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悠久の時の彼方でⅠ  作者: 春岡犬吉
第八章
38/52

見覚えの有る病院が見える。あの騒ぎの後、雄人もお世話になった場所だ。そこの職員専用駐車場に一台の黒い高級セダンが入って行き、停まった。車から男が三人降りると、職員用の入り口で守衛に職員証を見せ、中に入って行った。

「所長、こっちから入っていいんですか?」

 久米島が疑問に思い声を掛ける。大垣は前を向いたまま答えた。

「ここも風巻の息が掛かった場所だ。要は俺たちと同じって事さ。もっとも、職員は一般募集してるけどな」

 なるほど、と納得した。道理で職員証を見せた時に驚かれた訳だ。

「ここでの俺達の立場は、副院長と同じくらいの権限を持たされていてな、殆どの場所は職員証だけで入って行ける。もっとも、君の場合は医長くらいの権限しかないがな」

 役職を言われても、久米島にはどうもピンと来なかった。そんな彼の気配を察したのか、総一が口を開いた。

「普通の会社で言えば、君の場合、係長あたりですよ」

 入ったばかりなのに、意外と権限持たされているな、と感心した。

 三人はそれ以上言葉を交わす事無く、目的の病棟に向かい、ナースステーションに居る看護士に大垣が声を掛けた。

「君、ちょっと矢川先生を呼んでもらえないかな?」

 看護士は訝しげな表情を見せた。

「あの――、どちら様でしょうか?」

 これは済まない、と一言呟くと、大垣は職員証を提示した。それを確認した看護士は慌てて答える。

「い、今、矢川は検診に回っております。もう暫くすれば戻ると思いますが……」

「ありがとう」

 礼を言うと、待合コーナーに移動をして、そこの椅子に腰掛けた。

「あの、ちょっといいすか?」

 久米島が大垣に声を掛ける。自動販売機でコーヒーでも、と思って腰を上げ掛けた姿勢のまま、

「ん? なんだい?」

「矢川先生って、どういった方なんですか?」

 立ち上がりながら大垣は答えた。

「俺の大学時代の同期さ。もっとも、成績はあっちのが上だったけどな」

 苦笑しながらコーヒーを買いに行く。

「お、そうだ。取手先生も何か飲みますか?」

 振り向いて声を掛ける。

「それじゃ、紅茶をお願い出来るかな?」

 頷くと販売機に硬貨を入れ、ボタンを押した。戻って来た大垣の手には三本の缶が握られ、一本は取手に、もう一本は久米島の前に置かれた。

「君はコーヒーで良かったかな?」

「あ、はい。有難う御座います」

 大垣は席に戻ると、コーヒーのプルタブを開け、一口含み、息を付いた。それを見た取手と久米島も開けると、口を付けて一息入れる。久米島は、先ほどから少々疑問に思っていた事を、口にした。

「ところで、何故、俺が必要になるかも知れないんですか? 話を聞くだけなら居ても意味無いと思うんですが……」

 大垣が口を開こうとした時、総一が手を上げてそれを遮ると、目配せをした。

「ここに収容されて居た人物ですが、少々訳有りでね、精神科の病棟に入って居たんだよ。その人物が居なくなった、と言うのは、ここに来る前に聞いたよね?」

 久米島は頷く。

「実はね、ここの精神科病棟から抜け出す事は不可能なんだよ」

 眉根を寄せて久米島は言った。

「不可能って――、でも部屋からは出られるんですよね?」

 総一は頷き、言う。

「もちろん、軽い症状ならばね。でも、居なくなった人物の病室は、自由に出入りは出来ない筈なんだ」

 久米島は首を傾げる。自由に出入り出来ないとなれば、内部からは開けられず、外部から鍵を使って開閉という事だ。だが、それも腑に落ちない。そんな彼を見ながら、総一は話を続けた。

「ここの鍵はカードキーでね、それも暗証番号と合わせて使う仕組みなんだ。もちろんマスターキーもある。この場合は暗証番号は要らないんだけど、ここの科長の職員番号が必要になる。それも、二十桁も有る番号がね。しかも、病棟の出入り口のは二重に鉄格子も在って、そこを開けるのにも十六桁の暗証番号が要るんだ。これだけ厳重な場所からどうやれば出て行けると思う?」

