二章 戦乙女様の悩み
雷神主催のパーティーに招かれた翌日、僕は朝からそわそわした気分になって外出した。目的地はヴァルキューレ姉妹が住むヴィーンゴールヴだった。
「ああ、ロスヴァイセ様が一体どんなお願い事だろう。ブリュンヒルデみたいにお手製スイーツを常にストックしてほしいとか」
だけど、それぐらいのお願いだったらあの場で言っても良かったはずだ。ブリュンヒルデも自分専用のスイーツの常備をお願いしてきた時には遠慮がちにこっそりとしてきた。だから戦乙女の恥ずかしさのツボは少し違うのかもしれない。
「ま、まさか、お付き合いをして下さいとか? なっははははは、いや、そんな照れちゃうな。お気持ちは嬉しいですが、申し訳ありません! 僕にはブリュンヒルデ様という心に、いや、魂に決めた女性が」
「……随分と楽しいそうだな、え、ビューレイストだっけか?」
「いるぅ!?」
ぎょっとしている僕に声をかけてきたのは荒くれ兵士と一目でわかるおっさんだった。おっさんは馴れ馴れしい笑みを向けてくる。
「気にしなくていいんだぜ。妄想ってなぁいっちゃん自分にとって都合のいい夢を見ることだ。なんも恥じることねぇよ。むしろその欲望が人を強くだってする。この俺だって妄想の毎日よ、武勲立てたい、立てたらもてたい、もてたらオッパイよりどりみどりの酒池肉林ってなあ」
なんておっさんだ。妄想垂れ流しの独り言をフォローしてくれた立場の僕が言うのもなんだけど、自らの恥をこうまで積極的にさらしてくるとは。同類扱いされているとしたら格が違うと言うしかない。
「と、ところで、どなたでしたっけ?」
「誰でしたっけ?」
「っておい、まじかよ、信じられねえ。フロージだよ。エインヘリャルの百人隊長のフロージ様だよ。昨日だって、食堂で話をしてただろうがよ」
「ああ……」
そう言われてどうでもいい世間話や料理の話を時々していたのを僕は思い出す。けど何十万人が毎夜訪れる食堂なので、覚えていないとしても責められないと思う。百人隊長はエリンヘリャルでも偉い方みたいだけどそれだって沢山いる。
「やれやれ、やーと思い出してくれたのかよ」
あはっはは。なんかやけにムキになっているけど、僕に忘れられたのがそんなにショックだったのかな。
「聞いたぜ、ビューレイスト、トール様のパーティーに招待されたんだってな」
「はい」
「羨ましいねえ、神様から招待されるなんてさ。それで、今日はどうしたんだ? 今度はまた誰かのパーティーにお呼ばれしたのか?」
「違いますよ。今日はロスヴァイセ様に会いに行くんです」
「ヴァルキューレ九姉妹のか? そりゃ羨ましいな。俺なんか女日照りでもう乾ききって。戦場でいくらでも血は流れるのにな。毎日毎日死んで死んでさ。嫌になる」
「戦士としての役目には頭が下がります」
僕としては他に言いようがなかった。
「おっと勘違いしてくれるなよ、ビューレイストよ、俺たちは死ぬのが怖いわけでも文句があるわけでもねえ。不満はそこにはねえ」
荒くれ者だが陽気な兵士といったフロージであるが影がある表情を見せてくる。
「今の日常に、満足いきませんか?」
「……まあな。戦って死ぬばかり、こんな毎日が続くといつか本当に死にそうだぜ。俺はよ、戦う以上に武勲が欲しいんだ。手柄だ。手柄がありゃ、俺らだって日の目を見られるんだがよ」
運命の日ラグナロクに備えてエインヘリャルは毎日命懸けの鍛錬をしている。そうした毎日で戦いに倦み死を恐れ安楽を求めるようになれば死んでも蘇ることはないと僕も風の噂で聞いたことがあった。ラグナロクの前に戦士でいられないものはアースガルドには不要なのだ。戦乙女に見出されてエインヘリャルに導かれるのはそれを苛酷と感じない屈強な戦士の魂のはずだけれども、そんな彼らだって倦怠感が来ることがあるのかもしれない。
「……今のアースガルドは平和ですからね」
