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悠久の時の彼方でⅠ  作者: 春岡犬吉
第十一章
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歪み

 冷たい風が静かに流れる。そこには人の意思など介在(かいざい)せず、ただ、自然だけが作り出す事の出来る時間が流れていた。その中で男は悲しみに打ち震え、静かに涙を流し、去り逝く友との過去を思い出していた。

 辛い厳しい訓練の後に共に酌み交わした酒。

 初陣での洗礼。

 生きて帰れた事への喜びと安堵。

 共に分かち合い、しかし、何時しか分かれて行った道。

 だが、それでもお互いを気に掛け、暇を見てはそれぞれの近況を語り合い酒を酌み交わした日々。

 時には言い争いもしたが、それでさえ、互いの仲を確認する手段でもあった。

 この様な体になった後の自分からは、一人、また一人と友が離れていき、自暴自棄になった時もある。

 だが、それでも彼だけは自分を人間として、友として見てくれた。

 その最後の友さえ、今、逝ってしまった。

 もう、誰も自分の事を人間として見る者が居なくなった世界。

 男の頬を涙が止め処無く伝う。そして、その口から呟かれる言葉は、(いきどお)りだった。

「なんで――、なんでお前が……。俺の事なんかほっとけばよかったのに……、なんで助けようとしたんだよ。なあ――、俺はどうすりゃいいんだ。こんな世界に一人でどうしろってんだよ。こんな化け物の体の俺には、誰も近付きゃしない……。俺はこんな体なんか欲しくなかった。何が最強の兵士だ! 何が不死身の体だ! 誰がそんな事望んだ! 誰も望んじゃいねえ! 俺はただ、そばで共に笑い会える仲間が欲しかっただけなのに……!」

 その呟きは、マルスにも聞こえていた。

戦場(いくさば)とはいえ、貴様の友を殺したのは拙者。ならば、その悲しみも怒りも憎しみも、全て引き受けるでござる。サミュエルとやら、そなたの友の無念、晴らしたいと願うならば参られよ。その感情の全てを力に変えて、拙者と――、勝負するでござる!」

 両の拳を胸前で握りマルスは構え、サミュエルはジャックの瞼をそっと閉じてから静かに横たえ、声を掛けた。

「もう行くぜ。俺を呼んでる奴がいるんでな。そいつを倒して、お前の前で俺がどれだけ凄かったのか、うんざりするまで語らせてやるよ」

 ゆっくりと立ち上がりマルスに身を向けると、視線の刃を突き刺した。

「俺だって頭じゃ分かってる、ここが戦場(せんじょう)だって事はな。でも、この気持ちだけはどうにもならねえんだ。だがな、お前がそれを受け止めるってのなら――、俺の全力を持って殺してやる。それが――、俺の気持ちを受け止めると言ったお前への最大の礼だ!」

「委細承知! 拙者も手抜きする気は一切無いでござる!」

 マルスの言葉を合図にして、互いに突っ込んで行く。そんな二人を、アレクは溜息を付いて見守りながら呟いた。

「男ってどうしてこう暑苦しいのかしら?」

 形見のペンダントが裏を見せて視界の片隅に転がる中、雄人のその瞳にも二人の姿が映った。そして、彼の口元が微かに動き、何かを呟くが、それを聞き取れる者は、誰もいなかった。

 先に仕掛けたのはマルスだった。豪腕を飛ばして彼の顔面を狙う。だが、当たる寸前で(かわ)されて右に回り込まれると、即座に身を回して左の裏拳を背後へと放つが、そこにサミュエルは居ない。虚しく空を()(こぶし)を不可思議に思った瞬間、マルスは顎に衝撃を受けてよろめき、立て続けに顔面に殴打を食らったが、その程度で怯みはしなかった。(まぶた)を細めてサミュエルの拳を見切ると、瞬時に掴み取り、その手に力を込めた瞬間、今度は鳩尾付近に全身を揺さぶるほどの衝撃を受け、片膝を突いた。

