学校に登校で候
晴れれば春を感じさせる暖かさを醸し出す空気も、この時間は、まだ冷蔵庫の中にでも居る様で、薄手のコート一枚では十分に寒さを凌ぐ事は難しいが、それでも、最低限の暖かさだけは確保出来ていた。
雄人は人目を避ける様にして、裏門から校舎内に入る。校内に人影は見当たらないが、校庭ではすでに運動部が朝練に励み、元気な声を響かせている。教室に入ると雄人はコートを脱ぎ、備え付けのロッカーに仕舞ってから、窓際の一番後ろの席に座ると、溜息を付きながら外に顔を向けた。
その姿は右腕を肩から三角巾で吊り下げ、詰襟の下から覗くワイシャツからは、微かに包帯が透けて見えている。三日前の騒動で撃たれた雄人は、あの後、病院で検査を受けた。もちろん、風巻の息が掛かった病院でだが。そこの医者が言うには、拳銃の弾は上腕頭骨に当たって止まっていた、と言う事だった。だが、その後に言われた事には、渋い顔をするしかなかった。医者曰く、驚異的な強度を持った骨と筋肉、なのだそうだ。通常ならば骨は砕け、筋肉にいたっては再生不能なまで千切れ飛ぶはずが、ヒビが入っただけで、とりあえずは他には影響もなかった、らしい。ただ、このとりあえずが曲者で、ヒビが入った、とは言うものの、やはりそのダメージは凄まじく、もう僅かでも至近で受けていれば、砕けていたそうだ。道理で少しでも動かしただけで、かなりの激痛が走る訳だ。色々と言われはしたが、要するに、骨は砕け散る寸前だった、と言う事らしかった。そして、もう一つ、驚異的な骨と筋肉、と言われたのには訳があった。弾丸自体は、拳銃では通常弾と呼ばれるフルメタルジャケット弾に酷似している、との事だったが、雄人にそんな知識が有る筈が無い。なので、いまいちピンと来なかったが、その次に言われた事に、度肝を抜かれた。この弾なら熊も殺せる、と言われてしまったのだ。その医者は何故か弾丸について妙に詳しく語ってくれた。
「見た目は九ミリパラのフルメタルジャケット弾に似ているけど、こりゃ、拳銃用に開発されたスチールコア弾だな。しかも、弾芯にスチールじゃなくて、タングステン使ってやがる。どこの馬鹿が作ったのか知らないけど、よくもまあ、こんな非人道的な弾作ったもんだ。当たり場所にもよるけど、これなら熊も一発で仕留められるぞ。こんなの受けて、よくあの程度で済んだねえ。普通の人間なら、肩ごと持っていかれてるよ?」
話はこの後も続くのだが、それを要約すると、雄人は普通の人間じゃない、という事だった。図らずも身体能力面だけではなく、肉体的にも人間とは違う、と証明されてしまった形だ。ただ、溜息の訳はこれだけではなかった。
外を眺めていた顔を席の後に向ける。そこにはマルスが床の上で丸くなって眠り、その上に、アレクが手足をを伸ばした格好で寝ていた。アレクはなんとも無防備な寝姿だが、耳だけは絶えず動いて、周りの音を拾っていた。
何故、こんな所に二人が居るのか、というと、あの事件以来、二人が雄人から離れようとしないからだ。そんな二人に言わせれば、ボディーガード、という事だった。そして、登校日の今日も、こうして着いて来てしまっている。前日に、来るな、と言ったのだが、マルスが駄々っ子よろしく、家の中を転げ周り、新調した襖やら、買ってきた家具を壊してまわった挙句、庭に面した窓までぶち破ってしまったのだ。時期が時期なだけに、まだいいような物の、虫の多い季節だったら、と考えると、想像もしたくなかった。
「どうすっかなあ……。なんて説明すりゃいいんだ、これ?」
言い訳を考え、また、大きな溜息を付いた。
教室のドアが開く音がする。その音に反応し、雄人が顔を向けると、見慣れた顔が息を弾ませ、飛び込んで来た。
「いっちばーん! って、あれ? 風巻、お前が一番乗りとは珍しいな」
雄人は苦笑しながら左手を挙げ、挨拶代わりにした。
「お前、それどうし……」
怪我を指摘しようとした男子生徒の言葉が止まる。その原因は、アレクだ。いつの間にか顔を持ち上げ、彼を凝視していた。
「なんで教室に狐が居るんだ?」
