四章 狼はやさしく
フェンリル用の食糧を無事に……とはいえないか。文字通り手痛い代償を支払わされはしたものの何とか買い付け、僕らの任務は残すところあと半分だった。
ヘルムヴィーゲによるルーン魔術で、瞬時にヴァルハラへ僕たちは舞い戻る。
せっかく買ってきた肉をだめにしてしまうわけにはいかないので、僕らは戻ってきたその足で厨房に向かう。とりあえずお肉を冷凍庫に入れて料理長を探しに……と思ったら、厨房にはご都合にも料理長の姿があった。
「お、やあどうも、お帰りなさいませヴァルキューレ様方、それとビューレイスト君も、ってビューレイスト君どうしたんだ、その腕は!? 任務は食糧の買い出しだったはずだよね!?」
包帯でぐるぐるにされた両腕、その痛々しい有様を見た料理長は驚きの声を上げり。僕たちはそろって苦笑いを浮かべて、事の顛末を話した。
「ふーむ、なるほどねぇ、まさかそんなことがあったなんてなあ」
「いやあ、本当に大変でしたよ」
「だろうね……でも、僕が思うにその課題、あの冷凍庫を使えばよかったんじゃない?」
「……えっ?」
「カチンコチンに冷凍してしまえば、ちょっと力を入れて粉々にできちゃうでしょ?」
「で、でも、道具を使っちゃいけないって」
「壊すのに使わなければいいんじゃないの? だって、腕を斬り落とすのには剣を使ったんでしょ?」
事もなげに告げられた料理長の案を聞き、僕らは一様に押し黙る。あ……そう、そっか、そっか、そういうやり方もありだったのね、ふーん……。
「僕の頑張り返して」
僕はありがた迷惑な謎解きをしてくれやがった料理長に掴みかかりたかったけど、手がないからできなかった。
「あ、あはは、何か余計なこといったかい、まあまあいいじゃないか、君ががんばったことはここにいるみんな知っているんだからさ。それよりほら、食材をこっちに。フェンリル様に食事を届けに行くんだろう?」
持ち出されたら黙って従うしかない話題転換術で、僕の憤りを料理長は巧みにあしらってしまう。
く、そういうところばっかりうまいんだから……。どうもペイティの間の手からあの手この手で逃れるために、自然と機転が利くように訓練されているみたいだ。
料理長はいつもの理場奥にある大型粉砕機で家畜肉を骨ごとミンチに変えていく。パン粉や卵なんかをつなぎにしてや居たらおいしいハンバーグができそう……なんてことを考えているうちにフェンリル用の料理はあっという間に完成した。
「ところで、料理長、気になっていることがあるんですが」
「なんだい?」
「それって何の肉なんですか?」
わざわざ外海王のもとまで買い付けにいかないといけないのだから、よほど希少なのだろう。
そう思って僕は聞いてみたのだけど、料理長は固まってしまった。
「料理長?」
「……ああ、料理の途中だったね。えっと調味料は……」
「あの、何の肉かということなんですけど……」
「!?」
料理長はまた固まってしまう。
ブリュンヒルデたちを僕は見たけれども彼女たちも不思議な顔になっていた。何の肉か知らないようだった。
「……料理長」
「ああ、そうだそうだ、これでいいんだった」
「あの……」
尋ねかけたけど灰色になって固まる料理長の背中を見て僕も黙る。聞かない方がいいみたいだ。
料理は確保できたのだからいいかな。僕は納得しておくことにする。
「と、とにかく行きましょうか」
ブリュンヒルデも空気を読んだのかぎこちなく言ってきた。
「そうですね」
「では、ビューレイストさん、私の傍に来てください。またニザヴェリールまで飛びますのでね」
ブリュンヒルデに指示されて、僕たちは一か所に集まって円陣を組む。
ルーン魔術によって再び夜の大地へ瞬時にやってきた。ここで僕はようやくフェンリルの居場所を知ることができた。
「フェンリルはここニザヴェリールからさらに西スヴァルトアールヴヘイムと呼ばれる黒妖精の国の奥地に拘束されています。天上の東に位置するここアースガルドから見れば九つの世界でもっとも遠い場所になります」
「隔離の仕方に神々の本気を感じます」
どれだけフェンリルを恐れているんだ。アースの神様たちは。
「ふむ、ビューレイスト殿が呆れしまうのも無理はないが、逆に心していただきたい。あの魔狼フェンリルは、ヴァナルガンド……破壊の杖とも呼ばれる恐るべき怪物だ。厳重に拘束されているとはいえ、迂闊に近づけば命の保証はないぞ」
「うむむ、小姑つもりで言うておくとそんなところじゃ。まあその反面、迂闊に近づかねば安全じゃという意味でもある。つまりは気楽にしておれと言うことじゃ」
お二人から忠告とフォローをいただいたところで、僕らはスヴァルトアールヴヘイムを目指していよいよ移動を開始する。
「ビューレイストさん、肩をどうぞ。シュヴェルトライテは左肩をお願いします。ヘルムヴィーゲは、荷物持ちです。頼みましたよ?」
「承知」
「ま、もうひと踏ん張りするかな」
魔力の翼でふわりと浮かぶブリュンヒルデとシュヴェルトライテの力を借りて、飛翔の準備は万全になった。
三人は声も高々にルーン魔術を詠唱させて、エワズを発動させる。