「いつか来るはずのあの日のために今も必死で腕を磨いているとはいえ、竜の一匹でも殺せるようになって神族から注目されるようになったらまた違うのかもしれねえがな」
「頑張ってくださいよ。もっともっと腕を磨いて、たとえば神様たちを脅かすくらいに強くなったら、オーディン様だって絶対認めてくださいますよ」
僕は愛想みたいな返し方になってしまったが、フロージは不機嫌になるどころか思ったより好意的に受け止めてくれた。
「おうよ! つーかまさに目標はそこなんだ。そうした日にはお前以上に連日連夜、神主催のパーティーに呼ばれてやるぜ」
「はい、頑張ってください。その時は食堂でもぜひお祝いをしましょう!」
ぐっと拳を突き出して、フロージは自分の行く末を気合とエールを送るフロージに僕も少し感激して負けないくらいの熱さで返した。
フロージと別れた僕はそれからは誰とも知り合いには会わずに光の橋を使って、女神の館ヴィーンゴールヴの入口へとやってきた。
始めてくる場所ではないけれども、それも前の話で道案内もいた。一人で頼りない記憶に頼ってヴィーンゴールブを歩き回っていたら、沢山の花が咲き乱れる庭園へと迷い込んでしまった。
「ここはどこだろう……前に来た時にはここは見なかったぞ」
「だ、誰? ふ、不審者?」
びっくりするほど可愛い声に、僕もびっくりして振り向いたらびっくりするほど美しい人がびっくりした感じで立っていた。
「フレイヤ様!?」
「きゃあ、ストーカーっ!……って、あれ、ビューレイストくん!?」
呆気にとられた声を僕は宙を舞いながら聞いていた。
そして、花が敷き詰められた地面に僕の身体は叩きつけられる。
「ぐへえ」
僕の口から情けない悲鳴が漏れた。
「きゃああ、ごめんなさい。てっきりストーカーか何かかと思ってつい反射的に」
悲鳴を上げて駆け寄ってきた女神さまは謝りながら僕を抱き起してくれた。
「いえ、不用心に女神さま方の区画を歩き回ってる僕があるいので……」
痛さ半分、幸せ半分の気分になって僕は言う。
「ほんとにごめんなさい。怪我ない?」
「はい、これでも見た目より頑丈にできているので」
立ち上がっても痛みによろけそうになるが僕は虚勢を張って答えた。
「ストーカーって、何か心当たりがあるんですか?」
「うん、前からあったけど、最近はちょっとそれよりも気になることがあって。何かがあるってわけではないのだけれど」
九界全てをあまねく魅了する麗しのスーパーアイドル、誰もが憧れる女神の中の女神さまを悩ませているとは。僕の正義感が燃え上がる。
「もし、何かお困りのことがあれば僕にも一声かけてください。お力になります」
「ありがとうね」
見事な投げ技を披露して少し乱れたドレスを自然と直しながらでも女神さまの笑顔はどんな時でも極上であった。
「ところで、フレイヤ様がいらっしゃるということは、ここはもしかしてフォールクヴァングですか?」
「そうだね、私の屋敷だよ。ビューレイスト君がここにきているのは私に用事ではなくて、迷子になってしまっただけ?」
「あ、そうなんです。すみません、お恥ずかしながら」
「気にしないで。そっか。仕方ない仕方ないね。だって、こんなに広いんだもの。それでどこに行こうとしてたの?」
「あの、ヴァルキューレ様方の寮に行きたいのです。ここからだどちらの方角へ行けばいいんでしょうか?」
「方角……え、えええっと……てへ!」
フレイヤは辺りを見回してから可愛い笑みを浮かべてくる。
「仕方ない仕方ない。だってこんなに広いもん! ね、ね」
「はい、もちろんわかっておりますとも」
自分の住んでいるところなのに。なんて僕は思わない。こういうところもフレイヤ様の魅力なのだ。
「待ってて。ヒルディスヴィーニに案内させるかな。ヒルディスヴィーニ」
女神さまの済んだ呼びかけに、猛烈な勢いでイノシシがやってくる。
