探偵と女の子と眠り姫
彼女は舞台の上ではいつもヒロインだった。大道具係の俺は舞台の袖でいつも彼女を見ていた。『眠り姫』はまさに彼女のはまり役だった。
そして、俺の叶わぬ恋は告白することもなく、大学卒業と同時に終わった。
* * * * * * *
「助けて!」
その声と同時に、俺のトレンチコートの裾が引っ張られた。
これはもしかして、仕事の依頼か?
俺は瞳を輝かせて振り返る。が、そこには誰もいなかった。
「やべ。ついに幻聴まで聞こえるようになっちまったかな」
「失礼ね。あなたどこ見てるの?」
先刻と同じ女の声が聞こえた。ちょっと気が強そうで、それでいてどこか子供っぽい舌っ足らずなしゃべり方。
もしかして、この展開は……。
俺は目線を下に向けた。
俺の予想は的中した。そこにはエンジのダッフルコートを着込んだ女の子が。長い黒髪をコートと同色系のリボンでかわいく結い上げている。どう見てもまだ小学高学年生といった普通の女の子だ。どっかで会ったことがあるような気がしがしないでもないが。
「お嬢ちゃん、誰かと間違えてるのかな? お父さん? あ、もしかしてお母さん? なんてことないか」
俺はしゃがみこむと目線を女の子に合わせて、あくまでもやさしーく問い掛ける。
「髪の毛ボサボサの冴えない男と両親を間違えたりしないわよ。子供だと思って幼稚なしゃべり方しないでくれる? あたしはあなたに仕事をお願いしてるのよ」
と、女の子はコートのポケットの中からぐしゃぐしゃになった紙片を広げる。
『 筧探偵事務所
もめ事、悩み事すべて解決します!
まずは、お電話下さい 』
と、ワープロでぞんざいに打たれたチラシだった。言うまでもなく、たった今駅前で俺が配ってたチラシだ。
この不景気なご時勢では大学卒業しても就職口はなく、昔あこがれていた探偵になったわけだが、これがまたドラマのようにバンバンと依頼はきたりしないものである。んなわけで、人通りの多い駅前でチラシを配ってたんだが。やっとその効果が現れたかと思いきや、クソ生意気なおじょーちゃんの冷やかしとはな。ったく、参るぜ。
「あなた、ウソだと思ってるの?」
ぎくっ。俺はあさらさまに動揺してしまう。何でわかっちまったんだろう。
「お金なら」
と、女の子は肩に掛けていたポシェットから何やら取り出す。
「あるのよ」
小さな手の中には、一万円札の札束が……。こ、これはもしかしてもしかしないでも夢にまで見て一生お目にかかることはないだろうと思っていた百万円の束では?
あ、いや待てよ。最初と最後だけが本物で間にはただの紙切れが挟まっているという可能性がある。だいたいこんな子がそんな大金持ってるわけないんだ。
「全部本物よ」
またしても俺の考えてることがわかったのか、女の子は札束をパラパラとめくって中を確認させる。
ゴクっ。
ど、どうやら全部本物だ。っうことは……。あ、いやいや待てよ。やっぱりおかしいぞ。何でこんな大金持ってんだ? まさか銀行強盗してきて、俺に逃亡の手助けをさせようとしているのか? それとも、こんなかわいい顔してお父さんはとっても任侠道に厚く背中におしゃれな刺青とかしてるとーっても怖いお人とか……?
俺の頭の中では次々と不安要素が浮かんでは消えていく。この子が何者かはわからんが、すっごくやばいことってのはわかるぞ。
断ろう。命あっての物種だ。死んじまったら元も子もない。
「あのね、お嬢ちゃん。おにーさんは今とーっても忙しいんだ」
「もう手おくれね。断れないみたいよ」
俺の言葉をさえぎって、女の子がぽつりと呟くと視線を後方に向ける。
「えっ?」
俺はつられて女の子の後ろを見た。黒ずくめのいかにもーって感じのおじさん数人が走ってきている。
もしかしてもしかしないでも、この子を追いかけてきた?
俺は目で女の子を訴えた。
「そういうわけだから、頼りにしてるわよ。探偵さん」
今までむすっとしていた女の子が初めて笑顔を見せた。そして、俺の手の中には百万円の札束が。
「だーっ!」
俺は頭をかきむしると、女の子を脇に抱えて走った。
「おにーさんによぉくわかるようにちゃーんとお話してくれないかな?」
「目が笑ってないわよ」
女の子は接客用のソファーにちょこんと腰掛ける。
「にしても、汚い事務所ねぇ。このソファーも座り心地悪いし」
ぴくっ。
頬が痙攣しているのが自分でもよくわかる。
「しかも、こんな人通りの少ないボロっちい雑居ビルを借りるなんて。だから、依頼がこないのよ」
ぴくぴくっ。
敷金礼金なし、家賃三千円ぽっきりのこの格安物件を俺がどんだけ苦労して探したと思ってんだ、このクソガキはっ!
