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太陽王の蹄の唄  作者: 古池ケロ太
チャリオッツ・ダービーの章
33/38

(33)

 と、そこでドッと客席が揺れた。

 真横にいたのは、ヒゲ男、トルキス代表のナフードだ。


(なんてこった、こんなときに!)

 サラは心臓の凍りついた顔で、盾を構えた。致命的な隙と間合い――だがナフードは、突っかかってくるどころか、


「か、かまえなくていい」

「……?」

「お、おれのくにに、こういうことわざがある。き、きのうのてきは、きょうもてき……じゃ、なかった。え、ええと。てきのてきは、おやのかたき……でも、なくて……」

 ……なんだ、こいつは。


「ご、ごめん。おれ、あたまわるいから、うまくいえない。で、でも、おれはさっきの、おまえのたたかいをみて、か、かんどうした」

「……それはどうも」

「あ、あのおーえん、とかいうやつ、すごくはやい。こ、ここでおれたちがつぶしあったって、むこうをよろこばせるだけ。だ、だから、えーと……」

「ひょっとして、手を組もうということ?」


 ナフードはこくりと不器用そうにうなずいた。見れば、オーウェンとの差はもう十馬身で済むかどうかってところに広がってる。


 サラは少し考え込むような間を置いてから言った。

「……いいわ。ただし、作戦があるのなら」

 嬉しいんだから何なんだか、ナフードはカクカクと何度もうなずくと、やおら鞍にくくりつけた、布袋から何かを取り出した。


 弓だった。


「ちょっと待って!」

「な、なんだ?」

「作戦ってそれのこと?」

「そ、そうだ。と、とびどうぐがだめ、なんてきまりはない」

「そういう問題じゃないわ。自信があるのかってことを聞いてるの」

 サラがイラついたのも無理はない。このスピードで前を行く馬を後ろから射るってのは、たとえるなら、飛びまわるハエに石つぶてをぶつけにいく、ぐらいの難度がある。戦場だったら矢の無駄だからやめとけと笑われるのがオチだ。


 しかも、だ。当たらないんならまだいい。問題は、当たっちまったときだ。

 なにしろこのレース、馬への攻撃は即失格。優男じゃなくハイペリオンのほうに命中したら元も子もない。そして、的としての馬は、乗っかってる人間よりもはるかに大きい。

 サラが言うのは、そういうことを分かった上で、オーウェンにだけ当てる自信があるのか、ということだ。


 ナフードは背中の矢筒から、矢じりを外した矢を取り出して、こう言った。

「あ、あてるじしんはない」

 サラが呆気にとられたときにはもう、弦がうなっていた。


 矢が斜め上の空に突っ込んでゆく。飛魚のように尻尾を左右に振りながら、砂っぽい空気と大歓声を切り裂き、巨大な弧を描いてオーウェンの頭に向かう――かと思いきや、それをはるかに越えて、まるっきり見当はずれの地面に突き立った。


 そして、それが狙いだった。

【ああああっとォ! ハイペリオン、足元の矢に驚いてヨレた! これは大失速だ!】

 足元というにはずいぶん離れていたが、それでもハイペリオンの取り乱しようはひどかった。前脚が踊り、完全に首が浮く。痛烈ないななきが耳を突いた。


 ――この手があったか。

 何も当てることはなかったんだ。適当に撃ってやるだけで十分な威嚇になる。ましてやハイペリオンのあの臆病な性格――こいつ、バカっぽいくせしてよく見てやがる。


「あ、あてるじしんはない。で、でも、はずすじしんはある」

 矢筒から矢を取り出し、次々と射かけるナフード。矢の雨は七色バカの七色の頭上を休みなく覆い尽くし、砂地の上には雑草よろしく矢が生え、ハイペリオンはそのたびおびえ、右に左に斜行する。騎手がオーウェンじゃなかったら、とっくに止まってるはずだ。


 が、もうここまでだ。

【さぁ、ナフードとサラントヤ、ここで猛追! オーウェンとの差を一気に縮めます!】

 ハイペリオンがじりじりと左、内ラチのほうへと追い込まれてゆく。ナフードがヤツの右側に集中して射かけているためだ。


 そして俺は、ハイペリオンの左後方へとするすると近づいてゆく。はさみ討ちだ。

 ナフードがハイペリオンとは三馬身、右後方からじわりと接近し、一際強く弓を引いた。この距離なら外さないというわけだ。二馬身、一馬身と間合いが詰まったところで、


 ごん、と鈍い音がした。


 次いでナフードの体が、倒木が崖を滑り落ちるごとく、愛馬の背から落下した。


 静寂――五秒も遅れて、悲鳴が競技場を揺るがした。ナフードの体はぴくりとも動かず、その額が小さく陥没し、一筋の血を流しているのだけがかろうじて分かった。


 背筋が凍った。

 見えなかった。一体何をした? 目に映ったのは、オーウェンが振り向きざまナフードに向かって右腕を伸ばしたところだけだ。だが、もちろん腕の届く距離じゃない。


 気がつくと、しまった――俺はすでにヤツの左後方だ。優男がゆっくりとこっちを振り向き、ごちそうにありつく子供の目、右の肩口まで引き絞られた左腕、そして、その左手の握りが不自然に膨らんで――


 ――飛び道具!


 前かがみで盾を構え、全身防御の姿勢をとるサラ。同時にオーウェンの左手が閃く。


「ぐうッ?」

 右脇腹のアバラが折れる鈍い音が、はっきりと聞こえた。


『サラ!』

 深紅のデールが苦しげに折れた。熱く重い呼気が、たてがみを濡らした。


 ――バカな。あの角度からどうやって!

 ヤツの得物はやはり見えなかった。

 だが、投擲武器ならしっかり射線はふさいだはず。

 どう考えても脇に当たる角度じゃなかったはずだ!

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