「ただいま参りました。フレイヤ様、御用でしょうかって、げ、ビュー! ……レイストさんも」
とんだご挨拶をされてしまった。
「悪いけど、ビューレイストくんをヴァルキューレの寮まで案内してあげて」
「畏まりました」
「ありがとうございます。フレイヤ様」
僕はフレイヤ様に深々とお辞儀をするとヒルディスヴィーニが急かしてきた。
「ビューレイストさん、とっとと参りましょう」
フレイヤに見送られて、僕らはフォールクヴァングを後にする。
少し歩いてフレイヤの姿が見えなくなったところで、ヒルディスヴィーニが僕を壁に際に追い詰めてきた。壁ドンですよ、イノシシに壁ドン。
「ちょっと! なんであんたがお屋敷にきているのさ!?」
お行儀の良い仮面をあっさり捨ててヒルディスヴィーニは姉御口調で迫ってくる。
グリンプルスティもそうだけど基本的に神の騎獣や眷属の動物は生意気な奴らばかりだ。神の傍に仕える立場で人間に対しても上から目線だ。彼らからすれば大切な主に無作法に近づく僕なんかは睨まれやすいところがある。だから、ヒルディスヴィーニとも仲が悪いわけではない。態度の急変は彼女が女神フレイヤの前ではイノシシなのに猫を被っているからだった。
「た、ただの迷子だよ。それより、ヒルディスヴィーニ、君はフレイヤ様の前では本当に素の自分を隠しているようだね?」。
「あたいは、あのフレイヤ様の従者だからね。一緒の時くらいはそれっぽく振るわないと駄目っしょ。ビシッとできる女を演じなきゃ!」
「なるほど……でも言っちゃなんだけどさ。そもそもフレイヤ様ご自身が言うほどビシッとしてなくない? 隙が多いっていうか」
「あのとおりの天真爛漫なお方だからねぇ。でも見た目は上品でしょ。咄嗟の切り替えの見本としてもあたいが一役買ってるわけよ」
「ふーん、そういうもんかね、けどさ、それって疲れない?」
「めっちゃ疲れる! でも仕事って疲れるものじゃん。疲れるからこそ仕事じゃん。あたいは仕事に誇りを持ちたいわけ! そんな自分を誇りたいの」
意外にも一本筋が通った理屈で僕はちょっとびっくりした。
なるほどそういう考え方もあるんだな。自分がこんなふうに仕事に誇りを持っているか考えてなかったから余計にびっくりだ。
「さあ、着いたよん。ここがヴァルキューレ様の寮ね」
しばらく歩いてやってきたのは、フォールクヴァングからでも見えていたお屋敷だった。「これならあそこに見えているで済ませてくれてよかったのに」
「ぶっちゃけ、ヴィーンゴールヴの入口からも見えているんだけどね。じゃあもう一人で行けるでしょ。次からはこっちに面倒かけないでね」
「ありがとう」
新設に案内をしてくれたのには変わりないので僕は素直に礼を言う。
「バイビーね」
さっぱりと挨拶を残して戻っていたヒルディスヴィーニを見送った僕はヴァルキューレ様方の寮内に足を踏み入れた。
「それで、ロスヴァイセ様のお部屋はどこだろ……」
ヴァルキューレが何人いるか知らなけれども、知っているのを思い出してもここの寮は無駄に広すぎた。部屋が多くて、片っ端からノックをして回っても、空き部屋ばかりで返事がない。ただの屍とやりとりしているような気分になってきた。
結局一階は全て空き部屋で僕は早くもげんなりして二階へ上がった。
「あ、ビューレイストさん!? お、おはようございます」
「ブリュンヒルデ様、お、おはようございます」
出会い頭に部屋を出てきたブリュンヒルデと遭遇したのだけれども、僕はびっくりしてしまった。まさかのネグリジェ姿である。
無意識に舐めるような視線になってしまっていた僕の視線を察知してから、ブリュンヒルデは自身の身体に目を落とす。すると火がついたように顔を真っ赤にして部屋に逃げ込んでしまった。
