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悠久の時の彼方でⅠ  作者: 春岡犬吉
第一章
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幼馴染

 一人と一匹がじゃれ合っている。アレクは彼の手を甘噛(あまが)みしたかと思うと、突然離れ、ジッと見詰めたり、軽く飛び上って側に寄り、噛む振りをして直ぐに()退(すさ)ったりしている。雄人は、というと、逃げるアレクに飛び掛る振りをしたり、手を甘噛みされた時には、アレクの首根っこに軽く噛み付いてみたり、アレクが噛む素振(そぶ)りを見せた時等(ときなど)は、自分も口を開け、同じ事をしてみたりと、()(かく)、人と動物のじゃれ合い、というよりは、動物同士、と言った方が良いくらいだ。雄人とアレクのそんな姿は、二人と言うべきか、はたまた二匹、と言うべきか、どちらでも良い様に思える。そして、雄人はアレクの前足の脇に手を差し込むと、持ち上げた。そこに、ただいまー、と、軽やかな声が響き渡る。二人はそのまま動きを止め、開け放してある居間の入り口に視線を送ると、制服姿の少女が姿を現し、雄人は持ち上げたままのアレクを降ろして、膝の上で()(かか)えた。

「おかえり、実夏(みか)随分(ずいぶん)と早いな」

 アレクも一声鳴く。

「あれ? 来てたの?」

 彼は思わず失笑(しっしょう)してしまった。

「何がおかしいのよ?」

「いや、だってさ、玄関に俺の靴有っただろ? それに気が付かなかったのかと思ってね」

 (あご)に指を当て、首を(かし)げながらブツブツと何かを(つぶや)いているが、靴は目に入っていなかったようだ。雄人とアレクは顔を見合わせると呆れ、実夏に気付かれない様に小さく溜息(ためいき)を付く。だが、それを見逃(みのが)す彼女ではなかった。

「二人して、なんで溜息なんか付いてるのよ!」

 彼等の態度(たいど)に、不満を()らす彼女だが、二人ともその性格をよく熟知(じゅくち)している。なので、ひとまずは謝った。御座成(おざな)りな態度ではあったが、一応はそれで満足したようで、この辺りは意外と単純、というか、さっぱりとしているのだろう、他に何かを言われる事はなかった。

「それより、学校はどうしたのよ? もしかして、サボリ?」

「何言ってんだよ。三年はこの時期(じき)、自由登校なの知ってんだろ?」

「それは知ってるわよ。でも、入試勉強とかあるんでしょ?」

 雄人は肩を(すく)ませ、やれやれ、と呟き、アレクは目を()せて首を振った。

「何よその態度?」

 (ほほ)(ふく)らませる実夏を見て、何かを思い付いたのか、二人は同時に溜息を付く振りをして、(いや)しい笑いを見せた

「何それ! なんかむかつくんですけど! あんた達、何(たくら)んでるのよ!」

「なにも?」

 (とぼ)けた表情で答える雄人だが、それはそれで(あや)しく、彼女は(さら)(いぶか)しんだ。

「うそ! あんた達、絶対何か(たくら)んでるんでしょ!」

 片手を腰に、もう片方は真っ直ぐ二人を指差し、胸を張っている彼女だが、当の本人達は顔を近付け、何やら小声で話し始め、実夏は首を傾げた。

「何コソコソと話してんのよ?」

 ほんの(わず)か顔を向けただけで、二人はそれを無視して話し続けている。

「ちょっと、無視しないでよ」

 それでも無視し続ける二人に対し、彼女の苛立(いらだ)ちは(つの)ってゆく。

「あの()れ、順調(じゅんちょう)に育っておりますな、アレク殿(どの)

