第101話 我、事に於いて後悔せず
グロくて残酷な表現がありますので、注意してくださいm(__)m
ごきり、という生理的嫌悪を催す実に嫌な音が慎也の耳朶を打った。
「ぎ……あ、ぅ……!!」
悲鳴を堪えられたのは奇跡に等しい。
何故ならたったいま、彼の右腕が半ば近くでアシュケロンの咢によって噛み砕かれたのだから。
激痛などという言葉が生易しく聞こえるような凄まじい灼熱感が脳を貫くと同時に、噴水の如き勢いで鮮血が噴き出し、慎也自身の身体を真っ赤に染め上げた。
「シ、シンヤ!?」
「慎也君!!」
「シンヤさんッ!!」
イアン、結衣、ユフィアの悲鳴じみた叫びが響く。
アシュケロンに捕まったセリスを助けようと飛び込み、間一髪で救い出したが、その代償として慎也自身が逃げ遅れて捕まり、アシュケロンに噛みつかれてしまった。
いや、噛み付くというよりは、喰らい付かれたと言った方が良いかもしれない。アシュケロンの口は慎也の身体よりも大きいのだ。辛うじてまともに喰い付かれるのだけは避けられたが、右腕が助からなかった。
(ダメだ、右腕が死んだ)
激痛以外の感覚を感じなくなった右腕は、もはや使い物にならないだろう。だが悪いことに、彼の右腕はアシュケロンの牙によって半ば砕かれているにも拘らず、切断には至っていない。
つまり慎也はいま、アシュケロンの口の端からぶら下がっているような状態なのだ。
「シ、シンヤ……?」
呆然とした呟きに目を向けると、セリシエルが地面に尻餅を付いたまま、半ば呆けたようにこちらを見ていた。
どうやら意識が現実に追いついていないようだ。しかもそこはアシュケロンのすぐ近くで、もしそちらに足を向けたなら確実に踏み潰される位置だ。
「ぼさっとしてないで、早く逃げろっ!」
この期に及んで、自分ではなくセリシエルの身の心配をする慎也の性根は立派と言えるだろう。さらに彼は《見えざる手》を使ってセリシエルをその場から遠ざけた。
「慎也君が! 慎也君がっ!!」
パニックを起こしたらしい結衣が泣き叫んでいる。
「シンヤを助けろ!」
「シンヤさんっ!」
イアンの合図で、騎士たちや《槍穹の翼》が彼を救わんと四方からアシュケロンに躍りかかった。
だが、それが裏目に出た。
「ぐぉあ!!」
アシュケロンは、ワザとなのか偶然なのか、慎也の右腕を咥えたまま巨体を翻し、騎士たちを尾で薙ぎ払った。当然、遠心力で振り回された慎也の右腕には更なる負荷がかかり、尋常では無い痛みが彼を苛んだ。
「っ!」
その時、慎也の視界に、アシュケロンの口――歯茎に突き刺さったままの愛刀イクサが飛び込んできた。
(やるしかないっ!)
自由に動く左手を伸ばしてどうにか刀の柄を掴み、アシュケロンの口から引き抜く。一瞬、アシュケロンが痛みに呻いて動きを止めた瞬間を見逃さず、慎也はイクサを片手で大きく掲げ、躊躇無く振り下ろす。
ただしその先にあるのはアシュケロンではなく、その牙に噛み砕かれた自らの右腕――
「ぐあっ!!」
彼が2年間振るい続けた愛刀は、主人の意志を酌み、その腕を瞬時に切断した。
右腕を失ったことで慎也の身体はアシュケロンから離れ、鮮血の帯を曳きながら重力に引かれて落下。受け身を取ることも出来ずに地面に叩きつけられる。
当然、それにアシュケロンが気付かぬはずも無く、足元に落下した慎也を踏み潰さんと片足を擡げた。
「く、そっ……」
痛みと出血で弱った慎也には、それを躱すだけの力すら残っていない。
「《神秘なる光壁》!!」
そこへ真横から飛来した光壁がアシュケロンの横っ腹を直撃した。
ユフィアの《神秘なる光壁》だ。アシュケロンを攻撃する前に<発動待機>させておいた魔法がこんな所で役立った。
光の障壁はアシュケロンに激突した拍子に甲高い音を立てて砕けてしまった。無論、アシュケロンにダメージは無かったが、慎也を踏み潰さんと片足を擡げた、いわば片足立ちの状態だった所へ横から不意打ちする形で命中した為、バランスを崩されたアシュケロンがよろめき、たたらを踏んだ。
「シンヤ!」
地面すれすれの低空飛行で飛来したセリシエルが、ぶつかるような勢いで慎也を抱えてその場から飛び退る。
「うわぅ!」
「ぐっ……」