だが、何かがおかしい。その事を考えていると、狐は動いていないのに、その体が揺れ始めた。不思議に思い、そのまま注視していると、マルスがひょいと顔を上げ、彼の方に向けた。男子生徒はそのまま固まり、額から脂汗を流し始めると、数拍の間を置いて、叫んだ。
「く、く、く、熊! か、風巻、に、逃げろ!」
やっぱり、といった表情で、雄人は溜息を付いた。
「あー……、大丈夫だよ、真壁。こいつ、うちの熊だからさ」
大丈夫、と言われて簡単に落ち着けるものなら苦労はしない。真壁、と呼ばれた生徒は、後じさり、震える言葉で言った。
「だ、大丈夫って……。く、熊だぞ熊! だ、大丈夫な訳ないだろうがっ!」
彼がうろたえている所に、別の生徒が入って来る。髪をサイドポニーに結い、少し大きめのメガネを掛けた可愛らしい少女だ。
「おはよー、って、真壁くん? どうしたの?」
真壁は震える腕を雄人に向けた。それを視線で追い掛けると、その生徒も固まった。
「おはよ、浅田さん。あー、この後の奴等、紹介しとく。狐がアレクで、熊がマルスな」
雄人は、もうどうにでも成れ、といった心境だった。
浅田はしばらく身動ぎ一つもしなかったが、小さく声を漏らした。
「か……」
真壁は怪訝そうな表情を浮かべると、彼女を見ながら呟く。
「か――、なんだ?」
「かわいい!!」
叫びだすと同時に大き目のバックを放り出し、マルス目掛けて駆け寄ると、抱き付いてほお擦りし始める。それを見た真壁は、呆気に取られ呟いていた。
「あいつ、頭、どっか変なんじゃねえのか?」
「誰の頭がおかしいって?」
後から声を掛けられ、振り向いた。
「田辺か。あれだよ、あれ」
真壁が顎で指し示す方に顔を向け、目を細めた。
「なんだ? 風巻が変なのか?」
「ちげーよ。その後見てみろよ」
僅かに視線をずらすと、何かに抱き付き、幸せそうな表情をした浅田が目に留まった。でっかいぬいぐるみにでも抱き付いているのか、と田辺が思った次の瞬間、そのぬいぐるみが、もこもこと動き、驚いた。
「な、なんだありゃ! ほ、本物の熊じゃねえかよ!」
反応遅いぜ、といった感じで、真壁は溜息を付くが、田辺は彼の肩を両手でがっちりと掴むと、前後にゆすった。
「おい! なんで熊が教室に居るんだよ!」
微妙に困った顔をする真壁だが、こうなった田辺には何を言っても無駄で、されるがままに成っていた。
「おかしいよな! おかしいだろ! 熊だぞ熊! 本物だぞ! 俺んちにも居ねえんだぞ!」
普通はどこの家も熊なんかいねえよ、と思うものの、声に出して言った所で、今の田辺に、聞く耳など無い。
「あんた達、こんな所で何、漫才してんの?」
声を掛けられ、田辺は動きを止めた。そこには首を傾げ、不思議そうな顔をした女子が居る。ショートカットにした髪型は活発そうな印象を与えるが、その瞳は理知的で、若干、薄めの唇と合わさった色白の肌は、その顔立ちから、深窓の令嬢といった雰囲気が漂っていた。
「おお! 柏葉か。熊だよ熊! 熊が湧いたんだよ!」
熊が湧く訳が無い。柏葉は余計に混乱して、真壁に視線を向けた。
「風巻がさあ……」
言うと、顔を向ける。釣られて柏葉も向けた時、雄人の膝の上に、ちょこんと乗った狐と目が合った。その狐が、会釈でもする様に首を縦に振ると、柏葉は目を輝かせ、一目散に走って行った。その姿を見た真壁は、何か理不尽な物を感じた。
「なあ、田辺。あれって、風巻の戦略じゃねえか?」
田辺もその言葉に頷いていた。
「うちのツートップを持っていきやがった」
「だーれがツートップなの?」
二人して同時に振り向くと、そこには子供っぽい顔立ちを、更に幼く見せでもする様に、髪型をツインテールに結った少女が笑顔で立っていた。
「おい、ナンバースリーも来ちまったぞ」
田辺は真剣な表情を真壁に向けた。
「ああ、これはまずいな」
真壁も真剣な顔で言う。
その二人の影から、ひょい、と少女は顔を出すと、雄人の側で、何か、嬉しそうにしている浅田と柏葉が目に留まった。
「あ、京ちゃんと恵美ちゃんだ! やっほー、おっはよー」
