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三章 きずなの探し方

 ロスヴァイセが部屋に引き籠るようになってから、あっという間に数日が過ぎた。

 僕はあれからも何度か部屋を訪ねたけど、僕とは口をきいてくれない。お姉さんたちとさえもろくに話をしてないらしい。ご飯だけは相変わらずいっぱい食べてくれるのが唯一の救いだとブリュンヒルデは悲しそうな笑顔になって言っている。

「ふぅ、もう溜息しか出ないよ」

 僕はどんより気分を引き摺ってキッチンへ行く。料理長の苦い笑顔の挨拶に生返事をして、料理の準備に入ろうとする。

「おい、ビューレイスト、おい、聞いているか」

 はいはい仕事は手を抜いてませんよ。

「おい、聞いているのか、ビューレイスト!」

「ああおうも、さっきから……って、あれグリンブルスティ!?」

 呼びかけに振り向くとそこにはグリンブルスティがいた。

「どうしてこんなところに?」

「フン、自分の胸に手を当ててよく考えてみるんだな」

「えぇー自分の胸なんか触ったって面白くもなんともないよ」

「面白い、面白くないの問題ではない。いいから言うとうりにしろ。触れ! そして、考えろ。貴様が犯した罪と重さをな」

 ここまで言われなくても言いたいことは分かっている。ロスヴァイセのことだ。

「どうだ、分かったか?」

「分かったかって……」

 そんなこと、わざわざ言われなくたってわかってる。でもさ、僕にはもうどうにもできないんだ。

「……ごめん……」

「ごめんだと!?」 

 僕の謝罪の言葉を聞いた瞬間にグリンブルスティは見る間に怒りをむき出しにしてくる。

 彼は僕に体当たりしてきて壁に押し付けてきた。

「ふざけるなっ! この期に及んで言うことはそれだけか!? そんな言葉を聞かされるために我輩はここに来たのではないぞ」

「でもそうするしかないんだ。だって、ロスヴァイセ様はもう僕と話をするのさえ嫌になってるんだから」

「それが何だというのだ! 貴様は先月のトール様のパーティーであの方を同伴に選んだ。あの日一日、あの方を独占しておいて笑顔を我が物にしておきながら、それを奪うのか。よりにもよって貴様がっ」

「奪ったつもりもないよ。仮にそうしてしまったとしても、当然、戻すつもりでいた。でも、僕にも何かできるわけ……ぐぅ」

 僕が反論を言い終える前に、グリンブルスティの力が強まる。

「我輩はな、これでも貴様を信頼していたのだよ……だからこそ、今日まで猶予をやっていたのだ。なのに、貴様といえばロスヴァイセ様を救うのをすっかり諦めている。」

「だったら、なんて言えばいいんだよ! どうすれば正解だったんだよ! ロスヴァイセ様が僕を頼ってくれたから、それが嬉しくて僕も答えようとしたんだ。命まで張ったんだからこれ以上ないって思うだろ。でも、結果としてそれが間違いだった。それが分かって正そうとしたんだけど、こんなふうにどうしようもなくなっているんだ。僕にはもう何もしてあげられない。できることが思いつかないんだ」

 僕の懺悔をグリンブルスティはただ黙って聞いてくれていた。でも、彼から怒りの色がけることはない。

「ヴァルハラでお通夜やっているって聞いたけど、会場はここでいいの?」

 にっちもさっちもいかなくなった時に場違いな声がして、僕とグリンブルスティはそろって視線を向ける。そこにいたのは、フレイヤのイノシシ、ヒルディスヴィーニだった。

「ヒルディ、どうしたのさ? お通夜って、ひょっとして……!?」

「わざわざ言わせるの? ロスヴァイセ様がみんなからどれだけ愛されているか」

 責めるような口調のヒルディスヴィーニに、僕はやっぱり黙るしかない。

「ビューレイスト、それにグリンプルスティもいいよく聞いてよ? あたいはね、ロスヴァイセ様よりまずは二人に元気になってもらいたんだよ」

「僕と……」

「吾輩を」

「元気に!?」

 揃って尋ねてしまった僕らに、ヒルディスヴィーニは笑顔を作ってこちらに近付いてくる。

「元気がない奴が何をやっても、他の誰かを元気にできるわけなんかないよ? 誰かに元気になって欲しいなら、自分から始めなきゃさ。元気は作るのにエネルギーがいるの。自分で元気を作れない人には、誰かが元気を分けてあげなきゃいけないのです。わかる?」

 僕らははっとする。

 そうだった。僕らはロスヴァイセのために何もしてあげられないわけじゃなくて、まだ何一つやれてないんだ。

「ありがとう。ヒルディスヴィーニ、おかげで僕元気が」

「ここまでが筋書きどうり。さすがフレイヤ様のお言葉ね、効果覿面」

「受け売りかよ。見直したのに損した」

「ふふふ、見直したままなら損にならないよ」

 僕はがっくりしそうになるが気分は上々になったのだから黙って感謝しよう。

「……ヒルディスヴィーニ、このタイミングで貴様が現れたのは、フレイヤ様がこの事態を見越していたのか?」

「ま、そういうこと。ビューレイストはすっかり腑抜けちゃてるし、グリンプルスティはロスヴァイセ様のことが大好きなんだもん。いずれはビューレイストに突っかかりに行くのが目に見えていたからさ。」

