表白
久米島は頭を悩ませていた。合法的に研究所に潜り込んだまでは良かったが、その先で躓いていたからだ。彼は有る機関から依頼を受け、動いていた。それは、風巻家で一人呟いた事からも分かる。その依頼を受けた時に、あの小男と組まされた。当初の計画は、空き巣を装い風巻家に進入し、ここの情報を得て、それを渡す、という物だった。だが、雄人が戻って来るなり、ここのネットワーク管理者として雇いたい、と言って来たのだ。雄人への返事は後日、という事にして風巻家を後にし、依頼先に連絡を入れた所、小男の失敗を聞かされ、それを聞いて、何て事を考えてるんだ、とは思ったが、彼の提案は快諾された。依頼の難易度は上がったが、その分、報酬も倍以上に跳ね上がり、久米島としてもいう事は無かった。
「しかし、ここって、俺が居る意味あるんか?」
一人ごちる。彼の頭を悩ませているのは、それだけでは無い。
「研究区画へ入れるのは研究員のみで、指紋に、声紋、はては、目紋での認証ときたもんだ。俺一人じゃ入れない様になってやがるし、研究データを扱うパソコンはスタンドアローンで、所内のネットワークも有るには有るが、外部とは一切接続してねえとか、今時、有り得ねえぞ……。しかも、研究区画に入る時は、下着まで全部着替えて、体内に何も隠してないかまで検査しやがる。どんだけ用心深いんだよ、ここは……」
ネットワーク管理者、と言えば聞こえはいいが、要するに所内回線のメンテナンス係り、といった所だ。
椅子に座りながら仰け反り、天井に眼をやる。そして、携帯を取り出し、溜息を付いた。
「携帯の電波すら遮断とか、この建物、どうゆう構造してんだよ」
久米島は知らなかった。この研究所はEMP対策の為に、あらゆる電波、電磁波をすべて遮断する様になっているという事を。アンテナを設置して有るために、辛うじてテレビだけは見られる様になっているが、それ以外はリアルタイムな外部の情報が一切手に入れられない。外との連絡は、もっぱら電話で、となるが、それすらも電話線ではなく、光ケーブル、という徹底振りだ。しかも、その通話履歴すら、データとして残り、逐一、所長の大垣の下に届けられる仕組みになっていた。一つだけ救いなのは、敷地内であれば自由に動ける、という事だけだった。
「でもなあ……、ここの電話を使わずに、頻繁に携帯を使う訳にはいかねえよなあ……」
ここの来た初日に一度だけ外に出て、依頼先へ連絡を入れていた時、大垣に見つかり声を掛けられた。その時は、私用で所の電話は使えませんから、と誤魔化したが、大垣の鋭い目線に、外で頻繁に携帯を使うのはまずい、と感じて、それ以来、勤務時間内に掛ける事をしなくなっていた。
「ここの見取り図だけはなんとか送れたが……。それも全てじゃねえんだよなあ……」
彼がここへ来た時、所内を案内してくれた副所長の取手に言われたのだ。〝ここは所長と副所長しか知らない場所もあるんだよ〟と。
「まいったね。俺じゃもう、手も足もでねえぜ。こりゃ軍の特殊部隊とかじゃねえと無理だわな」
「何が無理なのかな?」
慌てて後に振り向くと、そこには取手が立っていた。
「え、あ、いや、あはははは」
久米島は笑って誤魔化したが、総一が言った。
「ここは一種の要塞だ。ライフル程度じゃそこの窓ガラスすら壊す事は出来ないよ。しかも、シャッターを下ろしてしまえば、それこそミサイルでも使わないと破れないだろうね」
とんでもない事をさらっと言う総一を見て、久米島は唖然とした。
「君が何の目的でここに来たのかは知らないけれど、諦めた方がいいよ。もしも、ここの事が外に僅かでも漏れれば、こうなるからね」
総一の手が首筋を横に走る。通常は、仕事を首に成る、という事だが、ここでは文字通りの意味で、命が無くなる、という意味なのだが、今の彼はその事を知らない。
「クビ、ですか……」
苦笑する久米島に、総一は首を横に振った。
「普通はそう思うよね。でも、ここでは命が無くなる、という事だよ」
久米島は呆ける。幾らなんでも在り得ない事だからだ。そんな彼の心の内を見透かすように、総一が言った。
「ここは風巻が支配する場所だよ。しかも、国ですら簡単には手出し出来ない相手だ。君も知っているだろう? 三日前のあの事件」
三日前、それは久米島が泥棒に入った日であり、熊が街中を闊歩してパニックが起きた日でもある。だが、その事が一切ニュースに成っていない。しかも、ネット上にすらその痕跡がまったく無いのだ。彼も、その事は不思議に思っていたが、まさかあの少年がやったとは、とても思えなかった。
「そんな事、今の日本で出来る訳……」
無いじゃないか、と言おうとしたが、総一の顔を見て、言葉を無くした。
「それが出来るだけの力が有るんだよ、風巻には、ね。ただ、これだけは覚えて置くといい。君は彼に守られている、という事を」
「それは……」
困惑した表情の久米島に、総一の笑顔が向けられた。