ちなみにエワズとは馬のルーンのこと。その効果を具体的に言うなら加速をする。しかも、複数で重ねがけするほどに効果が高まるというすぐれものだった。エワズが司る団結の意味を象徴する協力型のルーン魔術だ。
だから、今三倍の加速になる。あのグリンブルスティよりも早いかもしれない神速の飛翔によって、僕らはごく短時間のうちにニザヴェリールの横断をはたした。
そして、隣国スヴァルトアールヴヘイム、その奥地にあってくる。
闇に包まれた世界の中、まるで自己主張するかのように青く発光する壮大な湖が見えてくる。
「ビューレイストさん、見てください。あの湖の中心に浮かんでいるのが、フェンリルを拘束している孤島のリングヴィです」
アームスヴァルトニルという光の湖が照らし出す、地の果ての島リングヴィ。
こうして上空から見下ろすとよく分かる。巨大なクレーターを思わる擂鉢状にえぐられた独特の形をしたその島は、まるで大きな破壊の後のように草木一本もない。
「なんだか変な島ですね。形も、見た目も」
眼下に広がる孤島の歪さに僕が誰にともなく感想を漏らしたら、右肩を貸して下さっているブリュンヒルデがすかさず疑問に答えてくれた。
「あれはフェンリルがやったものなんです」
「あ、あれをフェンリルが。信じられない」
「言っただろう。島後を変形させてしまうほどの大破壊。それをいともたやすくやってのけるのが、封じられている魔狼の力だ」
左肩を貸して下さっているシュヴェルトライテが脅すように言ってきた。それに苦笑を浮かべて頬を書きつつ荷物持ちのヘルムヴィーゲ様が続けた。
「まあ、ここまでされるとは想像もせんかったがのう。このリングヴィという島はな。もとはどこにでもある普通の島じゃった。島の中心には大きく深い裂け目があって、フェンリルは縛られた上でその裂け目に投げ込まれたのじゃ。じゃが、それがあやつの堪忍袋の緒をきった。身動きを封じられていたあやつは全魔力をこめた雄叫びを放った。今の姿はその結果じゃ」
「お、雄叫びだけでですか」
それでこれほどの破壊をなんて僕は声が出なくなる。
だとしたら拘束されているからって迂闊に近くのは気意見なんじゃないか。う、今更だけど何だか震えてきちゃった。
「大丈夫ですよ、ビューレイストさん、フェンリルはその時の破壊のために力を使い過ぎて今は著しく弱体化しています。回復の兆しはまだないので、同じことをされる心配はありません」
「あ、そうなんですね、なら良かったです」
いけない、僕の震えがブリュンヒルデに伝わっちゃったみたいだ。
僕は自分で自分の尻を叩く。しっかりしろ、ビューレイスト、ロスヴァイセ様のために頑張るって、そう決めてここにやってきたんじゃないのか。……今手はないのであくまでたとえ的な奴だけど。
とにかくこころを奮い立たせて僕は島を見下ろす。
破壊の中心に、そいつはいた。
「フェンリル、起きなさい。食事の時間ですよ」
地上に舞い降りるや、ブリュンヒルデが普段は見せない勇ましさでそいつと対峙する。
彼の者は銀の体毛をしていた。山のように巨大な体躯、しかし、その体は一本の華奢なひもで縛りあげられて自由を封じられている。
しなやかに伸びる前足には、一かきで世界を引き裂くだろうと言われたらあっさり信じてしまうくらいに鋭い鉤爪、山のような巨石を抱えて眠る銀狼は、戦乙女の呼び声に遠雷のような唸り声を上げて目を覚ました。
「……腰抜けどもの使い走りか。遅ぇんだよ。もう少し遅けりゃこの島を丸ごとのみこんでやっていたところだ」
口を全く動かさずに、独特の発声法でフェンリルは話してくる。
彼の不遜な物言いにさすがの戦乙女、ブリュンヒルデは毅然とした態度で返した。
「それであなたのお腹が満たされるのであれば構いませんが、それで、もし腹を肥やしてしまっても私たちは知りませんよ?」
ブリュンヒルデの忠告に、フェンリルは金色の目に激しい怒りを宿らせ、牙を剥く。でも、その口は悔しさに歯切りしりすることさえ許されていなかった。
それでもそのはず。フェンリルの口は、大口をあけた形で固定されてしまっている。切っ先が上あごに、柄の先が下顎につっかえ棒のようになっていた。
「さて、姉様、問答はそのあたりにして任務を澄ませましょう。フェンリル、心して食せよ」
「ほいほい、とっとと終わらせて帰るのが吉じゃて。こんなおっかないとこに長いなんぞできん」
シュヴェルトライテとヘルムヴィーゲは言いながら持ってきた大量の謎の肉を離れた場所からフェンリルの口に放り込んでいく。放り込むというのは優しい表現かもしれない。実際は大きく開け離れた口に、多少の調味料で味付けした謎の肉を遠慮なくぶちまけているだけだ。
食事というのは囚人であってももっと楽しめるものなのに、フェンリルの食事は何なんだろう。
僕は言葉にできない気分になってくる。
容器につまっていた肉を投げ終えると、みんなはさっさと帰り支度を始める。そこで僕は思い切ってあるお願いをすることにした。
「あの、一つお願いがあるのですか」
「なんでしょうか? あ、ビューレイストさんはフェンリルに何かお話があるんでしたよね。もう仕事は終わったので、構いませんよ」
「あの、僕をフェンリルと二人きりにさせてもらえませんか?」
「は……え、えぇぇぇ!?」
心の底からブリュンヒルデは驚く。二人の妹様達も同じだった。気は確かかとでも言いたげな視線をひしひしと感じる中、僕は態度で誠意を示すだけでなくまたもや伝家の宝刀を抜く
「お願いします。ロスヴァイセ様のためなんです」
「う、その、ビューレイストさん。どうして、フェンリルなんですか? 会って話したいとは聞いてましけど、それで本当にロスヴァイセのためになるんでしょうか?」
「なります。だけど、そのためにまずフェンリルと腹を割って話をする必要があるんです。そうするのに一番いい方法が、初顔合わせの上に親族ではない僕が一人で話すことだと思うんです」
「理屈は分かりましたけど、さすがに一人では危険すぎます」
「んー良いではないか、姉君。どうせ今のあやつには何もできん。物は試しと任せてみてはどうじゃろう」
「ヘルムヴィーゲったら簡単に言って……でも、ビューレイストさんをフェンリルと引き合わせることは最初にお約束しましたからね……わかりました。ただし、シュヴェルトライテ」
「心得ています。もしもんことがあれば私が」
シュヴェルトライテが静かに力強く頷く。
うげ、まじですか。
シュヴェルトライテが、もしもの時はあのフェンリルとやり合うつもりだっていうのか。
僕の身を案じてのこととはいえ、身動きできない相手に腰を抜かせるわけにはいかない。
これは慎重に会話を進めないと。
「で、では……いってきます」
僕はみんなにお辞儀をすると、一歩一歩フェンリルに歩み寄る。フェンリルは一人のこのこ戻ってきた僕に目をやると、大きく息を吐いた。
「神族ではないな。ただの人間か? 何の用だ?」
「うわ、一瞬で見抜くなんて凄まじい嗅覚ですね。さすが、フェンリル様。僕はビューレイストと言ってヴァルハラの食堂で働く料理見習です」
「料理見習がどうした? 俺を料理にしにきたのか?」
「そうではなくて」
「どうでもいいが、まずはその下らねえ、おべんちゃらはよしてもらおうか。胡散くせえ丁寧口調もだ。俺に嗅ぎ分けられるのが臭いだと思ったら大間違いだぜ」
むむ……想像以上の慧眼、下手な建前は通じないか。元々そうするつもりだったけど、フェンリルに偽りなく本心で話さなければ怒りを買うだけっぽいな。
「分かったよ、フェンリル。じゃあ、普段の調子で話させてもらうけどいいかな?」
「誰がいいと言った? そもそもお前と話をする気はねえ。失せろ」
「そんな、僕のことまで邪険にしないでよ。僕は神族じゃない。少なくとも僕は君の味方のもつもりだよ」
「黙れ小僧、味方だと、はっ、そういうくそみてえな台詞はこの紐の枷から、忌々しい、グレイブニルから俺を解き放ってから吐きやがれ」
フェンリルを捕縛する、絶対に切れない魔法の紐グレイプニルの拘束から解放要求されても僕は引き受けられるわけがない。
「ごめん……悪いけど、それはできない」
「……だろな、そうだろうよ、は、どこが味方なんだか」
「ううん、そうじゃないよ、だってフェンリルの力でも外せないグレイプニルを僕が外すなんて無理じゃないか。常識的に考えて。それに今ここで僕がグレイプニルを外そうとしたら、あっちで見てるヴァルキューレ様方が黙っていないよ。だから、僕はたとえ外せるとしても今外さない」
「……そうかよ」
「ね、僕は味方でしょ」
笑顔で僕に同意を求められたフェンリルはバツが悪そうにそっぽを向いてまた大きく息をはいた。
「ねえ、フェンリル、君はどうしてこんなことになっちゃったの?」
「なんだ、お前は知らねえのか」
「知っているよ、神様のほうの言い分ならね。でも、僕は君から話をきいてみたいんだ」
「物好きな野郎だな、ったく」
呆れたように言って寝そべりなお石、面倒くさそうにしつつも彼は話をきかせてくれた。
「……俺は端、曲がりなりにも昔は神族の一員だったんだ。この金色の目がその証だ。だが、俺は混ざり門だった。おふくろは巨人、親父は神と巨人のハーフ、高い神格を持ちながら巨人の血の影響が色濃くあらわれた俺は、醜い狼の姿で生まれた。弟はでかい蛇で、妹は美しかったが、半分視認。周りからは露骨に気味悪がられたな」
神と巨人、両方の血をひいて生まれた怪物か。そういえばロキも神と巨人のハーフだって話を僕は思い出す。
「だが、ある日、予言神ミーミル、くそったれな予言を読みやがったんだ。醜き三柱の神、世に破滅をもたらさん。ってな、アースの神は日増しに力をつけていく俺たち兄弟を恐れていた。予言が読まれてこれ幸いとばかりに、奴らは俺たちを殺そうとした。だが、俺の育ての親である軍神テュールがそれをやめさせた。何でも邪悪な血でアースガルドを汚すことはできないだとさ。そこに親父のとりなしも重なって、俺たち兄弟は離れて生き地獄コースまっしぐらってわけだ。俺の場合はこんな具合にね」
目を血走らせるフェンリルは吐き捨てる。世界の企てを呪っているかのようなその眼を見て、僕は居た堪れない気持ちになった。
「テュール様は君をまだ気にかけているよ。父親だって、そんなとりなしをしたのならそうであっても君には生きてほしいと願っているんだよ」
フェンリルはふんと詰まらなそうに息を吐いたけど悪態は出てこなかった。
僕は頃合いと感じて本題を切り出すことにする。