「我輩がビューレイストを非難しに行くのが見抜かれていたのはいいが、なんで我の想いがこうまで筒抜けなのだ? 周知の事実なのか? こ、公然の秘密なのか!?」

「さあて、どうでしょう!? ただロスヴァイセ様本人は気付いてないみたいよ」

「そ、そうか、それは良かったのか残念なような……」

 グリンブルスティは複雑そうにごにょごにょと口籠る。いつも偉そうな態度をしているけど、中身は純真で誠実なところがある。こいつのこういう面だけは僕も好感が持てるんだよね。絶対本人には言わないけど。

「同じ種族だからさ、あんたの気持ちは誰よりも分かるけどね。何はともあれさ、今回はこれで怒りを収めてよ。ロスヴァイセ様のことが心配なのは分かるけど、ビューレイストにもう少し時間をあげて。ビューレイストならきっと何とかしてくれるよ」

 僕らの間に割って入ってきたヒルデゥヴィーニは僕とグリンブルシティを力強い目で交互に見てくる。いつもあっけらかんとしている彼女だけど、実はしっかり者で色々気遣いができるんだ。

「僕が死んでしまった事実があっても、これからはロスヴァイセ様ご自身が誰かを傷つけてしまわないようにお手伝いするんだ。彼女の元気を取り戻すにはそれしかない」

「それは、ロスヴァイセ様の神技を安定させるということか。しかし、それでは」

「うん、元々そうしようとした結果が今の状況なわけだからね、失敗を繰り返さないために専門家の意見を聞きに行くんだ」

「専門家って神技の? でもヴァルキューレ様達にも解決できないのに、一体、誰に聞いたらいいのさ?」

「その答えは君が言ったよ。ヒルディスヴィーニ。その人の気持ちは同じ種族は誰よりも分かるって。神技発動中のロスヴァイセ様は狼だ。つまりは同じ狼ならいい方法を知っているんじゃないかな? とはいえ、マーナガルムほど凶暴な狼をなだめる方法を並みの狼が知っているとは思えない。話を聞くなら、マーナガルムを超える狼じゃないと」

「マーナガルムを超える大狼だとそうそういるものでは……、ビュ、ビューレイスト、貴様まさか……!?」

「そう、そのまさかだよ」

 かつてすべての神々が恐れおののき、遥か世界の果てへと隔離した破滅の化身、アースガルド一勇敢な軍神テュールの右手をかみちぎった最恐にして最悪の魔狼だ。

「フェンリルに会いに行こう!」

 

 重大決意をしたその翌日、僕は朝からヴァルハラを飛び出して、今はグラズヘイム内の片隅にある古い図書館に向かった。

 フェンリルが隔離されている場所は、神界においても極秘中の極秘だ。グリンブルスティたちはもちろん知らない。ヴァルキューレたちなら知っているかもしれなかったが、こぞってお仕事に出ていて話が聞けず、情報通だが気ままでも有名なロキは先日あったきり音信不通だった。となると、地道に調べるしかないのだった。

「調べればわかると思ったんだけど、これも甘かったぁ!」

 僕は視界の左右に山積みになった本を恨めし気に見上げると机に突っ伏す。薄暗い書庫にうっすら差し込んでくる日差しはすっかりオレンジ色になってここで過ごした時間を教えている。

「はあ、もう夕方か。これだけ時間をかけて成果がないなんて……」

 失望が思わず声になってしまったのだが、応える声が上がった。

「ふぁああ、誰ぞい、図書館では静かにするものぞ」

 大あくびとともに、少し離れた長椅子からのっそり阪神を起こしたのは一人の女の子だった。反応があったのも驚きだったけど、彼女が戦乙女であったのはもっと驚きだった。大型の兜と、年寄り臭い口調なのに高い声は間違うはずがない。

「ヴァルキューレ九姉妹の六女ヘルムヴィーゲ様、どうして、こんなところで……寝ているんですか?」

「愚問じゃ。ここが寝るのに勝手が良い場所だからに決まっておるだろ」 

 人が普段から少ない、いても静かに過ごしている図書館は安眠には最適かもしれないが、彼女はいつからいたのだろう。僕が来てから誰もここにはやってきてない。彼女は僕が来るより前にいて眠る続けていたことになるが。