 この話を聞いて合点が要った。そして、少しだけ考えると、答えた。

「ここの病室から出るのは、まず不可能ですね。出来るとすれば、外部からハッキングして干渉するか、USB接続などが出来れば、直接ハッキングして開くか、ですね。もっとも、病室から出られない入院患者には不可能な事ですから、誰かの手引きが無いと無理ですね」

 この答えに満足して、総一は大垣に顔を向けると、頷いた。

「そこでだ。君を見込んで連れて来たって訳だよ。出来るんだろう?」

 久米島を見る大垣の口元は笑っていた。彼は、苦笑しながら肩を竦めると、口を開いた。

「そりゃまあ、出来ますよ。これでも一応、ホワイトハットハッカーしてましたから」

 ハッカーとは、日本では悪い意味で捉えられているが、実はマスコミが植え付けた間違った認識である。本来は様々なコンピュータ関係の技術を持ち、それを使いこなす人達を総称する意味なのだ。日本で言われているハッカーとは、実はクラッカーの事であり、不正行為をする者の事である。そういった者たちを最近では、ブラックハットハッカーと呼ぶ。そして、久米島はそれとは逆に、企業を守るために働く善意のハッカー、ホワイトハットハッカーを生業としていた。

「それは心強いねえ」

 突然後から声を掛けられ、久米島が振り向くと、髪はぼさぼさで無精ひげを生やした男が、ヨレヨレの白衣を着て立っていた。

「よお、元気そうだな」

 大垣はその男に向かって手を上げながら声を掛け、総一は笑顔を向けると挨拶をした。

「久しぶりだね、矢川君。元気そうで何よりだ」

 矢川は大垣には手を上げてそれを挨拶代わりとし、総一には頭を垂れた。

「お久しぶりです、取手先輩。で、こっちのハッカー様は?」

 久米島は椅子から立ち上がり、挨拶をした。

「初めまして、久米島といいます」

「俺は矢川と言う。よろしくな、正義のハッカーさん」

 久米島は苦笑を漏らすと、差し出された手を握り返した。

「彼に粗相をしないほうがいいよ。風巻が直々にスカウトした人材だからね」

 矢川は口笛を吹くと、僅かに驚きながら、久米島に笑顔を向ける。

「そりゃすごい。あんた期待されてんだな」

 久米島は雇われた経緯を考えると、苦笑しか出なかった。

「そういえば、彼も君の世話になったそうじゃないか」

 総一の言葉に、僅かに眉を寄せると、思い出した様に口を開いた。

「彼? ああ、あの頑丈なガキの事ですか。まさか、風巻の当主があんなガキだとは思わなかったですよ」

「おいおい、彼を甘く見ないほうがいいぞ。なんせ、取手先生を副所長に降格させたくらいだからな」

 矢川は顔を顰めた。

「あのガキ、先輩に何て事しやがんだ。今度来たらみっちりと絞ってやる」

 憤る姿を総一は笑って見ていたが、そんな彼に向かって言った。

「この病院も三年前に大規模な改修工事があったはずだと思うけど、どうしてだか知っているかな?」

 キョトンとした顔を向けると、首を振った。

「それはね、彼が指示してやらせたんだよ。不測の事態が起こっても、病院機能を失わない様にね」

「不測の事態? ですか?」

 総一は頷く。

「そう、彼が考えているのは最悪の事態を少しでも回避する事だよ。入院患者を守る為にね」

 首を傾げる矢川に向かって、総一ががことばを続ける。

「爆弾の直撃とかは回避出来ないが、EMP攻撃や太陽嵐なら、対策さえすれば助かる命が増えるからだよ」

 矢川は確かに、と思った。病院機能が喪失すれば、助かる命も助からなくなる。それを回避する為に改修工事をするなど、普通は思い付かない。たぶん、病院の経営者でさえ馬鹿らしいと思ったはずだ。起こる可能性が殆ど無い対策をしてどうするのか、と。

「それをあのガキが、三年も前に考えてやったってのか。末恐ろしいな……」

 大垣はやっと気付いたか、と思い、本題に入る事にした。

「それでだな。本題なんだが、お前から受けた連絡、ありゃ本当なのか?」

 矢川は頷き、真剣な表情になった。

「本当だ。病室に争った形跡も無し。そればかりか、鍵も壊されちゃいねえ。しかも、防犯カメラにも何も映ってねえんだよ」

 大垣の視線が久米島に向いた。彼は頷くと、矢川に向かって言う。

「ここのシステムってどうなってます? 防犯カメラは外部から操作とか出来ますか?」

「そこは俺じゃ分からない。警備室で聞いてくれ」

 矢川の即答に久米島は大垣と総一を見て頷く。二人は互いの顔を見合わせてから、総一が言った。

「では、警備室に行こうか。矢川君、一応、連絡を入れて置いてくれるかな?」

 頷き、白衣を翻して矢川は歩いて行く。三人は警備室に向かう為、矢川と別れ、その場を後にした。

 警備室前に着いて扉をノックすると、鍵の開く音と共に中から警備員が顔を出し、そこに大垣が職員証を提示した。

「矢川先生から連絡は受けてます。どうぞお入りください」

 中に入ると、大垣と総一の二人は圧倒され、久米島は口笛を吹きそうになった。

「こりゃすげえ――、こんなシステム、日本じゃ滅多にお目に掛かれないぜ」

 そこには数人の警備員が座り、モニターの常時監視を行っていた。しかも、そのモニターの数が凄まじい。通常は数個のモニターを切り替えて使うのだが、ここではそれをせずに行っていた。それに加え、各種災害発生時に備えた防護シャッター操作パネル、通信関係の監視など、その他諸々の細かい作業も行っていた。

「こんなの病院で扱うシステムじゃないですよ。たぶん、日本の病院じゃここだけじゃないっすかね?」

 二人に向かって言うと、それを聞いていた警備員が笑った。

「これを導入したのは去年ですよ。もっとも、経営陣は反対したらしいですけどね。こんな物は必要ない、って」

 久米島は気合を入れた。二人は口出しせずに、彼に全てを任せる。

「それじゃ、問題の日の画像を見せてもらいますか。どこに保存してあります?」

 警備員は、こちらです、と巨大なサーバーを示した。

「別室にも有りますが、その日のでしたらここに記録が残っています」

「それじゃ、ちょっと見せてもらいますよ」

 バックからノートパソコンを取り出し、手際良くサーバーと繋いでから立ち上げ、キーボードをたたき始める。警備員はログインパスワードを教えて居ない事に気付き、慌てて口を開こうとしたが、画面を見て、度肝を抜かれた。久米島はサーバーのパスワードをものの数秒で解読して、ログインしてしまうと、問題のファイルを早々に見付け出してしまったのだ。

「あの――、この方はいったい……」

 大垣と総一に向かって聞く。すると、大垣がニヤリと笑った。

「うちの大ボスがスカウトした腕利きさ」

 もちろん、大ボスとは雄人の事である。警備員は困惑した表情を見せていたが、久米島がその時呟いた。

「こりゃ、完全に改竄されてら。ここの防犯カメラって、外部からも操作出来るんじゃないですか?」

 この間、僅か数分。久米島の凄さを垣間見た瞬間だった。

「え、ええ、一応は。ただ、かなりセキュリティは高いはずです。それを突破して来るなど考え難いのですが……」

 不適な笑みを久米島が見せた。

「俺が出来る事は、他にも出来る奴が必ず居る。場合によってはチームでやる連中も居る。そいつらに取っては造作も無い事さ」

 総一は何とかして元の画像を見れない物かと思い、彼に声を掛けた。

「久米島君、なんとか元に戻せないですか?」

 総一を見て、彼は頷く。

「やれるだけやってみます。今からハードディスクに残ったデータから復元を試みてみます」

 またキーボードを叩く。だが、その画面は広く一般的に普及しているOSの物とは違っていた。彼が使うOS、それはスーパーコンピューターでも良く使われている物。そのパソコンを覗いた警備員は驚いた。画面には見慣れたアイコンは無く、真っ黒の画面に何かのプログラムの様な物が高速でスクロールしていたからだ。

「さてと、これはちょっと時間掛かるから、一息入れさせて欲しいんだが、何か飲み物あるかな?」

 警備員は頷くと、すぐにコーヒーを持って来た。

「どうだ? 何か分かりそうか?」

 大垣の問いに、コーヒーを一口含んでから答えた。

「間違いなく外部から干渉を受けてますね。まあ、そのセキュリティホールも今潰しましたけど、この手口、どっかの軍隊か、もしくは……」

 そこで言葉を止めると、頷いた。

「そうか、と言う事は、かなり不味い状況、といった所だな」

 腕を組んで大垣は考え込んだ。

 総一は先ほどから顎に手を当て考えていたが、大垣に顔を向けると、言った。

「明日から研究所はしばらく閉鎖しましょう。そして、なるべく近い内に……、いや、太陽嵐が起きて二日以内、がいいでしょう。彼の家に家族ごと避難する様にと、戻ったら全所員に伝えてください。この事は風巻にも連絡してください」

