約束
呼び鈴の音が家中に小波の音を奏でる。雄人は立ち上がり、リモコンを手にテレビ画面を切り替え、外のモニターの画像を映し出すと、そこには大勢の人が映っていた。その顔の四分の一ほどは見知った顔だ。それは、大垣から事前に連絡を受けていた研究所の関係者達だった。
「出迎えに行くか」
アレクとマルスに声を掛け、雄人は歩き出した。二人もその後を着いて行く。
玄関から外に出て門前まで行くと、通用門を開け、雄人は邸外へと出た。マルスとアレクは事前の話し合いの通りに、門の内側で待機している。
「いらっしゃいませ、みなさん。これから中に入って頂きますが、もうしばらくお待ちください。まずは所員の方、門前にお集まり下さい」
所員全部を集めると、雄人は彼らの家族には聞こえない様に小声で話し始めた。
「一家族ずつ入ってもらうのですが、各自、門前で自分の家族を呼んで下さい。全員が無秩序に一斉に入った場合、不振人物が紛れ込む恐れが有る為に、この様な行為を取らせて頂く次第です。少々時間が掛かりますが、これがもっとも安全且つ、確実な方法と結論いたしました。それと、副所長にお願いが有るのですが、宜しいですか?」
総一が雄人の前に出て来る。
「何かな?」
「娘さんと奥様のお二人に、地下室への案内と、部屋の割り振りをお願いしたいのですが、良いでしょうか?」
彼が指名した理由は、この二人が彼の家の事を良く知っているからだ。その事を総一も分かっているので、二つ返事で引き受けた。
「分かった。引き受けさせていただくよ。ただ、僕はこの後、研究所に行かなければならないけどね」
雄人は軽く会釈を返すと、大垣に声を掛けた。
「それでは所長、後を頼みます。俺は周囲の警戒をしますので」
大垣は頷くと、所員を呼び始める。雄人は門を二回叩いて、一旦、間を空け、また一回叩く。すると、人一人が通れる分だけ、門が開いた。その隙間からアレクがするりと抜け出し、彼の足元で耳を忙しなく動かして、周囲の音を拾う。マルスは通用門の隙間から鼻だけを出し、ヒクつかせ、おかしな匂いがしないか、探っていた。
しばらくすると、アレクの耳の動きが、止まった。と同時に、僅かに顔が動く。
『雄人、あそこの陰に男が二人、こっちを伺ってるわ』
アレクが囁く。そして、マルスも囁いた。
『雄人殿が撃たれた時と同じ匂いが微かにするでござる』
マルスが嗅いだ匂い、それは硝煙の匂いだ。こちらが風下となってたのが幸いした。もし風上であれば、匂って来る事は無かったからだ。そして、アレクの耳が捉えた声も同じ場所から聞こえていた。
奴等に勘付かれる訳にはいかない、そう思い、雄人は目線だけを動かして確認する。そこは、彼から見て右側、約二十メートルほど離れた塀の角、そこに、居た。
『どうする?』
アレクの問い掛けに、彼は顔も向けずに答えた。
「今は何もしない。こっちが動けば、すぐにどこか別の場所に移動するはずだから」
頷きもせず、二人は警戒を続けた。
「雄人君、全員入ったよ」
総一に声を掛けられ、顔を向ける。
「俺たちも一旦、中に入りましょう」
マルスが門を閉め、雄人達は通用門から中に入って行った。
隙を伺っていた二人は、互いに顔を見合わせ頷くと、別々に動き出した。
邸内に戻った雄人は、研究所への足を、総一に聞いていた。
「どうやって戻ります?」
「車で戻るよ。僕の自宅まで行けば有るしね」
僅かに顔を顰め、雄人は先ほどの事を話した。
「実はさっき、こちらを伺っていた二人組が居たんです。たぶん徒歩で行けば、何処かに連れ去られると思います。タクシーも危ないと思いますよ。この家を監視してたくらいですから、当然、小父さんの家も監視されてるはずですし、研究所も同じでしょうね」
これを聞いた総一は、険しい表情を見せた。
