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太陽王の蹄の唄  作者: 古池ケロ太
勇者、帰還するの章
21/38

(21)

 桶の中に顔を突っ込むと、水の冷たさが喉の奥へと染みわたった。


「落ち着きましたか?」

 カールが穏やかに微笑みかけてくる。顔中のパーツを線にしたその表情も、子守唄みたいなゆっくりした声も、百年ぶりかと思うくらい懐かしい。


「本当は、ちゃんとした部屋で、カップに入れてお出ししたいところなのですが……ご無礼お許しください」

『くうう、気づかいが目に染みるぜ。誰かさんに聞かせてやりたいセリフだなぁ』

「? 誰かさんとは?」

『いや、こっちの話。ぷはー』


 バザールからほどないところにある、ユーロピア風のたいそう立派な館。部屋の数は五十もあって、中庭ではトルキスの守護神、二頭の獅子が噴水で水遊びをしている。もとはユーロピア商人のために作られた商館だったのを、カールがトルキスに商売の手を伸ばす足がかりとして国から買い取っちまったってんだから、まあ大したもんだ。


 さすがに部屋の中に馬を入れると召使いたちに何を言われるか分からない、ってことで今は馬小屋でこうして二人顔を並べてるわけだが、そうは言ってもカールの馬小屋だ。どう考えても俺の家より広い。


「本当に災難でしたね……私の知らないうちにそんなことになっていたなんて」

 ここに来るまでの経緯は、カールに話しておいた。ただし、バアさんの件は除いてだ。万一話しでもしたら、血相変えて街中の蚊を叩き殺しかねねえ。


 そういやバアさんはどこ行ったんだ? さっきまで一緒にいたのに……

『勇者様?』

『ああ、いや、何でもない。ところでお前、なんで俺の言葉が分かるんだ? 大学じゃ馬語まで教えてんのか』

「まさか。なんでと言われましても、分かってしまうものですから」


 まあ、それもそうだよなぁ。カラスに向かってお前は何で黒いのかと聞くようなもんだ。

『強いて言うと……愛ですかね?』

 激しくむせた。

『ブホッ! ゲホッ、お、おまっ……』

「冗談ですよ。やだな、勇者様。しばらく会わないうちにユーモアの腕も落ちましたか?」

 笑いかけてくるカールを、どこまで信じていいものか。こいつは俺のことを尊敬してくれるのはいいんだが、その尊敬度合いがたまに恐いときがある。


 このレースもカールが中心になった商業都市同盟が主催していて、目的の半分は俺の捜索のためだそうだ。本番では客席を埋める八万の観衆に向かって、俺がまだ生きていることと、どんな小さな情報でもいいから教えてほしいというのを呼びかけるつもりだったとか。……勘弁してくれ。


『しかしなぁ。何も自分で代表選手として出るこたぁねぇだろが』

「自ら出場したほうがより衆目を集められると思いまして』

『予選は八百長じゃねぇだろうな?』

「とんでもない。なんでしたら、すぐにでも腕の鈍ってないところをお見せしますよ?』

『わーってる、冗談だよ。昔から商売より馬と槍の扱いのほうが上手かったもんな』

「それは褒め言葉ととっていいんですか?」

 俺たちは笑い合った。


(ああ――こんな時間は久しぶりだ)

 片やトルキスの大工の息子、片やプロシアの大商人の御曹司。生まれも育ちも違うけれど、俺とカールは妙に気が合った。いい加減なところのある俺と、神経の細かいカールの組み合わせは、ハタからみりゃあ結構うまいことハマってたのかもしれない。


 無知と癇癪で暴走したところを「いいですか、勇者様」の一言で助けられたことが何度あったか。あのころ、金だとか武器の調達だとかの話だけじゃなく、こいつの人を立てる性格のおかげで、俺は生きていられたようなもんだ。


 と、物思いにふけっている間にも、まだカールは腹をかかえていた。

『おいおい、笑いすぎだろ』

「す、すみません。くっくく……そ、それにしてもあの勇者様が馬にねぇ……くくくっ」

 そっちかよ。

『ひっでーなぁ。これでもこの姿で相当苦労したんだぜ? 同情くらいしてくれよ』

 そう声をかけてもまだ止まず、とうとうひっくり返って大笑いし始める。


 ――違和感があった。

 可笑しいのはわかる。俺だって、バアさんが蚊の姿で現れたときは、自分を差し置いて噴き出したもんだ。が、カールのヤツは同情こそすれ、こんなふうに笑ったりするようなヤツじゃなかったはずだ。そう、少なくともこんな人を馬鹿にするような、笑いは。


「くくっ、失礼。あんまりにも可笑しかったもので。ええと、龍脈儀についてでしたね?」

『ああ……可能性としては考えてたんだ。お前がくれたアレが原因の一つなんじゃないかって。でも、それを知ってるまじない師なんていなかったし。もちろん疑うわけじゃねぇ。ただ、何か心当たりがあって、もし元に戻る方法があればって……』


 一呼吸の間があった。焦らすような空白の後、カールは耳を疑うようなことを口にした。

「そんなもの、あるわけないじゃないですか」


 ――なんだ、それは。

 分からないとか知らないとかじゃなく……無い?

 ぐるぐると脳が回った。


 んでそんな確信に満ちた言い方ができる。その言葉の根拠は、一体何だ。

 カールの顔は、俺が一度も見たこともないものだった。斜に構えて、見開いた片目をぐいと近づけてくる。吊りあがった唇から歯をむき出し、睨みつけるというか、蔑むというか、完全に見下した顔と口調だ。


 よほど呆けた顔をしていたんだろう。俺の顔をしばらく観察していたカールは、またしても体を折り曲げるような笑いをした。

「くくっ……あはははは! いいカオだ! 馬でもそんな顔をするものなんですねぇ! あーっははははは!」

 まったく見知らぬ人間を見るようだった。俺はうろたえるしかなかった。

『ど、どうしちまったんだよ、カール……』

「くくっ、知りたいですか?」

『え?』

「理由ですよ。その無様なナリになった訳を、知りたくないか、と言ってるんです」

 その言い方が、俺に冷静さを与えた。沈黙で肯定を示すと、カールのほうもようやく姿勢を正した。


「マナというのをご存じですか?」

『マナ……?』

「オーラ、プラーナ、エーテル、あるいは東方においてはキともいいますが……つまり万物が持つエネルギーのことです」


 なんだかいきなり話が妙な方向に飛んだ。抗議しようとする俺を、しかし、女のように白い手がさえぎった。

「まぁそう慌てずに。一つずつ順を追って説明しましょう。いいですか――」

 薄い笑みを壊さないまま、カールは語り始めた――

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