 彼女に気付かれぬ様、チラリと眼だけを動かし、胸の辺りを見てアレクは頷く。

「それでは――、よろしいので?」

 まるで悪代官(あくだいかん)とその腰巾着(こしぎんちゃく)の様な会話だが、実夏が何か言おうと口を開き掛けた時、アレクは仰々(ぎょうぎょう)しく頷き、雄人が(いや)らしい笑みを浮かべる。そんな二人を見て、彼女は警戒感(けいかいかん)(あら)わにした。

「実夏」

「何よ?」

「アレク殿が気に入ったそうだ」

「何をよ?」

 雄人の腕がゆっくりと持ち上がり、実夏を指差す。

 彼の指した先、そこに彼女の視線がゆっくりと向けられると、彼の表情は更に嫌らしさを増した。実夏は顔を赤らめ、咄嗟(とっさ)に両腕で胸を(かば)いながら半身になると、二人から半歩ほど下がった。

「な、な、な、何?! 何なのよ! あんた達、何が目的なのよ?!」

 アレクも嫌らしい笑みを浮かべると、それを横目で見た彼が、口を開く。

「そのたわわに実った果実(かじつ)我友(わがとも)、アレクが賞味(しょうみ)したいと(もう)しておる」

 アレクもまた、なんとも嫌らしい唸り声をあげる。彼の物言いは、少々時代掛かっているが、この場合は相応(ふさわ)しいのかもしれない。

「どっからそんな考えが出てくるのよ! この変態コンビ!」

 顔を真っ赤に染めながら、顔中を口にして怒鳴る彼女だが、雄人は気にも留めなかった。

「無駄な抵抗は()すのだ。すぐに気持ち良くなる。さあ、(はよ)うこっちへ来い」

 首を左右に振り、壁まで下がった彼女を見て、口の端を吊り上げた笑みを見せると、更なる追い討ちを掛けた。

「来ぬか。ならば、こちらから行くまでよ。アレク殿、あの果実を狩りに行こうではないか」

 雄人は舌なめずりをすると、ユラリと立ち上がり、彼女に向かって、ゆっくりと歩き出し、アレクも、逃げ場をなくした獲物を追い詰めるように近寄って行く。

 実夏は二人を交互に見ていたが、その嫌らしい表情が近付くにつれ、硬く目を瞑り、その場に(うずくま)ってしまった。そして、彼女の肩に雄人の手が、大腿にはアレクの前足が置かれ、彼の手に力が込められていく。だが、雄人とアレクはお互いを見て頷き合うと、彼女から離れた。

 実夏は悲鳴を上げる寸前、二人が離れたのを感じ、薄らと目を開けると、二人が何時もの笑顔で彼女を見下ろしていた。どうやら、彼女のその表情から、この辺りが頃合い、と判断して離れたようだった。