「ヘルムヴィーゲ様、お仕事は?」

「ヴァルキューレ、エインヘリヤルの選抜が主な業務じゃな。年収は……」

「いや釣書じゃないですから。今日は仕仕事をされたのか聞いているんです」

「また愚問じゃ。お主より先に来てこの図書館で時を過ごしていたのじゃ」

「よく分かりました。さぼっていたんですね」

 それにしては随分と堂々としているな。

 僕が呆れていたら、図書館の入口の扉が開く音がすると甲冑姿の女性が駆け込んできた。おいおい、あれはブリュンヒルデだ。

「ヘルムヴィーゲ、ヘルムヴィーゲ! いるのでしょう出てきなさい。隠れていたってわかっているんですかね!?」

 息を切らせながらも叫ぶブリュンヒルデはいつもとは違って相当にお冠だ。

 ヘルムヴィーゲといえば、咄嗟に僕の後ろに隠れている。必死な表情を見ているだけで何を言いだすかすぐにわかった。

「わしはここから逃げたい。手を貸してもらえるか?」

「いいですけど、無料では」

「代価をとるだと!? お前になんか頼らぬ」

 ヘルムヴィーゲは怒りかけるが、この場にとどまるのは危険が大きいと判断して、逃走をしようとする。だが、一日中寝入っていて身体が起きていなかった彼女は足元がふらついて、僕が築いていた本の山にぶつかって、あっさりばれてしまう。

「見つけましたよ! 全くどうしようもないサボり魔なんですから」

「そんなに怒らんでくれ、姉上。さぼるはいつものことではないか」

「いつもだから起こっているんです。本当にいつもいつもサボってばっかりで、少しはビューレイストさんのことを見習ってって、ビューレイストさん、いつからそこに?」

「あーだいぶ前からですよ?」

「あ、そうなんですか、ああ、これはお見苦しいところをお見せしまったみたいで」

「いえいえ、本気で怒ったブリュンヒルデ様は新鮮で、幸運でした」

「私は、見せたくなかったです」

 怒りから羞恥でブリュンヒルデ様は顔を赤に染める。

「あの、ビューレイストさんは何故こちらに?」

「実はフェンリルに会いたくて、居場所を調べているんです」

「ああ、そうだったんですか、フェンリルなら丁度ですね、フェンリル!? フェンリルですか!?」

 ブリュンヒルデは言いかけてから意味に気付いて驚愕の表情を浮かべてくる。

「丁度ってなんですか?」

 驚愕の表情を密かに鑑賞しながら僕は尋ねてみる。

「実は私と、妹二人、五女のシュヴェルトライテと、この……」

 会話のどさくさに逃げようとするヘルムヴィーゲの首根っこをがっしりブリュンヒルデは捕まえる。

「ヘルムヴィーゲと三人で、フェンリルに食事を届けに行くようにオーディン様から命じられていたんです。ですが、荷物持ち役のヘルムヴィーゲがいなくなってしまったので、こうして探し回っていたんです」

「それで心当たりを探して、ここまでやってきたわけですね」

 事情が分かった僕は呑気に欠伸をしているヘルムヴィーゲを見やる。すっかり安心しきっているのはブリュンヒルデが僕のせいで怒らないとわかったからだろう。

 ともかく僕にとっては渡りに船だ。

「ブリュンヒルデ様、お願いがります。フェンリルに食事を届ける任務に僕も同行させてください」

「えっ、……申し訳ありません。ビューレイストさん、フェンリルがらみの件は禁則事項で、神族以外にもらすことは固く禁じられているんです」

「それを承知で、なんとかお願いします。ロスヴァイセ様のためなんです」

 大切な妹の名前を口にしたら、二人の姉たちは心が揺らいだようだった。

「のう姉君、このビューレイストだったか。ヴァルハラで働く下働きじゃろ?」

「ビューレイストさんは立派な料理人ですよ」

「どっちでもいいが、料理人ならば連れていくのは問題ないじゃろ。フェンリルの食事への文句もこの頃ひどくなっておるしな。料理を取り寄せてついでに連れていってしまったとか言い逃れはできる。食堂のスタッフの同行ならそれっぽい理由になるじゃろ」

「そうかもしれませんね。そういうことにすれば体裁を取り繕えますね。考えましたね、ヘルムヴィーゲ、その手で行きましょう! いいでしょうかビューレイストさん」

「はい、ご一緒できるならなんでも構いません」 

 どうやら任務への動向は許可して頂けるようだ。これでロスヴァイセのための第一歩がようやく踏み出せそう。

「ですが、今日はもう遅くなってしまったので、任務は明日に持ち越しですね。それではビューレイストさん、明日のお昼に食堂で待っていてください。エーギル様からフェンリル用の食材買い付け次第、お迎えに上がりますので」

「買い付けでしたら、僕もついていきますよ。荷物持ちでも何でもしますから、どうぞこき使ってください」

「おほぉ、それは助かるぞ。じゃったら、私は非番ってことでじゃな?」

「そんなことになるわけないでしょ! もう! すみません、ビューレイストさん、荷物持ちのこの子がこうなのでお言葉に甘えさせてもらいます」

「全然いいですよ、どしどし言ってくれて甘えてもらってもらっていいですよ?」

「ありがとうございます。 ビューレイストさんはやっぱり頼りになります。明日、朝食後にお伺いしますのでご一緒しましょう」

「お待ちしております」

 フェンリルに会う道が開けただけでなくてブリュンヒルデたちヴァルキューレ姉妹とお出かけになるとは、試練の前の前払いのご褒美なんだろうか。

僕は浮かれそうになるのを我慢する。目的はロスヴァイセのためなのだからそれが達成しないことには無駄になってしまう。ブリュンヒルデたちの好意にだって応えなければならないんだ。

