幼馴染
一人と一匹がじゃれ合っている。アレクは彼の手を甘噛みしたかと思うと、突然離れ、ジッと見詰めたり、軽く飛び上って側に寄り、噛む振りをして直ぐに飛び退ったりしている。雄人は、というと、逃げるアレクに飛び掛る振りをしたり、手を甘噛みされた時には、アレクの首根っこに軽く噛み付いてみたり、アレクが噛む素振りを見せた時等は、自分も口を開け、同じ事をしてみたりと、兎に角、人と動物のじゃれ合い、というよりは、動物同士、と言った方が良いくらいだ。雄人とアレクのそんな姿は、二人と言うべきか、はたまた二匹、と言うべきか、どちらでも良い様に思える。そして、雄人はアレクの前足の脇に手を差し込むと、持ち上げた。そこに、ただいまー、と、軽やかな声が響き渡る。二人はそのまま動きを止め、開け放してある居間の入り口に視線を送ると、制服姿の少女が姿を現し、雄人は持ち上げたままのアレクを降ろして、膝の上で抱き抱えた。
「おかえり、実夏。随分と早いな」
アレクも一声鳴く。
「あれ? 来てたの?」
彼は思わず失笑してしまった。
「何がおかしいのよ?」
「いや、だってさ、玄関に俺の靴有っただろ? それに気が付かなかったのかと思ってね」
顎に指を当て、首を傾げながらブツブツと何かを呟いているが、靴は目に入っていなかったようだ。雄人とアレクは顔を見合わせると呆れ、実夏に気付かれない様に小さく溜息を付く。だが、それを見逃す彼女ではなかった。
「二人して、なんで溜息なんか付いてるのよ!」
彼等の態度に、不満を漏らす彼女だが、二人ともその性格をよく熟知している。なので、ひとまずは謝った。御座成りな態度ではあったが、一応はそれで満足したようで、この辺りは意外と単純、というか、さっぱりとしているのだろう、他に何かを言われる事はなかった。
「それより、学校はどうしたのよ? もしかして、サボリ?」
「何言ってんだよ。三年はこの時期、自由登校なの知ってんだろ?」
「それは知ってるわよ。でも、入試勉強とかあるんでしょ?」
雄人は肩を竦ませ、やれやれ、と呟き、アレクは目を伏せて首を振った。
「何よその態度?」
頬を膨らませる実夏を見て、何かを思い付いたのか、二人は同時に溜息を付く振りをして、卑しい笑いを見せた
「何それ! なんかむかつくんですけど! あんた達、何企んでるのよ!」
「なにも?」
惚けた表情で答える雄人だが、それはそれで怪しく、彼女は更に訝しんだ。
「うそ! あんた達、絶対何か企んでるんでしょ!」
片手を腰に、もう片方は真っ直ぐ二人を指差し、胸を張っている彼女だが、当の本人達は顔を近付け、何やら小声で話し始め、実夏は首を傾げた。
「何コソコソと話してんのよ?」
ほんの僅か顔を向けただけで、二人はそれを無視して話し続けている。
「ちょっと、無視しないでよ」
それでも無視し続ける二人に対し、彼女の苛立ちは募ってゆく。
「あの揺れ、順調に育っておりますな、アレク殿」
彼女に気付かれぬ様、チラリと眼だけを動かし、胸の辺りを見てアレクは頷く。
「それでは――、よろしいので?」
まるで悪代官とその腰巾着の様な会話だが、実夏が何か言おうと口を開き掛けた時、アレクは仰々しく頷き、雄人が嫌らしい笑みを浮かべる。そんな二人を見て、彼女は警戒感を露わにした。
「実夏」
「何よ?」
「アレク殿が気に入ったそうだ」
「何をよ?」
雄人の腕がゆっくりと持ち上がり、実夏を指差す。
彼の指した先、そこに彼女の視線がゆっくりと向けられると、彼の表情は更に嫌らしさを増した。実夏は顔を赤らめ、咄嗟に両腕で胸を庇いながら半身になると、二人から半歩ほど下がった。
「な、な、な、何?! 何なのよ! あんた達、何が目的なのよ?!」
アレクも嫌らしい笑みを浮かべると、それを横目で見た彼が、口を開く。
「そのたわわに実った果実。我友、アレクが賞味したいと申しておる」
アレクもまた、なんとも嫌らしい唸り声をあげる。彼の物言いは、少々時代掛かっているが、この場合は相応しいのかもしれない。
「どっからそんな考えが出てくるのよ! この変態コンビ!」
顔を真っ赤に染めながら、顔中を口にして怒鳴る彼女だが、雄人は気にも留めなかった。
「無駄な抵抗は止すのだ。すぐに気持ち良くなる。さあ、早うこっちへ来い」
