#0 プロローグ ~とある青年の話~
夜は深く、それでも星の光をかき消すほどの明かりの中、一人でひっそりと帰路に就く。
「まさかこんな遅くまで付き合わせられるなんて……」
今がどれくらいの時間かはわからないけど、電車の終電を逃すほど拘束されたのはとても面倒だった。
会社の恒例だかなんだか知らないけど社員全員連れての飲み会、そのあとは新入社員全員参加の2次会にカラオケ大会、それでいて支払いは各々で、って……。
大して親睦が深まるわけでもなく、ただ飲みたい人たち(主に先輩たち)が飲んだくれて働き始めてたかだか数か月の俺たちは財布の中身すら余裕がないのにこんなことに付き合わされるなんて馬鹿げてる。
おかげで家が近くじゃない人はこうして徒歩で帰ってまた明日出社しなくちゃならない。
入る会社を間違えた、なんてレベルでおさまることだろうか…。
「はぁ……これに耐えてきた人たちはすげえよなぁ」
思わず口からボヤキが出てしまった。
言った言葉に嘘はない、けれど違和感を覚える。
年が進むことで変わることは多々ある、それだと言うのにこの街<社会/国/世界>は変わろうとしないのか受け入れるのに相当な時間が必要なのか、それともただ自分がーーーーーーーーーーーー
そんなどうしようもない事をツラツラと考えていると向かいから愛犬と一緒にランニングをする男性が向かってきた。
もし、あの人も自分と同じか似たようなことで帰りが遅くなって玄関先でまっていた愛犬の散歩をせめて……なんて考えると気持ちが少しほっこりする。
自分のことを待ってくれている、それがあるだけで帰り道の足取りは軽やかなになるんじゃないだろうか。
そういう何かが自分にもあれば、なんて思ってしまう。
ない物を羨んでいる気持ちをよそにさきほどの男性は通り過ぎてしまう。
なんとかお金を貯めて猫を飼おうかな。
決して気楽にできることじゃないけど、実家でも猫は飼ってたし少しはーーーーーーーーーーーー
「ワァン!ワンワン!!」
自分の思考を遮るように後ろから何かの鳴き声のような物が聞こえ、振り返ってみると先ほどすれ違った男性の犬がこちらへとやってきた。
「お前、どうしてこっちに?」
ふと犬の来た方向をみても人の影すらない。
かがみ込んで落ち着くようにと思いながらいろんなところを撫でまわしてやるがそれでも犬は鳴き止まず、それどころか犬はワン!とかクゥーンを繰り返しながらずっと俺の服を甘噛みしながらひっぱり続けてる。
もしかして、こいつの飼い主に何かあったのか…?
だとしたら、こんな夜遅くに助けられるのは入れ違った俺しかいない。
正直こういうのは性格的に他に任せるけど、人の命に関わることだというのなら話は別だ。…犬の必死な説得もあるし。
もう一度、来た道を見て戻ろうとしたとき何か鼻を刺激するような(アンモニアのようなツーンとしたもの)臭いを微かに感じて、それが段々と鮮明に強い物へと変わっていく。
「なんだ…これ。ちょっと、いや結構気持ち悪い……」
思わず鼻を服と腕でふさいで少しでも臭いを減らそうとする。
しかし、謎の臭いは強まるばかりで一向に弱くはならない。
次第に眩暈までもが起こり、ここまできてようやくただならぬ事態になっていると察した。
この臭いの元をどうにかしようと辺りを見渡しても違和感のある物やそれらしい物はなに1つとしてない。
まさか犬が、なんて思いもしたがそうじゃないらしい。
それどころか犬はグルルルルと喉を鳴らし、なんだか怪訝そうな顔をしながらじっと上を見ている。
「ウソ…だろ!?」
同じ方向へ顔を上げるとそこにはあり得ない光景があった。
さっきすれ違った男性が目をグッと見開いたまま電線に絡まるように縛り付けられ、四肢はタコの脚のようにぐちゃぐちゃに曲がりくねっている。
それだけじゃない、体中には蔓のような植物が巻き付き不規則に毒々しい花を咲かせている。
それは今も花を咲かせようと怪しく蠢いている。
「なんであんなところに……つーかアレどーゆうことだよ……!」
思わず腰が引けてしまう。
例えすれちがっただけの見ず知らずの人でもこんな訳の分からない状態を見れば誰もがそうなる。
いや、今はそんな思考はどうだっていいんだ。それよりも早く救急車と警察を呼ばないと!