「痛――、なんて体してんだ。拳の骨が折れちまったじゃねえか」

 サミュエルが瞬時に彼に対して距離を取ると、マルスは口元を緩めた。

「言ったでござろう? 拙者は最強の盾、と」

 マルスは息を吸い込み下腹(したばら)に力を入れて素早く立ち上がり、また突進する。馬鹿の一つ覚え、の様に見えるが、今度はサミュエルの直前で体を左に振ると同時に左拳を出す。それも躱されまた回り込まれる。マルスは口元に微かに笑みを浮かべると、爆発的な瞬発を見せた。体は瞬時に一個分前へと飛び出して回り込んだサミュエルを吹き飛ばし、彼は地面を激しく何度も転がった末、膝立ち姿勢で立ち上がった。

 自らを不死身、と称する彼の体にはダメージは無い様だったが、その驚いた表情を見る限りでは、僅かではあるが動揺は与えられた様だった。それに付け込むかの様にマルスは突撃し、攻勢を掛け始めた。

 唸り声と共に両肩付近へと飛ばされる拳を右に左にと体を回し、サミュエルは避ける。その威力は先ほどの事で身に染みているだけに、彼とて気が抜けない。それがマルスにも良く分かっているのか、側面や後方に回り込まれない様に、左右に素早いステップを踏みながらその豪腕を繰り出していた。だが、攻勢に出ているはずのマルスは必死の形相だ。その表情を見たサミュエルは口元に笑いを乗せると、一瞬で間合いの外へ逃れ、マルスはそれを追い、前へと出て行くが次の瞬間、眼前からサミュエルの姿が右側面へと動く。その速さを目では追えても着いて行く事が出来ず、わき腹にサミュエルの拳を受けた。一撃自体には大した威力は無いが、彼はそこに留まらず、背後から、正面からと、また拳を浴びせる。そして、また動く。しかも、途方も無い速さで。その攻撃は全てマルスの腹部だけに狙いを定めて行われ、一箇所に留まる事無く拳の雨を振らせ続けた。

 マルスには自分がどのように動けるか分かっている。それが分かっているだけに、今のサミュエルに着いて行けない事も分かっていた。ただ、動きは見える。だから、マルスは歯を食い縛って攻撃を耐え忍び、一撃に掛けて時折腕を振って捕らえ様とするが、サミュエルはそれを嘲笑うかの様に、事も無く躱した。

「ちょっとまずいわね――。いくらマルスが頑丈でもあれじゃ何時かは膝を折るわ」

 アレクは知っていた。腹部への攻撃がどのような結果を(もた)すかを。その言葉通りにマルスの腰が徐々に落ち始め、それからいくらもしない内に両膝を折り、地面に手を着いてしまった。サミュエルの目元が光、腰から素早くナイフと抜き取ると、首筋目掛けて振り下ろした。

「ジャックに俺の事話するの、忘れんなよ!」

 肉を貫く感触が手に伝わると、ナイフから手を離し天を仰いだ。

「やったぜジャック。お前の敵は取ったぞ」

 満足の笑みを浮かべるサミュエルに、アレクが水を差した。

「それ、まだ生きてるわよ」

 慌てて下を見ると、目を見開き驚愕した。

 マルスは自分の首筋に生暖かい物が滴っているのを感じて顔を上げると、そこには、遥か向こうで倒れていたはずの雄人の姿があった。

「あ、義兄上(あにうえ)……。面目ござらん。最強の盾を自負する拙者のこの体たらく。いくらでもお叱りは受ける覚悟にござる」

 雄人はゆっくりと首を振り、口を開いた。

「謝らなきゃいけないのは俺の方だ。済まないマルス。お前に苦労掛けて」

 マルスはその目に涙を浮かべ首を振ると、言った。

「そのお言葉、拙者には勿体無うござる。義兄上は必ず立ち上がってくれると、信じて待っていたでござるよ」

「何時まで寝てるのかと思ったわよ」

 アレクは笑顔で相変わらずの憎まれ口を叩いた。そんな彼女に苦笑を向けながら立ち上がると、マルスに無事な方の手を差し伸べ、差し出された手を握ると引っ張り挙げる。そして、驚愕の表情で雄人を見るサミュエルに頭を垂れて言った。