「こここ、これは違うんですよ。ビューレイストさん 私はいつもこんな時間までぐーたらしてないのです。今日は非番で。たまたまなんです。そうたまたま!」
ブリュンヒルデは扉からちょこっと顔を出して懸命に言い訳してくる。
「ということは、レアショットですね。ありがとうございます。この記憶はしっかりと脳裏に刻んで末代まで微に細にわたって語り継ぐとします」
「はわわわわ、は、はずかしいです、どうか忘れてください」
「冗談ですよ、ブリュンヒルデ様。薄いい生地の透け具合やくっきり浮かんだ身体のラインとかきれいさっぱり忘れてしまいました。ご安心を」
「な、なんだか色々具体的ですけど。本当に忘れてくれたんですよね?」
「もちろんですとも僕は紳士ですから」
僕は心の中でこっそり告白する。いいえ、絶対に忘れられません。たとえ愛しいブリュンヒルデからの頼みであってもこれは譲れないんです。
「ところでビューレイストさん、今日はこんな朝早くからどうしたんですか?」
顔だけの体勢のままブリュンヒルデがやんわりと尋ねてくる。
「実は昨日、ロスヴァイセ様からお願いごとをされたのですが、時間がなくて、具体的な内容を今日改めて聞くことになっていたんです」
「ロスヴァイセが頼みごとですか、なんでしょうね」
姉であってもすぐには思いつかないようだ。
「どんな願いだろうと受けるつもりなんですけどね」
「え、ど、どんな願いでも……」
僕の言葉を受けて、ごくりと喉を鳴らしたブリュンヒルデから気のせいとはいえない怪しげなオーラが出てくる。
「ビュ、ビューレイストさん、それって、まさかロスヴァイセが昨日のパーティーに同伴したからそういう話になったのですか?」
「はい、そのお礼も兼ねてます。ロスヴァイセ様が同伴してくれて大助かりでした」
「はふぅ……つまり、私がちゃんと同伴できていれば、今頃は……同伴できていれば。私がお願い来たのに……」
僕の返答を聞いたブリュンヒルデ様はばっくりとうなだれてぶつぶつと言いだす。
「あ、じゃあもしよろしければ今度は二人でパーティーしませんか」
「えっ本当ですか?」
思いつきを口にしたら、ブリュンヒルデはうってかわって明るい表情になった。
「じゃあ日取りは頃合いを見て決めましょう」
「お願いしますね。絶対に忘れないでくださいね!」
ブリュンヒルデ様は扉から出てくるとやたらと喜んでくる。それはいいがあれだけ忘れてくれと言ったネグリジェ姿をまた惜しげもなくさらしている。
「そうだ、ビューレイストさん、ロスヴァイセのお部屋でしたよね。だったら、私がご案内しますから、ちょっとだけ待ってください」
断りを入れたブリュンヒルデ様は一端自室に消えると、ドレス風の私服に着替えて現れた。
セクシーなネグリジェ姿もたまらないけど、ずっとあの格好だと目のやり場に困るから残念もあるけど僕は少しホッとする。
ブリュンヒルデに案内されたのは一番奥にある部屋だった。
「ロスヴァイセ、起きてますか」
「ブリュンヒルデお姉ちゃん!? 起きてるよ、どうぞ!」
入室許可を受けて、ブリュンヒルデは部屋の中で入ってく。僕もそれに続いたら、ロスヴァイセはとても驚いた様子になった。
「わあ、ビュ、ビューレイスト君も来てたの。あう、お姉ちゃんひどいよ、先に教えてくくればちゃんと着替えたのに」
妹のロスヴァイセもまたネグリジェ姿ではありませんか。
「ちょ、ちょっと待ってて」
眺めていたいのが正直な気持ちだけどそれをするわけにいかないので僕は素直に従う。
「いいよ」
声が再びかかってきたので部屋に戻るとロスヴァイセは私服姿に早変わりしていた。
「ロスヴァイセ様、昨日のお願いごとの件で窺ったのですが、早すぎましたか?」
「ううん、そんなことないよ。わざわざ来てくれてありがと。なら早速用件に入っちゃうけどね、あのね実は私の神技のことでね、ビューレイスト君に相談にのってほしかったんだ」