よし! 気合を入れて明日は頑張るとしよう。

 

 翌朝、いつもより早めに起きて早めに朝食をすませて自室に戻った僕は心が浮き立ってにやけないようしながら大人しく待つ。

 そして、待ちに待った時がやってきた。

「おはようございます。お待たせしてしまいましたか?」

 予定通りブリュンヒルデたちが迎えに来てくれた。今日も笑顔が素敵なブリュンヒルデの後ろには、眠たそうでローテンションなヘルムヴィーゲ、そして、もう一人は黒色の鎧兜と美しい白銀の髪の対称が眩い、剣技の達人シュヴェルトライテだ。

「ふわわ、おおビューレイスト、本日は荷物持ち頼むぞい」

「あなたも荷物持ちですよね?」

「頑張ることは頑張るので手一杯なのだよ」

 この戦乙女様はとことん面倒くさがりだなあ。

「……ビューレイスト殿、ヴァルキューレ九姉妹が五女、シュヴェルトライテです。このたびは我らの任務に同行して頂くと、昨日、我が姉ブリュンヒルデより伺いました。こうして会話をするのは、初めてですね。よろしくお願いします」

「はい、こちらこそよろしくお願いします。でも、そう畏まらないでください。もっと気楽にしていただけると僕も助かります」

「了解した。ではこれからは気楽に対応いたします」

 それでもまだお堅い口調であるが、話すのは初めてでも生真面目な性格であるのは僕も聞いていた。

「さて、それでは早速任務に出発しましょうか」

「ハイっ!

ブリュンヒルデの号令に元気よく答えて僕は歩き出す。だけど、二歩もいかないうちにシュヴェルトライテに止められてしまった。

「ビューレイスト殿、待たれよ。一体どちらへ行こうとしているのだ?」

「どこへって、光の橋を使うんじゃないですか?」

「それだとアースガルドから先へは飛ばないではないか。エーギル王がいるのは人間界ミッドガルドよりもっと先の世界なのだぞ。ゆえに今回は別だ。姉様のラドのルーンを使って行くのだ」

 ラドとは移動や変化、旅を象徴するルーン魔術だ。遠方へ移動するにはうってつけだ。

 ブリュンヒルデは目を閉じるとルーン魔術の詠唱に入った。

「そは九の世界の根源

 原初の巨人のうちにあった深淵

 世界を象りし奇跡

 知を欲する者の願い

 移動をもたらす力

 フサルク五番目の秘技

 ラドを用いて我は欲する

 我らを運べ」

 詠唱が完成した瞬間、周囲が青白い光で満たされる。

 床から立ち上がる光の柱、下から上に向かって流れる光に視界が満たされているうちに、僕らははるか彼方の遠地へ移っていた。

 部屋にいた時には朝だったのに、転移してきたそこは夜のように真っ暗で、見渡す限り岩だらけの荒涼とした黒い大地が広がっている。

「なんだか寂しそうなところですね」

「ここは九つの世界の一つ、ニサヴェリールです。人間界ミッドガルドを取り囲む国境の山を挟んだ西方に位置するドヴェルグたちの住む世界です。巨人の国ヨトゥンヘイムとは正反対に位置しますが、このニザヴェリールも、ヨトゥンヘイムと同じでソール様の太陽の恩恵を受けていない常世の世界です」

 説明するブリュンヒルデの顔もどこか寂し気に見える。

 常に夜しかない世界か。仕事でなければ来たいとは思わない世界だ。

「ほれほれ、感傷的に鑑賞している暇はないぞ。わしらの目的地はここではなく、海の底なんじゃからな」

「海、あ、ホントだ」

 ヘルムヴィーゲに言われて僕は初めて気づいたけれど、僕らの背後には暗く大きな海が広がっていた。水平線の先にぼんやりと光が見える。超巨大な山による稜線、多分あれがミッドガルドとの国境の山だ。

「では姉様、ヘルムヴィーゲ、参るとしましょう」

 シュヴェルトライテが言うと、ヴァルキューレ姉妹は新たなルーンの魔術を発動させて空気の塊を周囲にまとうと海へ突っ込んでいく。

 ほんのちょっと先も見えない深い闇を海の中も空同然に進んでいくと、やがて、目的も場所に辿り着いた。

 暗い海の底にあるのに輝く黄金の宮殿があった。

 神々と敵対する巨人族でありながら、神々とも親しい海の王エーギルが住まうお屋敷だった。

「遠路はるばるよくおいでなすったな。戦乙女のお嬢様たち! 歓迎するぞ」

 玉座で迎えてくれたエーギルは、白い髪、白い髭が豊かな、海の荒くれ者の印象がぴったりの大男だった。言葉どおりのにこやかだが、顔つきはとても厳めしい。フレイ、フレイヤ兄妹の父親でニョルズも同じ海の神であるがニョルズが航海や漁業といった人間の営みを司っているのと違って、エーギルは海の自然現象を司っている。船を破壊したりもする人間にとって冷酷で無慈悲な海神だ。

