うわーん!き、キャスリーン!行くなー!」
「お、おいおい、たしかにいいシーンだけどな?何も泣くことはないだろ」
「バカヤロー、これが泣かずにいられるか!うぅ、キャスリーン!」
「ヒロインの名前を叫ぶんじゃないよ。一人部屋、ベッド大きめ」
「ううん、そのシーンを読んでキャスリンの名前を叫ぶのも無理はない」
「わかってくれるか、お嬢ちゃん。夕食、俺のサービスにしてやる。たらふく食いな」
「ありがとう。白パンに温かいミルクをつけてほしい」
「あいよ。で、坊主、まさかとは思うが、さっき一部屋っつったか?」
「あぁ、一部屋、ベッド大きめだ」
「お嬢ちゃんと同じベッドで寝るのかよ」
「悪いか?」
「お嬢ちゃんはそれでいいのかよ」
「うん?いつもそうだけど」
「そ、そうか。ならいいけどな。二階の十七号室だ」
「わかった。荷物を置いた後少し出てくる」
「おう、夕食を用意しておく」
その後部屋の荷物を置いて、魔女のいる家を訪れた。魔女の家は村のすぐそばにある森に少し分け入ったところにあり、目隠しの魔法がかかっていて普通は近づけないが、俺のように一度でも行ったことがあればば難なくたどり着くことができる。
「ねぇ、ルイス。ホントにこんな森の中に人がいるの?」
「ほら、あそこに家があるだろう?あれが魔女の家だ」
「家?そんなの見えない」
「もう少し近づけば君にも見えるよ」
「ホントに?……あ、ホントだ、家がある」
「あれが魔女の家だ。雰囲気が良いだろ?」
「うん。いい雰囲気」
「連絡もなしに人の家を訪ねる無礼者はお前たちかい?」
「ひっ?!だ、だれ?!」
「うお?!……なんだ、脅かすなよ、マーサおばさん」
「こ、この人が魔女?」
「そうさ、あたしがリナトの魔女さ。で、何の用だい?ルイス坊」
「夏だってのにこの森はやけに冷えるな。悪いが、暖炉にあたらせてくれないか?」
「ふん!図々しい坊主だねぇ。ま、構わないよ」
そうして、魔女マーサに案内されて、魔女の家を訪れた。
「相変わらず外観より広い家だな。羨ましい限りだ」
「あんたには未来予知をやったろう。で、何の用だい?」
「なんであんたの見た目が二十代後半なのか聞きに来た」
「馬鹿言うんじゃないよ。もっと別の用だろう?例えばそう、そのお嬢ちゃんに関わることなんじゃないか?」
「流石に鋭い、年の功かな?……メカタの儀式って知ってるか?」
「メカタの儀式位、あたしでなくとも魔道を進む者なら誰でも知ってるさ」
「そりゃよかった。この子、アリス・グロスターはその儀式を受けてからテレパシー能力を得ている。関係あるのか?」
「儀式と直接の関係は無いね。誰か儀式に関わった者に、古代魔術体系の研究者が居たんじゃないか?」
「たしか、二、三人、そういう人もいた」
「やっぱりか、なら犯人はそいつらだ。人に異能を与える術は高度なうえに使える状況が限定されるからね。出来すぎた状況を見て、ついやりたくなっちまったんだろう」
「じゃあ、やっぱりこれは私の力じゃないんだ」
「そんなことはないさ。たとえ魔法を使おうが、人にできるのは元々ある才能を開花させる程度さ。その力は、お嬢ちゃんが常ならざる星のもとにいるという事さ。つまりそれはお嬢ちゃんの力だし、そうなったのは運命に導かれた結果だよ」
「そうですか、ありがとうございます」
「いいってことさ。あのルイスが人のために動いたってだけでもお嬢ちゃんには感謝してるんだよ」
「?そうですか」
「さて、そろそろ夕飯時だ。エルシー、宿に戻ろうか」
「うん。マーサさん、ありがとうございました」
「またいつでも来ていいから。二人とも元気でね」
「あんたもな、マーサおばさん」
そう言って、マーサおばさんの家を後にする。
宿に戻ると、ちょうど夕食の準備が出来た所だった。俺達は夕食を食べた後すぐに就寝し、翌朝には村を出た。