「あの子は本来、とても優しい。優しすぎるくらいなんだ。だから、無意識にだと思うけれど、君の事を危ぶんでここに誘ったんだと思う。今の彼はそうゆう不思議な所もあるんだよ。どういった事情で君と知り合ったのかは聞かされてないけど、久米島君の性格とかは有る程度見抜いていると思うよ」
当時の事を久米島は思い返していた。事件当日、彼が自分一人残して家を飛び出して行った後、本来の目的も忘れて自分は何もせず、ただ、お茶を飲み、大人しく待っていた事を。
久米島は目を伏せて溜息を付いた。
「やっぱ、俺にはこうゆう仕事は向いてねえんだなあ」
しばらく俯いていたが、何かを決心したのか、真剣な表情を総一に向け、彼は受けた依頼の事を、全てを語った。
「――なるほど、そういった理由があったのか。良く話してくれた。君に依頼してきた組織の目当ては、ここの研究資料だね。この研究所は他と違い、少し特殊な事を研究していてね、その中でも一番特殊なのは僕の研究なんだ」
久米島は眉を顰める。通常、この様な生化学研究所の場合、病理学的な物を研究しているはずで、特殊性は無いはず。それが特殊とはどういう事なのか、皆目検討が付かなかった。
「少しだけ話してあげよう。ここではね、場合によっては軍事転用可能な技術を研究しているんだよ」
なぜ、ここの研究所の資料を欲しがるのか、この言葉で、なるほど、と納得した。
「そうか――、そういう事か。だから、俺がここに入るのを喜んだって訳なのか……」
総一は頷く。
「なぜこんな研究をしているのか、君はそう思うかもしれない。これはね、創始者の意向でもあったらしいんだ。ただ、この理由は今の君には言う事が出来ないんだよ」
総一の言い草は、全てを知っているかのような口ぶりだった。
「なんで、言えないんですか?」
鋭い視線を総一に投げ掛けた。溜息を付くと総一は静かに口を開く。
「風巻の発祥に関わる問題だからだ」
一瞬、呆けた。発祥など、家系図を調べればすぐ判る事だからだ。
「そんなの簡単じゃないですか、家系図を調べりゃ一発ですよ。発祥なんてワザワザ研究するこっちゃないでしょう?」
総一は苦笑を漏らした。それには、悲しみとも、哀れみとも付かない様な物も混じっていた。そして、遠くを見詰める様な目で呟いた。
「普通の人なら、ね」
久米島は眉を顰めるばかりだ。その呟きは、風巻という家系は、まるで、人ではない、とでも言っているとしか思えなかったからだ。
「一つ、聞いていいですか?」
総一の顔を見詰めた。
「いいよ。僕で答えられる事なら」
何度か深呼吸をすると、意を決して言った。
「副所長は全部知っているんですね」
総一はゆっくりと頷いた。
「それじゃ、何時かは話してもらえるんですね?」
久米島が総一の目をじっと見詰めると、不意に目を逸らし窓の外を見ながら口を開いた。
「話さなければ成らない時が訪れたならば……。僕としては、それが来ない事を願うばかりだけど――、ね」
瞳には悲しそう色を浮かべ、その表情はとても辛そうだった。そんな総一を見て、久米島はこれ以上、何も言う事が出来なくなってしまった。そこに扉をノックする音が響く。と、大垣が入って来る。
「お、ここに居たんですか。探しましたよ、取手さん。ちょっと話があるのですが……」
ちらり、と久米島に目線を送るが、総一は大垣に向かい、大丈夫、と一言だけ言った。
「あなたがそう言うのでしたら……。実はですね、林が病院から居なくなったんですよ」
総一は眉を顰め、久米島は首を傾げる。もっとも、久米島が知らないのも無理は無い。彼が来た時には、すでに林は居なかったのだから。
「退院した、とかじゃなくてですか?」
大垣は頷き、言う。
「先ほど、といっても大分前ですが、病院から連絡がありまして、彼が病室から居なくなった、と」
「この事は連絡したのですか?」
また大垣は頷く。それを見て、総一は顎に手を当て少し考え込むと、言った。
「詳しい事情を聞きに行かなければ成りませんね」
振り返り、久米島を見る。
「久米島君、あなたも一緒に来てもらえませんか? たぶん、君の知識が必要になるかもしれませんから」
ほんの一瞬呆けたが、自分が頼りにされている、と分かると、嬉しい反面、ミスは出来ないと思い、気を引き締め、真剣な顔付きになった。
「俺で役に立てる事があるなら、喜んでお供しますよ」
その言葉に満足して、大垣に向き直ると、総一は先ほど久米島から聞いた話を、全て話した。
「そうだったんですか。さすが、雄人君ですね。――おっと、ここでは風巻と言わなければいけないんだったな」
苦笑すると、久米島を促し、二人は先に部屋を出て行った。
二人を見送りながら、彼はノートパソコンのバックを手に取り、呟いた。
「そういえば……、俺達の他にも協力者が居たとかなんとか言ってたっけな。これは、もしかすると、もしかするな」
急いで部屋を後にした。
研究所内では基本、白衣着用が義務化されているので、三人共、外出用に私服に着替え、外に出て車に乗り込むと、一路、林が収容されて居た病院へと向かった。