探偵としても収入のない俺は日夜かけもちバイトで日々の生活をこなしているんだ。それをたかが十年そこらしか生きてない子供にケチつけられたくないんだよっ!
と、大声で言い返してやりたかったが、自分の手の中に札束を握り締めていては文句のひとつも言えない。
「ちゃあ〜んとお話してくれないかな?」
ここのあくまで営業スマイル。
「ここはお客さんにお茶のひとつもでないの?」
ぴくぴくぴくっ。
「そ……それは気がつきませんで」
俺は何とか怒りを堪えて、冷蔵庫からオレンジジュースの缶を出すと、グラスに注いでテーブルの上に置いた。
女の子はそれを一口飲むと、怪訝な顔でこっちを見る。
「やだ、これ。100%じゃないじゃない」
ぷっちん。
堪忍袋の緒が切れる音がした。
「お前いいかげんにしろよっ! 自分の事何様だと思ってんだ! 果汁100%だろうが30%だろうが、オレンジジュースには変わりねぇんだから、文句言ってねぇで黙って飲みやがれっ!」
俺はテーブルの上に百万円を叩きつけて一気に吠えた。女の子は冷めた目で、興奮した俺を見据えていた。しかし、文句を言うわけでもなく、女の子は黙ってそれを飲み干した。
「ぐすっ」
ドキッ。
「そんな言い方しなくったって……」
女の子はうつむき、体を震わせる。やばい。泣かせてしまった。俺って、例え子供でも女の涙には弱いんだよなぁ。
「ごめんよ、怒鳴ったりして。俺が悪かったよ」
俺は女の子の横にしゃがみこむと、ハンカチを差し出す。
「じゃあ、あたしのお願い聞いてくれる?」
「人殺しと盗み以外なら何でも!」
「その言葉にウソいつわりはない?」
「男に二言はないっ! ……え?」
見ると、女の子は顔を上げてにっこりと笑っていた。
は、はめられた? しかも十歳そこらの女の子に……。
「もちろん、ほうしゅうはちゃんと払うわよ」
女の子の目線がテーブルの上の札束に向く。しかし、俺にも男としてのプライドがある。
「依頼は受けるよ。約束だからな。けど、金はいらない」
「どうして? 生活苦なんでしょう」
ぐっ。痛いとこを突いてくる。
「いらないものはいらない。男に二言はないんだ!」
「大学卒業して就職ないからって仕方なく探偵やってるわりには筋が通ってるのね」
「大きなお世話だ」
って、どうしてこの子俺が探偵になった理由知ってんだ?両親にでさえ恥ずかしくって言えずに隠してたってのに。
「初仕事にはうってつけかもね」
「何だよ、お前のお願いって」
「簡単なことよ。ある人の目を覚ましてほしいの」
と、言われてやってきたのは、電車で一時間バスで四十分徒歩三十分程の別荘地だった。さすがに日も暮れると寒さが身にしみる。普通冬にはこんなとこ来やしないもんなぁ。
「まさか義理人情にすーっごく厚い人たちが待ってたりするんじゃあないよな?」
俺は遠回しに聞いてみる。
「どうしてそう思えるわけ?」
「昼間に黒ずくめの男たちに追われてたじゃないか」
「何のこと?」
きょとんとした顔でこっちを見上げる。
「あたしは助けてって言ったけど、黒ずくめの男に追われてるなんて一言も言ってないわよ」
「へ? けど、あの時『もう手遅れね。断れないみたい』って視線を……」
俺は言葉を切った。はめられていた? 俺が勘違いして、自分を担いで逃げることを計算していたとでもいうのか?
おいおい、マジかよ。どー見たって相手は子供だぜ。子供がそんなずる賢いテ使って大人をたぶらかしたっていうのかよ。
ったく、この子の親は一体どういう教育してんだよ。しかし、はめられたとわかっていても。もう断ることはできないのだ。
男に二言はない!
と、言い切ってしまったんだから。
「ここよ」
俺を無視して先を行く女の子は、とある白亜の洋館の前で立ち止まった。ビンボー人の俺には無縁の建物だった。こんなの一生働いたって買えないだろうな。
「入るわよ」
ぽかーんと見上げていると、女の子は玄関の扉を開けてさっさと中に入っていく。俺も慌てて中に入る。
室内は外観と違って質素なものだった。しかし、火の灯っった暖炉のおかげでずいぶんとあったかい。けど、人が見当らない。ここは女の子の別荘なのか?