「え、神技についてですか?」
神技は神族だけに扱える特別な奥義のことだ。神族でもない僕に力になれることではないと思うんだけど……。
「私の神技はね、マーナガルムっていうね、おっきい狼に変身する技なんだ。でもね、その技を使うと私は私でいられなくなる、心まで獣になっちゃうっていうのかな?」
「……うんと、具体的にはどういうことなんですか?」
言いにくそうになったロスヴァイセの代わりにブリュンヒルデが説明してくれた。
「マーナガルムに変化したロスヴァイセは理性を失い、敵味方の区別なく襲い掛かる狂戦士になってしまうんです。姉妹の中でも特に強力なので、威力の代償なのではないかと私たちは考えているんですけど」
「それはお姉ちゃんたちが私を納得させるために言っているだけだもん。代償があるのが私だけなんて全然納得がいかない! 私が使いこなせてないだけなんだもん」
「ロスヴァイセ……」
厳しい表情で吠える妹の剣幕に気圧されて、ブリュンヒルデはらしからぬ困り果てた目になる。
見かねた僕はなだめる意味も含めて質問した。
「ロスヴァイセ様はどうしてその質問を僕に?」
「ビューレイスト君はさ、あんなおっきいドラゴンに変身できるのに、変身しても理性を給っていられている。だから、何かコツがあるんじゃないかって気になってたんだ」
なるほど、それは納得ができる理由だけど、でもコツと言われても僕も自覚なくやってできてしまっているので答えられない。呼吸や言葉と同じでできたと思った時にはできるようになっていた。
「参考までにお聞きしたいのですが、ヴァルキューレ姉妹の神技の系統というか姉妹ごとのみたいなものを教えてくれませんか」
「姉妹の差ですか、そうですね、やはり特性の違いが大きいでしょうか。私たちは姉妹ですが、特性は様々です。たとえば私は防御重視のバランス型でリーベンシュトラーフェという片手剣を武器に、本来であればエラレーズング・シュルトと呼ばれるたくさんの盾を持っています」
「次女のゲルヒルデはスピード特化の槍使い、三女のオルトリンデは気配を絶つのが得意な暗殺術……という風に姉妹にはそれぞれ得意とする分野があるんです」
「ちなみに私は近接格闘戦が得意なクリーガーだよ! 武器はツヴァインガーシュリッセルっていう鉤爪でね、リーチは短いけど小回りがあるから、ゲルヒルデお姉ちゃんにだって引けはとらないよ」
ベッドの上でロスヴァイセは華麗に身構える。一見無邪気で可愛らしいけれども、身体のきれはまさしく戦女神だ。ところで動くたびに裾から見えるお召し物はレースこまやかな純白で、僕の目には眩しい。
「お二人とも、お話しありがとうございます。でも、話だけではやっぱりよく分からないです。もしよかったらですけど、実際に見せてもらえませんか?」
「え」
僕からの注文に、ロスヴァイセが途端に表情を曇らせてしまう。ブリュンヒルデも険しい表情になって思い悩んでいる。
「安心してください。僕も竜に変化しますから! もしロスヴァイセ様が大暴れしてしまっても僕が絶対に抑え込んでみせます」
竜の自信をもって僕は任せろとどーんと胸を叩く。
「そう……ですね、ビューレイストさんの変身は凄まじい力を持っていますし、私も協力します。一度試してみるのも悪くないかもしれませんね」
「でも、危ないよ、もし、それで二人を傷つけちゃったら」
「大丈夫、信じてください。自分自身もだけど、僕とブリュンヒルデ様を」
ロスヴァイセは沈黙を経て意を決したように僕とブリュンヒルデを見てきた。
「そうだね、私、やってみる!」
それから僕たちはヴァルハラが誇る大演習場の一角へと移動する。神技は実戦のためのものであり、二人は完全武装姿だ。僕は僕で例の小型冷蔵庫を持ってきた。最悪の事態を想定しての保険だ。
「……我が姿を変えよ。ファフニール」
「閃けリーベンシュトラーフェ!」
