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悠久の時の彼方でⅠ  作者: 春岡犬吉
第七章
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命の定義

 実夏は友達の誘いも断り、学校が終わると、一人、帰宅の徒に付いていたが、ふと思い立って、雄人の家に足を向けた。実の所、ここ一週間、雄人に連絡を入れても、忙しいから、の一言で断られ続けた挙句、暫く来るな、とまで言われていたので、また、連絡を入れて断られるのも癪に思い、何も言わずに行こうと決心していた。そして、もうすぐ着く、という所で、雄人の自宅方向から走り去って行く、大きな茶色い物体を目にした。

「あれって、もしかして――、マルス?」

 首を傾げ、少々足を早める。すると、今度はアレクらしき姿が見え、その背に向かって叫んだ。

「アレク!」

 その姿は立ち止まると、振り向き、実夏の方へと走り寄って来る。彼女が、やっぱり、と思っていると、そばに来るなり、周りも気にせずに話し出した。

『今、ちょっと急いでて訳を話してる暇無いのよ。悪いけど実夏、雄人をぶっ飛ばして来てくれない?』

 言うだけ言って踵を返すと、走り去って行った。

「雄人をぶっ飛ばせって――、どういう事?」

 言われた意味が分からず、首を傾げながら歩いた。

 門前まで来ると、その(さま)を見て、一瞬、呆気に取られる。いつもはきちんと閉めて有る門は開け放たれ、玄関ときたら、中から打ち破られた様な有様で、周囲にガラス等が散乱していた。

「何よこれ? 一体、何があったのよ……」

 敷地内に入ると門を閉め、玄関へと向かい、散乱したガラスに気を付けながら邸内に入った。

「おじゃましまーす」

 一応は挨拶をする。ただし、誰にも聞こえない様にではあったが。靴を脱いで上がり込むと、そのまま奥へと歩いて行った。

 台所を過ぎ、更に奥へと進む。すると、襖が倒れている部屋があった。そこには、見かけない男が一人倒れこみ、雄人が俯いて立ち尽くしていた。

「雄人、何かあったの?」

 雄人は突然後ろから声を掛けられ、驚いて振り向いた。そこには、心配そうな顔をして、実夏が立っていた。

「実夏……、どうして……」

 呆然とした表情で呟く彼に、実夏は呆れた顔を向ける。

「どうして、じゃないわよ。門は開けっ放し、玄関は内側からはじけ飛んだみたいに壊れてるし、それに、この人は誰よ?」

 雄人はまた項垂れてしまった。その素振りに彼女は少しムッとして、幾分、声を荒げる。

「アレクは飛び出して行っちゃうし、たぶん、あれはマルスね――。も飛び出してったし、ねえ、一体、何があったのよ?」

 実夏の言葉にも雄人は何も言わず、俯いたまま、ジッとしている。そんな彼に怒りを覚え、彼女はその頬に向かって、平手を飛ばしていた。

「一体何があったかって聞いてるでしょ! 黙ってないで何か言いなさいよ!」

 それでも何も答えようとはしない。実夏は更に苛立ち、強く拳を握ると、雄人の顔目掛けて振り抜く。彼はそれを()けようともせず、まともに食らうと、顔を上げ、呟いた。

「俺にどうしろってんだよ……。何すりゃいいんだよ……」

 実夏は雄人の胸倉を掴み、激しく揺する。そして、もう一度頬を張り倒して怒鳴りつけた。

「何訳の分からない事言ってんのよ! あたしは、何があったのかって聞いてんの! さっさと話しなさい!」

 その黒く澄んだ瞳に怒りの炎を揺らめかせ、雄人を睨み付ける。彼はそんな彼女から目を逸らすと、話し出した。黙ってそれを聞いた実夏だが、雄人が話し終わると、目を吊り上げ、雄人を睨み付けて、静かに口を開いた。

「あんた――、何したか分かってんの? マルスはまだ子供、それも、幼稚園児と同じなのよ。それにね、二年間もあそこにずっと閉じ込められてたあの子が、命なんて分かる訳ないでしょう? その子供みたいなマルスを、ただ、叱るだけ叱って、その理由も言わないなんて、そんなの、虐めてるのと同じじゃない。それを偉そうに何? 命を分かってるのか? だって? あんたこそ分かってるの? 本当は、言ってる本人が一番分かって無いんじゃないの?」

 淡々と話す実夏だが、その心の内では怒りが煮え滾っていた。

「それじゃ、俺はどうすれば良かったんだよ。笑って許してやれば良かったのか? それとも、怒る振りだけしてれば良かったってのかよ? それとも何か? ただ、黙って見てれば良かったのかよ」

 雄人のその答えに、実夏はその怒りを爆発させた。

「もういい! あんたはそこでそのまま腐ってればいいわ! 風巻の名前が無けりゃ何も出来ないくせに! 隣で支える価値すら無い男よ、あんたは! もう二度と、あたしの前に姿を見せないでちょうだい!」

 踵を返して部屋を出ると、ポケットから携帯を取り出し、電話を掛け始めた。

「あ、とうさん、あたし――。あのね、マルスが風巻の家を飛び出して行っちゃったの。――雄人? 駄目よ、あんな使えない奴。頼るだけ無駄よ。だから、そっちでどうにか出来ない?――うん、そうして。あたしもこれからマルスを追い掛けるから。――行き先? そのくらい分かるわよ。マルスの行くとこなんて、そこ以外無いじゃない。――分かった、気を付ける。それじゃ、よろしくね」