「俺の義弟(おとうと)があんたの友達を殺した事、義兄として謝る。済まなかった」

 そんな雄人に対し、サミュエルは俯き全身を震わせ、湧き出す怒りを抑えていた。

「そんな事されても――、ジャックは帰っちゃこねえ……。俺は――」

 俯いていた顔を上げ、雄人を睨み付けると叫んだ。

「お前等を倒す事であいつの弔いにすると決めたんだよ!」

 拳を握り締め、全身を振るわせるサミュエルを見て、雄人は溜息にも似た息を吐く。

「分かった」

 下がってろ、とマルスに一言だけ告げると、手にした刀を放り投げてから腕に刺さるナイフを抜き去ると、静かにサミュエルと対峙した。

 降り注ぐ星明りに輝く銀髪、遥か彼方を見詰めながら今を飲み込む深遠なる蒼い瞳、そして、ただそこに立って居る、という只それだけの事が、これほどまでに絵になる者を、サミュエルは、観た事が無かった。

「一つ、聞いていいか」

 サミュエルはゆっくりと構えながら彼に言葉を投げ掛ける。

「何を?」

 対する雄人は自然体。

「お前達は人間なのか?」

 雄人は微かに唇を動かした。

「いいや」

 その答えを聞いたサミュエルは、少しだけ、嬉しそうだった。

 対峙する二人の距離は一メートルほど。一歩踏み出せば自分の間合いになる。だがそれは、相手の間合いに入るのと同じ事。互いに相手の隙を(うかが)いながらその場に立ち尽くし、静かに時だけが過ぎて行く。アレクとマルスは二人の対峙を固唾を呑んで見守った。

 そんな中、雄人が口を開いた。

「なあ、あんた。俺達のとこ、来ないか?」

 突然の提案にサミュエルは僅かに眉を動かした。

「魅力的なお誘いだか、お前を倒したら考えてやるよ」

「そうか、案外、馴染めると思ったんだけどな」

 雄人は残念そうな表情を浮かべると、無造作に一歩を踏み出した。それを見てサミュエルは同じだけ後退する。すると、雄人はまた一歩前に進んだ。

「どうした、なんで来ないんだ?」

 不思議そうに問いかける雄人に、サミュエルは後退する事で答え、その額からは冷汗が(にじ)んでいた。

「ねえマルス。雄人、あそこに居るわよね?」

「今、拙者も同じ事を義姉上(あねうえ)に聞こうと思ったでござる」

 二人は雄人から目を離さずに小声で言葉を交わす。

「なんだか気配が全く感じられないんだけど――。これって気のせいかしら?」

「気のせいではござらん。これだけ近くに居るというのに、全く気配が(つか)めぬでござる――」

 サミュエルが後退する理由。それは、アレクとマルスが感じているものと同じだった。

 目で見れば、そこに居る、という事は分かる。でも、そこに居るだけで気配が無い。これでは迂闊(うかつ)に仕掛けられない。仕掛けて躱されれば、見失った相手を補足する事は不可能に近いからだ。

 雄人が前に出れば、その分だけサミュエルが下がる。そんな事を幾度か繰り返すうちに、彼は周りの微かな変化を感じた。

 何が変わったのか、と聞かれても明確に答える事が出来ないほど微かな変化であり、それが雄人の意識を乱れさせ、アレクやマルス、サミュエルも(ようや)くその気配が感じ取れた。しかも、何故だか分からないが隙まで生じていた。

 雄人はその変化を感じ取ろうと、サミュエルに向けていた意識を周囲に拡散させていた。それが隙となり、サミュエルの接近に気付くのが遅れ、気付いた時にはすでに懐に飛び込まれていた。

――まずった!

 雄人の顎をサミュエルの拳が唸りを上げて襲い、避ける事も出来ずにまともに食らうと、彼の体は宙に浮き上がり後方へと飛ばされた。辛うじて転倒は避けたものの、まともに食らった分、その衝撃は脳を揺さぶり、彼の動きを支える足をふら付かせる。その間にもサミュエルの拳は雄人を襲い、彼は何とか()なしている状態に(おちい)った。

 サミュエルは舌を巻いていた。最初の一撃はもろに決まったが、その後はふら付く相手に一発も入らない。ならば、と思い、自慢の足を使い始める。雄人にも勝るとも劣らない速さをもって右に左に、時には後方からと拳を打ち付ける。足を止めて打つのと違い、威力は落ちるものの、逆に手数が増える攻撃。それを今、仕掛けている。だが、それも当たる事はなく、雄人は往なし躱し続けた。

――人間もここまで動けるのか。

 雄人は感心していた。それがどんな手段で得られたのかは知らない。だが、彼の口元には知らず知らずのうちに笑みが浮かび、全力を見せる相手を賞賛せずには居られなかった。

「あんた凄いな!」

 後方から唸り来る拳を身を捻って躱し、僅かに遅れて襲い来る正面からの拳を右手で払い落としながら言った。

「そりゃどうもっ!」

 拳を払い除けられた直後には、雄人の右側に移り、顔面目掛けて右フックを繰り出す、それも躱されると、瞬時に正面へと動き左のアッパーを叩き付けるが、雄人が僅かに仰け反り、拳は眼前を通過した。

 雄人は足に力が戻り始めたのを感じてその動きを加速させ始める。サミュエルの拳が到達する前、繰り出される瞬間を狙い、その軌道を大きく反らせ始めると、彼が移動する僅かな隙を突き、瞬時に後方へと跳躍をして間合いから遠く離れる。サミュエルは余りにもは速過ぎる彼の動きに驚愕し、目を見開いた。

 二人がまた対峙するその距離は五メートル。サミュエルとて一瞬で詰められる距離ではなかった。

「それが君の力か」

 サミュエルの言葉遣いは、雄人と最初に対峙した時に戻っていた。

「あんたは人間の可能性を見せてくれた。だったら今度は俺が見せないとね」

 雄人は薄く笑う。そんな彼にサミュエルは、口元を笑みの形に変えた。

「俺は人の手で造り替えられた人間でね。純粋じゃないんだよ」

「でも、人間なんだろ?」

 彼は雄人の言葉に一瞬戸惑も、否定はしなかった。

「そうだな、人間、だよ俺は」

 雄人は軽く笑う。

「どうした、何が可笑しい」

「何でもない。人間だ、って言えるあんたが羨ましいだけだよ」

「そうか。なら、続けようじゃないか、人と人ならざる者の戦いを」

 雄人は頷くと、短く告げた。

「じゃ、行くよ」

 雄人の姿が消える。その瞬間、サミュエルの背筋がざわめき、瞬時に身を沈み込ませながら半歩横に動く。その頭上を唸りを上げて雄人の蹴りが通り過ぎ、一瞬だけ彼の姿が見えた。

 サミュエルは目で追い切れないと感じた瞬間から、感覚だけに頼る事を決める。戦場で磨かれた危険を察知する鋭敏な感覚は、彼の最大の武器でもあった。

 サミュエルは見えない相手に神経を研ぎ澄まし、その攻撃を避け続ける。仰け反り、身を回し、身を沈め、左右に素早く動き、時には地面を転がる。だが、その服は徐々に切り裂かれていった。そして、ついに避け切れない一撃をわき腹に食らい、吹き飛んだ。だが、吹き飛んで尚、口元に笑みを湛えて立ち上がり、前へと出て行くが、次の瞬間、胸倉を掴まれアレク達の居る場所へと投げ飛ばされた。

「二人はそいつを連れて下がれ!」

 雄人の視界が妙な歪みを見せる。それは彼が感じていた微かな変化が現れた瞬間だった。そしてそれは、雄人自身を包み込む空間そのものが歪みを見せる異変だった。

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