素早くポケットにあるスマホに手を伸ばしてロック画面から緊急通報にタッチをしようとしたその時だった。
「はぁ~い!苗床追加ぁ~~!」
背後から間延びした陽気な声。それに気が付くことができたが振り向けない。
何もかも突然だった------。
状況も理解する間もなく、何かが後ろから押し当てられその衝撃でスマホを地面に落としてしまう。
そこからさらに押し当てられた何かがグッと身体にめり込むような感じがして内側からどんどん熱を帯びてゆき次第に全身へ広がり痛みに変わっていく。
「……ァアァ………ッッッッッ!!」
こらえようとして掠れた声を上げたわけじゃない。
むしろ大きな声をだして誰かに気づいてもらおうとしたが、内側が圧迫されて上手く声が出ない。
それどころか呼吸すらままならいない。
段々と早くなる鼓動も痛覚へ変わり立ってもいられず地面に膝をつく。
「今日はイイわ~、十分に潤った養分が二つも…最高だわぁ」
俺がさっき聞いた声の主がまた言葉を発する。
その声の主は甲高く透き通っている(女性?少女のようにも聞こえる)がそれが底のない暗闇に感じられてより危機感を感じる。
だけど、なにかをしようにも痛みのせいか身体は思うように動かず全身が痙攣するかのように震えが止まらない。
おまけに脂汗も尋常じゃないほどあふれ出てくる。
ヤバい。
ーーーーーーーーーーーーヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい!!!!
このままじゃ死ぬかもしれない……ッ!!!
痛みも震えも汗も収まらない。
それどころか直感的これは命に関わると悟ってる!
動けない状態だけど、せめて助けを呼ばないと…!!
目先にある自分のスマホに手を伸ばす。
しかし、黒い何か(足のように思える何か)がそれを踏みつけ遠くへ蹴り飛ばす。
「ダメよ、人を呼ぼうだなんて」
ふふふっ、と不敵な笑い声を出しながらゆっくりとそいつは横へ回ってくる。
「養分が増えるのは嬉しいけど、だれでもイイってわけじゃないのよ?」
未だに不敵は笑い方をしながら声の主はゆっくりとしゃがみ顔を覗き込もうとする。
だけどこっちはそれがわかっていても見返す余裕もなければうずくまっていることしかできない。
「痛いわよねぇ?苦しいわよねぇ?自分を守ろうと必死で堪えながら痛みに耐える生き物のその本能……ああ、堪らないわ。」
「この、異常者がッッッ!」
「あら、まだ喋れる体力があるのね。偉いわぁ、思わず感服しちゃう。」
実際、喋ることだって辛い。
だけどこいつには何かを言ってやらないと胸のザワザワが収まらない、そんな自分の性からだったのかなんとか言葉にすることができた。
「それにしても、アレと比べて遅いわねぇ…生きが良いから、かしら?」
そういわれてふと先ほどの男性が脳裏を過る。
こいつの言う言葉から察して思いつくのはさっきの男性くらいだがーーーーーー
それにこいつ自身、上を向いたような気がした。
「どちらにしてもうすぐね。根付いたわ。」
間延びした口調から一変。
人が変わったかのように淡々とした言葉に変わり一瞬で全身に寒気が走った。
それと同時に全身から出ていた冷や汗は止まり、力が抜けていく。
先ほどまであった痛みも苦しさを消え、残るのはゆっくりと衰退していく微睡だけ。
まるで全ては夢だったかのように。
「ふふっ、ぐったりしてきたわねぇ。もうすぐ…もうすぐよ……!」
何かに対して興奮を抑えるような声で今かと今かと待ち望むような声。
ゆったりと消えていく意識の中で俺はここで死ぬんだ、そう思った。
けれど、そうだったら良かった。
心臓が破裂するかのように大きく鼓舞を上げ、爆発的に耐えがたい激痛が全身を襲い内側から“何か”があふれ出そうとする。
口からこみ上げるそれを反射的に抑え込もうとしたがそれは遅かった。
汚物を吐き出すように口内から太く柔らかみのある物が大量にーーーーーーーいや、それは長くどこで終わるのかも分からないほど伸び続け天へと昇る。
その光景を見ていたあいつは高らかと笑いそれを称賛していた。
痛くて痛くて、苦しくて苦して、泣きたくともなぜか涙なんて出ない。
息もできない、空気が欲しくて藻掻いても内からこみ上げるそれは止まることはない。
それどころか殻を破るように体の至るとこからそれは天へと昇る。
「あぁ……あなた、最高の苗床だわぁ。これからも養分としてよろしくね……」
藻掻く中、一瞬だけそいつを観る機会があった。
だけど、それは本当に一瞬で、視界はすぐに真っ赤に染まり目玉は破裂した。
それを埋めるかのように内側の“何か”はすぐに伸び肉体として健在な部分から感じ取れるところから蟲が這うような蠢く感触が薄っすらとある。
それは1つの管のようで----幾つもの細い糸状の物が連なってできていると。
俺は分かっていたのだ。
それがあの男性と同じように“蔓のように伸びている”のだと。
徐々に肉体と呼べる肉の部分が減ると意識も遠のき、やがてーーーーーーーーーーーー
「それじゃ、お休みなさいーーーーー次に会うときはもっと私を喜ばせて。」
いつからか。
俺は死んだかどうかさえ分からなくなったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー