(1)
お馬さんに転生しちゃった勇者が競馬レースに挑むお話です。
何を言ってるのかわからねーと思うが(ry
――いいですか、勇者様。
世界の英雄たるもの、自伝の一つも残しておくべきです。なぜって、後世の人々に功績を伝えるためですよ。あなたは、聖剣を振るってマジェンタを倒して女性にちやほやされるのが勇者の仕事だとお思いのようですが、違います。全然違います。世界中の人々が苦しんだこの十数年を、その元凶をいかにして絶ったかを、自らの言葉で残すのがあなたの使命なのです。
私が代わりに書け――って、勇者様、それはできませんよ。最後の戦い、私は階下でマジェンタたちを引き受けて、あなたは広間で魔女と対決する段取りでしょう? 目撃者は他に誰もいないんですからあなたが書くしかない。
文字が書けない? 心配いりませ
ん、私が教えます。というか前から言わせてもらっていますが、勇者たるもの文字の一つの書けずにどうします。
関係のないことではありませんよ。相手は不老不死とも噂される魔女、剣一本でねじ伏せられるとも思えません。ですから勇者たるもの知性も必要であると、私は常々――
「……って、俺の相棒が言ってたんだがよ。アンタはどう思う?」
「そんなこと、当の魔女に訊くヤツがあるかね」
ヒッヒッと魔女は笑って答えた。ババア臭い口調と裏腹に、その声色はひどく幼い。
薄紫のふわふわした短髪に、くるりと音のしそうな丸い眼、背丈は一メードちょっとってところで、見る限りまるきりそこらの七、八歳の女の子だ。変わったところといえば、黒いマントで全身をすっぽりと覆っているのと、ヒッヒッといやらしく笑うたびに口元からのぞく、小さな牙。
ユーロピア大陸全土を恐怖のどん底に叩き込んだ「はじまりの魔女」がまさか本当にこんなガキだったなんて、都の神父もビックリだぜ。
「だよなぁ」と笑い返して剣を構えると、冷えた切っ先に一粒の雪が落ちた。
北ユーロピア特有の、針山みたいな針葉樹の山。その頂上、打ち棄てられた古城の大広間。天井も屋根もなく、四角く切り取られた灰色の空が、俺たちを見下ろしている。かつてはきっと何百人もの貴族がドレスを着飾り談笑してただろう、バカでかい広間は、今、俺と魔女、そして無数の死体で埋まっている。
最も、ここでいう死体ってのは二つの意味があって、一つは俺がぶった斬った「死んだ死体」、そしてまだ動いている「生きた死体」だ。
赤紫の肌と、青白く濁った眼。うぅうぅぅ、と聞くだけで胃に悪いうめき声を出し、だらりと両手を垂れる半死体。魔女に血を吸われ、自らも血を求めてこの世を徘徊する人であり人ならざるもの――『マジェンタ』だ。
(残り、四人、か……)
さすがにちょっと息切れしてきた。なんせこの城に入ってから百人は斬ってる。カールの野郎、大広間で魔女と一騎打ち、だと? ここだってマジェンタの巣窟じゃねぇか。トルキス王家御用達の防具屋が作った最高級・鋼の胸当てや脛当ても返り血まみれで、ああ、もうサビて使えねぇな、これ。まぁ、いいや。こいつが終わればもう、着なくてすむんだ。
正面から影が迫ってきた。プレートアーマーで全身を包んだマジェンタだ。
何の小細工もいらない。真正面から兜割りに叩き斬ると、肌の色と同じ赤紫の血がド派手に飛び散った。ガランと落ちた両手剣はおっと思うくらいの業物で、さぞや名のある武人だったんだろうが、悪いな、せめて天国で勇者に斬られたって自慢してくれ。
休む間もなく、次の二人が左右から駆けこんできた。俺は迷わずその間を通り抜けた。一拍を置いて、後ろで二つの断末魔と倒れる音が聞こえた。
最後の一匹、俺の体の二倍はありそうな大男が両手を広げてのしかかってくる。
「シッ!」
袈裟掛けに斬りかかり、返す刀で地面から斬り上げる。一瞬遅れて毛むくじゃらの両腕が血しぶき上げてボトリと落ちた。悲鳴は聞こえない。痛みが大男の脳ミソに届く前に、刀身が深々と心臓を貫いている。
これで残りは本命だけ――と思った俺はちょっと甘かった。耳をつんざく金切り声。見上げた俺の頭上から、小柄な男が急降下してきた。
(背中に隠れてやがったか!)
デカ男をオトリにしての二段攻撃――迎撃しようにも、剣は刃元まで分厚い肉の壁に呑み込まれたまま。引っこ抜いてる時間はねぇ、見る間にむき出しの牙が迫ってくる。
しゃらくせぇ――俺は倒れかかる大男の膝に足を乗せた。突き立った剣の柄を肩にかつぎ、膝を踏み台に思いっきり跳躍、その勢いで強引に剣を振り上げる!
骨の砕ける壮絶な音。刀身は男の身体を下から引き裂き、心臓から肩へ、肩から空中へ、そして――空中から頭上の敵へ。
「ギョオオオオオオオ!」
逆さに一閃、真っ二つ。勢いあまって宙に飛び出した俺の目に、十メード先の地面、超然とたたずむ魔女――あえてババアと呼んでやる――の姿が躍り込んだ。
――このまま行くぜ!
男の頭もまたもや踏み台にして、一気に間合いを詰める大跳躍。
下降したところで剣を空振る。刀身についた血が霧雨のようにババアのすまし顔に降り注ぎ、一瞬ヤツのまぶたが閉じたところを俺は見逃さない。返す刀は大上段、体重のかけ方、タイミング、軌道――いける! 脳天から真っ二つ間違いなしの、最高の一撃だ!
ギィン! ――と、響いたのは、ヤツの頭蓋が砕ける音――じゃない。
「なっ……?」
受け止めやがった。俺の渾身の斬り下ろしを……しかも、片手で!
ヤツの右手、そろえた五つの指先から極厚のナイフのようなものが伸びていた。赤黒く照り光る刃は、どうやら爪を変化させたものらしい。
「どうしたね、青いの? アイサツが聞こえないよ?」
歯噛みしているヒマはなかった。着地した俺の下っ腹に、寒気が爆ぜた。反射的に後ろに飛ぶ――と同時に、胸から銀色のカンナくずが飛び散った。
それが自分の胸当ての成れの果てだと気づくのに半秒かかった。王家ご用達、都で一等の防具屋に作らせたミッタル鋼のプレートが、左爪の横薙ぎ一発でこそげ取られたのだ。
間髪入れずに今度は右が飛んでくる。まっすぐ喉元に来る、とんでもなく速い突き!
死に物狂いでかがみこめば、脳天の頭皮が削られる感触――が、こっちだってやられっぱなしじゃねぇ、同時に放つは地面スレスレを這う反撃の一閃、足首狙いの超下段斬り、『グラスカッター』!
――ダメだった。何百人ものマジェンタたちの脚を斬り飛ばしてきた必殺の斬撃は。
(踏んで……止めるってかぁ?)
ショックだ。そして――ピンチだ。
「ハ! ジッとしてなよ!」
赤い刃の先端がうなりを上げて落ちてくる。こっちの剣は踏んづけられたまんまだ。
一瞬の迷い、右か左かそれとも後ろに避けるか?
爪が串刺しにした。何を? ――床を。
逃げ道として選んだのは、前だった。横転でヤツの足元へ転がり込んで攻撃をかわす――と同時に、そのまま倒立、身体を伸ばす勢いでヤツのがら空きのアゴに向かって、ブーツの底をカチ上げる。
いきなり目の前が真っ白になった。
「ッ?」
次に見たのはチカチカと瞬く火花と、灰色の空。いつの間にか地面に寝転がっていた。
(……痛ってぇ!)
遅れて頭に走る電撃。こっちの蹴りが届く前に、下段蹴りを顔面にもらったらしい。
ぬるりと鼻先に血が滴った。額を触ってみると、ウソだろ、ちょっとヘコんでやがる!
(な、なんてこった……ユーロピア一の伊達男の顔に、傷が……!)
なんてことを気にしてる場合じゃなかったのだ。
利き手が軽い。武器がない。古代ロマーノの秘宝、勇者の生まれ変わりだけが石畳の鞘から引き抜けるっていわくつきの聖剣が、ない!