そういった評判からどんな対応されるか不安だったけど敵対する感じじゃないので僕がほっとしていたら、シュヴェルトライテは落ち着かない様子で辺りを気にしていた。

「シュヴェルトライテだったな。余の娘らを探してるのなら、気にしなくていいぞ。野暮用でみな出払っているの」

「そうなのですか、いえ無礼の段、平にご容赦を」

 わざわざ詫びるシュヴェルトライテだが、俯いた横顔には安堵の色があった。

「ブリュンヒルデ様、エーギル様のご息女たちがどうかしたんですか?」

 僕はブリュンヒルデにこっそり尋ねてみる。ブリュンヒルデもやはりこっそり答えてくれた。

「エーギル王には、波の乙女と呼ばれているご息女がいるんです。あちらも私たちと同じ九人姉妹なのですが、シュヴェルトライテはあちらの同じく五女のウズさんから強烈にライバル視されていて会うたびに決闘を挑もうとしているんです」

「ははそういうことですか……」

 それにしても、威厳はあるけど海の荒くれ者が印象の王には娘が九人もいるなんて。不敬も忘れてじろじろと王を見てしまっていたら、王も気付いてしまった。

「そういえば、今日はまた見慣れぬ者を連れてきておるな。そなたは何者だ?」

「は、ビューレイストといいます」

 名乗ったら、余計に興味をもたれてしまったようだ。

 エーギルは身を乗り出してくる。

「おめえなんの名声はこの海の底まで届いているぞ。竜に変身できるエインヘリャルの変わり種。どんな屈強な戦士かと思っていたら、随分と貧相なガキなんだなあ」

 うぐ! 率直なご意見に僕も他のエインヘリャルのように身体を鍛えようか考えてしまう。

「へえ、前々から一目見てぇと思っちゃいたが、図らずもかなっちまったのか。こいつは面白い。それで、戦乙女のお嬢ちゃんたち。今日んお来訪の目的はやっぱりよ、例のごとくなんだろう?」

「はい、食料の買い付けに参りました。今回はフェンリルのものですので」

「おうおう、皆まで言わなくていい。肉を中心に、だろ。待ってな。すぐに用意させるからよ。……んで、代価についてだが」

「はい、それはこちらに」

 ブリュンヒルデが目配せする。

よっこらせ、とババ臭い呟きをしてヘルムヴィーグは背負っていた布袋を慎重に床に降ろして、袋の口を開く、中にはぎゅうぎゅうに黄金が詰められていた。

 これだけの黄金があればどれだけの人間が一生遊んでくれせるだろう。僕が目を丸くしてそんな勘定をこっそりする。しかし、エーギルは、どういうわけか面白くなさそうな顔になっていた。

「ど、どうなされましたか? 足りなかったのなら後日改めて追加にお支払いを」

「おおっと、いや、すまねえ、そうじゃねえだ。対価としちゃ申し分ねえが、今日は黄金の輝きよりも、一時の余興に花を咲かせたい気持ちがあってな。せっかく役者がそろってやがることだし、な?」

 顎鬚をさすりながら言うと、エーギルは玉座から立ち上がって見下ろす。

「え、あの、もしかして、役者って僕のことですか?」

「察しがいいじゃねえか。おまえさんの強さについては儂もそれなりに耳にしている。なら、今度はその知力をちょいとばかし見せてはくれないかってな」

 エーギルが右手を掲げるや、召使の一人が謁見の間から飛び出していく。しばらくして戻ってきた召使は、大皿一枚くらいが入りそうなサイズの四角い小箱を両手に抱えていた。

 召使は、直接僕のもとへとやってくると、抱えていた小箱を空ける。中には杯がひとつ、それも眩いほどの金ぴかでめちゃくちゃ高価そうだ。

「そいつは、ヒョミルの杯といってな、間違って取り落としちまっても必ず手の中に戻るって魔法がかけられたお値打ちもの宝具よ。そいつをな、割っちゃってくれや」

「え、割っちゃっていいんですか? こんな豪華な盃なのに?」

「おうよ、遠慮なく、割ってくれや。そいつがわしからの課題だぜ」

 へ、へえ、知力を見せろだなんておっしゃられるからどんな無理難題が飛び出すのかと思ったけど、そんなに簡単でいいのか。

「分かりました。えっと、それじゃあ、落としても割れないなら……」

「ちょい待ち。打ん殴って割るのはさしだぜ」

「ええ!?」

 僕が振り上げた拳を杯目がけて落とそうとした瞬間に待ったが入る。焦った拍子に杯を落としてしまったが、杯は床に振れる直前にふっと姿を消して、僕の掌に戻ってきた。

 なるほど、手の中に戻るって言うのはこういうことか

「いいか、殴って割るのは禁止。折ったり、強く握ったり、踏み潰したりも禁止、そんで今後、一切、魔術や道具による杯への接触も禁止だ。それらの条件を厳守した上で割ってみな。この課題を解けた暁には、今回の食糧はただで譲ってやらあ。だが、もしできなければ、対価は倍とする。耳をそろえて支払うまで取引はせん」

「ええ、それは困ります。僕は一刻も早く食糧を手に入れてフェンリルに会わなきゃいけないんです。フェンリルだって、お腹がすいて暴れるかもしれないし、後払いでも」

「ええ、黙らんかい、このぼけぇが!!」

「!?」

 恐ろしいまでの力で床を踏みならし、宮殿中に響き渡るようなエーギルの大声だった。文字通り火を噴くようなその激昂ぶりに、僕だけでなくヴァルキューレ様達もびくりとなる。

「おい、なあチビ助、おめぇよ、儂をなめとんのか? ……大概にしとけや、いいか、おめぇみてぇな三下がわしに口答えするんじゃねえ、泣き言垂れるなんてもってのほかだ! もし、おめぇが失敗すりゃあな……今後はアース神族との取引は手切れにしてやるから書く頃しろや。さあ、わかったなら、とっととやらんかい! やって儂を楽しませろや」

 ひ、ひええ、前言撤回だよ。この王様の本性は全然優しくないよ。無慈悲な王様どころの話じゃない。この気紛れはもはや魔王だよ。

 何だか気づいたらアース神族の命運が僕の肩にかかっちゃっているし、一体どうしたらいいんだ。

「ビュ、ビューレイストさん、とにかく考えましょう。私たちも協力します」

「は、はい、ありがとうございます。ブリュンヒルデ様」

「くっ面倒なことになったな、絶対に失敗は許されないぞ、ビューレイスト殿」

「ええ、分かってます。どうにかしましょう、シュヴェルトライテ様」

「なんたる事じゃ! 食う寝る遊ぶがわしの座右の銘、食料を絶たれたら、わしは寝るか遊ぶしかできなくなってしまうではないかっ!」

「あんたは、黙ってて下さい」

 くそ、くそっ! どうすれば? どうすればこれを割れる? 落としても割れない、叩いたり踏んだりするのは禁止、ルーン魔術も、道具を使うことも禁止、ああ、制限が多過ぎるよ! そんなめちゃくちゃな条件でどうやって割ればいいんだ!

「ビューレイスト殿、掌を下に向けた状態で落としてみては?」

「な、なるほど」

 僕は言われた通りに実践してみる。でも駄目だ、杯は掌だけでなく、手の甲に乗る形で戻ってきてしまうのだ。ついでに手を下げた状態で持ち構える方法も試してみただけど、それだと手元に戻っては落ちてが延々繰り返されてしまうだけで、結局割ることはできない。

「のう、ビューレイストや、こうなったら私の頭んい向かって投げてみぃ」

「頭に? でもそれだと叩き割ることと同じじゃないですか?」

 疑問とともに視線を向けると、エーギルは黙って肯定の頷きを示す。つまり、人体に向かって投げつけるのもNGということだ。

 うーん、駄目だ。本気で何も思いつかない……やれと仰るからにはちゃんと正解があるんだろうけど、一体どんな方法なのやら……。

「そうだ! ビューレイストさん、床が駄目なら壁です! 杯を壁に向かって投げてみてください! 床に当たらないのが杯にかけられている魔法だとすれば、壁になら当たられるはずでは?」

 それまで黙り込んでいたブリュンヒルデが、自信ありげな表情で回答を導き出す。

「おおさすがです、ブリュンヒルデ様!」

早速僕は壁に向かって杯を力いっぱいに投げつけた。

「う、嘘でしょ」

 壁に当たる直前、差数は床に落とした時と同じく姿を消して僕の手元に戻ってきてしまう。そんな、壁も床と同じものとして扱われるなんて。これだと天井にぶつけようとしてもだめなんだろうな。

 ブリュンヒルデの案なのもあるけど僕自身も自信があったので絶望感が大きい。ちくしょう、八方ふさがりだ。

「いや……そうでもないかな」

 アイデアが浮かんでしまった。

「みなさん、杯を割る方法を思いつきました。ご協力していただきますか?」

「ほほぅ、でかしたぞビューレイスト、してどんな方法じゃ? 言うてみ言うてみ」

 見た目通りの子供みたいにはしゃぐヘルムヴィーゲさまが逸早く食いついてくる。他の二人も考えを中断して、僕は思いついた案を控えめに披露する。

「それはだめです。そんなの絶対に反対です!」

 案の定、ブリュンヒルデ様が烈火のごとく猛反発。うん、お優しい方だから無理もない。もしもこの手段を実行したなら、心の優しい方ほど傷つくことになるだろう。もしかするとロスヴァイセ様のように、立ち直れないほどの深手を負うことになるかもしれない。

