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悠久の時の彼方でⅠ  作者: 春岡犬吉
第一章
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少年と狐

 家の中に()(りん)の音が()(ひび)く。それを聞き付け、玄関(げんかん)まで移動(いどう)する姿があった。それは人ではなく、狐だ。

 狐は玄関に有るインターフォンを器用(きよう)に口で外すと、一声鳴く。

【アレクか。小父(おじ)さんか小母(おば)さんは居ないのかい?】

 アレク、と呼ばれた狐は、インターフォンから流れる声に返事をする様な、変った鳴き声を出した。

【そうか、居ないのか……。困ったなあ……】

 少し待て、と言わんばかりに鳴くと、玄関に下りて鍵を開け、起用に扉を開くと外に顔だけを出し、訪問者を確認して、また鳴いた。

「お前しか居ないのに入ってもいいのか?」

 大きく頷くアレクを見た少年は「それじゃ、遠慮なく」と言うと、家の中に入って行った。

 アレクに着いて玄関から廊下を抜け、居間に着くと、ソファーに座り、紫色の布で包んだ(いち)メートル強ほども有る物をテーブルに乗せ、紙袋を自分の脇に置いた。アレクは軽く(うな)りながら、テーブルに置かれた物を前足で突付(つつ)くと、少年の顔を見る。

「邪魔だから、ここに置くなって?」

 頷くアレクを見て、苦笑しながら包みをテーブルの下に置き直すと、更に少年に向かって指示が飛んだ。

 テーブルの上に置いてあるノートパソコンを前足で指し示し、何度か顎を上げた。今度はパソコンを立ち上げろ、と言うことらしい。

「なんだよ。今度はパソコンか? 別に()けなくても問題ないだろ?」

 だが、アレクはすでに、通常の五倍ほども有る、特注品(とくちゅうひん)のキーボードをテーブルの下から引っ張り出していた。

 少年は溜息を付き、ブツブツと文句を言いながら、キーボードを(つな)ぎ、ノートパソコンを開いて電源を入れた。

 ファンの音が(かす)かに鳴り響き、パソコンが立ち上がり始める。完全に立ち上がるのを待って、アレクは器用(きよう)に前足を使いキーボードを(たた)くと、メモ帳を立ち上げる。

(一々うるさいわね、馬鹿雄人(ゆうと)。それより、何しに来たのよ?)

 雄人、と呼ばれた少年は苦笑しながら言った。

「それを(あず)かって(もら)おうと思ってね」

 テーブルの下に置いた物を指差(ゆびさ)した。

(何よこれ? なんで預けるの?)

 雄人に顔を向け、首を(かし)げる。

 彼が話して良いものかどうか迷っていると、画面にまた文字が(おど)った。

(早く話しなさいよ。このボケ!)

「お前ねえ……。仮にも女なんだから、もう少し何とかなら無いのか? その言葉遣(ことばづか)い」

 (あき)れた顔をアレクに向けるが、当の本人は此方(こちら)に振り向きもしない。

(一々細かい事を気にする男ね。そんなんじゃモテないわよ? それとも何? 人間のクセに同族の女には興味無(きょうみな)いの?)

「俺だって健全(けんぜん)な男だぞ――」

 溜息(ためいき)と共に言葉を吐き出すと、それを笑い飛ばす様にアレクが鳴いた。

「何笑ってんだよ」

 画面にまた文字が躍る。

(あんたに特定の女の匂いが着いてるの、()いだ事ないんだけど?)

 これには彼も(まい)った。確かに恋人、と呼べる人は居ないし、二人きりで出歩く人も居ない。しかし、これでも女友達は多い方なのだ。ただ、恋愛に発展する様な事が無いだけなのである。

もっとも、告白したりされたり、といった事も無いのだが。

「あのなあ――、そうそう他人の匂いを着けたまま、此処(ここ)に来る訳ないだろう?」

 雄人の言葉を、アレクは鼻で笑い、馬鹿にしたような目で彼を見る。

「なんだよその目は。――俺が馬鹿だって言いたそうじゃないか」

 その通りだ、と言うように、アレクは大きく頷いて見せた。

「その根拠(こんきょ)はなんだよ? 説明してみろよ」

 少々、腹を立てている様だが、その事は気にも()めず、アレクは軽快にキーを叩き始めた。

(あのね、人間が感じない匂いでも、あたし達には分かるのよ。(たと)えば、あんたが何かの食べ物を手で(さわ)るでしょ? そうすると、その匂いが手に着くのよ。あんた達人間には分からなくても、あたし達には()ぎ取れるの。あんたが(いく)ら体を綺麗(きれい)に洗っても、匂いまでは簡単に洗い流せないわよ。ま、他の匂いで誤魔化(ごまか)すとかされたら、分かり(にく)いけどね)

 覚えて居る(はず)なのに、つい忘れてしまう事。それは、アレクは人間では無いという事。そんな事、姿を見れば人では無い事くらい分かる、と言われるだろうが、雄人にとって、その事は(あまり)、重要ではない。コミュニケーションが普通に取れるかどうか、だけなのだ。その点だけを見ると、彼にとってアレクは、何ら普通の人間と変らない相手なのだ。もっとも、他人からすれば、人の言葉を話せない者と意思疎通(いしそつう)が出来てしまう、と言うのは珍しいを通り越して、驚嘆(きょうたん)(あたい)する事なのだが、雄人にその自覚はまったく無い。

 その事実を思い出し、何か言おうとして何度か口を開くが、言葉が出ず、肩を落とした。

 そんな雄人を見たアレクは溜息を付くと、彼の(ひざ)の上に前足を着き、顔をひと()めして元の位置に戻った。彼はアレクを視線だけで追い、画面に文字が躍るのを見た。

(何落ち込んでるのよ。あたしが人間じゃない事を忘れてたから? それとも、その事で罪悪(ざいあく)(かん)でも感じた? でも、あたしはあんたのそうゆう所は好きよ。あたしを狐としてじゃなくて、人間と同じに(あつか)ってくれる所が)

 キーを打つ前足を止め、雄人に顔を向けた。彼もアレクに顔を向ける。

「だけど――」

 何かを言い掛けた彼に向かい、アレクがゆっくりと首を左右に振り、またキーを叩き始めた。

(人は人、狐は狐。今はそれでいいわ。あたしも何とか話せるようにって頑張ってはいるのだれけど、上手くいかないないしね。でも、あたしの子供、もしかしたら、もっともっと先の代かもしれないけど、話せるようになったら、今のあたしと同じように接してくれる?)

 アレクは顔を上げ、雄人を見詰める。

 雄人はアレクの目を見て大きく頷くと、口を開いた。

「だけど、俺が生きている間には叶わないかもしれない。もしかしたら

その先――、俺の子か孫――、もっと先かもしれない。だから、この事はずっと伝えていくよ。人の言葉を話す狐が現れた時、それは、アレクの子孫だって……」

 その言葉に満足したのか、アレクは雄人の膝の上に飛び乗ると、彼の顔を舐め回した。

「ちょ、ちょっと、止めろよ。顔中べとべとになっちゃうじゃないか」

 そんな事を言いながらも、雄人は(うれ)しそうな顔をしていた。

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