「戻る事自体が危険か……」
そこに大垣の言葉が来た。
「だが、戻らなければ自家発電に切り替えられんぞ。発電所が太陽嵐の影響をまともに受ければ、研究所に入るのは簡単だ。それに、シェルターだって中から閉めなければ意味がない」
雄人は、確かに、と思った。あの研究所がどんなに堅固な建物であろうと、それを支える基盤を外部からの電源に依存している限り、それが切れてしまえば、普通の建物よりも、頑丈、という程度だ。しかも、悪い事に、研究所の自家発電装置は手動での切り替えだった。
「やっぱり誰かが行かないと駄目か……」
考え込む三人に、久米島が言った。
「俺が行きましょうか? 悪いとは思いましたけど、認証システムに自分も登録させてもらいましたので」
「しかし、君は……」
総一の言いたい事は、久米島にも分かっていた。
「裏切りの可能性から、消されるかもしれない、って事ですか?」
頷いた。
「大丈夫ですよ。今は太陽嵐の影響で携帯が使えませんからね。それに俺、事前に連絡しておいたんですよ。疑われるような行動を取れないから、頻繁に連絡はできません、って」
笑顔で言う彼に、総一と大垣は、何時の間に、と思い、驚いていた。
「久米島さん、一応、聞いておきます。俺たちの味方って事で良いんですよね?」
雄人に問われ、彼は頷く。
「それを最後に、あいつ等とは一切、連絡を取っていません。この事は神に誓って言えます。もっとも、神が居ればですけど」
久米島は笑いながら言うが、雄人は苦笑した。一応は、神、と呼べる者を知っているからだ。そこで、ふと、思い付いた。
「そうだ、もしかすると、危険を犯す必要が無いかもしれませんよ?」
三人は不思議そうな顔をする。
「刻結! 今俺が何考えてる分かってるだろう?! 何時までもサボってねえで、姿見せろ!」
叫びだす雄人にも驚いたが、その後に起こった事には呆然とするしかなかった。突然、ロングコートを纏った男が、何も無い空間から姿を現したのだ。
「我に何用だ」
その場に居る全員を見下す様な態度に、若干の怒りを覚えはするものの、その体から溢れ出る気は、とてつもない威圧感と、平伏したくなるほどの神々しさを纏っていた。
「お前は確か、空間も操れるんだよな」
「何を今更」
刻結が軽く腕を振った。そして、間髪居れず、雄人の頭に、盥がぶつかる。
「お、お前なあ! なんで、いっつも盥なんだよ!」
「主を見て居ると、つい、な。それとも、やかんの方が良いか?」
真顔で返された雄人は、更に頭に血を上らせるが、今は我慢、と自身に言い聞かせ、怒りを押え付けた。
「頼みたい事があるんだよ」
「ほう、我に頼みとな?」
雄人が頷いた。
「申してみよ」
「あの三人を研究所に送って欲しいんだよ」
目だけを動かし、三人を見る。その視線を受けた三人は、一瞬、身を竦めた。
「ふむ。武人殿の朋輩と、姦人の仲間、それと不心得者か。これまた珍妙な取合せよ。主はこやつ等をあそこへ送り届けよ、と我に申すか」
雄人は頷き、言った。
「そうだ、今の俺にはとても大切な人達なんだ。だから危険に晒す訳にはいかない。だから――、お前に頼めないか?」
静かに瞼を下ろし、そして、ゆっくりと開け、雄人の目を見詰めた。彼も真っ直ぐに見詰める。刻結は微かに口の端は綻ばせた。
「良かろう――。その願い、叶えて進ぜよう。ただし、代償は高く付くぞ」
刻結の目を見詰めたまま、雄人は言う。
「分かった。どんな代償でも払ってやる。安全確実に送るならば」
さらに笑みを深める刻結を見て、三人が不安そうな表情を雄人に向ける。彼が支払う代償がどんな物なのか分からないからだ。
「主の言葉、確と承った。そこの者達よ、主に感謝するのだ。自身が被る代償も厭わず、そなた等の身の安全を願ったのだからな。往くぞ、準備は良いな?」