首を左右に振り、壁まで下がった彼女を見て、口の端を吊り上げた笑みを見せると、更なる追い討ちを掛けた。
「来ぬか。ならば、こちらから行くまでよ。アレク殿、あの果実を狩りに行こうではないか」
雄人は舌なめずりをすると、ユラリと立ち上がり、彼女に向かって、ゆっくりと歩き出し、アレクも、逃げ場をなくした獲物を追い詰めるように近寄って行く。
実夏は二人を交互に見ていたが、その嫌らしい表情が近付くにつれ、硬く目を瞑り、その場に蹲ってしまった。そして、彼女の肩に雄人の手が、大腿にはアレクの前足が置かれ、彼の手に力が込められていく。だが、雄人とアレクはお互いを見て頷き合うと、彼女から離れた。
実夏は悲鳴を上げる寸前、二人が離れたのを感じ、薄らと目を開けると、二人が何時もの笑顔で彼女を見下ろしていた。どうやら、彼女のその表情から、この辺りが頃合い、と判断して離れたようだった。
「ごめんごめん、実夏をからかうと面白くて、つい、ね。でもさ、俺、推薦で、大学はもう決まってるんだけどな。お前も知ってたはずだぞ?」
雄人を睨み付けていた彼女だが、指摘された事実に、小さく、あ! と言うと、それを誤魔化すように言い放った。
「し、知ってたわよ! 雄人が忘れてないか試しただけよ!」
その場から逃げる様にして、二階に上って行ってしまう。
そんな彼女を見て二人は笑うと、雄人は軽く息を吐き、ソファーに戻った。
「まったく、実夏は相変わらずだな。お前もあいつの相手は大変なんじゃないか?」
少しだけ考え込み、アレクは首を縦に振ると、ソファーから降りる。すると、紫の包みを前足で叩き、彼の顔を見上げる。それを見た雄人は苦笑するしかなかった。
「中身を教えろって言うんだろ?」
頷くアレクを見て、答えた。
「日本刀だよ」
包みを見た後、首を傾げながら雄人の顔を見る。
「訳を聞きたそうだな。でも、今は駄目だ。小父さんが帰って来てから皆の前で話すから、それまで待っててくれないか?」
そんなに待てない、と言わんばかりに、雄人の膝に両前足を置き、交互に叩いた。その仕草を少し困った表情で見ながら、雄人は口を開く。
「お前に理由を話したら、どっかに隠しちまうだろ? それじゃ俺が困るんだよ」
アレクは膝に乗せた前足はそのままに、後ろ足で立ち上がり、雄人の顔を睨み付ける様に覗き込んだ。
「そんな顔するなよ。頼むからさあ……」
彼はその時ふと、傍らに置いた紙袋の中身の事を思い出した。
「そうだ、お前と実夏に渡す物があるんだ」
アレクはキョトンとした表情を見せると、雄人が手元に引き寄せた紙袋に視線を移す。
彼はその紙袋を開け、これこれ、と呟きながら小さな包みを取り出し、中の物をアレクの目の前に出した。
「ちょっと、じゃないか。大分遅いけど、お前にプレゼントだ。この家に来てから、去年の夏
で四年目だったろ? 人間で言えば二十歳位だったしな。そのお祝いだ」
雄人は犬と人の年齢換算を基準にしているようだが、同じイヌ科だから、という事で勘違いしているのだろう。実際には、もう少し上なのであるが、アレク自身、その事にはまったく気にも留めていない様だ。
包みから取り出した物は、七宝焼きのペンダントだった。それには狐の顔を模した模様が描かれている。雄人はズボンのポケットから鍵を取り出すと、キーホルダーをアレクに見せた。
「俺の父さんが母さんに作った物と同じだ。俺のは虎、お前のは狐。もっとも、父さんが作っ
たやつには及ばないけどね。ほら、裏に彫って有る文字とかも同じにしたんだ。これを俺達の子孫が持っていれば、お互い、直ぐに分かると思うぞ」
アレクはペンダントをジッと見ていたが、それに鼻をこすり付ける様にすると、彼に向かって一声吠えた。
「――お前は意外とせっかちなんだなあ」
雄人はアレクの首にペンダントの鎖を回し、首の後で留めた。
「これでよし、と」
自分の首に掛けられたペンダントを見ようと、顔を下に向けるが、人と違い、前に伸びた鼻が邪魔で見る事が出来ない。すると突然、アレクは廊下に飛び出して行った。
向かった先は洗面所。そこの洗面台に飛び乗ると、鏡に自分の姿を映し出し、首を右に左にと、ゆっくりと振り、満足そうな表情をしていた。
「あ! コラ! そこに乗っちゃ駄目じゃない!」