 それでも……ごめんなさい。今の僕には、これよりも上手いやり方がもう思いつかないんです。

「シュヴェルトライテ様、お願いできますか?」

「……了解した。むしろその手段に出るからには、私が適任だろう」

「シュヴェルトライテ、本気で言っているんですか!? ビューレイストさんも辞めてください」

「ええいよさんか姉君、確かに危険は大きいが、ビューレイストならば可能な方法じゃろう。覚悟も決まっておるのだ。せっかくの男気を無にしては戦乙女の名が泣く」

 ロスヴァイセ様みたいにブリュンヒルデは反対する。分かってる。ここで思いとどまらなかったら前回の二の舞だ。何も学んでないって、みんなが呆れる姿が目に浮かぶよ。

 だけどさ、そうだとしても……僕は立ち止まるわけにはいかない。

「ブリュンヒルデ様、僕にできることは、初めからたった一つなんです。それは死ぬ事でも傷つくことでもなく、頑張ること。そして、僕は頑張れる限界が他の人よりちょっと大きいだけ。ただそれだけなんですよ」

「それは……死ぬまで頑張れる、ということですか? 蘇生できてしまうから」

「それは否定しませんけど、だけど僕が死にたがりだからではありません。命懸けでも守りたいものが、僕にはたくさんあっただけのこと。要は一一番欲張りだってことです。それに大丈夫ですよ、自慢じゃありませんが、僕は誰よりも臆病ですからね、やれるこっとやりたいことの線引きはしっかり弁えています」

 そうさ、やれるからじゃない。僕はいつだってやれる中からやりたいことを選んでる。今回だってそうだ。アース神族とエーギル様の橋渡しをするためだけなら、僕は多分頑張らない。ロスヴァイセ様の笑顔のために、その笑顔を見たい僕自身のために、僕は命を懸けて頑張れるんだ。

「……分かりましたビューレイストさんがそこまでおっしゃるなら、私はもう止めません」

 僕の揺るぎない信念に、ブリュンヒルデは渋々ながら僕の気持ちを尊重してくれる。でも、ここは一つだけ、付け加えられた言葉があった。

「止めません、止めませんけど……そこまでおっしゃるからにはビューレイストさん、これからは“もっと頑張ってくださ。ビューレイストさん自身も傷つかない、最善の方法を見つけるんで頑張る。そこまでできなきゃただの妥協です。本当に頑張るって言うのhあ、そういうこと私は思います。わかりましたか? 不器用な頑張り屋さん」

「は、はい、精進いたします」

 感情を高ぶらせかけて言ったブリュンヒルデは、それでようやく応援のための笑顔を見せてくれた。

 よし、これで話はまとまった。あとは僕の考えた作戦を実行するのみ!

「ではシュヴェルトライテさま、準備はいいですか?」

「無論だとも。しかし、ビューレイスト殿のほうには若干遺漏があるようだ。そのままじっとしていろ」

 シュヴェルトライテは僕の額にルーン文字を描いて魔術を発動する。突然のことに僕が戸惑っているとシュヴェルトライテ様は僕にいきなり凸ピンをした。

「わ、な、何をするんですか?」

「どうだ、痛くないであろ?」

 びじびじとデコピンをなおも続けるシュヴェルトライテに言われてみれば、確かに痛みを感じない。シュヴェルトライテは僕の反応を見て満足そうにうなずくと、腰に携えていた二人の剣を静かに鞘から抜き放った。

「ルーン魔術で、ビューレイスト殿はごくわずかない時間ではあるが、痛みを感じなくなったわけだ。さて、互いに準備は整った。これより先は一流を超えた剣の妙、零流の立ち筋をお見せしよう」 

 両手の剣の刃をすり合わせて、火花を散らしながら者に構えて腰を落とす。剣姫と謳われる銀の戦乙女が、僕の身体の一点へと狙いを定めた。

「じゃあ、行きます! いっせーのっせ!」

 僕は掛け声をつけて、ヒョミルの杯を上に向かって全力で放り投げる。そして、そのまま両手をそろえてシュヴェルトライテの前に差し出した。

「……斬!!」

 刹那、閃く剣光。右の黒剣と左の白剣が対局の色彩で弧を上げ樹、瞬く間に僕の両手首を……切断した。

「なんと!」

 さすがのエーギルにも衝撃的な光景だったみたいだ。ふんぞり返っていたのに玉座を倒しかねない勢いで立ち上がる。僕にとってはそれだけでも留意が下がる。そして、杯は放物線の頂点を超えて落下、そのまま床に叩きつけられて砕け散った。

 そう、手の中に戻るはずがない。だって、僕はもう両手がないんだから。

「やりやがった……なんという奇策だ。おめえはそこまでするのか……」

 腰を抜かしたように、エーギルは今度は玉座に身を沈めて惚けた声を絞り出す。シュヴェルトライテの魔術のおかげで切られた痛みもない僕は、勝ち誇った顔でエーギルに詰め寄った。