が、やはり無茶な飛行だったようで、途中でバランスを崩して2人は諸共地面に転がる羽目になった。だが、それでもアシュケロンからは充分離れることが出来た。
「慎也君!」
「シンヤさんっ!」
結衣とユフィアが必死の表情で駆け寄って来た。少し遅れてイアンもやって来る。
「奴を向こうへ行かせないでっ!」
フェルナやシアーシャら残りのメンバーは、アシュケロンを慎也たちの方へ行かせまいと四方から取り囲んで攻撃し始めた。アシュケロンもそれに応戦し、ひとまず注意を引くことには成功した。
「そんな、腕が……」
半ば近くで切断され、血を吐き出し続ける慎也の腕を目の当たりにし、ユフィアが真っ青な顔で絶句した。結衣に至っては言葉すら出ず、愕然とした
「出血を止めろ! 早く傷口を紐かなにかで縛るんだ! 回復魔法を急げ!」
「「は、はい!」」
イアンに怒鳴られ、フリーズ状態から立ち直った結衣が収納空間から取り出した麻紐で慎也の腕の切断面を縛り、ユフィアが回復魔法を施す。それによって出血が止まり、ひとまず命の危機は回避することは出来た。
だが、ユフィアの回復魔法では切断された腕を生やすことまでは叶わない。
慎也の腕は、元には戻らない。
「ごめ、ごめんなさい……」
消え入りそうな声でセリシエルが慎也に謝罪した。
「私のせいで……」
全ては自分の迂闊な行動が招いた悲劇であり、失敗だった。きちんと仲間たちの忠告を聞いていれば、避けられたはずの出来事だった。
その結果、自分ではなく、慎也が――行く当ても戻る場所も判らない自分を拾ってくれた人に、取り返しの付かない代償を与えてしまった。
ボロボロと、セリシエルの目から大粒の涙が零れ落ちた。
悔しくて、情けなくて、許せなくて――涙が堪えられない。
頬を伝って零れ落ちた涙が慎也の顔に当たり、彼が目を開けた。くしゃくしゃになったセリシエルの顔が視界に入る。
「……なんて顔してるんだ、セリス」
そう言って慎也は力の無い苦笑を浮かべた。
「……美人が台無しだぞ?」
「ふぇ……?」
怒りをぶつける訳でもなく、恨み言を言う訳でもなく、この状況で冗談じみた軽口を叩く慎也に、セリシエルは一瞬、ぽかんとした顔になった。
「な、なに言ってるんだよ、シンヤ。私のせいで、シンヤの腕が、無くなっちゃったんだよ!」
「……ああ、そのことか」
思い出したように右腕を横目で見た後、慎也は言った。
「……こう言う時は、「安いもんだ、腕の1本くらい」って言うんだったか?」
「え?」
「ぷっ」
元の世界の某有名漫画の名台詞を口にした慎也に、そのことを知らないセリシエルは呆気にとられ、知っている結衣は思わず噴き出してしまった。ユフィアもきょとんとした顔になっている。
「……気にするな、ってことだよ。お前が無事だったなら、それで良い。仲間の命と引き換えなら、腕1本は充分安い」
「シンヤ……でも」
「気にするな、と言ったろ? これはオレの意志だ。あの場で自分の身を惜しんでお前を死なせてたら、オレは一生、自分自身を許せなくなっていた。仲間を失うより、腕を失う方がずっと良い。我、事に於いて後悔せず――オレの世界の有名な剣士の言葉だ」
「……」
「だから、セリスも自分を責めるな。悔やんでばかりいてもなにも始まらない。失敗は誰だってするんだ。大事なのは、失敗を引きずって臆病になることより、反省して、それを胸に刻んで次に活かすことだ。失敗は成功の基。これも、オレの世界の諺だ。判ったか?」
「……うん」
「なら、いい」
素直に頷いたセリシエルの頭を、慎也はポンポンと叩いた。
「でも、シンヤさん。私の魔法じゃ、失った手足なんかは再生できません。シンヤさんの腕は、もう……」
「お前も落ち着け、ユフィア」
泣きそうな――というか、ほとんど半泣き状態のユフィアに、慎也は優しく語りかけた。
「そういうのは後だ。まだ、終わってない」
轟音、雄叫び、悲鳴の三重奏が鳴り響く。
アシュケロンと騎士、冒険者たちの戦いはまだ続いている。いや、戦いと言うよりは後者が一方的に追い込まれている感じだ。《槍穹の翼》も騎士たちも腕利き揃いだが、やはりレベルの差は如何ともし難く、アシュケロンの強固な甲殻に歯が立たず、押され続けている。幸いにしてまだ死者は出ていないが、時間の問題だ。
「助太刀しないと……」
「おいおい、ちょっと待て」
「ダメですよ、シンヤさん」
