第60話 助けてシンヤさん!!
少々グロイ表現がありますので、苦手な方は注意してくださいm(__)m
その光景を見た時、ユフィアの思考は停止した。
前線から後送されてきた怪我人に回復魔法をかけ終えた、まさにその直後のことだった。
名状し難い轟音と衝撃が背後で轟き、思わず身を竦ませた。何事かと思って背後を振り返った時、見えてしまった。
自分がもっともよく知る背中が、巨大で醜悪なゴブリンに薙ぎ払われる様を。
「………………え?」
冗談のように視界の外へ飛んでいったものへ、恐る恐る目を向けてみる。
血を吐いて地面に横たわる冒険者の姿――
「シンヤ!」
「そんな、シンヤさん!?」
悲鳴じみたイアンとフェルナの声が、その冒険者の名をユフィアに知らせた。
「慎……也、君?」
側にいた結衣が、震える声で呟くように言ったのを聞いて、ユフィアの思考はようやく再起動する。
「……シンヤさん?」
名を呼んでみるが、応えは無い。それどころか、倒れた彼の身体はピクリとも動かない。
まるで――
「シンヤさん……? シンヤさん!」
悲鳴じみた声を上げて、ユフィアは慎也の元へ走った。
ウソだ。なにかの間違いだ。彼がそんな――
焼け付くような焦燥。凍り付くような恐怖。ユフィアの心から余裕を奪い、視野を狭めるには充分だった。
「ユフィアちゃん!」
悲鳴じみた結衣の叫び声。
ユフィアは最初、それが結衣のものだと気付かなかった。彼女が知る結衣はいつもニコニコしていて、魔物と戦う前や、或いは戦っている最中であっても余裕じみた軽口を叩き、よく判らない冗談を口にして慎也やユフィアの緊張を和ませてくれる、そんな芯の強い少女だった。
そんな結衣が、まるでこの世の終わりを見たような叫び声を発したことが、皮肉にもユフィアの暴走しかけた感情にブレーキをかけた。
「……あ」
だが、その時には既に遅かった。
慎也を――あの慎也を、1撃でゴミ屑のように吹き飛ばした存在。自分たちが討伐すべき敵に。
気付いた時には手を伸ばせば届きそうな位置から、ゴブリン・エンペラーが彼女を見下ろしていた。
いつの間にこんなに近くに、などと考えるのも愚かなこと。
彼女は自分から近づいてしまったのだ。
薙ぎ払われた慎也の姿しか目に入っていなかったが故に、ゴブリン・エンペラーの存在など、文字通りの意味で眼中になかった。
それが、自ら不用意に、そして無防備にゴブリン・エンペラーに近づいてしまうという、最悪の結果をもたらした。
ゴブリン・エンペラーと目が合った。これまでの戦いで負った傷と、それがもたらす痛み、そこから来る憤怒と憎悪に満ちた眼光に射抜かれ、ユフィアはそれだけで身動きどころか息すら出来なくなった。魔法を使わなければ、などと言う考えは思い付きもしなかった。
これまで何度となく魔物と戦って来た彼女だったが、これほどまで間近に迫られたことは初めてだった。戦いの時は常に前に慎也が、隣に結衣がいたから。
生まれて初めて間近に迫られた死に、ガタガタと全身を小刻みに振るわせることしか出来ないユフィアに、ゴブリン・エンペラーが無慈悲にメイスを振り下ろす。
バキンッ!
