誤算
太陽を押し退け、空が閃光を放った。その輝きは、切れる寸前の電球が一瞬だけ強く光る様に良く似ていた。だが、これは、人類が作り出せる最も強い光。太陽すらも霞ませ、雲を押し退ける圧力を持った光だ。地上に落ちれば、全てを焼き尽くす業火となり、瞬く間に形有る物は溶け崩れ、人など一瞬で蒸発してしまう。人類が作り出した最強最悪の兵器。それはこう呼ばれている〝核爆弾〟と。それを高高度の空で解き放つと、電子機器だけを破壊する非殺の兵器となるが、これは直接、人を殺傷しない、というだけだ。地上付近の爆発であれば、被害は限定された範囲で済む。が、高高度で爆発させると、日本列島など、一発で十分その範囲に収まってしまう。爆発の高度にも因るが、地上の被害半径は七百キロから数千キロにも及ぶ。昨今、電子機器を使った物は無数に存在する。その全てが一瞬にして破壊されると、どうなるかなど、火を見るよりも明らかだ。政治、経済、軍事、医療、交通、物流、は言うに及ばず、ライフラインすらも崩壊してしまい、直接的に人々の死に繋がってゆく。
核の光に照らし出される中、雄人は唖然とした表情で呟いていた。
「なんて事を……」
光は徐々に失われ、いつもの穏やかな黄昏を取り戻した。だが、今からそれは仮初でしかない。空を見詰める彼の瞳には、遠方で上がる黒煙が映っていた。
アレクの耳には人々の苦鳴が届き、その表情を曇らせ、マルスの鼻には油脂が燃える匂いが伝わり、その瞳を細めさせた。
「とりあえず地下に行こう……。この事を伝えなくちゃ……」
沈痛な面持ちで言う雄人に二人は頷き、共に地下へと降りて行った。
地下では地上での出来事など知らずに、子供達がはしゃいでいた。一応、生活に必要な物は一通り揃っていて、遊具も幾つかは有る。そこそこの広さを持つ場所も有るので、人を集めて話す事も問題ない。現状で問題が有るとすれば、このまま地下で生活をすると、今の人数では一週間程度しか備蓄が持たない、という事であった。
実夏は旅行で親しくなった同年代の者達と談笑していた。彼女の気さくな性格は、男女問わずに発揮され、その気の強さとも相まって、同年代の中では中心的役割を果たしている。もっとも、この地下を雄人以外では、一番良く知っている、という事もあった。
雄人の姿を目にした彼女は、声を上げ手を振ったが、彼は難しい表情で僅かに視線を送り、軽く手を上げただけで、大人達が集まる方へと歩いて行く。そんな雄人を見て、何か問題が起こった、と瞬時に悟り、自分を呼ばなかったという事は、今はまだ話せない、という事だ。
「なんだあの態度。実夏ちゃんが声掛けたってのに」
優男、という表現がぴったりの者が不満を漏らす。もっとも、それなりの容姿を持ち合わせているので、旅行中は実夏を除く女の子達にモテていたのだが、風巻家に着いて彼女達が雄人を見たとたん、実夏に彼の事ばかり尋ねる様になり、男の事は見向きもしなくなってしまった。それが不満だったらしく、やたらと雄人の話題になると突っかかって来ていたのだ。
「いいのよ。雄人があんな顔してる時は何か問題が起こってるんだから」
雄人を庇う様な彼女の言い方にも、不満をを持ち、それを隠そうともせず、言った。
「高校生のガキが抱える問題なんて大した事ないだろが」
溜息を付くと、実夏は、優しく言い放った。
「あんたみたいに下心見え見えじゃ、いい女は絶対靡かないわよ?」
男は言葉に詰まり、雄人を睨み付けて談笑の輪を抜けると、彼の方に早足に近付いて行った。
「ねえ、いいの? 放って置いて。あの人、何やるか分かんないわよ?」
彼女の傍に居た女子が心配そうに言うが、当の実夏は笑っていた。
「大丈夫よ。あんな奴じゃ雄人なんかには敵わないから」
それでも心配そうに顔を向ける彼女に、実夏は言った。
「クレイジータイガーって聞いた事ない?」
「それって、喧嘩した相手は全部病院送りにする、って言う不良の事よね?」
別の女子が答え、それに実夏は頷く。
「それ、中学時代の雄人の事なのよ。あいつ、当時は滅茶苦茶荒れてたから」
苦笑交じりで言う実夏だが、他の者は驚きの表情を雄人に向けていた。
「おい! お前! ちょっと待て。実夏ちゃんが呼んでんのに、シカトしてんじゃねえ!」
肩を掴み、力任せに振り向かされた雄人は、面倒そうな表情を見せ、それ見た男は、更に不満をぶちまけた。
「んだよ、その顔は。俺達の仲間に入れてやるって言ってんだ。さっさとこっち来い」