「杯、ご覧のとおりです。割れました。これで食料を譲って頂けますよね?」

「……ああ、儂は満足した。幾らでも好きなだけ待っていくがいい」

 エーギルはそういうと、またも右手を掲げる。すると召使の一人は食糧の追加分を確保しに出ていき、別の召使がすぐさま僕の腕の応急処置をしてくれた。

 厳しいながらも優しい対応を忘れない、気紛れな海な王様だ。潮の満ち引きのように極端な行動には参ったけど、うまくいって本当によかった。

「……さあて、腕の具合はどうだ? 出し惜しみなし、予言神ミーミルの首にも使われたという、最高級の治癒薬をど派手に塗り込ませたからな。痛みと出血は最小限度に抑えられているはずだぜ」

「は、はい、何とか、格別のお心遣い痛み入ります」

 うん、まじで痛い。ルーンの効果が切れてきたのか痛みが少しずつじくじくきているけども、それでも泣き叫ぶほどでもないのにははその高級薬のおかげなんだろうな。

 出血の方に関しては全くといっていいほど問題ない。処置される前からそれほどひどくなかったから。真の達人は切った相手を斬られたことを悟らせないと聞いたことがあるけどシュヴェルトライテの剣はまさにそれだ。

 エインヘリャルであるから斬られた腕も戻ってくれると思っているんだけど、ここで失血死してしまってはフェンリルに会いにいいけない、姉妹きっての絶技に感謝だった。

「それではエーギル様、本日はご拝顔を賜りありがとうございました。今後とも我々アースのものをご贔屓に頂ければ幸いです」  

 ブリュンヒルデ様はみんなを代表してお別れの挨拶をなさると、僕らは謁見の間を後にする。結果として食糧の買い付けは大成功になってくれた。僕の両手が犠牲になりはしたものの、予定していた見積もりよりも大分多く、しかもタダで頂けたとなれば犠牲になった甲斐があるよ。

 まあ……手がなくなっちゃったから荷物持ちはできなくなったけど、それだけでなくものすごく不便だ。

「待ちな」

 いよいよ広間を出ようかという時、エーギルから僕らに声がかかる。

「ビューレイスト、わしはおめえさんのことが気に入ったぜ。肝が据わった奴は大好きだが、おめえさんはその中でもとびきりだ」

「あ、ありがとうございます」

「おう、そこでどうだ、おめえさん、よけりゃあ、わしのもとで働く気はねえかい? 今の地位よりはど派手な暮らしを保証するぜい。確か、エインヘリャル相手の食堂で下腹記しているんだろ?」

「!」

 突然の申し出だった。好条件の正規待遇であるなら、本来なら願ってもないことのはずだ。

「ビュー、ビューレイストさん……」

 ブリュンヒルデの不安そうな目が僕をみる。シュヴェルトライテは背中を向けて沈黙を守り、ヘルムヴィーゲは観念したように小さく息を吐いた。

 何かを言いたそうな雰囲気を感じた。でも、三人がその何かを口にすることはなかった。“いかないで”と引き留める言葉も、“お好きにどうぞ”と突き放す言葉も、何も。

 だからというわけじゃないけど……僕の返事は最初から決まっていた。

「申し訳ありません、エーギル様。僕はヴァルハラが好きですヴァルハラのみんなが大好きなんです。そんみんなの中までいたいから……その申し出はお受けできません」

 それこそが、僕の素直な気持ち。

 ブリュンヒルデたちのまとう空気は途端に軽くなり明るい表情が僕をてらした。

 逆にエーギル様はとても渋い顔になったけど、それも一瞬のことで、口元に笑みを浮かべてきた。

「そうかい、そいつは残念だ。だが、この外海王の申し出すら拒むおめえさんの心意気、ますます気に入ったぜい。ビューレイストよ、今後アースとの取引の際にゃあ、おめえさんが仲立ちして立ち会うことを儂は強く所望する。そうすりゃ対価の黄金はこれまでの半分にしてやってもいいと、オーディンに伝えといてくれ」

「は、半額ですか!?」

 いきなりなんという太っ腹。

 穏やかな波から大波浪と極端なお方だと思ったけど、機嫌がいい時と悪い時の落差がこれほど激しいお方はそうそういない。

「やったのぅ、ビューレイスト、浮いた分は二人で山分けじゃ。みんなには内緒じゃぞ?」

「いや、それ普通に横領ですから!」

「こ、この子ってば本当にもう……」

「ふ。らしいではないか。聞き流せ、姉様」

 ともあれ、そんな破格のおまけまでついたのは万々歳だった。何度も思うことだけど、世の中何がどうなるかなんて本当にわからないなぁ。

 ともかく今はただ純粋に喜びたい。

 ただの食堂の下働き以外にも出来た新しい僕の価値を祝福して。



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