第二話 日常
昼休みの無機質なチャイムが鳴ると、真央があたしの机に駆け寄ってくる。
これがあたしのいつもの日常。退屈でつまらなくて何の変化もない毎日。
「みー。今日はパン買いに行く?それともお弁当持ってきた?
あっ、そのピンかわいいねすごく似合ってるねぇ、ギンダム××に出てくる◯◯ちゃんみたい」
きゃあきゃあとはしゃぐ真央のねばっこい声に、クラスメイトの嫌なものを見るみたいな視線が集中する。ひっそりとした冷たい笑い声が空気に運ばれてきた。
真央に褒められたことで、駅前のショッピングモールで一目惚れしたりんごの形をしたモチーフがかわいいピンの価値が暴落したような気持ちになる。
「今日はお弁当、持ってきたから。ねえ、真央もうちょっと声落として」
「えっなんでなんでー??すごくかわいいのにぃ!」
ひとつ声のトーンを下げたあたしを無視して、鈍感な真央は夢中になっているオタク系のアニメの話ばかりしている。一度すすめられて見たけれど、かわいい女の子がしゃべっているだけのアニメで、何が面白いのかさっぱりわからなかった。
あたしは真央のこういうところが好きじゃない。クラスメイトの視線を気にせず、好き勝手に振舞って、人に迷惑をかけるところ。
口周りに生えている濃い産毛や、整えないままにしているボサボサの眉毛から、「ミリオ」というあだ名をつけられていることを知っていた。
「ちょっとみー、困ってるじゃん。ほら真央、パン買いに行こう。」
「明日香〜!行く行く!ちょっと待って、お財布持ってくるからぁ」
「じゃあ、真央連れて行ってくるね。瑞希と優希は先に食べてていいよ。」
ひらひらと手を振る明日香は、演劇部の部長で後輩の女の子たちから人気がある。
一度、ラブレターらしきものを渡されている明日香を目撃した。正義感が強くてまっすぐな性格の明日香は、先月一つ上のグループからハブにされた落ちこぼれだった。
「じゃー先に食べよーか。」
そう言いながら、あたしの前の席に腰掛けて、近くのファミリーマートで買ったこんにゃくに黒みつをかけている優希の腕は血管が透けるほど骨ばっている。通称「ガリ子」、まともな栄養を摂取せず、どんどん痩せていく彼女は、ご飯を食べられないビョーキなのだ。
だけどあたしは、寄せ集めばかりで構成されたこの冴えない4人グループの中で、一番優希のことを気に入っている。優希はかわいそうなくらい、自分の容姿を気にしていた。
自分がどう見られるかってことを考えることばかりに熱中しているところが、あたしと似ていると思ったから。
「ね、みー、コミネさんの噂聞ぃた?」
優希は口の横に手を当てて、ひそひそ話を持ちかけてきた。
「何?こないだの読者モデルの話?それとも年上の高校生の彼氏の話?」
「ちっげーよ。本当、あーしら以外の子と交流ないよな、みーは」
「絡む機会がなかっただけ。それで?小嶺さんがどうしたの」
「駅前のアーケードの中に、寂れたラブホテルあるの知ってるだろ?あの、『猿の手』とかいうふざけた名前のやつ。
隣のクラスの男子が小嶺さんと中年のハゲ親父が肩組みながらそこに入ってくの見たらしくて、学年中の噂になってんだよ。」
援助交際、というワードが一瞬頭に浮かんだけれど、その言葉はあたしの知っているコミネアカリの姿とあまりにもかけ離れているような気がした。
「は?小嶺さんが?嘘でしょ」
「やっぱ嘘だよな。ありえねーか、援交なんてさ。」
「振られた男子の嫌がらせじゃないの。絶対そうだよ。」
ちらり、と横目でコミネアカリの様子を伺うと、最近後輩の女の子たちがファンクラブを結成したらしい、サッカー部所属の樋口誠と和やかに談笑しながら、コンビニで買ったらしき卵サンドを口にしている。
樋口の冗談に笑みを返す表情はいつもと変わらず明るい。
「だよな。だってコミネさんだし。顔もかわいくてスタイルも良くて成績も優秀であーしらみたいなハミごにも優しくしてくれる性格の良さ!あんな完璧な美少女、漫画でも見たことないっつー。はー、マジで羨ましいわ。」
ため息をつく優希の首筋に、真新しいアザが浮かんでいることに気づき、いたたまれなくなる。
それは誰かに殴られでもしなければ残らないような、大きくてくっきりとした青い傷跡だった。
それどうしたの、とあたしは優希に尋ねない。何も聞かず、見なかったことにして目をそらす。
優希の下らない話にツッコミを入れつづけるあたしは、はたから見ればやっぱり、薄情な友達かもしれない。
ごめんね、優希。手に負えそうにない、やっかいなことに巻込まれるのって面倒じゃん。
小さく呟いた贖罪の言葉はきっと、彼女の耳には届かない。