横柄な態度を見せる相手だが、雄人はすぐに表情を申し訳なさそうに変え、静かに、言った。
「お誘いは有り難いのですが、今は緊急の要件で所員の方とお話をしなければ成らないんです。申し訳ないのですが、後にしていただけませんか?」
頭まで垂れ、丁寧に断ったが、それも癪に障るのか、辺り構わず怒鳴り散らし始めた。
「てめえの都合なんか知るかよ! いいからこっち来い! それとも何か? 俺みてえな貧乏人とは付き合えねえってのか?! 金持ちだからってお高くとまってんじゃねえぞ!」
いきなり拳を振り上げ、雄人に殴り掛かるが、彼は、難なく躱す。相手は勢い余ってよろけるが、すぐに体制を建て直し、再度、殴り掛かって来た。だが、どんなに左右の拳を繰り出して攻撃しても、寸前で躱され、一向に当たる気配が無い。そのうち男の息が上がり、動きが止まった。
周囲には男の怒鳴り声を聞き付けた人々が集まっていたが、二人を仲裁とした者を雄人が制し、言った。
「もうお終いですか。情けないですね」
息が上がり、両膝に手を付いてへたり込んでいた男は、その一言で頭に血を上らせたのか、渾身の力を込め、拳を繰り出した。雄人は避ける素振りも見せず、眼前に迫る拳を見ていた。皆が、当たる! そう思った瞬間、彼の姿は掻き消え、男は空振りすると同時に呆気に取られ、見ていた者達は、男の後に一瞬にして移動した彼を見て、声を失った。
「遅すぎます。それでは俺には当てる事なんて出来ません」
振り向き、睨み付ける男の目と、雄人の目が、合った。その瞬間、男は恐怖の表情を浮かべて後ずさりし、足を縺れさせ、尻餅を付いた。そこに雄人は近付き、彼の耳に口を寄せ、囁いた。
「大人しくして居てください。そうすれば俺は何もしませんから」
僅かに顔を離すと、口の端を上げ、笑いを見せる。だがそれは、優しい微笑ではなく、相手を萎縮させ、戦意を削ぐ、邪悪極まりない微笑み。それを見せた直後、雄人の脳天に衝撃が走った。雄人の知らぬ間に真沙子がその背後に立ち、頭目掛けて拳骨を落としたのだ。
「脅しちゃ駄目でしょ? もっとスマートにやりなさい」
痛みに顔を顰めて振り向く雄人を、腰に手を当てて笑顔で見下ろしているが、その頭には、目に見えない角が生えていた。要するに、怒っているのである。こうなった時の真沙子には、雄人も敵わない。
「あんまり酷い事してると、昔の事、この場でバラスわよ?」
これが真沙子の攻撃。言葉でネチネチと精神にダメージを与えるのだ。それに怒って手を上げようものなら、実夏は言うに及ばず、総一やアレクも敵に回してしまう。それに、今はマルスという強敵もいる。そうなったら最後、全員からネチネチとやられ、雄人の精神は音を上げてしまうだろう。彼もそれが良く分かっているのか、嫌そうな顔で立ち上がった。
「それは止めて下さいよ」
真沙子は意地悪な笑顔を見せると、その顎に指を当てて、目だけを彼に向け、言った。
「どうしよっかな」
雄人は慌てた。真沙子の場合、冗談が本気になる事が多々有るからだ。
「ほ、本当にお願いします! い、言わないで下さいよ! この通りですから!」
両の手を合わせ、真沙子を拝むように、頭を下げた。
「なら、やる事が有るはずでしょ?」
怖い笑顔を向けられ、雄人は溜息を付きながら、呆気に取られた表情でこちらを見ている男に、手を差し出した。
「ごめん。悪ふざけが過ぎた。これから宜しく頼むよ」
男はしばらくその手を見詰めると、自分の手を伸ばして掴んだ。
「俺の方こそ済まなかったな。ちょっと君の事が羨ましかったんだよ」
互いに強く握ると、雄人が引っ張りあげるタイミングで、彼も立った。
「そういえば、自己紹介がまだだったな。俺は大垣――、大垣真一ってんだ」
その名を聞いた雄人は、驚いていた。
「大垣って……、あの大垣さんの――」
真一は頷くと言った。
「大垣大輔は俺の親父さ。でも、親父から話は聞いてたけど、まさか、本当にこんな男が居るなんてな。雄人君、だっけ?」
雄人は頷く。
「髪伸ばして女物の服着たら、誰も男だなんて信じないだろうな」
そう言って笑う真一の目の前に、一枚の写真が突き付けられた。
「実夏! お前、まだ持ってやがったのか!」
「いいじゃない、別に」
済ました顔で言うが、写真を見せられた真一は、彼女に顔を向け呟いた。
「これって、まさか……」
頷く彼女を見て、溜息を付いていた。
「似合うどころの話じゃないな――。男だって事を伏せてどっかのコンテストに出ても、これなら優勝出来るぜ」
その写真見たさに真一の背後に人が集まり、あまりの美しさに、溜息を付いていた。