グレタンデターナを出る前日に会ったあの男から連絡があったのだ。「和平交渉ガ成立。ノベランビューテ ハ戦闘準備態勢ヲ解除。グロスター公爵ハ解放サレ御息女ノ捜索モ中止サレタ。ルイス及ビグロスター嬢ハ帰還サレタシ」
まさか一週間も経たずに解決するとは思わなかったが、これで家に帰ることができる。
「ルイスさん、村を出たはいいですけど、次はどこに行くんです?」
「帰ります」
「へ?でも、契約じゃあ一か月からさらに伸びるかもしれないって」
「料金はちゃんと一か月分払いますよ。」
「かしこまりました」
旅の帰り道というのは、色々な感情が呼び起される。こういう時にやはりいくら人を撃とうとも人は人だと実感しつつ、迫りくる旅の終わりを寂しく思う。この旅の終わりは半年間の生活との別れでもあるのだ。
そのまま、何に襲われることもない帰路の中突然エルシーがもたれかかってきた。
「ルイス、なにか、私に隠し事してる?」
「君は鋭いな。まぁ、隠すほどの事でもないか。君はこの後自分の家に帰る事になる。二人での生活とはお別れだ」
「なぜ?どうして急にそんなこと言うの?」
「君のお父さんが君を俺のところに寄越した理由になるものが、もうなくなったんだよ」
「理由が無いと、一緒にいられないの?」
「君は栄えある名家グロスター家の娘、俺は親の名も知らない人殺しだ。本来一緒にいること自体ありえない。」
「なら、どうしてお父様は私にルイスに会えって言ったの?」
「それは俺にもよくわからない。ただ一つ言えるのは、君に危険が無くなったのなら、君は自分の家に、あるべき場所に戻るべきだ」
「ルイスは本気でそう思うの?」
「感情の問題じゃないんだよ、これは君のためであって――」
「君、君、君って!一緒にいる理由がなくなったら、名前も呼びたくないの?」
「そういう訳じゃないんだ。ただ俺と君はもうすぐ他人に戻るんだよ」
「また君って!だいたい、あるべき場所って、そんなの勝手すぎる。私にも居場所を選ぶ権利くらいあるはず」
「君はこの旅に出る前に言ったはずだ、貴族として、と。自分の好きに生きてる俺が言っても説得力はないかもしれないけれど、高貴なるものの義務という言葉もある。皮肉な話だが、人が自由を求めて築き上げた立場が、人を縛るんだ。君も、長い人生の中で、今でなくともいつかそれに苦悩する時が来る」
「なら、いつか、すぐでなくとも良い。いつか必ず、ルイスを友人と呼べるようになる。その時まで、この半年の事は思い出の中に」
「あぁ、思い出の中に。まるで小説の中のセリフだな。ここからなら歩いて帰れる、俺はここで降りるよ」
「いいんですか?」
「いいんです。じゃあな、エルシー。また会う日まで、さよならだ」
「うん、また会う日まで」
こうして俺とエルシーの生活は幕を閉じた。
――二年後――
今日もいつも通り仕事をして家に帰ると家の鍵が開いていたのだ。
自慢ではないが記憶力には自信がある。誓って施錠し忘れたということはない。
おかしいと思いつつ家に入るといるはずのない人物がそこにいた。
「え、エルシー?君、こんな所で何してんの?」
「久しぶり。ルイス、お腹すいた」
「あぁ、ちょっと待って。確かこの辺に……。あった!ミートソースの缶詰があるから、スパゲティを茹でるよ」
「ありがとう。それでルイス、しばらくこの家に泊めてくれる?」
「いいけど、思ったよりずいぶん早くきたね?」
「あぁ、その、ちょっとね?お父様と喧嘩しちゃって」
「家出かよ!まぁいいけどさ。そんな予感もしてたし」
「ありがとう。あと、できれば明日はもうちょっと良いものが食べたい」
「悪かったよ、ろくなものが無くて」
こうして、決意の言葉はどこえやら、ことあるごとにエルシーが泊りがけで遊びに来るようになった。グロスター卿は黙認しているようだし、こんな生活も悪くない。ただ、くれぐれも、もう戦争なんてことにならないことを願う。