「探しものはコレかい?」
愉快そうな声に振り向くと、なんてこった、伝説の剣はヤツの足の下敷きになっていた。
「なっ……て、てめっ、返せ! それ、借り物なんだぞ! なくしたら弁償ですまねぇんだぞ! 折れでもしてみろ、ロマーノの王様から半殺しにされちまわぁ!」
「ヒッヒッ、得物を取られた危機感よりそっちかい。そこまで言うなら、ほら、どうぞ」
裸の足が、ひょいと持ちあがる。剣が曇り空に弧を描いて飛んでくる。
「アンタの敗因を教えてあげるよ」
俺がその軌道に目を奪われている間に、
「それはね、まだ生きて帰れると思ってることさ!」
空気がうなりを上げた。一直線に魔女が突っ込んでくる。刃のきらめきはまだ空中を泳いでいて、ああもうちくしょう早く落ちて来い!
黒衣が地を這い、床から爪がせり上がってきた。間合いに入ってくるギリギリのところで俺は得物を受けとり、そのまま大上段より渾身の振り下ろし、正面衝突、火花が散る!
そのまま押し切ろうとした刃は、しかし、いとも簡単に弾き返された。力負けだ。
あえなくバンザイ状態の俺、胴がまるっとガラ空きになったそこへ、黒いマントがもぐり込んできた。まずいと思う間すらない。右の肘が水月に叩き込まれ、ひとたまりもなく吹っ飛ばされる。そこへもって、ババアはなおも止まらない。空中の俺を追う様に踏み込み、肘を伸ばした勢いで首を薙ぎにくる。爪が赤く閃き、喉が真っ二つに、
「ぬああッ!」
――なる直前、踏み込んでくるババアのヒザを踏み台にしてエビ反り&バク転、皮一枚取られただけで、どうにかかわす。が、こいつときたら休むってことを誰にも教わらなかったらしい。くそったれ、今度は突きか!
それにかぶせるように、剣を突き出した。リーチはこっちが長いんだ、先に貫ける!
超高速で切っ先同士がすれ違い、
「――かかったねぇ」
目の前で、ぐん、と爪が伸びた。
――そうだ、ヤツの爪は剣じゃない。自分の意志で自在に伸ばせるんだ。
こっちをしのぐ長さに伸びた爪が、額に迫る。俺は――
「そう来ると思ったぜ!」
剣を斜めに振り上げた。からまるように爪が跳ね、ヤツの右腕もろとも俺の左肩の上へと吹き抜けてゆく。
突きってのは突破力はあるが、下からの力に弱い。全力で走ってる最中に横から突き飛ばされるようなもんだ。そのまま体をズラしてやればババアはあっけなくよろけ、左上段に構えた俺の真ん前に、斬ってくださいと言わんばかりのうなじが現れた。
もちろん断る理由はねぇ。乾坤一擲の振り下ろしで、それに応える。
次の瞬間、俺は自分から後ろに跳ね跳んだ。
ババアはトトッ、と二三歩蹴つまづいてから、体勢を立て直した。振り返ったその真紅の唇が、得意げに歪んだ。
「さすがの勇者サマも相打ちはゴメンかい」
冷や汗の浮かんだ首をぬぐった。かすったか、薄くアザができている。
――野郎……とんでもねぇマネしやがる。
振り下ろしを避けられないと見るや、残った左の腕で俺の首を刈りにきやがった。当然、死なばもろともの覚悟だ。
「……ったりめぇだ。故郷に帰ったら三日三晩の大祝勝会が俺を待ってんだ、てめーと刺し違えるなんてまっぴらゴメンだっての」
「いいねぇ。そのチンケな欲望。生への執着。二百五十年も生きてきたアタシにゃ、かえって眩しいよ」
――二百五十年……ね。
どうやらこいつが噂通りのバケモンだってことは、もう疑いの余地がないらしい。認めたかねぇが、一対一じゃ分が悪いし……しゃあねぇ。
「切り札を使うしかねぇ、か」
途端、ババアが「プッ」と吹き出した。
「くははっ、切り札? あのねぇ、青いの。そういうのはもったいぶらずにハナから出しとくもんだよ、命のやりとりじゃね」
うるせー、俺だってそうしたかったんだけど、カールの奴に止められてたんだよ。どうしようもないときまで使うな、って。
額より伝う血をぬぐい、俺は胸当ての奥からそれを取り出した。掌に収まるほどの、円盤状の木のオブジェ。バウムクーヘンのように五重の輪から成っていて、それぞれの輪には1から9の数字が刻まれている。
――いいですか、勇者様。「47106」です。この秘宝「龍脈儀」は、輪を回して数字を並べることで発動します。中心から外周に向かって、細い木の枠が伸びているでしょう。その中に外側から「47106」と数字が並ぶように輪を回してください。忘れないでください、「47106」ですよ――。
輪を回す。枠の中で「47106」の数字がかちりと組み合う。変化が起こった。
「これは……!」
ヤツにも見えるだろうか。体全体を、赤く鈍く光る膜のようなものが覆っている。それとともに、力が――とんでもない力がみなぎってくる。足の親指が、両足の付け根が、下っ腹が、肺が、心臓が、両肩が、頭の中が、灼けた鉄を流しこまれたように熱い!