僕は精神を集中させて竜へ変身をすると、ブリュンヒルデも高らかに叫んで剣を構えて臨戦態勢、どっちも準備は整った。
「っ!?」
見上げるほどの巨大になった僕を前にロスヴァイセも緊張する面持ちになっていた。
「怖がらなくてもいいですよ。神技を見せてもらうのが目的で戦うのが目的じゃないですから。こちらから手出しはしません」
僕からの呼びかけにロスヴァイセは気持ちを落ち着けるように深呼吸をすると両手を地面について四つん這いの姿勢になった。
「よおし、行くよ、月を求めし獣! マーナガルム」
神技の発動を告げた刹那、吹き付ける風がつむじ風となって視界を覆う。奔流は大地をめくり大気を巻き込み、吸い寄せられた雲が巨大な輪郭を作り出していき、やがて、牙を剥いた白き狼の姿になった。
「ワォオオオオオオーン」
マーナガルムが雄叫びをあげて強靭な前足が地面をえぐる。血のような赤い眼光が睨みつけたと思ったら僕の右腕に凄まじい激痛が走った。
「っ!?」
一瞬で右腕が切り落とされてしまっていた。既にロスヴァイセは狼に心を乗っ取られてしまったのか。
「ビューレイストさんっ!」
僕が動揺している間にもマーナガルムの二撃目がやってくる。首を描き切るべく振るわれた鉤爪の一撃をブリュンヒルデが受け止めてくれて、僕は九死に一生を得る。
「ロスヴァイセ、しっかり気を持ちなさい」
「グルァ!」
「っ! ……やっぱり無謀だったの!? とにかく取り押さえないと」
ブリュンヒルデが相手をしているにも関わらず、マーナガルムはますます凶暴になっていく。このままでは姉妹喧嘩ですらすまない惨事になってしまう。
油断だった。僕は後悔する。これがヴァルキューレ九姉妹の中でも特に強力な神業なのか。どうすればいいのだろう。手加減する余裕はない。それこそ殺す気でなければやられるだけだ。
僕は残された左腕をこれ見よがしにゆらしてマーナガルムを挑発する。ブリュンヒルデ様から離れてマーナガルムは標的をしてくると、すぐさま左腕に食いついてきた。
よし。目論み通りなってくれた。僕は噛みついたままのマーナガルムの身体に素早く尻尾を巻きつけて身動きを封じると、覆いかぶさる形で地に倒れ込んだ。
「ビューレイストさん、それは無茶です。妹が死んでしまいますっ!」
「いいんです、これで」
僕が答えている間にも怒り狂ったマーナガルムが力任せに僕の身体をかきむしる。地上の何よりも硬いはずの龍鱗は簡単に引き裂かれて噴出した大量の血がマーナガルムの体毛をみるみるうちに赤く染め上げていく。
僕はただひたすら激痛に耐え続ける。狼の全身が目と同じ色になるぐらいに染まった頃になってやっとロスヴァイセは全身を光をまとうや元の姿を取り戻していった。
「よ、よかったぁ」
僕も続いて変身を解くと途端に全身から力と熱が抜けていく。ああ、ここまで派手にやられたのは初めてかも。これはもう長くもちそうにない。
「ビュー……くん、あれ、ビュー君!? なんで」
僕の姿に衝撃を受けたのかロスヴァイセの声がひどく震えていた。
「気に、しないで、……僕が自分から言ったことだから……」
「違う、ビュー君が悪いんじゃない。私がやれると思ったんだもの。できると思ったからやったのに、こんな……」
泣き崩れるロスヴァイセの姿に、僕は自分の浅はかさを呪いたくなる。分かってたんだ。こんなやり方じゃ、誰も救えない失敗にしかならないんだって……。
「……ここは、僕の部屋か」
僕は自分が死んだ事実と復活したことに一人ほっとした。死んだら復活するはずのエインヘリャルの一人ではあるけれども僕は戦士ではない例外だ。立場も心情も終末のために戦う兵士ではない僕が必ず復活するわけではないのだ。
とにかく僕は厨房へ向かうと料理長が声をかけてきた。
「お、ビューレイスト君、よしよし、無事に生き返ったみたいだね」
