三題噺(番外編):「登場人物2人。夏の暑さを「暑い」という言葉を使わずに表現してください:タイトル「未知との遭遇と東京の夏」
地球が異星人たちに開かれてから30年が経った。
今日では銀河連合に加盟している20の文明圏に属する27の知的生命体が、ここ地球へ日常的に訪れている。
彼らとの交流は地球人にとって驚きの連続ではあるが、逆のことも言える。
うちの課に研修のために配属されたミアン星人のボース君、外見はほとんど、いや7割がた、55%くらい? 地球人と同じ彼。まぁなんだ、目が2つ、口が一つで手が二本。ざっくりとしたシルエットが地球人とそう変わらない宇宙人は、宇宙的未開人である地球人にとってははじめての未知との遭遇イージーモードといえる存在で重宝されるわけなんだが、そのボース君が突如、東京を案内して欲しいと頭を下げてきた。これには本当に困惑してしまった。悩む以前の問題、困るほどにも状況が理解できない。
言っていることは理解できるが、具体的なイメージと結びつかない。ゲシュタルト崩壊とかいう奴だろうか。
大マゼラン星雲を間近に眺め、何千光年の宇宙の旅を終えてきた彼が、スカイツリーに登って面白いものだろうか。
東京グルメガイドというアイデアも、そもそもミアン星人は地球の食物を摂取しないので没だ。昼飯時は軽石のような小さな穴がいくつも開いた細長い円柱状の鉱石を、唾液で少しづつ溶かすようにして摂取していた。色々と感想を言いたくなる光景だったが、それはお互い様なのだろう。
かといって職場の彼は、制服を着て出社し、普通に椅子に腰かけ、時計を見て時間を確認し、VR端末で稟議用の書類を作成し、定時に家に帰ると、テレビを見ながら夕飯を食べ、ベッドで眠るらしい。
なんだ地球人と同じなんだなというと、銀河連合のどこもそんな感じですよと彼は答えた。
そこが分からんのだよ、私には。
何が常識で、何が常識でないのか。よく分かるミアン星人のような電子ブックも参考にしてみたが、ミアン星の結婚制度について話題を振ってみたところ、ボース君は「それはもう300年も昔の古い慣習ですよ」と大笑いされた。ちなみにミアン星人が「笑う」とは首を360度回転させながら、背中にある空洞を振るわせることを言う。ミアン星人は表情筋が発達していないためほとんど無表情である。地球人基準で無表情である。
「東京の自然を味わいたのです」
とボース君。
自然を味わうなら東京よりも、もっといい場所がある。なんなら遠出をしてもいいと薦めると
「いえ、東京の自然は素晴らしい」
というのだった。
東京の自然というと日比谷公園などはどうか。それともジブリの森?
「ボース君、ジブリは知ってる?」
「我々には地球のアニメは難しすぎます。いつか勉強して理解したい」
そうなんだね。頭が痛い。
私は、東京の写真をスライドさせて、ボース君の興味を引くものを選んでもらうことにした。
「これです。これです」
ボース君が選び出したのは、東京でも開発の遅れた地域。『開国』 以前の設備がまだまだ残っている地域だった。
「これはただのコンクリートジャングルだよ? 自然とは全く逆じゃないか」
「そんなことない。東京の自然、素晴らしい。私の母星でもこんな自然はほとんどないよ」
と興奮気味に喜びの表情を見せた。彼らの喜ぶとは、頭部を前後にスライドさせながら、背中にある空洞を振るわせることである。笑うときよりも発する音が若干高い、らしい。
20世紀末、昭和と呼ばれたころ街並みがまだこの国には残っている。
地面は今ではもう見なくなったアスファルト敷。
ガードレールに繋がれた犬は、照り付ける太陽から逃げるすべがなく、何とか頭だけを植え込みの中に突っ込んでいた。
運悪く記録的真夏日だったその日、進む道の先はゆらゆらと揺らめき、地面は水にぬれたようにきらめく。
なつかしいな、陽炎現象だ。
「ボース君。これ見たかったの?」
ボース君は私を顔を見ると、首をグルングルンと回転させて大笑いした。
「先輩、全身から凄い分泌液ですよ。濡れ濡れですね」
30分も歩いていないが、顔から滝のように汗が飛び出し、シャツはびっしょりとぬれて肌に張り付いてしまっている。
たまらず水を買い、のどへイッキに流し込むと面白いようにそれが再び汗になって噴き出す。
「先輩もびしょびしょ濡れ濡れ。楽しんでますね」
どうやら「東京の自然」と陽炎は無関係らしい。
わけがわからなかったが、ボース君は終始上機嫌だったので、これでよかったのかな。
数年後、私はミアン星人に関する新しい知見を得た。
ミアン星人は10年に1度発情期を迎えるらしい。その発情期の始まりを知らせるのが、異常な高温多湿の訪れなのだそうだ。
『東京の夏』についてミアン星系に伝わったのがいつごろかは不明だが、現在では広く知られている。死ぬまでに一度は味わいたい辺境の奇跡。
任期を終えたボース君から、地球で出会ったミアン星人とめでたく結婚したとの便りが届いた。