二階から降りて来た実夏がアレクを叱るが、首から下がったペンダントが彼女の目に留まった。
「あれ? それどうしたの?」
振り向いたアレクが鳴く。その声には、ゆーと、と聞こえる部分が含まれていた。他の部分は何と言っているのか分からないのだが、何故か、彼の名前だけは聞き取れるのだ。
「なんで雄人の名前だけは言えるかなあ……。で、それ、雄人に貰ったの?」
嬉しそうに大きく頷いた。
それを見た彼女は大股で居間へと向かう。首を傾げ不思議そうに見送ったアレクの耳に、実夏の怒鳴り声が飛び込んで来た。
「ちょっと! あたしには無いの!」
突然怒鳴られた雄人は、呆気に取られた表情で彼女を見返している。
「何ボケっとしてるの! あたしには何も無いのかって、聞いてるのよ!」
居間の入り口で仁王立ちになって雄人を睨み付ける実夏の足元を、アレクは彼女を見上げながら脇を通り抜け、雄人の側まで行く。彼女はその姿を目線だけで追い掛け、再び彼を睨み付けた。
「えっと……、言ってる意味が分からないんだけど……」
困惑した表情を彼女に向ける雄人に、実夏の腕がゆっくりと上ると、アレクの首元を指した。
「それよ! そのペンダント! 雄人がアレクにあげたんでしょ! 今日はあたしの誕生日なのに、その本人にプレゼントを渡さないってのはどうゆう事よ!」
雄人は溜息を付くと、やれやれ、といった調子で首を左右に振って答える。
「実夏のもちゃんと用意してあるよ。だけど、今渡してもいいのか?」
腕を組み、少しだけ考えると、顔を雄人に向け、笑顔で手を伸ばした。
「さあ、よこせ。今すぐ渡せ。さっさと出しなさい」
大きな溜息を付いて呆れながら、雄人は傍らの紙袋から小さな包みを取り出すと、実夏の側まで行き手渡した。
「何よこれ?」
「開けて見ればいいじゃないか」
取り出した物を見た彼女の表情は、落胆の色を隠せなかった。
「何これ? キラキラしてて綺麗だけど、このセンスの無さはなんなのよ。子共じゃあるまいし、熊? の絵が描いてあるこんなの貰っても嬉しくないわよ。もっとマシなの買って来なさいよね」
そんな態度の彼女に背を向けると、溜息を付きながら雄人はソファーに戻って行く。その背中は、どこか落ち込んでいる様に見えた。
二人の遣り取りを見ていたアレクが、パソコンの画面を実夏の方に向け、キーを叩き始めた。
(実夏、文句を言う前にお礼を言いなさい)
画面の文字を見て、ムッとした彼女はアレクに突っかかった。
「なんで、あんたにそんな事言われなくちゃいけないのよ?」
(そのペンダント、買ってきた物じゃないわよ)
「買ったんじゃないなら、何なのよ」
遠回しな言い方に、実夏は徐々に苛立ちを強め、きつい口調で言い返すと、アレクが女を睨み付けた。
「何よ。なんか文句でもあるわけ? 文句あるなら直接その口で言いなさいよ!」
二人の遣り取りを心配そうに見ていた雄人の眉が、ほんの一瞬動き、その表情は悲しげなものに変わった。そして、ソファーから立ち上がりると、俯きがちに、彼女の側まで行く。目の前に立った雄人を睨み付け、実夏が口を開こうとしたその瞬間、彼女の頬が大きな音を立てた。
叩かれた頬を手で押さ、驚きの表情で彼を見る。悲しそうに自分を見詰める彼のその目には、薄らと涙が光っていた。
「――なんでそんな事言うんだ。あいつが一生懸命言葉を話そうとしてるの、実夏が一番良く知ってるはずじゃないか。何時だったか――、実夏はアレクに言ったよな。〝無理して話そうとしなくてもいいよ〟って。アレクはお前の家族なんだろ。その家族が一番傷付く事を、なんでお前が……」
実夏の瞳にじわりと涙が浮かび、頬を伝って流れ落ちた。
「……雄人なんか、――だいっ嫌い!」
泣きながら二階に向かって駆け出して行く彼女の背中に、雄人は悲しげな視線を向けた。そんな雄人の足元にはアレクが近寄り、実夏の向かった先へ視線を投げ掛けた後、顔を上げ、ごめんなさい、とでも言う様に、鳴いた。
「なんでお前が謝るんだ? 悪いのは実夏だ。お前は実夏を諭しただけじゃないか」
向きを変えると雄人はソファーに戻り、深々と腰掛け、背凭れに体を預け、目を瞑って上を向き、短く息を吐いた。アレクはそんな雄人の隣に座り、寄り添う様に体を寄せ、眼を瞑った。
そして、二人とも何時の間にか眠りに落ちて行った。