だが、ゴブリン・エンペラーのメイスがユフィアの華奢な身体を砕く前に、黒い影がその間に割って入り、メイスの軌道をユフィアから反らした。
「これ以上はやらせん!」
ユフィアを救ったのは、討伐隊の指揮官であったイアンだ。
戦闘が始まって以降、ずっと後方で指揮を取っていた彼だったが、この危機的状況にさすがに動かざるを得なくなったようだ。自ら剣を取り、ゴブリン・エンペラーと対峙する。
ゴブリン・エンペラーも、ユフィアよりも明らかに強そうなイアンへとターゲットを移したらしく、雄叫びを上げてメイスを薙ぎ払うが、イアンはすぐにバックジャンプで回避した。
(さっきまでに比べて明らかに動きが鈍くなっている。さっきのマクレーンたちの攻撃が思いのほか効いているみたいだな)
よく見れば、ゴブリン・エンペラーの背中からは絶え間無く血が流れ続け、流れ落ちた血の雫が足元にいくつもの青い華を咲かせている。
討伐隊を指揮しながら、ずっと後方で指揮を取り、ゴブリンたちの動きを観察し続けたイアンは、いまの空振りの1撃から、ゴブリン・エンペラーが追い詰められつつあることを悟った。
そこへ、ようやくマクレーンたちが追いついて来た。ゴブリン・ガーズたちは離れた場所で中衛隊と交戦している。
「もう1歩だ! 奴は既に限界に来ている。あと少しで仕留められる。総員、全力を尽くせ!」
「言われなくても、こっちはさっきから死にもの狂いだよ……ったく、人使いの荒い奴だ」
檄を飛ばすイアンに聞こえないよう、マクレーンが愚痴をこぼした。
「だが、確かにもう少しだな」
エミリータは傷だらけになった盾を構え、剣を握り締めながらも務めて平静に言ったが、頬を伝う汗と荒い息が彼女の疲弊を物語っている。
限界が近づいているのは討伐隊も同じだった。これまでの戦いでかなりの消耗を強いられ、前衛部隊に関しては傷を負っていない者は1人もいない有様だ。
だがそれでも、ゴブリン・エンペラーの戦傷の方が明らかに大きい。戦闘力は凄まじいが、HPを自力で回復する術は持っていないらしく、背中の傷口からは尚も血が流れ続けている。
それでもなお、討伐隊に対して戦意を剥き出しにしているのは、ゴブリンの皇帝としての矜持か、あるいは守護者としての使命感か。
「ユフィア、ユイ!」
イアンに救われ、九死に一生を得てその場にへたり込んでいたユフィアと、いつの間にか彼女に駆け寄って助け起こそうとしている結衣に、イアンが鋭い声で言った。
「お前たちはシンヤを頼む」
「あ、はい!」
返事をしたのは結衣だったが、イアンの言葉にはっとして先に駆けだしたのはユフィアだった。
ゴブリン・エンペラーと討伐隊の剣戟を背後に聞きながら、2人は焦燥感に駆られながら慎也の元へ急いだ。自分たちの脚の速さが慎也ほどではないことがもどかしい。
吹き飛ばされてからしばらく経っているのに、倒れた慎也は起き上がる気配が無い。
気を失っているのか、あるいは――
「シンヤさ――」
ようやく近くまでやって来て彼に声を掛けようとしたユフィアは、途中で絶句した。結衣に至っては声すら出せず、真っ青な顔で口元を手で押さえた。
倒れていた慎也の身体は、一目で致命傷と判るほど酷い有様だった。
1番ひどいのは、ゴブリン・エンペラーのメイスを直接浴びた左腕だ。まるで蛇のようにあらぬ方向へ曲がりまくっていて、砕けた骨が皮膚を突き破って飛び出している。肩や脇腹の骨も砕かれ、しかも内臓を痛めたらしく、口から大量の血を吐いていて、傷口から流れ出た血と合わさって血溜りを作っている。
「慎也君……ウソでしょ、慎也君!」
悲鳴にも似た声を上げて、結衣は慎也に駆け寄って頬を叩く。
「う……」
「慎也君!」
すると、意識は無いものの、慎也は微かに反応を示した。まだ息があったことに、結衣はひとまず安堵の笑みを零したが、彼が負っているのは明らかに致命傷であり、このままでは長くは保たないことは彼女にも理解できた。
「ユフィアちゃん、早く! 早く回復魔法を!」
結衣も魔法使いであるが、攻撃に特化している為、補助魔法こそ使えるものの回復魔法の類は一切覚えていなかった。なので、この場で慎也を助けられるのはユフィアだけだ。
「は、はい!」