「ごめんごめん、実夏をからかうと面白くて、つい、ね。でもさ、俺、推薦(すいせん)で、大学はもう決まってるんだけどな。お前も知ってたはずだぞ?」

 雄人を睨み付けていた彼女だが、指摘された事実に、小さく、あ! と言うと、それを()魔化(まか)すように()(はな)った。

「し、知ってたわよ! 雄人が忘れてないか(ため)しただけよ!」

 その場から逃げる様にして、二階に上って行ってしまう。

 そんな彼女を見て二人は笑うと、雄人は軽く息を吐き、ソファーに戻った。

「まったく、実夏は相変(あいか)わらずだな。お前もあいつの相手は大変なんじゃないか?」

 少しだけ考え込み、アレクは首を縦に振ると、ソファーから降りる。すると、紫の包みを前足で叩き、彼の顔を見上げる。それを見た雄人は苦笑するしかなかった。

「中身を教えろって言うんだろ?」

 頷くアレクを見て、答えた。

「日本刀だよ」

 包みを見た後、首を傾げながら雄人の顔を見る。

「訳を聞きたそうだな。でも、今は駄目(だめ)だ。小父(おじ)さんが帰って来てから皆の前で話すから、それまで待っててくれないか?」

 そんなに待てない、と言わんばかりに、雄人の膝に両前足を置き、交互に叩いた。その仕草(しぐさ)を少し困った表情で見ながら、雄人は口を開く。

「お前に理由を話したら、どっかに隠しちまうだろ? それじゃ俺が困るんだよ」

 アレクは膝に乗せた前足はそのままに、後ろ足で立ち上がり、雄人の顔を睨み付ける様に(のぞ)き込んだ。

「そんな顔するなよ。頼むからさあ……」

 彼はその時ふと、(かたわ)らに置いた紙袋の中身の事を思い出した。

「そうだ、お前と実夏に渡す物があるんだ」

 アレクはキョトンとした表情を見せると、雄人が手元に引き寄せた紙袋に視線を(うつ)す。

 彼はその紙袋を開け、これこれ、と呟きながら小さな包みを取り出し、中の物をアレクの目の前に出した。

「ちょっと、じゃないか。大分遅いけど、お前にプレゼントだ。この家に来てから、去年の夏

で四年目だったろ? 人間で言えば二十歳位だったしな。そのお祝いだ」

 雄人は犬と人の年齢(ねんれい)換算(かんさん)基準(きじゅん)にしているようだが、同じイヌ科だから、という事で勘違(かんちが)いしているのだろう。実際には、もう少し上なのであるが、アレク自身、その事にはまったく気にも留めていない様だ。

 包みから取り出した物は、七宝焼(しっぽうや)きのペンダントだった。それには狐の顔を()した模様(もよう)(えが)かれている。雄人はズボンのポケットから鍵を取り出すと、キーホルダーをアレクに見せた。

「俺の父さんが母さんに作った物と同じだ。俺のは虎、お前のは狐。もっとも、父さんが作っ

たやつには(およ)ばないけどね。ほら、裏に彫って有る文字とかも同じにしたんだ。これを俺達の子孫が持っていれば、お互い、直ぐに分かると思うぞ」

 アレクはペンダントをジッと見ていたが、それに鼻をこすり付ける様にすると、彼に向かって一声吠えた。

「――お前は意外とせっかちなんだなあ」

 雄人はアレクの首にペンダントの鎖を回し、首の後で()めた。

「これでよし、と」

 自分の首に掛けられたペンダントを見ようと、顔を下に向けるが、人と違い、前に伸びた鼻が邪魔(じゃま)で見る事が出来ない。すると突然、アレクは廊下(ろうか)に飛び出して行った。

 向かった先は洗面所。そこの洗面台に飛び乗ると、鏡に自分の姿を映し出し、首を右に左にと、ゆっくりと振り、満足そうな表情をしていた。

「あ! コラ! そこに乗っちゃ駄目(だめ)じゃない!」

 二階から降りて来た実夏がアレクを(しか)るが、首から下がったペンダントが彼女の目に留まった。

「あれ? それどうしたの?」

 振り向いたアレクが鳴く。その声には、ゆーと、と聞こえる部分が(ふく)まれていた。他の部分は何と言っているのか分からないのだが、何故(なぜ)か、彼の名前だけは聞き取れるのだ。

「なんで雄人の名前だけは言えるかなあ……。で、それ、雄人に貰ったの?」

 (うれ)しそうに大きく頷いた。

 それを見た彼女は大股で居間へと向かう。首を傾げ不思議そうに見送(みおく)ったアレクの耳に、実夏の怒鳴り声が飛び込んで来た。

「ちょっと! あたしには無いの!」

 突然怒鳴られた雄人は、呆気(あっけ)に取られた表情で彼女を見返している。

「何ボケっとしてるの! あたしには何も無いのかって、聞いてるのよ!」

 居間の入り口で仁王(におう)立ちになって雄人を睨み付ける実夏の足元を、アレクは彼女を見上げながら(わき)を通り抜け、雄人の側まで行く。彼女はその姿を目線だけで追い掛け、再び彼を睨み付けた。