 携帯を戻すと、小走りに玄関に向かった。そして、靴を履くと脱兎のごとく走り出し、通用門から外に飛び出して行った。

 雄人は奥歯を噛み締め、悔しさを滲ませ、小さく度づいた。

「くそっ、なんだってんだよ! 俺のどこが悪いんだよ!」

「そうですね。その態度、じゃないかな?」

 後ろから声を掛けられ、驚いて振り向くと、そこには座り込むのっぽが居た。

「あんた……、気が付いてたのか……」

 ノッポは雄人に向かって微笑み掛けてはいるが、その目は笑ってない。

「ええまあ。あのお嬢さんの声で目が覚めましたよ」

「それじゃ……」

「全部聞かせてもらいました」

 雄人は焦り、顔を(しか)め、油断しきっていた自分を心の中で罵った。だが、そんな彼の心など知らずに、ノッポは言う。

「だけど、あのお嬢さんの言う事はもっともな事ですね。子供を叱るときは、たた怒ればいいだけじゃないですよ。ちゃんと理由を言ってあげないとね。その点から見れば、雄人君? でしたっけ? は()りは大きくても、精神的にはまだ子供ですね。あのお嬢さんの方が、ずいぶんと大人のようだ」

 その鋭い視線を雄人に向け、口元には笑みを浮かべている。彼はそれを見て、幾分、不愉快な気持ちに成った。それが、分かるのか、ノッポは笑いを漏らすと、再び、口を開いた。

「君が俺の名前を知らないのも不公平だから、名乗っておくよ。俺は、久米島(くめじま)正平(しょうへい)。つい最近まで、ネットワークエンジニアをやってた者さ。ま、今は訳有って無職だけどね」

 肩を竦めると、おどけて見せたが、すぐに真面目な顔付きに成る。

「雄人君、命ってなんだと思う?」

 突然質問され、一瞬戸惑ったが、何を馬鹿な質問をするんだ、と思い口を開こうとした。が、久米島が先に言う。

「まさか、生きてる事、なんて小学生みたいな答えじゃないよね?」

 言葉に詰まる雄人を見て、久米島は溜息を付くと、首を左右に振った。

「おいおい、本当にそう思ってたのかよ。こりゃ、マジであのお嬢さんの言った通りだな」

 雄人は何も言い返す事が出来ない。それもそうだ、命、という物の意味はかなり多彩で、しかも概念が抽象的過ぎる。そして、何よりも形で示す事が出来ない事こそが、分かり辛くしている一因でもある。

 そんな彼を見て、久米島は軽く息を吐くと、口を開いた。

「いいかい、命、という物は、生きている物すべてに宿ると言われている。それこそ、神道なんかじゃ、その辺の石にも宿る、なんて言うくらいだ。それじゃ、俺たちの言う命とは何か。それは心の事だと俺は思ってる。両方とも形の無い物だし、ね。よくさ、相手の心を理解しろ、なんて言われるけど、そんなの理解出来る人は誰も居やし無い。だって、そうだろう? 他人の心が理解出来れば、この世に争いなんて起きる筈ないじゃなか。だから、大体の人が理解した積もりに成っているだけなのさ。それと同じで、命の事を本当に分かってる人なんか、どこにも居る訳が無い。もっとも、これは俺の勝手な解釈だけどね」

 肩を竦め、軽く笑った。そしてまた、雄人に問う。

「それじゃまた聞くよ。命とは何かな?」

 雄人は考える。命とは何か。久米島が言ったように、心の事か。少し違う気がした。自分が思う命。それは一体なんなのか。やはり分からない。

 久米島は笑顔で雄人を見詰めていた。そして、答えの出ない彼に向かって言った。

「それでいいんだよ。答えなんか簡単に出やしないんだから。あの熊さん――、マルス、って言うのかな? あの子も一生悩み、考えると思うよ。命ってなんだろう? ってね。でも、それが大事なんだよ。君はその切っ掛けをマルスにあげたんだ。やり方は(まず)かったけどね。さっきは偉そうな事を言ったけど、俺だって三十年ちょっと生きて来て、あの程度なんだから、君達が分かる訳ないんだよ」

 笑顔で言う久米島は、雄人から見れば、遥か遠くにまで辿り着いた大人に見えた。

「それじゃ、久米島さんは、命はいずれ解明されるとか、思ってるんですか?」

「一応、そうは思っちゃいるけどね。でも、俺たちが生きてる間は無理だろうな」

 笑顔で答える久米島を見て、雄人は思った。こういう大人に成るのも悪くはないな、と。

「こんな未熟な俺に色々教えていただいて、ありがとう御座います」

 雄人は腰を深く折り、久米島に感謝をする。だが、彼は笑って言った。

「俺は何も教えてないよ、ただ、ほんのちょっとだけ、ヒントをあげただけさ」

 謙虚にも程か有る。雄人はそう思い、彼に笑顔を向けると、また、礼を言った。そして、後ろを振り返り、内側に倒れた襖を見る。

「久米島さん、少し待っててもらえませんか?」

 突然の事に、久米島は首を傾げ聞き返す。

「待つ? ここで?」

「はい、済みませんがお茶は勝手に飲んでてください。俺、マルスに謝らないと」

 久米島は頷き、雄人の背に向かって声を掛けた。

「分かった。それじゃ、勝手にご馳走になるとするよ」

「本当に済みません」

 軽く会釈をすると、雄人はゆっくりと出て行った。

 残された久米島は、ポットから急須にお湯を注ぐと、お茶を入れ、口を付ける。

「今時、あんなにまっすぐな若者も珍しいな。受けた依頼、放棄したくなっちまったぜ」

 一人呟くのだった。

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