変わり果てた慎也の姿に呆然となっていたユフィアが結衣の声で我に返り、慌てて慎也の元へ駆け寄り、両手を彼の傷口にかざして詠唱を始める。
「《妖精の恩寵》」
詠唱を終えると、緑色の優しい光が慎也を包み込んだ。
神聖系の中級の回復魔法で、いま現在、ユフィアが使える最上級の回復魔法だ。
慎也に息があったことと、ユフィアが回復魔法で慎也を治療し始めたことで、結衣にはわずかながら精神的な余裕が生まれた。
(慎也君、がんばって……)
祈るような気持ちでその様子を見守っていた結衣は、そこでふと思い出した。
自分たち3人は《絆の契約》の魔法で、互いのステータスを見ることが出来るようになっていることを。
ただ見ているだけというのもなんなので、結衣は慎也のステータスを確認してみる。
予想通りと言うべきか、HPは危険水準まで減少しており、しかも「粉砕骨折」「内臓破裂(重度)」「出血多量」などという状態異常の表示が出ていた。
「……え?」
そこで結衣はおかしなことに気付いた。
ユフィアが回復魔法をかけ続けているにも拘らず、慎也のHPがどんどん減っていく。
「ユフィアちゃん?」
「なんで……なんで、こんなの!」
回復魔法を放ち続けているユフィアが叫んだ。
目から、ボロボロと涙を流しながら……
「傷が……傷が深すぎます。私の魔法じゃ、シンヤさんを助けられません!」
ユフィアが使っている《妖精の恩寵》は、あくまでも中級の魔法なのだ。
判りやすく言えば、骨折程度なら治せる、という程度のものだ。それでも、常に危険や怪我と隣り合わせな冒険者にとっては垂涎ものの魔法であるが、慎也の負っている傷は、明らかにその許容範囲を超えるものだった。
わずかに死ぬのを遅らせる程度で、ほとんど気休めにしかならないのだ。
「このままじゃ、シンヤさんが……シンヤさんが死んでしまいます!」
慎也が死ぬ――
その言葉に、結衣は一瞬、奈落の底に突き落とされたカのような絶望感を味わった。
2年前、この世界に飛ばされた時、ファンタジー世界に来れたと喜んでいた彼女だが、もちろん不安が無かった訳ではなかった。むしろ、異世界転移やファンタジーものの小説を愛読していたからこそ、魔物や盗賊といった存在の怖さは理解していたつもりだったし、文明レベルや常識、価値観のまったく違う世界で、現代の日本人が生きていくことの厳しいということも判っていた。
恐怖や不安が無い訳がない。
こういって物語に付き物のチートが無かったこともそれに拍車をかけた。
正直言って、結衣が今日まで生きてこれたのは、慎也のおかげだと、彼女自身は心底理解していた。
この世界に飛ばされて早々、彼に出会っていなければ、自分は多分、最初の森でゴブリンの餌食になっていただろう、と。
その後、運良くウィルやユフィアといった心優しい人たちに拾われ、今日まで家族同然で暮らして来たが、やっぱり彼女の中で1番大きかったのは慎也の存在だった。
ちょっと変わっているけど、強くて、優しくて、まっすぐな人。
彼と一緒にいると、それだけで楽しくなる。
彼と会話をしていると、それだけで嬉しくなる。
彼が笑ってくれると、それだけで胸がどきどきする。
いつしか結衣の胸に燻っていた不安は消え、異世界での日々をと心の底から楽しいと感じられるようになっていた。
みんな、慎也のおかげだった。
慎也が一緒にいてくれたおかげだった。
自分とユフィアが大切だ、と言ってくれた時は、本当にうれしかった。
ずっと一緒にいたいと思っていた。
ずっと一緒にいられると思っていた。
ユフィアと3人で、ずっと冒険が続けられると思っていた。
そんな慎也が、いなくなってしまう。
慎也が目の前で、死んでしまう。
そんなの嫌だ。
そんなのは耐えられない。
「ヤだ……」
消え入るような小さな声が、我知らず口から洩れた。
頬を、熱いものが流れていくのが判った。それが涙だと気付いた時、自分がこの世界に来て、涙を流すのはこれが初めてだと、心のどこかで悟った。
「そんなのヤダよ……慎也君。死んじゃ、やだよぉ……」
2年間、慎也が止めてくれていた涙が、彼という存在を失う間際にあって、堰を切ったように溢れ出した。
ダメだ、耐えられない。彼を失うなんて、そんなの耐えられない。
そんな時――
ギシャアアアアアア!!