立ち上がろうとする慎也を、イアンとユフィアが慌てて止める。
「その腕じゃ無理だ」
「無理は承知です。片腕が残っていれば剣は握れるし、銃は撃てる。出来ることはあるはずだ……うっ」
そう言って立ち上がろうとした慎也だったが、途端に強い目眩を覚えて膝を追ってしまう。貧血だ。回復魔法で血は止まったが、既に流れ出てしまった分は戻しようがない。
ステータス画面にも「状態異常:欠損(右腕)・出血多量」の表示が出ている。
「やる気はあってもそれじゃあ足手纏いになるだけだ。休んでいろ」
「しかし――」
「しかし、じゃない!」
なおも言い縋る慎也を、イアンは強い口調で遮った。
「お前に意地があるように、私にも意地がある。重傷者のお前に無理をさせて死なせては騎士の名折れなんだ。理解しろ!」
「……」
イアンの言葉に、慎也は押し黙った。
確かに右腕を失い、貧血で立つこともままならないいまの自分では、戦いに加わっても足手纏いになるのがオチだろう。
足手纏い――それは冒険者を初め、戦いに携わる者に取って最大の恥辱なのだ。
「……勝算はあるんですか?」
「勝算があるか、無いかの問題じゃない。重要なのは戦う理由だ」
よく見ると、剣を握るイアンの手が微かに震えていた。
彼もまた、アシュケロンという常軌を逸した怪物とその強さに恐怖している。だが、それでもイアンはアシュケロンに立ち向かおうとしていた。
ヤマト王国の騎士としての矜持だ。
「私たちが戦わなければ、奴は近隣の村を襲い、罪も無い多くの領民たちが餌食になってしまうだろう。私は騎士だ。主に忠誠を誓い、その財産たるこのスアード伯爵領とその民を守る為に命を捧げる義務がある。例え勝ち目が無くとも、戦わねばならないんだ。それが、ヤマトの騎士の誇りなんだ」
ぎりっ、と自身の恐怖を噛み殺すかのように歯を食いしばってイアンは言った。
「ですが、あなたが負けてしまえば結局同じですよ?」
「だったらそうならないように、なにか手を考えろ。身体は動かなくても、頭は動くだろう? なら、私たちが死ななくて済むように、どうにかしてあれを倒す作戦を考えろ。それが、いまのお前に出来る唯一の手助けだ」
「それはまた、無茶な……」
「その身体で奴に立ち向かう方がよほど無茶だろ? いいな。私たちが殺される前に、ゴブリン・エンペラーの時みたいな奇跡を起こしてくれよ。そしたら取って置きのご褒美を君にあげよう」
それだけ言い残すと、イアンも戦いの場へと走っていった。
「奇跡、って……」
確かにゴブリン・エンペラーと戦った際に慎也の身に起きた出来事は、奇跡に等しいものだったかもしれない。なにしろ、どう考えても助からない致命傷を負っていながら復活し、それが逆転勝利へと繋がったのだから。
(だが実際、奇跡でも起きない限り勝機が無いのは確かだな)
なにしろアシュケロンはレベルにしてゴブリン・エンペラーを上回っている上に、準備も作戦もなにも無い状況での予期せぬ遭遇。
奇跡に縋る以外、生き残る術が無いという絶望的な状況だ。
「シンヤさん、ひとまず止血は出来ました。これで失血死する心配は無くなりましたが、あくまで応急処置です。失った血までは戻せませんので……」
「充分だ。ありがとう」
回復魔法を掛け続けてくれたユフィアに礼を述べる。
「それじゃあ、私たちも行くね」
慎也の応急処置が終わるのを見計らって、結衣が杖を手に立ち上がった。それに続くように、ユフィアも立ち上がる。
「私たちが少しでも時間を稼ぎます。シンヤさんはイアン様に言われた通り、なにか良い作戦を考えてください」
「おいおい、オレはそんなに頭は良くないし、そんな都合良く作戦なんか思い付かないって」
「なに言ってるの? 慎也君は私たちのリーダーなんだから、それくらいやってもらわないと」
「それくらい、って、簡単に言うなよ」
「あはは。でも、私もシンヤさんなら出来ると思います」
「ユフィアまで……」
がっくりと肩を落とす慎也。だが、結衣とユフィアの顔に悲壮感は欠片も無い。シンヤならなにか勝算を見つけ出してくれる、と信じ切っている顔だ。
「セリスちゃんは慎也君をお願い。いまの慎也君はまともに動けないから、危なくなったら連れて逃げて」
「了解なんだよ!」
「それじゃあ、なるべく早くお願いしますね」