「ねえ、フェンリル。実は僕、君の知恵を貸してほしくてここまで来たんだ。お願いしてもいいかな?」
「知恵だ? おれにゃ、学の欠片もねえ」
「学なんかなくても大丈夫だよ。僕はただ狼としての君の話が聞きたんだ。フェンリル、もし、知っているなら教えてほしいんだ。見境をなくした狼を、なだめる方法を」
「狼をなだめる方法!? 知らねえな。仮に知っていても、わざわざ教えてやって俺にどんな得がある?」
「何があったら、教えてくれるの?」
「決まってるだろ。こいつがとれることだ」
言って、詰めの先で口の剣を圧死示す。
「流動食じみたミンチないい加減に飽き飽きだぜ。こいつを外してくれるのだったらちったら真面目に考えてやってもいいぜ」
「それなら……いいよ」
「小僧、お前、自分が何を言っているかわかってるのか? こっちから頼んでおいて何だか、この口の剣が外れりゃ、俺の口は自由になる。あまりの嬉しさに、思わずお前を食っちまうかもしれないな」
「料理になるも、たまにはありかな」
僕は思ったよりすんなりとその言葉を口にしてしまった。
「はあ、さっきからなんなんだよ、お前、頭おかしいのか?」
「まあ、いいや、じゃあ、とりあえず剣が外せるか試そう」
そこで僕は気付いた。そういえば今の僕は両手ないんだっけ。これじゃあ、たとえ竜化しても文字通り手が出させない。残念だけど試す以前の問題だったよ。
包帯ぐるぐるの手を見詰めて溜息をついていると、フェンリルは僕の手首の先がないことに今更ながら気づく。
「お前、それどうしたんだ?」
「見てのとおりだよ、切り落としたんだ」
「何故だ? 波の覚悟じゃそうはいかねえぜ」
「だって並の覚悟じゃなかったんだよ。こうするしかないと思ってたし」
「答えになってねえな。お前はなんのためにそこまでできたんだ?」
「そんなの決まってるじゃないか。大切な人のためだよ」
憂いのない笑顔で応え、僕は自分の行いを誇ってみせる。後悔なんて、あるわけない。これは僕が望んで選んだ結果なんだから。
それでも、フェンリルはどういうわけか目を見開いて僕を見た。いや、その眼は僕を見ているようでもっと別の……どこか遠い場所を見ているような目だった。
「なあ、あの日のテュールも、そうだったのか・」
「え、テュール様?」
フェンリルがいうテュール様からみあの日と言えば、多分あの日のことだろう。フェンリルがグレイプニルが拘束され、テュール様の腕を噛み千切ったあの日だ。
「あの日……グレイプニルから抜け出せない悟った俺は、怒りに任せて奴の腕を噛み千切った。当然の報いだ。奴らはグレイプニルが見た目通りのちんけなひもだと嘘を吐いた。嘘ではないことの証明として俺の口に入れられたテュールの腕は噛み千切られて当然だ。だが、ずっと気になってたんだ。あの時のテュールはさ、笑ってやがったんだよ。嫌味たらしいもんじゃねえ、さっきお前が浮かべていたみたいな優しくて、あったけえ、笑顔だったんだ」
……そっか、そのことを僕に打ち明けた時点で、きっとフェンリルは薄々感づいている。
その時のテュール様は僕と同じ気持ちだったに違いない。その手はきっと「大切な人のため」に、差し伸べられていたんだ。
「僕の個人的な考えだけど、やっぱりテュール様は君を守ろうとしたんだと思う。その日グレイプニルを試すことを君が拒否したなら、多分オーディン様はその時点で君を殺すつもりでいた。そうさせないために、テュール様は自分の右手を差し出したんじゃないか。君が唯一信頼を置く自分が証明にされば、きっと嘘に騙されて捕まってくれる。それで君の命が救われるならね、たとえ腕を失ってでも、君に一生、憎まれてでも」
「………」
フェンリルは過去を顧みているのか無言になる。
重々しい沈黙が、えぐられた孤島の中心地に淀んだ空気を作り上げる。でも、そんな中、フェンリルは答えとなることでももって、その淀みを一気に吹き散らした。
「ビューレイストといったか。一度しか言わねえからよく聞けよ。狼との付き合い方、それは……決して裏切らないことだ」
「裏切らないこと、そっか、ありがとう、フェンリル、肝に銘じておくよ」
こことは違う、別の未来があるとして裏切りを知らなかったフェンリルは、きっと今でもテュールと仲良く黄金の野を駆け回っていたことだろう。
僕は誓う。
かつて叶わなかった幸せな結末に、ロスヴァイセを必ず導いて見せる。
外海王エーギル、そして、破滅の魔狼フェンリルに会うという怒涛の一日から一夜が明けて、自室に戻った僕はベッドの上でぶるぶると身悶えしていた。
昨日、切断した腕は既に戻っているから痛みはない。僕が身悶えしているのは考えてるからだ。フェンリルに教えてもらった狼との付き合いか、裏嫌いこととは何なのかと。
「はあ、考えていたら。それって一体どうやって証明すればいいんだろう」
具体的なことが何一つ多い浮かばなくて、昨夜は結局ほとんど眠れなかった。これ以上ないアドバイスを得られたはずなのに、何もできない自分が歯がゆい。
「ああ、駄目だ。駄目なんだよ、こういう時は一人で考えてたってろくなことにならないって相場は決まっている。ここは誰かの知恵を貸してもらわなきゃ」