「あ! こんな事してる場合じゃない! 畑田さん、居ますか?!」
慌てて叫ぶ雄人の前に、畑田が人の輪から抜け出て来た。
「何でしょうか?」
ほんの少し考え込んだが、何れは知らせなければ成らない事なので、雄人はこのまま言う事にした。
「実は、俺達が地下に入る直前に、高高度核爆発がありました」
核爆発、と聞いて、ざわめき出したが、畑田がそれを鎮める様に、口を開いた。
「皆さん、静かにお願いします。今から、風巻君が話しますから」
雄人に向かい頷くと、彼は口を開いた。
「高高度核爆発、と言うのは、地上にほとんど放射能の被害も与えませんし、直接、人を殺傷する兵器でもありません」
これを聞いて、安堵の溜息を漏らしているが、彼の話はまだ続いていた。
「これはEMP攻撃、と言って、電子機器を破壊する為に行われる物なんです。だから、非殺傷の兵器、などと呼ばれていますが、これの恐ろしさは二次災害の方なんです」
ここで一旦言葉を区切ると、反応を伺った。
「一つ、質問していいか?」
真一が声を上げた。雄人は頷いて、促す。
「電子機器って事は、パソコンとかが駄目になるのか? でも、それだけなら何も問題無いと思うぞ?」
少しだけ間を開けて、雄人が答えた。
「この攻撃の恐ろしい所は、先進国ほど被害が大きいのが特徴なんですよ。先ほど真一さんが、パソコン、と言いましたけど、それだけじゃないんです」
自分のポケットから携帯を取り出して、それを見せた。
「俺は起こった時に外にいましたから、この携帯はもう使い物になりません。中の基盤が完全にショートしてますからね」
「どういう事だ? 使ってないのに壊れるって?」
真一が眉根に皺を寄せ、怪訝な表情を見せた。
「アンテナとか電線を通してサージ電流を発生させるんですよ。EMP攻撃は」
「サージ電流?」
「良く聞きませんか? 雷が近くに落ちたら電源を入れてないテレビとかパソコンとか、家電製品が全部壊れたって話」
顎に手を当て、真一は呟いた。
「そういえば……。聞いた事あるな」
「それが日本全土で起こったとしたら、どうなりますか?」
さらに考え込み、真一は答えた。
「電話とかテレビはもう使えないって事だよな。冷蔵庫とかもそうか」
雄人が更に言う。
「通信や放送だけじゃありません。経済もめちゃくちゃに成ります。ATMからお金を引き出す事も出来ません。交通も麻痺しますから物流も駄目です。しかも、医療機器も壊れますから、今頃、地上では死傷者が大量に出ていると思います」
沈痛な面持ちで話す雄人を見て、真一は、先ほどの事を謝りたくなった。
「そんな事が起こってるとは知らずに、俺はなんて事を雄人君に……」
雄人の首が左右に首が振らる。
「それはもう済んだ事ですよ。ただ、俺が心配なのは、これが日本だけで起きたのか、それとも世界中で起きたのかが分からない事なんです。日本だけならば、真っ先に米軍が動いていると思います。でも、世界中で起これば、日本を構っている余裕は無い筈なんです。そして、こんな事を起こすくらいの組織ですから、自分たちは影響が無い様にしているでしょう。これは俺の予想なんですが、もしかすると、この組織は世界を掌握したいんじゃないかと思います」
真一は絶句していた。しかし、あまりにも話が突飛すぎる。そんな簡単に行く訳が無い、と思った。
「世界征服なんて無理だろ。第一、歴史上、世界征服した人物なんて居ないんだぞ」
難しい顔をしたまま、雄人は畑田に顔を向けた。
「畑田さん、CMEはもう少しで地球を覆いますよね?」
「遅くとも後、三日以内には」
真剣な表情で答えた。
「CMEってなんだ?」
また、真一が聞く。
「コロナ質量放出――、こう言った方が今は分かりやすいかもしれません。EMP攻撃を更に強力にした自然災害。これが起これば、軍事施設とて一溜りもありませんよ。なんせ、被害を食い止めるには、神に祈るしかない、って言われてますからね」
真一は呆然とした。それではどの道、同じ事が起こった、という事なのだろうか。
「ただ、CMEは到来の予測が出来てるんです。だから、その為の対策も可能だったんですよ、この攻撃をされなければ。でも、今はそれすらも出来ない。もっとも、発電施設はすでに使い物にならないでしょうから、対策も意味ありませんけど。ですが、これのお陰で米軍や他の国の軍も動けないはずです。それに、こんな事をするくらいですから、この組織はどこかの地下に拠点を持っているんでしょうね。でなければ、こんな自滅しかねない攻撃なんてしませんよ。そして、たぶん、これを行わせたのは……、俺、なのかもしれない……」