 それを聞いていた久米島は首を傾げた。

「避難するって、あの馬鹿でかい家の事ですか?」

 目だけを動かし彼を見ると頷く。しかし、久米島はその事に、疑問を感じざるを得なかった。

「確かにあの家は敷地も半端なく広いですけど、所員全部の家族を飲み込めるほど家はでかくないですよ? 庭で寝ろってなら話は別ですが……」

 これには大垣も同意した。

「確かに。俺も一応知ってはいるが、彼の言う通り、屋内で全員は無理だな」

 二人の発言に笑顔を見せて、総一は口を開いた。

「あの家は氷山と同じなんですよ」

「氷山?」

 久米島は聞き返すが、大垣は、なるほどそういう事か、と呟き、理解した様だった。

「地下の方が遥かに広いんですよ」

「あの家、地下室もあるんですか?!」

 驚く彼の眼前に手を出して落ち着かせる。

「そうです。所員全部の家族を収容しても、有り余る広さを備えているはずです」

 総一とて詳しくは知らない。だが、以前に武人から聞いた概要では、地下五階まであり、ワンフロアの広さは上の建物の敷地面積の倍は有る、との事だった。当時の総一は、何故そんな広大な地下室を? と不思議に思っていたが、今は、源一郎が今日のこの事を予期していたのかもしれない、と思っていた。

 呆ける久米島の肩を、大垣は笑いながら、その大きな手で何度も叩いた。

「このくらいで驚いてちゃ、風巻とは付き合ってられんぞ!」

 久米島は体を揺らしながら、呆れた声で言った。

「金持ちって訳分からん事するんですねえ……」

 風巻は特別だよ、と総一は言うが、彼にしてみれば、特別どころか特殊にも思えた。

「終わったみたいだぞ」

 パソコンに顔を向け、大垣が顎をしゃくる。久米島はパソコンを操作すると、映像を映し出した。

「これが限界ですね。鮮明とまではいきませんが、何とか分かる位まで復元出来ました」

 全員が覗き込む。そこには、屋内を慎重に探索する様な動きをする数人の人物が映って居た。

「これは素人の動きではありませんね」

 警備員の言葉に、三人は眉根を寄せる。

「私は元自衛隊員なので分かります。これは訓練を受けた者の動きですよ」

「それって……」

 久米島の呟きに警備員が頷いた。

「どこかの国の特殊部隊か、あるいは、それ相応の訓練を受けた組織の者達ではないでしょうか?」

 久米島は難しい顔をしただけだが、大垣と総一には、戦慄が走った。

「取手さん、これはかなり不味いですね。彼を連れて行かれたとなると……」

 額に汗を浮かべ、言葉を口にする大垣に、総一は頷き、その表情は険しさを増した。

「乗って来た車はここに置いて、タクシーですぐに戻って、資料をあそこに運び込みましょう。そして……」

 そこに久米島が口を挟んだ。

「それはいけません! 自分達の動きを感ずかれたと知れば相手もすぐに動き出します! とりあえずは何も分からなかったフリをして普通に戻りましょう」

 警備員が久米島に同意する。

「私はどういった事情が有るのかは知りませんが、この方の言う通りです。動きが知られたと分かれば、必ず何らかの形で動き出します。計画は常に何種類も用意して置く物ですからね」

 その言葉を受け、大垣と総一は顔を見合わせ、お互いに頷くと、警備員に礼を言った。久米島は急いでパソコンをしまう。そして、三人は警備室から出て行った。

 三人を見送った後、他の者に声を掛ける。

「ちょっと外に出て来る」

 警備室を出ると、携帯電話を取り出して何処かに電話を掛けた。

「私です。――上手く感付いてくれました。――はい、今日は普通に帰しました。――明日からしばらく休みにするそうです。――分かりました。――では、何かあればまた連絡いたします」

 口元に微かに笑みを浮かべ、警備室へと戻って行った。

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