刻結の右腕が胸前までゆっくりと上げられ、前方に向けて突き出される。すると、三人が一瞬のうちに姿を消す。と、同時に、刻結の姿も消えた。
その一部始終をアレクとマルスは黙って見ていた。だが、アレクは代償の事が気になり、雄人に声を掛けた。
『ねえ、代償って何だか分かってるの?』
彼の首が左右に振られる。それを見たアレクは、目尻を吊り上げ、怒鳴った。
『あんたは代償が何なのかも分からないのに、了承したっていうの!?』
あまりにも軽率な彼の行動に怒りを覚えたが、静かに微笑む雄人からは、後悔の念は微塵も感じられなかった。
「あの三人の命には変えられない。それに、あいつも俺の命を寄越せとは言わないさ」
静かに言う雄人に、アレクはある事を心に決め、それを口に出した。
『一つ、約束して』
「約束?」
アレクは頷き、言う。
『あたしが死ぬまで一緒に居て。不幸にして離れ離れになる様な事になっても、必ずあたしを探し出して、この約束を守ってちょうだい。もちろん、その時はあたしもあんたを探し出してみせる』
真剣な眼差しで見詰めるアレクに、雄人は静かに言った。
「でも、死んでしまったらどうするんだ? 約束は守れないぞ」
そんな事を言う雄人を睨み付けながら、アレクは静かな中に、怒りを込めて、言った。
『死ぬなんてあたしが許さない。寿命が来てもあたしは死んだりなんかしない。どんな事をしても生き延びて、あんたを探し出す。だから、あんたも生きなさい。どんな姿に成ろうとも生き抜くのよ』
見詰め合う二人を、マルスはジッと観ていた。そして、雄人に対するアレクの強い気持ちも感じ取っていた。
『雄人殿、約束するのでござる。アレク殿の気持ち、受け止めねば男では無いのでござるよ』
マルスはマルス成りに考えていたのだ。アレクと雄人、共に結ばれる事の無い者達。だからこそ、この約束は結ばせなければ成らない、という事を。
『拙者も一つ約束するでござる。絶対に人間を裏切らぬ、という約束を。お二人の前で今、宣言するでござるよ。拙者がこうしていられるのも人間のお陰。ならば、その人間を守る事こそが最大の恩返しでござる。この約束、たとえどんな境遇に陥ろうとも、絶対に違える事はしないでござる』
決意に溢れるその眼差しを雄人に向けた。そんな二人の眼差しを受け、彼は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「分かったよアレク。ずっと一緒に居てやる。だけど、不可抗力で死んじまった場合は勘弁しろよな。さすがに生き返れないしな」
『駄目よ。たとえ幽霊になってもあたしの最期の時まで傍に居てよね』
雄人が肩を竦めると、二人は声を上げて笑った。
「それじゃ、俺も一ついいか?」
笑顔で言う雄人に、アレクとマルスは首を傾げる。そんな二人を見た後、まず、マルスに顔を向けた。
「お前達がもしも、人の姿に成れたら、そん時は――、マルス、お前は俺の弟だ」
目を見開き、嬉しさのあまり暴れだしそうになったが、マルスはそれを堪え、目に涙を浮かべ、言った。
「拙者が人の姿を取れたならば、雄人殿の事は、兄上、と呼んでいいのでござるな?」
雄人は静かに頷く。今度はアレクを真っ直ぐに見詰めた。
「お前は俺の嫁になれ」
プロポーズ、と呼んでも差し支えない言葉だった。アレクは数瞬の間、呆けたが、僅かに顔を俯かせて目を閉じた後、満面の笑みを湛えて頷いていた。二人とも、人の姿を取れない事など分かっている。それでもこの言葉は、嬉しかった。
「よし! 地下に行こう。実夏達が待ってる」
黄昏が迫る中、二人は頷き、雄人の後に着いて歩き出した。そして、もう少しで建物の中に入る、という時、それは、起こった。