「ああ、やっぱり死んでましたか」
わかっていても僕は確認してしまう。
「うん、ブリュンヒルデ様に運ばれてきた時には完全にね。今も待っているから、その姿を見せてくるといい。ひどく心配されていたからね」
「こうしちゃいられない。いってきます」
僕は料理長に断りを入れる食堂へと行く。
「あ、ビューレイストさん、ああ、良かった。元気に生き返られて! エインヘリャルだから大丈夫と料理長からも言われていたんですけど、無事に生き返られても精神的にきてないか心配してたんです」
「ブリュンヒルデ様、ご心配おかけしました。でも安心してください。この程度はへっちゃらです。ここに来てからよくあることですから」
僕は元気よく強がりを言う。
「よくあるって……」
あの時の様子を思い出したのかブリュンヒルデは涙目になる。
「あれ、ロスヴァイセ様はどちらに?」
ブリュンヒルデ以下、ヴァルキューレ姉妹が集まってきているが、九姉妹の末妹の姿がどこにも見当たらない。
「実はあの後ですね、ロスヴァイセは部屋に閉じこもってしまったんです。ビューレイストさんを死なせてしまったのがよほどショックだったみたいで」
「そ、そんな。悪いのは僕なのに!」
居ても立ってもいられない僕はすぐさまロスヴァイセのもとへ向かう。
蘇生したてで消耗している身体に鞭打ってやっとロスヴァイセの部屋の前まで辿り着く。
「……ロスヴァイセ様、ビューレイストです。安心してください、ちゃんと生き返りました。このとおり元気です、ピンピンです! ……今日は本当に申し訳ありません。僕が軽はずみなことを言いだしたせいでロスヴァイセ様に辛い思いをさせてしまって。悪いのは僕なんです。なので、お顔を見せてください。」
いつまでたっても部屋の向こうからは反応はなった。
「ロスヴァイセ様、いるんですよね? いるのならどうか返事をして下さい」
部屋にいないか、中で何かあったのではないか。僕はドンドンと扉を叩いていたら部屋からかすかだが物音がした。
足音がゆっくりと扉に近付いてくる。
僕はほっとしたのも束の間
「……帰って」
「え……」
扉越しにはっきり聞こえたのはこれ以上ない拒絶だった。
「ど、どうしてですかロスヴァイセ様。僕は許せないなら許して下さらなくていいんです。ただ、もし、僕の死を気にしているならお気持ちは不要です。こうやって蘇生しているんだからロスヴァイセ様はちっとも悪くないんです」
「生き返ることは殺していい許可証じゃない」
悲痛な叫びと一緒に扉が叩きつけられる。
「死んでも生き返れるか平気? それでいいだなんて絶対におかしいよっ! 私はずっと前からおかしいと思ってた。何度でも生き返れるってことは何度も出も死んじゃうってことなんだよ!?」
「ロスヴァイセ様……」
涙ながらに紡がれる重い、激情をおびた悲しみが僕の胸に見えない傷を作って入り込んでくる。心に伝わってきたこの痛みが、今の彼女が抱えている痛みなのか。
「私だけじゃないよ、君が死んじゃったらそのたびに傷つく人がいるってこと、忘れないで。私は君みたいには強くないんだ」
想いを吐き出すと、扉の向こうの気配が遠ざかっていくのが分かったけど僕には呼び止めることができなかった。
「……僕はほんとうに大馬鹿だ」
呟いた僕は扉にもたれて息を吐く。
他のエインヘリャルはない能力があることで、神族に変に目をかけられるようになって自分は特別だって舞い上がっていたんだ。謙遜は口先だけ、僕ならロスヴァイセ様が抱える悩みだってちゃっと解決できるんだ。
「そんなはずなのに……」
ロスヴァイセは僕が許せなかったわけではない。罪の意識を抱いていたわけではない。ただ純粋に傷ついていたのだ。
僕が元気に蘇っても、だからってロスヴァイセが僕の命を奪ってしまった事実はきえてくれるわけではない。
僕ははじめて自分の愚かさを自覚した。