雄叫びと轟音。
深手を負い、冒険者たちに囲まれながらも、尚も激しく暴れ狂うゴブリン・エンペラーが、メイスを使った範囲攻撃で前衛部隊を薙ぎ倒した。彼らの疲労も既にピークに達しているらしく、避けきれなかった数人が吹き飛ばされる。
ゴブリン・エンペラーがこちらを見た。
結衣とユフィアと、瀕死の慎也。
見るからに仕留め安そうな獲物を。
「お前が……お前が慎也君を!」
大切な人をこんな目に遭わせた張本人を目の当たりにして、結衣の心が悲しみから憎悪に塗り替わる。
「許さない!」
普段、飄々としている結衣からは想像も出来ない怨嗟の声に、ユフィアは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
だが、ゴブリン・エンペラーはそんなことは歯牙にもかけず、メイスを振りかざしてこちらに向かって来る。
「逃げろ!」
討伐隊の誰かが叫んだが、結衣には聞こえていなかった。
だって、自分の後ろには慎也とユフィアがいる。なにより、彼を仇とも言える存在を前にして、結衣の中にはもはや逃走という選択肢は存在していなかった。
ゴブリン・エンペラーに杖を向け、攻撃魔法の詠唱を迸らせる。慎也を奪われた怒りと憎しみがそうさせるのか、それはかつて無いほどスムーズで、淀みの欠片も無かった。
「《暴れ狂う炎蛇》!」
結衣の視界が真っ赤に染まり、真っ赤な炎が目前まで迫っていたゴブリン・エンペラーを飲み込んだ。
炎系の中級魔法。結衣が使用できる魔法の中で、もっとも殺傷能力が高い魔法。
効果は、一言で言えば火炎放射。1000度近い熱を有した炎の奔流を、長時間に渡って放射し続ける。飛距離は短いが、持続時間が長い故に非常に高い攻撃力を有する。
だがそれでも、ゴブリン・エンペラーを殺すには足りなかった。
炎を裂いて伸びて来た巨大な手が、避ける間も無く結衣の首を鷲掴みにする。
「がっ!」
気管を塞がれ、息が出来なくなった結衣の魔法が中断され、炎が消える。
火炎放射をまともに浴びたゴブリン・エンペラーだったが、皮膚の表面に薄く火傷をした程度でほとんどダメージを負っていない。
「ユイさん!」
目の前で結衣がゴブリン・エンペラーに首を掴まれ、そのまま吊るされるように持ち上げられるのを見て、ユフィアが悲鳴を上げる。
助けないと、と思うが、いま魔法を中断すれば慎也が死んでしまう――けどこのままじゃ、結衣が殺される。ゴブリン・エンペラーの後ろからマクレーンたちが追って来ているが、たぶん間に合わない。
どうしよう――慎也が死ぬ。結衣が殺される。
どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう――
一瞬にも満たない間に、ユフィアの中で、絶望と葛藤、逡巡。それが、無限とも思える回数でループを繰り返し、そして――
「助けてシンヤさん!!」
叫び声となって彼女の口から迸った。
次回更新は11/26日、18時予定です。