ただの弱音ともとれる考えのような気もするけど仕方ない。僕はロスヴァイセを一秒でも早く元気にしたいんだ。ここは恥も外聞も捨てて他の人の協力を仰ぐべき。
方針を固めた僕は早速行動開始した。行き先はもちろんブリュンヒルデのもとだ。
僕は女神の館ヴィーンゴールブで早速行くと、この前外観を覚えたばかりのヴァルキューレの寮に向かってゆく。
「おはようございます、ビューレイストです。ブリュンヒルデ様、いらっしゃいますか?」
「え、ビューレイストさんですか!?ちょっと待ってください」
辿り着いたブリュンヒルデ様のお部屋の前で、僕はしばし待てを命じられた。
中から何やらぼたばたと物音がしてくる。連絡もなしに、しかも早朝に訪れるのやっぱり非常識だったかな。
「お、お待たせしました。ビューレイストさん、どうぞ」
「お邪魔します。……あれ、綺麗に片付いているじゃないですか」
「それは、片づけましたからね」
「すぐに片付くのなら、別に気にするほどの有様ではなかったんじゃないですか」
「そうかもしれませんけど、乙女の部屋なのです。男性には見られたくないものだったあるではありませんか。尋ねてきた相手次第によっては」
ぼそぼそと語尾を濁ししつつ、ブリュンヒルデはもじもじする。僕もよく聞き取れなかった。
「それより、ビューレイストさん、こんなに朝早くどうしたんですか? 昨日のことでお疲れなのでは?」
「いやあ、実は僕にそれはないんですよ。腕もどうにか無事この通りで、僕はまっさらリフレッシュ状態ですからね。魔力消費による疲れも朝にはとれますし、前日の疲れも怪我も全く残らないんです」
「本当に元通りなんですね。そんな便利な能力なら私もあ、すみません、私、つい軽く言ってしまって」
暗くなりそうな話題を続けたくないので、僕は早速ここは来た目的をお話しした。
「ブリュンヒルデ様、実は、僕、ちょっと困っていることがありまして、今日に相談に乗っていただきたくてお伺いしたいんです」
「困りごとですか、いいですよ、私で相談に乗れることでしたら、何でも」
ブリュンヒルデは二つ返事でオーケーしてくれたので、僕は甘えることにする。
「僕はロスヴァイセ様の元気を取り戻したくていろいろやっている途中なのですが、よく考えてみたら僕ってそれほどロスヴァイセ様について詳しくなくて。だから、参考になりそうなことをもっと知りたいんです」
「ロスヴァイセですか、そうですね、あの子は私たちヴァルキューレ姉妹の末っ子なんですが、実は私たち姉妹はそれほど生まれた時間に差はないんです。ほぼ同時に一斉に生まれたのが私たち。だから、上とか下とあの差はあまりないんですよ。でもロスヴァイセにだけは一つだけ決定的な差ですか」
「それって、あの神技のことですよね?」
「それもですが、それよりも、もっと決定的だったのが、私たちヴァルキューレにとって最も大切な風の力が、あの子にはほとんど吹いていなかったんです」
ヴァルキューレにとって最も大事な風の力がほとんどないということは、ロスヴァイセのヴァルキューレとしての能力は、全体的に極めて低いと言うことになる。
「あの子の風の弱さについては姉妹の誰も触れたりませんでしたが、あの子自身はそれを昔から気にしていました。ほとんど風のないあの子の能力は相対的に低く、実験席手奈任務では、姉たちの足を引っ張ってしまう、常にそんな強迫観念に悩まされていると四女のヴァルトラウテが言ってました。」
「ヴァルトラウテ様経由の情報ですか?」
「ええ。確かにあの子は戦士としては未熟で、優し過ぎました。でも、それ以外の部分では他の姉妹よりも誰よりも優れていたんです。明るく気張り上手で、料理もお菓子作りも、再訪も、掃除も、家庭的な分野は何でも上手にこなしていました。ですが、その両極端な長所と短所によって、あの子はますます戦いを嫌うようになったんです。そして、それ引き金であったかのように、あの子は自分の神技をうまく操れなくなってしまった」
そうか、それで階層状態に。あれ、ちょっと待った、それってどういうこと。
「すみません、ブリュンヒルデ様、ちょっと質問が。ロスヴァイセ様の神技が安定してないのは後天的なものだったんですか?」
「いえ、不安定といっても、昔は暴走せずに使用できることもあったんです。でも、いつからかそれができなくなって、使えば必ず暴走するようになってしまって……」
自分の弱さにコンプレックスを抱いていたロスヴァイセは、戦いを嫌うようになった。それだけ、誰かが傷つけられることを恐れている。
それほどに優しい、戦いとはほど遠い存在の彼女が確実に暴走してしまうようになったのは本格的に戦いを嫌うようになってから。
じゃあ、どうしてそれほどまでに戦いが嫌になったのか。それは恐らく、ブリュンヒルデが言われた通りではないか。僕は考える。自分の長所が家庭的な分野にあったことを根拠にして、戦いの分野は自分の端緒なんだと開き直ってしまったんだ。
そんな風に考えてしまうのは、可哀想だけど、無理もない。なにしろヴァルキューレ達には、それぞれの特色とも言える能力の個性がある。
「ん、ちょっとまった、それこそヒントになるんじゃないか」
ロスヴァイセに戦いにおける長所がない、という前提をまず捨てよう。彼女だって戦乙女なんだ。戦闘方面での長所は絶対にあるはずだ。