俯き、唇を噛み締め、全身を振るわせた。
雄人に全員の視線が集まる。なぜ彼が原因なのか、皆、そう感じていた。
「あいつらの狙いは、研究所の研究成果だった。でも俺は、それを自分でも知らないうちに阻止してしまった。だから、命を狙われるような事にも成った。だけど、それすらも何とかしてしまった。だから……」
彼の独白を聞く真一は、それは違う、と思い口を開いた。
「それなら、なぜ、今は雄人君の命を狙わないんだ? 普通なら、何度も実行するはずだろ? それをやらなくて済むのは、何か理由があったんじゃないのか? それで計画を変更して今回の事を起こした、とは考えられないか?」
雄人は顔を上げ、真一を見る。そして、彼の言った言葉の意味を探った。しばらくそうして居たが、何かを掴んだのか、彼の表情から後悔の念が消え、慌てて畑田に声を掛けた。
「畑田さん! そこのパソコンを今すぐ立ち上げてください!」
頷き、彼の指差す方へ、と小走りに駆け寄り、パソコンの電源を入れた。
「もしも、俺の予想が当たっているとすれば……」
立ち上がったパソコンに駆け寄り、通話ソフトを立ち上げた。すると、すぐにスピーカーから久米島の声が流れた。
「やっと繋がったか! 立ち上げるの遅せえよ!」
「久米島さん、慌ててどうしたんですか」
間髪居れず聞き返した。
「今こっちは大変なんだよ!」
「大変って何がですか? EMP攻撃までに間に合わなかったんですか?」
「それは何とか間に合った。でも、それが収まったと思ったら、今度は軍隊が来たんだよ!」
雄人は、しまった! と思った。これで予想の半分は的中したも同然だった。
「軍隊って、そこで何かドンパチやってんですか?」
「いや、今は研究所の扉を調べてやがる。所長と副所長がそれを監視してるんだが、どうも、破られそうな気配なんだよ!」
「上は破れても、そこはそう簡単には進入出来ません。だから、落ち着いて下さい」
「落ち着けって、この状況でどうやって落ち着くんだよ!」
雄人は溜息を付いて、言った。
「それじゃ、一ついい事教えてあげますよ」
「いい事ってなんだよ!」
「そこのシェルターの扉を破るには、歩兵が携行出来る通常兵器じゃ無理なんです。空対地ミサイルとか、地対地ミサイルくらいをぶち込まないと破れないんですよ」
数瞬の間、通話が途切れ、次に聞こえた声には、呆れ果てた気配があった。
「君の爺さんは、アホなのか?」
「すいません。そこを改修させたの、俺なんですよ」
雄人が乾いた笑いを上げた。
「君は本物のアホだな。でも、そのお陰で安心出来るって事か。今は感謝しなきゃいけないかな?」
「今はそんな事よりも、副所長を出してもらえませんか?」
了解、の声が流れた後、しばらくして、総一の声が、聞こえて来た。
「雄人君、何か用かな?」
「ちょっと聞きたい事が有るんですよ」
「聞きたい事?」
相手からは見えないが、雄人は頷いてから言った。
「林さんって、どの程度、研究内容を把握してたんですか?」
総一の躊躇する気配が回線を通して雄人にまで伝わり、返事が帰って来るまで、数十秒も掛かった。
「全研究の約八割、といった所だよ。僕の研究にいたっては、九割がた把握してたみたいだ」
やはり、と雄人は思い、更に質問を重ねた。
「それじゃ、その九割でも小父さんの研究は何とかなるんですか?」
「……ああ、一応は成功するはずだ。でも、肝心なのは残りの一割だけどね。そこが分からなければ、アレクやマルスの様にはならない。一応は人の言葉を理解出来るだろうけど」
雄人は確信した。林を連れ去った目的は、これだったのだ。研究のほぼ全容を知っていれさえすれば、残り一割など、取るに足らない問題だからだ。他の研究とて、これに比べれば大した事は無い。人類を支配した後にでも、ゆっくりと研究すればいいのだから。
「そっちは大丈夫なのかい? こっちに来てるのは十人くらいなんだけど……」
それを聞いて、雄人は焦った。研究所に行ったのは一分隊だけ。それじゃ、残りはどこに、という事になる。パソコンを操作し、生きている外部カメラに接続をした。幸いにして、門前とガレージのカメラは生きていて、外の映像を映し出した。
「!」
雄人は思わず声を上げそうになった。そこに映し出されたのは、家を包囲する者達。その姿は、軍隊、と呼んで差し支えない連中だった。




