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夜と月の廻らない軌跡  作者: 空が昏れ
再会と別れは新たな始まりに繋がるだろう
2/18

供えた花は風に飛ばされてしまうので

 日が登ってからしばらくたった決して早くはない時間、背の小さい年老いた男が目的の場所へと向かって歩いていた。周りにはちらほらとだが男と同じ目的でこの場所に訪れただろう人が見られる。


 男は迷いのない足取りで目的の場所に着くとそのまま膝をつき、ずっと手に握っていた白い花をそっとその場所――墓に供えた。

 その墓は周りの墓に比べて少し大きめな石でできた墓標の、とても簡素な墓だ。墓の前には今しがた男の手によって墓に供えられた白い花が微かに吹く風によって揺れている。いや、墓に供えられたというのは間違いだろう。しかし男が本当に花を捧げたい愛する人はもういない。だから墓に供える以外になかった。


 男は目を閉じ手を組んだような格好をしたがすぐにやめてしまった。それは死者への祈りためにこの場所に訪れた誰もがする格好なのだが、男のようにぞんざいにする者はいない。というのも男はこの祈りに意味があるとは思えないからだ。それでも祈りをするのは墓標を借りている場所が場所なので形式だけでもしているのにすぎない。

 死者へ生者が関わることなんてできない。当たり前だ。死者へ生きているものの祈りは届かないし、生きている者の思いを死者が知ることもない。なぜならこの世界のどこにもいないからだ。

それはわかっている。祈りも思いも願いも声も何もかも――、届きはしないとわかっているのにそれでも男もこうして墓標に来ることをやめることはできないのだ。





「もう少し、もう少し待っててくれ」


 酷くしわがれた声だった。何かに疲れ必死に何かを耐えるように、それでいて願いを乞うようにも聞こえた。そんな声は男の武骨な見た目には酷く不釣り合いな声に思えた。

 しかし声とは裏腹にまっすぐと墓を見つめるその瞳には男本来の強さが滲む姿が垣間見えるような、揺らぐことのない確かな決意が秘められているように思えた。



 墓に語りかけたところで意味のないことを男も分かっていた。


 墓などは何もかも忘れていく種族の人間が大切な人がいたことを忘れないために創ったものだ。自分達のように長い時間を生き、それまで生きてきた中の思い出を忘れることのない種族には必要のない物だ。男も愛する者の仕草や声……色んな表情を今でもしっかり覚えている。

 それでもだ、男には自分の為に必要だった。なぜなら記憶の中では――愛する者の好きだった花を捧げることは出来なかったからだ。

 墓は生きている者の為にあるのだろう。しかしその意味はきっと、墓の者への想いで出来ているのだろうと男は思っている。ここへ来る者がいなければそれはただの石の塊なのだから。






「お前もこのままワシがそっちに行ってもどうせ、グチグチと文句を言うじゃろーて……」


 いや、もしかしたら文句だけではすまないかもしれないと男は思い直した。思い出の中の者へ語りかけているからか、男の表情は先程よりも微かにだが穏やかになっている。


「あいつらがもう一度来るまで、まだ死ねんのじゃ」


 その言葉は此処にはいない墓の相手にというよりはどこか自分に言い聞かせているようにも聞こえた。男はずっと待っていた。あの日から訪れることのなくなった人を……いや、待っていたかった。愛する人に先立たれても、彼が歩んできた道のきっかけをくれた人へ最後の仕事を捧げたかった。

 どんなに長い時間が経とうとも男は待つと決めたのだ。たとえ男の時間に限界があったとしても、体が限界だったとしても、待つことを諦めようとは思えなかった。しかしそれはもちろん男のただのわがままである。待つことを選んだことも、最後の仕事を捧げたいと願うことも、男のただのわがままだ。


 彼らは昔から音沙汰もなく突然ふらりとやって来ては長い、長い、旅に出るような気ままな奴らである。 それでも彼らはいつか、必ず訪れてくれるのだ。男さえ生き延びていれば会えることができるのだ。だからこそ生き続けると決めた。たとえ共にありたいと願った者が傍にいなくとも……。



「だから……」


 男は墓標に刻まれている名前をゆっくりと皮が厚くなってしまっている指でなぞった。墓に刻まれている文字も掠れて読みにくくなっていることから幾らかの年月が経っていることが伺える。


「もう少しだけ待っててくれ」


 男は刻まれている名前に手は添えたままもう片方の手は土と一緒に男が墓に供えた花を強く、強く、握り締めた。硬く無骨な手はあまりにも強く握っているためか白く変色してしまっている。


 生きてくれているときに甘い言葉などは囁くことが出来なかった。だから変わりに花を捧げた。特に珍しくもなんともないそこらへんに生えている野花である。けれども彼女は喜んでくれたから――。

とても特別な花なのだ。





 まだ死ぬわけにはいかない、分かっている。そう決めたはずなのに――。

 それでも男は今は亡き者へ会いたいという思いと、目の前に迫る安らかな眠りへの誘惑に魅せられているのも事実だった。



 男はゆっくりと立ち上がると別れの言葉を言うことなくその場から立ち去るために歩き出した。だが次の日もその次の日も男はここに来るのだろう、今までと同じように毎日、……そして花を供えに来るのだ。


墓で囲まれた道を男は酷くゆっくりと進んで行く。






そして男がいなくなった墓の前には風に揺らぐ白い花だけが残っていた。



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