そう考えた時、真っ先に浮かんでくる彼女の特徴は弱さだった。言ってしまえば、彼女は姉妹の誰よりも弱さに優れている。
それなのに、ロスヴァイセ様の神技は試合の誰よりも強力で凶暴であること。
姉妹一弱い彼女が、実は姉妹で一番強いというこの矛盾、これには多分、彼女の髪技に秘密があるんだと思う。
力も技も、全てが最弱のロスヴァイセ様が神技使用時にだけ最恐になる。
「すべての面が強く……そうか……そうか分かったぞ! そういうことならすべてが納得いきます」
「な、何が分かったんですか、ビューレイスト君!?」
「すみません、ブリュンヒルデ様、僕はこれで失礼します! 貴重なお話、お話ししてくれてありがとうございました」
言うが早いか、僕は居ても立っても居られない気分で、ブリュンヒルデの部屋を飛び出ていく。浮き立つ心と足が向かう先はもちろん、ロスヴァイセのお部屋だ。
「ロスヴァイセ様、ロスヴァイセ様、いますよね、ビューレイストです、ロスヴァイセ様」
どんどんと力強く扉を叩き、僕は反応がない部屋の主に呼びかけを続ける。すると扉の向こうから反応があった。
「ビュ、ビューレイスト君……うるさいよ、もう、起きているから」
「起きているかどうか確かに来たわけじゃないですよ。外に出てきて欲しくて、お呼びしているんです!」
「それは、や、やだ」
引き籠ってから、結構な日数が立った。それに引け目を感じているのか、ロスヴァイセ様の返事は既に揺らいでいた。ひょっとしたら、このまま放っておくだけでも彼女は自分から出てきてくれるのだろうか。
だけど、今はそれすら惜しい。
「ここまで大事になってしまって、僕やみんなと顔を合わせづらいのはわかります。ですが、ロスヴァイセ様、もしあなたが本気で僕に申し訳ないと思っているのなら、どうか一つだけでも僕のお願いを聞いてくれませんか?」
内罰的になっているロスヴァイセへのあてつけがましい言い方は後ろめたさがあったけども、効果はあった。
「出てきたよ、なに?」
やっと顔を見せてくれたロスヴァイセは恥ずかしさと、気まずさがある不貞腐れた様子だった。それでも、やっと僕の前に出てきてくれたことに僕はうれしい。
「出てきてくださってありがとうございます。ではお部屋から出てきた次いで位に寮の外まで行きましょう」
「え、どうしてぇ!?」
「ずっとお部屋に閉じこもっていたら身体がなまっているでしょう。たまには思う存分に身体を動かして、ついででに神技も使ってみましょう」
「え、え、えうぇえ」
僕がさらっと言ってのけると、ロスヴァイセは、呆気にとられたような声を出してから意味を理解して驚愕の叫びをあげた。
「どういうことですの、姉様、これでは前回の二の舞になるではありませんか」
「え、でも、ビューレイストさんは今回は自信満々で……多分何か考えがあるのだと」
ブリュンヒルデたちヴァルキューレ姉妹たちが戸惑いに満ちたひそびそ話が廊下の先から聞こえてくる。僕は腰に回した後ろ手で親指をぐっと立てる。
「神技を使えって、なんで、そんなこと言うの、ビュー君。私、神技はもう使わないよ。そうきめたんだもん」
「いいえ、使ってください。それが僕のお願いですから」
「え、ちょっと待って。ビュー君、お願いは部屋から出てきてっていう、お願いだったはずだよ。私ちゃんと部屋からでたもん。悪いけどこれ以上のお願いは聞いてあげないよ」
え、そ、それは困るよ、言うとりにしてくれさえすれば絶対に上手くいくはずなんだ。これじゃあ、策もなにもあったもんじゃない。
ここはどうにかして
「え、そんなお部屋から出てきていただのは、お願いの単なる前段階ですよ。なのに、そんな屁理屈言われるなんて、なんだかまるで頑張ることに頑張るって言っちゃうヘルムヴィーゲ様みたいですね」
「え、ヘルムヴィーゲ姉ちゃみたい!? 私が……」
「ええ、もう完全に言っちゃうと申し訳ないんですが、ほら、あの方って結構あれですよね、ダメダメっていうか」
「うんそうなの、お仕事いっつもサボってね。お姉ちゃん、立ちに怒られてばっかりなんだよ。しかも、一緒にサボって誘ってくれることもあるんだよ?」
「そ、それは想像以上にひどい……」
いやいや、今はそれでいいんだ。僕は心を鬼にする。あの方がだめであればあるほど、この話術はロスヴァイセに効果がある。
「ロスヴァイセ様、いいんですか? あの方なんかと同列で」
「そ、それは……」
「あれ、そこで悩んじゃうんですか? いいわけけないですよね? だってロスヴァイセ様はあの方とは違いますもん。あんなふうになりたくないですよね? ね?」」
「う、うぅぅぅ、わ、分かったよぉ」
思ったよりすんなり折れてくれたなあ。
こういう効果を期待しての発言だったけど、ううむ、あれだけ頑なに拒んでいた神技の使用をこうも簡単に承諾させるとは、どうやら、ヘルムヴィーゲの駄目神族っぷりに反面教師としての妹の教育にしっかり役立ってるみたいだね。廊下の先でこっそり聞き耳立てているお姉さんたちも、笑いをこらえるのに必死っぽい。
まあ、ご本人だけは、がっくり肩を落としているみたいだけど。
今は気にしないでおこう!