そう言って結衣とユフィアも走っていく。
「くそっ、どうつもこいつも勝手なことばかり……」
だが、実際にいま自分にできることはそれくらいしか無いことは慎也自身も判っているので、それ以上の文句は飲み込んだ。
「シンヤ、早く早く! 考えて考えて!」
「わーってるよ! お前も一緒に考えろ!」
急かすセリシエルに怒鳴り返して、慎也は左手で頭を抱えながらその場に胡坐をかいて思考に没頭する。
アシュケロンが暴れ狂い、騎士たちを薙ぎ倒している光景を強引に意識から削除し、ただ思考のみに全神経を傾ける。
(奴は強固な甲殻で全身を覆われていて物理攻撃が極端に効きにくい。魔法も同様。<雷魔法>が辛うじて効く程度で、他の魔法はほとんど効果が無い。ワイバーンと違って、口の中に魔弾を撃ち込んでも殺すことが出来なかった。甲殻の隙間を狙えば多少なりダメージは与えられるが、手足を切断された程度じゃすぐに再生してしまう)
自分と違って手足を失っても苦にならないアシュケロンのことが一瞬、羨ましいと感じた慎也だったが、すぐに頭を振って余計な雑念を捨てる。
(通常の戦法で殺すのは不可能。なら、地の利を生かして戦うのがセオリーだが、どうする? ちょうど川の側だし、重しを付けて水の中に沈める? いや、この辺りの水深じゃ溺れさせるのは無理だし、重しなんて鎌で簡単に斬られてしまう。谷底に誘導し、谷を崩して生き埋めにするか? いや、無理だ。奴は空が飛べるし、足も速い。おまけに<閃駆>を目で追えるほど動体視力に優れている。避けられるのがオチだ)
その後もいくつかの案が浮かんだが、考察段階でアシュケロンには到底通用しないと切り捨て、手詰まりになってしまう。それが表情にも現れたのだろう。こちらを伺うセリシエルが酷く不安げな表情になっていた。
(くそっ、オレの頭はこの程度か!? なにか、なにか無いか? 奴に通用しそうな策――)
かつて無いほど研ぎ澄まされた思考の中で、慎也は必至に考えた。
これまで学んだ知識は元より、元の世界での経験なども徹底的に呼び起こしていく。
(思い出せ。オレにはなにがある? オレが持っている武器、道具、スキルの中で奴に通じるものは――)
ステータス画面のスキル欄や収納空間にある道具類も併せて検索していく。
「………………あ」
そして、唐突に慎也は気付いた。
いや、思い出したというべきか――
「……なんで忘れてたんだ」
「シンヤ?」
思わず口に出てしまった言葉に、セリシエルが不思議そうに尋ねてきた。
そんな彼女を他所に、慎也は自分の馬鹿さに思わず死にたくなった。
もっと早くに気付くべきだった。もっと早くに気付いていれば、自分は腕を失わずに済んだだろうし、仲間たちを傷つくこともなかったはずなのに……
(いまさら自分を責めても仕方ない。いまオレがやるべきは、ただ1つ――)
脳裏を過った自責の念を、思考を切り替えることで捨て去った慎也は、セリシエルの方を向き直り――
「セリス。お前、オレを抱えて飛べるか?」
「え? ……うん、1人くらいなら平気だよ」
「その状態で、アシュケロンより速く飛ぶことは出来るか?」
「うーんと……たぶん大丈夫と思うんだよ。さっき見た限りじゃ、私の方がずっと速く飛べるから、シンヤを抱えてても追いつかれないと思うよ」
「そうか……お前がいてくれて良かったよ」
先ほどと同じ様に、ポンポン、とセリシエルの頭を軽く叩いて、慎也は微笑んだ。
思い付いたのだ。
あの、冗談のような恐ろしい怪物、アシュケロンを仕留める、起死回生の秘策。
そしてこの作戦には、飛行能力を持ったセリシエルの協力が不可欠だった。彼女の協力無くして成功はあり得ない。仮に成功したとしても、悪くすれば慎也は死んでしまうだろう。
「手を貸してくれ、セリス。オレたちで、あの怪物を仕留める」
「なにか思い付いたんだね!?」
「ああ、奴を確実に殺せる。けど、一歩間違えれば、オレたちも諸共死ぬことになるかもしれない、かなり危険な作戦だが、手伝ってくれるか?」
「もちろんだよ! 私、なんでもするよ!」
握り拳を作って張り切るセリシエルに押され、慎也は少し苦笑気味に笑った。
「じゃあ、やろうか。毒を以て毒を制するんだ」
我、事に於いて後悔せず、と言ったのは、宮本武蔵です。