「ようし……」
(一丁、行ってみるか!)
俺は踏み込んだ。パァン! と高い音が耳に割り入る。それが、蹴り足の衝撃で砕けた床の音だと理解したころには、俺は身体はもう、ヤツの目の前にあった。あまりのスピードに自分が驚く。
再び痛烈な音が轟いた。今度はすぐ分かる。俺の袈裟斬りがババアの爪のガードを弾き飛ばしたのだ。
カケラが砕け飛ぶ。半分ほどの長さになった爪を抱えてバックステップする魔女、それを追って俺は再度走る。間合いにとらえたときには、相手はまだ空中だ。そのまま振り払うような横薙ぎを喰らわせれば、小さい体はガードもろとも広間の端まですっ飛んでゆく。
見える。このスピード域でもはっきり目で捕えられる。自分の剣の軌道も、相手の足さばきも、飛び散る爪のカケラの一つ一つも……驚きこわばるヤツの顔さえも!
初めてババアがうなり声を上げた。調子に乗るなとばかりの右の突き――だが。
(なんだァ……?)
遅い。遅すぎる。ナメクジみたいにトロっくさい動き。野郎、この場面でふざけるとはいい度胸じゃねぇか。
――いや、違う。遅く見えるんだ。龍脈儀の力で俺の集中力が極限に高ぶってるんだ。
ハエの止まりそうな速度で、爪の先が向かってくる。前髪に触るところまでワザと引きつける。そして、慎重に剣を振り上げた。
弧を描いて落ちたのは、爪を伸ばしたままの、右手首。次いで悲鳴か何か出そうとしたんだろう、魔女は口を開き、しかし、できないことに気づく。
返しの斬撃が、喉笛を切り裂いていた。
「終わりだ」
構えを取り直す俺とババアは、五メードの間合い。ババアはよろよろと後退し、俺を力なく見据え、そして喉を押さえてこう言った。
「……らしい、ね」
虫のような声だった。
「……が……ただ、じゃあ……終わ、ら、ない……よ……アンタ、にも……それなり、の……目に、あって……も、らう……」
「さすが魔女さん。負け惜しみも超一流だな」
そのとき、にぃ、とヤツの口の端がゆがんだのを、俺はたしかに見た。負け惜しみじゃねぇ、まだ何かやろうとしてやがる!
「させるか!」
床を蹴る。ババアの手がゆっくりと上がる。唇が何かをつぶやく。
そして、渾身の突きがヤツの心臓を貫いた。
貫通した切っ先は勢いを緩めず、その体を壁まで叩きつけた。
終わりはいつだってあっけない。押しつけた肩から、命の抜ける感触が伝わってきた。小さく血を吐いて、世界を恐慌をもたらした魔女は――絶命した。
「やっ……た」
終わった。これですべてが終わったんだ――そのときだった。
「……何?」
いきなり、光が瞬いた。足元から無数の光の粒が浮き上がってくる。初めは蛍のような弱さだったそれは、見る間に大きく強くなり、螺旋を描いて俺と魔女の体を包み込んだ。
「うおおおおお!」
視界が白光に埋め尽くされる。世界が白く染まってゆく。
何がなんだか分からない。待て、ちょっと待て、何か知らないがヤバい気がする。
何が起こってるのか誰か説明してくれ――というか助けてくれ。俺にはまだやることがあるんだ。やっとすべてが終わったんだ。そして始まるんだ。凱旋パレードに晩餐会、世界の美女と遊び放題、旨いメシも食い放題、俺の、俺の輝かしい人生が――