寮を出た僕たちは近くにあった広場に映った。その中心で僕らは向かい合った。
「ほんとにここでやるの? ビューレイスト君、前みたいに演習場にはいかないの?」
「はい、僕の予想が正しければその必要はないはずですから。きちんとした装備も、誰かの協力も今回は必要ありません」
「そ、そうかなあ……」
僕の答えに納得がいかないらしく、ロスヴァイセは不安そうな表情を崩さないままに息を吐く、吸っては吐いて、丁寧な深呼吸を繰り返してどうにかリラックスをしようと試みる。
この前の時と違って、今回は催促する必要はない。僕は彼女の気が済むまで気長に待った。
「気持ちは決まったようですね。ロスヴァイセ様」
死という緊張を乗り越えた経験がある僕でも分かる、気迫の変化、まとう風も変わる。ロスヴァイセは決意を燃やす瞳で強く頷いてきた。
「ここまできたら、やるっきゃないよ、ビュー君、変身して」
「いえ、今回はこのままで平気です」
「だ、だめだよ、ドラゴンになって。でないと私は部屋に帰る」
「ま、会ってください、分かりましたから、あーでも、竜化は、今回はぎりぎりまで変身しません。お互い同時にいきましょう」
「同時? うーん、分かった。だけど、絶対だからね、たとえビュー君がドラゴンになっても、安全じゃないのは証明されたもん。手加減するのはもっての他だし、最悪の場合は空に飛んで逃げるとか、お姉ちゃんたち呼ぶとかしなきゃだめだからね」
「はい、分かってます。大丈夫、今回は何も心配いりません」
「うん……それでもやっぱり私は不安だけど、じゃあ、行くよ、ほんとうにいくよ? 一緒にやるんだからね、準備はいい?」
「はい、いつでもどうぞ」
「じゃあ、マーナガルムツェアライセン!」
「……我が姿を変えよ!」
僕とロスヴァイセ様は呼吸を合わせて二人同時に変化する。荒ぶる風を巻き起こして現れる白き魔狼、相対する僕の姿は、邪悪な魔竜……ではなかった。
「ど、どうして、どうして竜じゃなくて人間に変化しているのビューレイスト君!」
「あ、あれ、おかしいな、すみません間違えちゃったかな。あはは」
「わ、笑い事じゃないよ! あぶないよ! 早くドラゴンなって」
「はあ、別に構いませんけど、ですが、この状況のどこがどう危ないんですか?」
「えっ」
マーナガルムになったロスヴァイセは、その高い視点から僕を見下ろしてきょとんとする。彼女の自我は獣に乗っ取られていない。完全に理性を保っていた。
「え、あれ、なんで、どうして、なんで今回は暴走しないんだろう」
不思議そうに首を何度も傾げる狼姿のロスヴァイセだが、でも、それは僕に言わせれば不思議でもなんでもない。もちろん確証があるまではいかなかったけど、分のいい賭けだとは思っていた。
神技を逝去できている嬉しさから、ロスヴァイセは自分の尻尾にじゃれつく小犬みたいにその場でぐるぐる回っている。その微笑ましい光景はきっと誰もが見たかったものだろう。
さて……僕は振り返る。陰から見ているお姉さんたちも首を傾げているみたいだし、そろそろ種明かしをしようか。
「前にロスヴァイセ様は、自分の神技は、狼に変化する技だと仰ってましたよね?」
「え、うん、うんだってそうでしょ、ほら」
「ただの狼変化なら僕にだってできます。そんなお手軽なものが神技だなんていくらなんでもちゃちすぎますよ。だから、ロスヴァイセ様の神技は、狼変化じゃないですよ」
「え、そうなの? だったら、私のこの技、神技って、なんなのかな」
「その姿は、おそらくロスヴァイセ様の特性を反映させるために取らざるを得なかった形態の一つです。僕の予想だとロスヴァイセ様の神技は、全ての能力が低いロスヴァイセ様は神技を使うことで能力を反転させて、全能力を劇的に跳ね上げる。力も、速さも、何もかも姉妹の誰よりも強化する。そのための姿に変わる技です。ただし……」
「ただし?」
「その技で強化されているのは多分だけど能力だけじゃありません。感覚も、感情も、あらゆるものが何倍にも跳ね上がってしまう。その感覚の中にきっと恐怖心も含まれているはずです」
「恐怖心」
僕に指摘されたロスヴァイセは、ああそういえばと呟いて僕の話を吟味位しているみたいだった。