「えっと……、言ってる意味が分からないんだけど……」

 困惑(こんわく)した表情を彼女に向ける雄人に、実夏の腕がゆっくりと上ると、アレクの首元を指した。

「それよ! そのペンダント! 雄人がアレクにあげたんでしょ! 今日はあたしの誕生日なのに、その本人にプレゼントを(わた)さないってのはどうゆう事よ!」

 雄人は溜息を付くと、やれやれ、といった調子で首を左右に振って答える。

「実夏のもちゃんと用意してあるよ。だけど、今渡してもいいのか?」

 腕を組み、少しだけ考えると、顔を雄人に向け、笑顔で手を伸ばした。

「さあ、よこせ。今すぐ渡せ。さっさと出しなさい」

 大きな溜息を付いて呆れながら、雄人は(かたわ)らの紙袋から小さな包みを取り出すと、実夏の側まで行き手渡した。

「何よこれ?」

「開けて見ればいいじゃないか」

 取り出した物を見た彼女の表情は、落胆(らくたん)の色を(かく)せなかった。

「何これ? キラキラしてて綺麗(きれい)だけど、このセンスの無さはなんなのよ。子共じゃあるまいし、熊? の絵が描いてあるこんなの貰っても嬉しくないわよ。もっとマシなの買って来なさいよね」

 そんな態度の彼女に背を向けると、溜息を付きながら雄人はソファーに戻って行く。その背中は、どこか落ち込んでいる様に見えた。

 二人の遣り取りを見ていたアレクが、パソコンの画面を実夏の方に向け、キーを叩き始めた。

(実夏、文句を言う前にお礼を言いなさい)

 画面の文字を見て、ムッとした彼女はアレクに突っかかった。

「なんで、あんたにそんな事言われなくちゃいけないのよ?」

(そのペンダント、買ってきた物じゃないわよ)

「買ったんじゃないなら、何なのよ」

 遠回しな言い方に、実夏は徐々(じょじょ)に苛立ちを強め、きつい口調で言い返すと、アレクが女を(にら)み付けた。

「何よ。なんか文句でもあるわけ? 文句あるなら直接その口で言いなさいよ!」

 二人の遣り取りを心配そうに見ていた雄人の(まゆ)が、ほんの一瞬動き、その表情は悲しげなものに変わった。そして、ソファーから立ち上がりると、(うつむ)きがちに、彼女の側まで行く。目の前に立った雄人を睨み付け、実夏が口を開こうとしたその瞬間、彼女の頬が大きな音を立てた。

 (たた)かれた頬を手で押さ、驚きの表情で彼を見る。悲しそうに自分を見詰める彼のその目には、薄らと涙が光っていた。

「――なんでそんな事言うんだ。あいつが一生懸命言葉を話そうとしてるの、実夏が一番良く知ってるはずじゃないか。何時(いつ)だったか――、実夏はアレクに言ったよな。〝無理して話そうとしなくてもいいよ〟って。アレクはお前の家族なんだろ。その家族が一番傷付く事を、なんでお前が……」

 実夏の(ひとみ)にじわりと涙が浮かび、頬を伝って流れ落ちた。

「……雄人なんか、――だいっ嫌い!」

 泣きながら二階に向かって駆け出して行く彼女の背中に、雄人は悲しげな視線を向けた。そんな雄人の足元にはアレクが近寄り、実夏の向かった先へ視線を投げ掛けた後、顔を上げ、ごめんなさい、とでも言う様に、鳴いた。

「なんでお前が(あやま)るんだ? 悪いのは実夏だ。お前は実夏を(さと)しただけじゃないか」

 向きを変えると雄人はソファーに戻り、深々と腰掛け、背凭(せもた)れに体を預け、目を(つぶ)って上を向き、短く息を吐いた。アレクはそんな雄人の隣に座り、寄り添う様に体を寄せ、眼を瞑った。

そして、二人とも何時の間にか眠りに落ちて行った。

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