「おい、待てよ」
きょろきょろと別荘内を散策する俺を無視して、女の子はまたしてもさっさと階段を上がっていく。ったく、マイペースな子だな。
俺が二階に辿り着いた時、女の子は突き当たりの部屋のドアを開けていた。俺も続いた。
そして、部屋に入った俺は言葉を失い、息を飲んだ。
ベッドの上に女の人−−薄暗くて顔はよく見えないが−−が眠っていた。まさか死んでるってことはないよな。
「目を覚ましてほしい人って、この人?」
俺の問いに女の子は黙って首肯いた。
「ねむり姫って話知ってる?」
「悪い魔法使いに眠らされたお姫さまが王子さまのキスで目を覚ますってやつか?」
「そうよ。彼女はそれを信じて眠りについたの。愛する人に起こしてほしくって」
「へぇー、今時そんなメルヘンチックな人がいるなんて」
「けど、相手の方は全く信じてなかったみたいで、彼女が書いた手紙を破って捨ててしまったのよ」
「なんかその話どっかで……」
聞いたんじゃない。俺は実際にその手紙を読んだことがある。
そうだ。大学を卒業する日にポストの中に手紙が入ってたんだ。最初はあこがれの彼女から手紙が届いた時には有頂天になって喜んだ。けど、よく考えてみれば顔を合わせた事はあっても話すらしたことがない俺に彼女からそんな手紙が届くわけもなく。
だから、俺はてっきりからかわれたと思って、その手紙を破って捨てちまった。
あれは本気だったのか?
「あの日から彼女はずっと眠ったまま」
女の子の言葉に俺の血の気は引いた。もう半年以上経ってるじゃないか。
「お前は彼女の妹なのか?」
「ま、似たようなものね。けど、これでわかったでしょう。さっさとキスして彼女を目覚めさせてちょうだい」
「キ、キスって、お前なー」
「あなたは彼女のこと嫌いなの?」
嫌いなもんか。彼女は美人で頭も良くってお金持ちで、ビンボー学生の俺にとっては高値の華だったんだ。
「いいのかな、今更」
「何弱気なこと言ってるのよ! あなたがキスしないと彼女は目を覚まさないのよ。それじゃ、あたしが困るんだから」
「何で?」
「もーっ! ぐだぐだ言ってないでさっさとキスしちゃいなさいよっ!」
鼻息荒く女の子にぐいぐいと引っ張られて、俺は彼女の前に立った。間近で見るとよくわかる。眠っていても彼女はキレイだった。
えぇーい、どうにでもなれっ!
俺は彼女に顔を近付けた。が、やはり眠っている彼女にキスするのは気が引ける。
「男にくせに何ちんたらやってるのよっ!」
どん! と後ろから押された。
「わっ」
お約束だが、その反動で俺の唇と彼女の唇が触れた。
や、やってしまった。
俺の眼前で彼女の目がゆっくりと開いていく。大きな漆黒の瞳に俺が映っていた。
「筧くん……?」
俺の名を呟くと、彼女の瞳から一筋の涙がこぼれた。
「夢じゃないのね。本当に連れてきてくれたのね」
「あの子に呼ばれちゃって……そのあの。そーいえば、名前聞いてなかったっけ?」
俺は女の子に助け船を求め振り向いた。
しかし、そこには誰もいなかった。
「あの、さっきまでいたんだけど。髪の長いかわいい女の子が」
「知ってる。あの子、私の夢の中に出てきたもの」
「夢の中に?」
「えぇ。自分がどんな手段を使ってでも筧くんを連れてくるからあきらめちゃダメだって」
「どんな手段……」
確かに。その手段によって、俺はここまで来たわけで。
「よかった。あきらめないでずっと待ってて」
彼女はぽっと頬を赤らめた。俺には何が起こったのかさっぱりだった。キツネにでもつままれた気分だ。女の子はいなくなってるし、彼女は俺のキスで目を覚ますし。何が何だかさっぱりわけがわからん。
けど、これだけはわかる。俺は彼女のことが好きで、彼女も俺のことを好きでいてくれた。
信じられないと言えば信じられなかった。学生時代に彼女目当てに演劇サークルに入っても、彼女は役者で俺は大道具係。まさか彼女が俺に好意を持ってくれていたなんて気付きもしなかった。俺、彼女にはいつも情けないとこばっか見られてた気がするもんなぁ。
「まだ夢見てるみたい」
「夢じゃないことを願うよ」
俺はもう一度彼女に口付けた。うーん、我ながらキザな奴だ。自分でやってて歯が浮いちまったぜ。
にしても、あの女の子は何者だったんだ? まさか幽霊ってことはないよな。実際に俺は女の子に触れてるわけだし。
女の子の正体がわかったのはそれからずっと先のことだった。
いろんな難関を乗り越えて結婚した俺と彼女の間に女の子が誕生した。
もうここから先は言わなくたってわかるよな? 十年後にはあの小生意気な子供になるのかと思うと頭が痛いよ。けど、今は新しい命の誕生を彼女といっしょに祝うことにした。
生まれてきてくれてありがとう。
おわり
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