彼女は決して強くない。自分の力量への自身のなさから、彼女は戦場で常に恐怖している。そして、そんな彼女が神技を使う時とは、使わなければ勝てないほどの強敵が目の前にいる時だ。
先日の演習場でも、彼女の前には戦闘態勢に入った長女ブリュンヒルデ様と巨大なドラゴンがいた。彼女はこれまでずっと耐えられない恐怖の中で神技を使っていたんだ。
「マーナガルムの暴走は、理性を失って起こるものじゃないんです。極度の恐怖が神技によって引き上げられたことで起こる錯乱状態、それが暴走の正体です」
今、この場にはなんの恐怖もない。いつでもどこでも穏やかな心のままに神技を使うことが出来たなら、ロスヴァイセは戦場でも輝けるようになるはずだ。
そのためにも、彼女に自信を与えられるのは、残念だけど僕じゃない。
「ロスヴァイセ」
声をかけたブリュンヒルデ筆頭に寮の影から、あるいは茂みの中からお姉さんたちがひょっこりと次々姿を現わしてやってくる。
「お姉ちゃんたち!?」
ロスヴァイセは今になってきょうやく気付いたみたいだった。お姉さんたち全員が、心配して様子を見守ってくれていたんだってことに。
「みんなそろってどうしたの?」
予期していなかったお姉さんたちの登場を受けて、神技を解いてロスヴァイセはびっくりする。
「ビューレイストさんがあなたのために、一肌脱ごうと飛び出していったから、みんなを集めて陰ながら様子をうかがっていたんです。それより、やりましたね、ロスヴァイセ、神技の制御、おめでとう」
ブリュンヒルデからの祝福の言葉を皮切りにして、姉様たちからは拍手さえ起こる。でも、ロスヴァイセは浮かない顔だ。
「嬉しいけど、だけど、これは制御出来たって言えるのかな、だって、私、今は平気だったけど、でも、それだと戦いになったらきっとこうはいかないよ」
「それはおいおい慣れていけばすむことですわ。私だって初めての時は、それはもう怖くて震え上がっておりましたもの」
「え、ゲルヒルデ姉ちゃんも!」
「わ、私だけではありませんけれども、とにかく姉妹一の風をもつ私ですら、そうだったのですから、戦を恐れるのは恥ではありませんおよ」
「姉様の言う通りだぞ、ロスヴァイセ、私を見ろ、風はそれほど強くなくとも私には剣がある。そして、そなたにはその強大な力があるのだ。それを飼いならした時に、そなたは我らの誰よりも強くなる」
「え、えへ……シュヴェルトライテ姉ちゃんからそう言ってくれると、心強いな」
みんながみんな、入れ代わり立ち代わりロスヴァイセに自信と元気を与えていく。
「フレイヤ様が言った通りだったなあ」
僕はしみじみと一人ごとを呟いた。元気っていうのは誰かが分け与えることで、初めてみたされるものなんだ。
姉妹の絆って、こんなに美しいものなんだ。
マーナガルムと丸腰で退治する、それが僕が実戦した決して裏切らない証。僕が寄せた全幅の信頼が正しく届いたからこその結果なんだと僕は思いたい。
「ありがとう、フェンリル、僕はちゃんと上手くやれたよ」
ハッピーエンドへのヒントをくれた遠い地の魔狼に僕は友人への想いのような感謝の言葉を口にする。
……と、僕がちょっと気持ちを向けている合間も、ロスヴァイセはお姉さんたちから励ましの言葉を受け取り続けている。
お姉さま七人もいらっしゃるのは羨ましい。
微笑ましい気分になっていた僕だったがはたと気付かされた。
あれ、七人?
「あ、あのう、ちょっといいですか、みなさん」
「なによ、ビューレイスト。せっかくの姉妹の感動話に水を差すなんて、紳士が聞いて呆れる」
「いや、僕も望んで割り込んだわけじゃないですよ。ジークルーネ様、お耳に入れておきたいことがあるんです」
「はいはい、ならとっとと一行ですませない」
「……ヘルムヴィーゲ様がいません」
「……えっ!?」
空気が一瞬で凍てつく。
固まって僕も含めてみんながお互いの顔を見合わせている中、寮から嘆くような声が出てきた。
「うわーん、なんじゃないなんじゃい。儂がだめお姉ちゃんなのはいじめいい許可証じゃないわい。わしはエインヘリヤルみたいに強くないんじゃーい」
その日を境に、ヘルムヴィーゲ様は傷心のままにお部屋に引き籠り、本格的に仕事をサボタージュ、そんな彼女を攻めることは流石に誰もできなかったらしい。
「いじめたつもりじゃないです。出汁に使っただけです……ごめんなさい」
僕はこっそり謝った