元気に手を振りながら、そちらに向かって行く。二人組みはそれを見て、更に顔を顰めた。
「くそっ! 風巻め。なんという理不尽な手を!」
悔しそうな表情で田辺は拳を握り締め、胸前で震わせた。
徐々に教室には人が増えていくが、概ね、男子はマルスに驚き遠巻きに眺め、女子はアレクとマルスを見て、少女漫画よろしく、その瞳を輝かせ、駆け寄って行く。そして、いつの間にか女子は全員、雄人の周りに集まり、彼は他の男子達から、羨望と嫉妬の入り混じった視線の攻撃を受ける羽目になっていた。
まずいなあ、と思っていると、嬉しそうなマルスの顔がこちらに向く。
『ゆ、雄人殿! せ、拙者、この様な事、う、生まれて初めてでござる! が、学校とは、良いでござるな!』
雄人の開いた口が塞がらなくなった。それと同時に、女子達のざわめきもピタリ、と止まる。が、次の瞬間、黄色い歓声が教室に木霊し、雄人は女子達からの質問攻めに合い、返答に窮してた。そこに、追い討ちを掛ける様に、アレクが口を開く。
『ねえ、雄人。学校って何時もこうなの?』
その場に居る全員の視線がアレクに集中する。女子達の瞳は更に輝きを増し、雄人は左手で顔を覆い、やけくそに成った。そして、全部話してしまえ、と口を開こうとした瞬間、教室の扉が開き、入って来た者は人だかりを見たとたんに、怒鳴った。
「そこ! 何をしてる! さっさと席に着きなさい!」
声の方を見た生徒達は教師を確認すると、蜘蛛の子を散らす様に、各々の席に戻って行った。
「よし、それじゃ、ホームルームを……」
教師の言葉が途切れた。若干呆れた表情を見せるその顔は、雄人に向けられ、その視線の先には、机の上に乗ったアレクが居た。
「風巻……、出来れば言いたくはないんだけどな、ぬいぐるみを机の上に出しっぱなしにするな。何処かに仕舞うか、机の下にでも置きなさい」
まだ後のマルスには気付いていない様だが、それも時間の問題だと、彼は思った。その証拠に、後ろの気配が動き始めている。
「おーい、早くしろー。いい加減、先生もやさ……」
そこで言葉が止まる、と同時に動きまで止まってしまった。雄人は目だけを動かし、自分の脇を見ると、マルスが座り気持ち良さそうな顔をしている。その隣には浅田の席があり、自分の側に来たマルスを、幸せそうな顔で撫でていた。
「おい、風巻。先生、何とかしてやれよ。あれじゃ、俺達全員、単位落とすぞ」
前の席から真壁が声を掛けてくる。その事には、確かにな、と彼も思った。
「それは困るな。でもさ、お前、あれに出たいのか?」
「馬鹿言え、俺だって本当なら出たくねえよ。だけどよ、今日だけは出ないと不味いだろうが」
真壁の言う通り、今日だけは特別な理由が無い限り、休む訳にはいかない日だった。
「まったく、妙な行事を作ったよな。この学校」
それには雄人も同意した。
「おい、マルス。軽くでいいから一発吠えろ」
言われたマルスは首を傾げ、疑問に思い口を開こうとするが、アレクが一声、鳴いた。その涼やかとも言える鳴き声は、ざわめく教室を静め、呆然とする教師の意識を戻した。
「か、か、か、か、風巻?! そ、そ、そ、そ……」
気が付いたのはいいが、まだ、元には戻っていない。溜息を付きながら、仕方なく雄人は口を開いた。
「先生、こいつは人畜無害だから、無視していいですよ。それより、早くしてください。じゃないと、先生の所為でクラス全員、留年しちゃいますよ」
自分の所為で教え子全員を留年させる訳にはい。その責任感からか、落ち着きを取り戻し、完全に元に戻った。
「それじゃ、その熊さんは、問題ないのですね?」
流石、このクラスの担任、と全員が感嘆し、その事を肯定する。
「分かりました。では、体育館に移動する前に、男子、女子、それぞれ指定された部屋で着替えを済ませてください。先生の所為で、時間が少なくなりましたが、慌て無い様にお願いします」
それではまた体育館で、と一言残し、教師は出て行く。生徒達はそれぞれバックを手に、教室を出て、指定された部屋に向かうのだった。




